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愛国者

150ハンドル付けて下さい:2006/07/16(日) 11:37:40
天理教の宗教輸出は、理解に苦しむ


天理教の紹介に、日本で初めて宗教を輸出した団体。
国柱会の紹介に、戦前の団体の中で積極的に満州・東南アジアに進出すべきだと主張した団体。
とありました。

国柱会には満州事変を企画立案実行した
関東軍の参謀中佐で作戦主任の石原莞爾が関連で紹介されており
東亜連盟の思想の一環で
ソ連とアメリカの連合とアジアとヨーロッパの連合の2極で、世界最終戦争になるので
兵器の充実の昭和維新後に、最終決戦をして、
天皇を世界大王にする(日本が地球連邦の盟主様になるとは言ってない、五族協和)という
たわごとが書かれています。
昭和維新は、兵器の充実の後で、と言ったにもかかわらず、226事件の青年将校は
石原莞爾に拳銃を向けたにもかかわらずビビって撃ちもせず逃げたのです。
兵器の充実の無いまま、シナ全面戦争(石原氏は華中に手を出さないように・
        上海で戦争拡大は反対だったようですが、満州開拓団の移住は推進でした)、
ノモンハン事件を起こし、ゼロ戦の技術がアメリカ製で三菱がアメリカの企業と提携だったのが
このアメリカの技術にもかなわない状況下で、戦車がソ連に勝てない兵器の充実の無いまま
対米戦争を始めました。する必要の無い戦争でした。
ソ連との戦争の片がつくまで、ドイツとしては日本に戦争して欲しくなかったようです。
アメリカがドイツに参戦して来て2正面戦争になるのを嫌ったからでした。

東条英機の軍部内での人事多数派工作と、東条の方針や思想が
石原には嫌いでたまらなかったと言います。
東条は自分が威張ったり評価されたいばかりに
権利を売ったり部下を犠牲にして、国益を平気で減らすバカだと言っていたようです。

乃木将軍に飯をおごられて遊びに出て世間話を聞くのが好きな人だったのですが、この集まりと
別のグループが東条英機の統制派の軍閥で、ユダヤ人の上海2万人移住黙認の責任者で
三国同盟の成立の割りに、ドイツやイタリアの利害に反する事ばかり言い
岩手のアメリカ風の海軍(米内・暗殺された斎藤実もと朝鮮総督)や
軍人筋に良い顔をしていたといいます。アメリカ風がアメリカと戦争するのも笑える話です。
アメリカ風にインディアンの処刑のように西部劇風の縛り首なんでしょうか。おかしな事です。

石原の経歴としては
1910年の日韓併合時に江原道春川に進駐で出兵して朝鮮滞在しており
1922年に中国の中支那方面軍の前進の駐在武官で諜報をしており
ドイツ駐在武官や満州のロシア人への諜報をしていました。

1923年の大震災と1924年にアインシュタイン博士の来日で
この時、日本は翌年のソビエット政権承認で北樺太撤退まで、まだ共産政権を認めず
北樺太に日本軍が進駐し、樺太全島が日本になっていた時期でした。
おかげでアイヌ人が日本人の一種としてロシア人が憎しみ
原住民のアイヌ人をサハリンから追い出し、朝鮮人を住まわせる屁理屈の根拠となりました。

満州鉄道の関連と、南洋諸島の信託統治を含め
日本の「直轄領」の勢力圏が最大の時期で、
朝鮮人や満州人を使った「間接支配」の勢力圏の
最大範囲ではなかったですが、
満州国の建国は、外国人を日本人と認める支配方式を始めた一歩で
大和民族の衰退や破滅の前兆と言えました。


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