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愛国者

121ハンドル付けて下さい:2006/06/18(日) 16:14:18
臨済宗(りんざいしゅう)中国で発展した禅宗の1宗派。
達磨の のち、
6祖慧能にはじまる南宗禅は、
黄檗希運(おうばくきうん)にいたって豪放で自在な
気風を生んだ。この禅風をうけついだ高弟の
臨済義玄(ぎげん)が臨済宗の開祖となった。
7代目の楚円(そえん)の門下から
黄竜慧南(おうりょうえなん)と
楊岐方会(ようぎほうえ)がでて、黄竜派、楊岐派を
たてた。この2派は中国禅宗の
五家七宗の中で もっとも さかえた。

日本臨済宗の開祖となったのは栄西である。栄西は
はじめ比叡山で天台教学を まなんだが、南宗禅を まなぶため、
1168年(仁安3)と
1187年(文治3)の2度に わたり中国に渡航した。
黄竜派7世・虚庵懐敞(こあんえじょう)のもとで臨済禅をまなび、
1191年に帰国した。帰国後は博多に
聖福寺をたてて、禅を布教した。ついで、幕府の信任をえて鎌倉に
寿福寺を開創し、
1202年(建仁2)には将軍源頼家が京都に建立した
建仁寺に開山として むかえられた。栄西の法系を
千光派といい、禅密兼学の優秀な学僧を生んだ。

1211年(建暦元)には楊岐派7世
蒙庵元聡(もうあんげんそう)のもとで修行していた
俊?(しゅんじょう)が帰国し、はじめて
楊岐派の法系をつたえた。鎌倉時代から室町時代にかけては、
中国からの渡来僧が数多く来日した。彼らは
宋風の純粋禅をつたえ、鎌倉と京都の官寺を中心に
五山派を形成して宗教界に君臨し、
宗教・芸術の面でも大きな功績をのこした。五山派の衰退とともに
大徳寺と妙心寺が台頭し、江戸時代にはいると
白隠がでて、独自の公案を重んじる法系を確立した。
1654年(承応3)には
楊岐派24世・隠元が来日したが、黄檗宗をたてて別宗とした。

臨済宗には現在、京都・鎌倉の大寺を本山とする
14派が(黄檗宗を入れると15派)ある。


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