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愛国者

120ハンドル付けて下さい:2006/06/18(日) 16:13:11
足利義満は1401年(応永8)僧の祖阿・
博多商人の肥富(こいずみ)を明に派遣して国交を開いた。
明からの国書には義満を「日本国王源道義」
(道義は義満の法号)と記してあり,
明皇帝は日本の服属を認める象徴として明の暦を与えた。
それに対して義満は「日本国王臣源」と署名した
上表文を皇帝に送っている。
これは明らかに勘合貿易が日本国王の明の皇帝への朝貢と,
それに対する返礼という従属的な形式をとって
行われたことを示している。

・・・室町4代将軍は屈辱外交として貿易を一時断絶した・・・

棚板造りの船が準構造船と大きく異なるのは、
船底材の形状だけですが、大型船では中棚を二段にした
四階造りも使われました。しかし、刳船部材と違って
板の航(かわら)はクスという特定の材を必要としないため、
船材の選択範囲が広がり、造船が容易になったはずです。
これは重要な進歩と言っていいでしょう。
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入明年 渡航船
1401 幕府船
1403 幕府船
1404 幕府船
1405 幕府船
1407 幕府船
1408 幕府船
1410 幕府船
1433 幕府船・相国寺船・山名船・大名寺社十三家船・三十三間堂船
1435 幕府船・相国寺船・大乗院船・山名船・三十三間堂船
1453 天竜寺船・伊勢法楽舎船・九州探題船(聖福寺造営船)・
       大友船・大内船・大和多武峯船
1468 幕府船・細川船・大内船
1477 幕府船・相国寺勝鬘院船
1484 幕府船・内裏船
1495 幕府船・細川船
1511 大内船・細川船
1523 大内船・細川船
1540 大内船
1549 大内船


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