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やさしく学ぶ呉王朝の歴史
1
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/02(木) 04:19:38
時は随王朝末期の中国。
国は大いに乱れ、小国が乱立し、覇権を争っていた。
強国は弱国を飲み込むことで、さらに大きくなり
互いに鎬を削りあう状況が続いていた。
だが、その派遣争いも
終わるときが来た。
鮮卑の小部族の長でありながら
一代で華北に大勢力を築いた
初代皇帝【白羅敷】によって……
ついに中国は統一された、
すなわち、『呉朝』である。
2
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/02(木) 04:19:56
それから二百数十年。
中興の名君の呼び名も高い19代目【叡宗】の治世で 世襲貴族による政治は
ほぼ完全に終わり……
政治はすべて、科挙という
試験の合格者を中心に
行われるようになるのだ。
科挙の合格者たちには、誇りと責任感があり
効率的な経済を生み出し、呉は空前の好景気に沸きかえったのである。
だが、そんな『呉』も 今や滅亡の危機に瀕していた。
3
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/02(木) 04:20:22
『呉』の国家体制は律令制と呼ばれるものである。
刑法である律、行政法である令を中心として各種の制度が規定されていた。
成人した民衆に田を支給する均田制。
田と人ごとに税を課す租庸調制。
18歳以上の成人男子に兵役を課す府兵制。
そしてこれらを運用するために戸籍の登録と把握が行われていた。
戸籍を基に人頭税(租庸調制)と徴兵制(府兵制)を実施する『呉』の制度は、
言い換えれば民衆を直接支配する国と言えるのかもしれない。
しかし、このシステムには致命的な欠陥があった。
4
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/02(木) 04:29:18
“民衆の逃亡” である。
戸籍を基に諸制度を運用するといえば聞こえは良いが、
戸籍から逃亡した民衆にたいしては税金も兵役も課すことができない。
もちろん『呉』も対策を講じたが、根本的解決には至らなかった。
民衆は大土地所有者のもとに逃げ込んで小作人になったりした。
これによって新興地主層が台頭することとなる。
一方、兵役従事者の減少は辺境防衛に甚大な影響を与える。
このような状況では、ウイグルや吐蕃に対抗できるわけがないからだ。
皇慶25年、長征健児制が成立。
それまでの府兵制による兵役従事者は原則1年を任期としていたが、
長征健児は半永久的に辺境に留まり代々兵士となる職業軍人であった
こうして府兵制は崩壊し、その中で軍人が力をつけていった。
6
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/02(木) 04:51:52
やがて反乱が起こった。
燕雲で張某という地方官吏が起こした大規模な反乱は
燕王白果とその子息、まだたった十三歳の白呈春によって鎮定されたが、
この大反乱が呉王朝に与えた影響は甚大だった。
社会経済はズタズタにされ、
それに合わせて呉の行政体系も姿を変えていく。
当初は辺境防衛方面軍司令官に過ぎなかった節度使は
張の乱以降も散発する反乱の鎮圧の過程で中国各地に設置されるようになり、
行政を司る観察使を兼任した。
軍事・行政の大権を一手に握った彼らはやがて半独立の軍閥、“藩鎮”へと
姿を変えていったのである。
7
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/02(木) 05:11:22
一歩踏み外せば 崖下に転落する。
そんな危機に瀕していたのは、中央も同じだった。
ある程度
進んだ社会にとって
政治問題とは
結局、一つの所に
行き着くのである。
『 官 僚 制 』の問題である。
8
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/02(木) 05:17:29
官僚制とは、実に便利な存在であり
まかせておけば、それなりに質の高い政治を やってくれるのである。
だから、君主がどんなに怠けても……
また、君主がどんなに無能でも……
それなりに、国が保つのである。
とはいえ、個々の官僚はロボットではなく人間であるから……
放っておくと怠けたり、足を引っ張ったり、暴走したりもする。
官僚をいかに教育し、いかにコントロールするかが国家運営の最大の課題であるが、
今 現在に至っても 完全な解決策は出ていない。
そして、世界で最も早く文明が発達した中国は……
世界で最も早く 官僚制の発達した国でもある。
特に中国の官僚制は、『呉』の叡宗の時代に大いに発展したのだった。
9
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/02(木) 05:33:11
叡宗の改革が 斜陽の呉を立て直したことは先に書いたが
……しかし、良い事ばかりではない。
好景気は貧富の差を生み、社会矛盾も発生する。
官僚たちも しだいに立身出世に目がくらみ
自分のための政治、金持ちのための政治を行うようになってゆく。
自己保全のため 誰も責任を取らなくてもいい方法を考え……
どこが頭やら、尻尾やら、責任の所在をわからなくして政治を誤魔化し始めるのだ。
もしも皇帝が自分たちの利権を侵そうとしても、
徒党を組んで、鵺のようにかわしてしまおうとする。
こうした官僚を統制し、政治を正常にコントロールするため、
叡宗は禁断の手段を使ってしまった。
『 宦 官 』である。
11
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/02(木) 12:22:45
叡宗は、官僚の不正や自身の敵に対しては 凄惨な粛清をもって報いた。
その指揮にあたったのが、【劉瑶】。叡宗の傅を勤めていた大宦官である。
叡宗は子が親を頼る様に劉瑶を頼り、劉瑶もまた期待に応え叡宗の地位と呉の国を盤石のものと変えていった。
その気になれば叡宗を傀儡とし、奢侈に耽る事もできたのに敢えてしなかったのである。
一方で叡宗に対する劉瑶の偏執的なまでの庇護は、劉瑶の政敵となった一部の宦官や官吏、皇族の怨みを買った。
叡宗の敵は、劉瑶の敵であった。敵は強引に蹴落とし、完膚無きまでに陥れた。
冗費の削減と綱紀粛正に儒教を利用し、他方で厳格な法治を行った叡宗。
その影として裏から敵対者を粛清し、叡宗の政権を磐石なものとした劉瑶。
この二者によって、呉は奇跡的に政治的安定を実現する。
しかし、その安定は叡宗が有能な独裁君主であり、
劉瑶が叡宗に忠実だったからこそ実現したものなのである。
ひとたび舵取りが上手くいかなくなれば……
後に残ったのは肥大した科挙官僚と、宦官である。
叡宗は、その危険をよくわかっていた。だから、死の間際に劉瑶の養子【焦景栄】にこう遺言したのだ。
“太子・白牡丹が皇帝の資質でなければ、皇弟白如月か燕王白果をもって代えるように”と。
12
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 12:04:49
長子相続を原則とするこの国で、英邁な叡宗の口からこのような遺言が出たのはどうしてか。
それは、端から見て長子【白牡丹】の 次代の皇帝としての資質が疑われたからである。
【白牡丹】は、時には誰もいない場所を見つめて独り言を呟き続けていたり
通常ではあり得ない状況でぱったりと眠りこけてしまったり、
周囲を心配させる所の多い子供だった。
叡宗は不安ながらも「大人になれば治る」と見守り続けてきたが、それは幾つになっても治らなかった。
しかも 十代になり、持って生まれた性質がはっきりとし 向き不向きが明らかになると、
【白牡丹】には政治的な才覚がまったく乏しいことがわかった。
自由を愛し、花鳥風月にいちいち感情を爆発させ、正常ではない言動も見せる長子……
叡宗が心配するより早く、臣下達の胸に「次をどうするか」という思惑が
自然芽生えたのも無理からぬことであった。
13
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 12:48:15
一部の臣僚は、叡宗が危篤状態になるとあからさまに皇弟【白如月】の擁立運動を行った。
【白牡丹】が皇后腹だったのに対し、【白如月】は側室郭貴妃腹だったから、二人は異母兄弟の関係にあった。
白如月は統治者、政治家の資質を含む多くの分野において優れた才を発揮し、
理知的で、また勤勉であったから 当時から叡宗と重ね合わせ、擁立したがる者が多かった。
結局、この運動は中書侍郎【左匡輝】らの猛反対と、白如月自身の辞退によって沙汰止みとなった。
【左匡輝】自身もまた、自身と理想とする皇帝像に反する白牡丹にあまり良い感情は持っていなかったが、
それでも儒の大原則である長子継承を遵守することを選んだのである。
呉王朝さえ磐石であるのならば皇帝は多少頼りなくともかまわない。
その分、官吏たちが帝国への厚い忠誠心のもと皇帝を輔弼すればよい……
それに、自分が皇帝を補佐することでその闊達さを政治に向けることができたならば……
【左匡輝】にはそのような期待もあった。
こうして、呉王朝第20代皇帝【白牡丹】が誕生した。
14
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 13:03:50
17歳の新帝【白牡丹】は、即位当初はそれなりに真面目に政治に取り組もうとしたらしい。
しかし、彼はあまりに繊細で、生き馬の目を抜くような宮中でリーダーシップを発揮するような
たくましさを持たない皇帝であった。
以下に、当時の臣僚や外国使節が秘密に漏らした皇帝への評を提示する。
「陛下の途方もない想像力(空想癖)は、陛下の中で青年の心には通常見られないほどに大きな力を持ち、
また執拗な固執癖があらゆる物事に関して観察できる」
「朝議の最中、陛下の思いは朝堂を遠く離れた世界を彷徨う様子で、
たまに臣下に話しかけなければならないことを思い出すようだったが、
そのときの陛下の指摘は才能と機敏さと常識があるように思われた」
「唐突に何の準備もなく、子供部屋から玉座につけられた印象」
「この皇帝の資質は、きわめて高貴で詩的で、人を惹きつける並外れた力を持っている。
皇帝には知性も意志力もあるが、この皇帝の治世に力量を越えるような責務が、課せられることのないのを願う」
15
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 13:16:56
皮肉な事に この最後の評、日本国の遣呉使が回想録の中で書いた「力量を越えるような責務」は、
すぐに【白牡丹】に課せられることになる。
叡宗が繁栄と共に遺した負の遺産は、【白牡丹】には到底打破できるものではなかった。
儒と法と恐怖で厳格に統治する叡宗の治世下では 分を守っていた臣僚たちも
【白牡丹】のあまりにも長く続く寛容な政治に、しだいに緊張感を失って、堕落していった。
もともと、官僚とは派閥を作りたがるものである。
ことに、『呉朝』では【白牡丹】が政治に疎いのをいいことに……
利権獲得や不祥事もみ消しのため、次々とグループを作り団結していったのである。
そして彼らは自分たちのグループを強化するため皇子や有力者を取り込んで、自分たちのボスに祭り上げたのだ。
しかし、その「政治ボス」が好き勝手やりすぎて処罰されても、
他のグループは反って大喜びで…… 政治運動を強化するのだった。
それに気付いた【白牡丹】も何とかして止めさせようとするのだが、
『官僚主義』という化け物には 手の打ちようがないのだった。
16
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 13:43:17
そして、失意の皇帝が解消できない孤独を慰め心のよりどころにしたものこそ、神秘の世界であり、自分の内面世界であった。
幼少からの、他の者には「誰もいない場所を見つめて独り言を呟き続けて」いるように見えた行動は、
人には見えない神や精霊と会話していたのであり、
通常ではあり得ない状況でぱったりと眠りこけてしまうのは、夢を渡ってあてどもなく、さまよい遊んでいたのである。
彼は生まれながらに「巫者(シャーマン)」の資質を持っていた。
そして、九万里の天空をかける大鵬のように、何者にもとらわれることなく 自由の境地に遊ぶ魂は
その資質を成長とともに研ぎ澄ませていった。
春を告げる風に、天神の駆けるのを見……
悠然と流れる長江に、水龍のうねるのを見た。彼は、まるきり余人とは違う世界を見るようになっていた。
【白牡丹】の治世の歴史的意義を挙げるとすれば、すでに失われてしまった殷、楚時代の祭祀を復元し、
独自のアイデアをもってより優れたものへと昇華させたことであろう。
【白牡丹】は祭祀に関する部署を統合、拡張し、多くの優れた人材を見出して、
日頃接している神や精霊の感覚や感情も参考に、これを実現したのである。
人は知らない。もともと、呉朝の命数は叡宗の死によってもう尽きていた。
それを延命していたのは、この祭祀であったのだが……
17
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 14:11:55
そして、人ならざる者と関わっている以外の時間、白牡丹は宮中の格式とは無縁の世界に身を置きたがった。
「夜闌 香焚キ 天ヲ夢ム」……夜も更けた頃、ひとり庭へ出て、四阿で沈香を焚いては天界を思ったり、
『紫宸殿』の裏手に聳える桑の巨木に登って、その枝で数刻を過ごしたり。
その時宮中に忍び込んでいた盗賊【楊林】と親しげに言葉を交わしたり。
吏僚とは極力顔を合わせず、宦官、女官、宮廷楽士、宮廷画家との時間を多く取ったり。
頻繁に宮中を抜けだし、広陵の名山『蜀岡』で長嘯したり、
【張悦】をはじめとする布衣の人々と談笑したり。
特にこの【張悦】の闊達な人柄に触れたことは、宮中生活の中で鬱屈していた白牡丹にとって貴重な経験であった。
このように、現実の政治とは隔絶した世界に行き、朝議の場でも心が逍遙してしまうような有様だったから、
もはや、呉の政治の問題は「誰が宰相として主導するか」ということになっていた。
宰相となったのは、中書侍郎【左匡輝】と、門下侍郎に任命された【焦景栄】。それぞれ右弼、左輔と称された。
どちらも歳は四十を少し出たばかり、黒髪の宰相であった。
18
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 14:34:04
【左光、字は匡輝】、隴西の人。『春秋左氏伝』を著した左丘明を祖とし、
呉の創始以来の譜代の名家でもある【左家】の出自である。
天山の樹氷のように不動で冷厳な心胆を持つ優秀な吏僚であるとともに、晩呉を代表する詩文の人でもあり、
叡宗の治世を讃える五言律詩は不朽の名作とされている。
政治的感覚と文才を買われ、宰相にして詔勅の起草に携わる中書省の高官に出世した。
紫雲五年の新年の詔を起草したのも彼である。
性質は清廉潔白で、汚濁を嫌い、左家の当主として、呉の宰相としての責任感に篤い。
それゆえ、父が胡人の女に生ませた弟、いつ問題を起こし自らの障害となるかわからぬ左景義の存在や、
自由奔放な皇帝白牡丹を疎ましく思っている。
宰相となってからも白牡丹とは反りが合わなかったが、白牡丹が病に倒れた時に、
鼻息を荒くし始めた皇弟・白如月に近い官僚たちには
力の基である帝国の、その屋台骨が崩れ落ちそうになっているのを喜ぶとは何ごとか、と怒りを示した。
19
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 15:21:15
【焦観、字は景栄】、潁川の人。叡宗の兄、廃太子【太平君白堯】の落胤。
儒学者の焦某に嫁いだ夫人が、【太平君】と姦通してできた子であった。
その事実を知らないままに自宮し、当時叡宗の治世下に大宦官として君臨していた劉瑶に見初められて養子となる。
紫雲五年、門下侍郎となり、白牡丹の影として政務を執る。
蓄財をせず、清廉な暮らしぶりで士人からの評価も高く、白牡丹も父とも師とも敬っていたが、
生い立ちが影を落としたのか、己の心底をはじめ、人に隠す所の多い人物でもある。
清冽な容貌と実績を尊重されることが多いが、実はそれは劉瑶の養子として、
今だに隠然たる情報網を持つ劉瑶からの援助で積み上げてきた実績であり、
物語後半、劉瑶に見捨てられた彼は、あえなく一度刺客の手にかかって死ぬこととなる。
後に道士姚朝欽によって飼い猫と身体を入れ替えられ助けられていたことが発覚する。
20
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 15:36:29
また、宮中には左輔右弼とは別の、隠然たる勢力が存在した。
諸侯王の中でも最も強大であり、その勢力の大きさ、情報網の緻密さ、そして本人や構成員の才覚をも天下に畏れられる……
『燕王家』である。
燕王【白果】は太平君、叡宗の末弟であったが、太平君が廃嫡されると叡宗と熾烈な競争を繰り広げた。
叡宗の評を示す。
「あれは権謀術策を好み、人を信ずる事をしない為に先帝から『呉を任せる器ではない』と皇太子の座を与えられなかったものの、
最後の最後まで朕と皇太子の座を競り合った文武に優れた皇子だった」
その才覚の大きさ、残虐さは父親でさえもてあまし、賢すぎる我が子『燕王』の手から民を護り、
また、燕王の手をこれ以上汚させまいと
「燕王家の周囲二十里、燕家以外の者は例え皇族でも帯刀すら許されない」
『二十里帯刀禁止』を定めたほどであった。
このように、畏怖と恐怖を一身に集める燕王だが、「いつか乱を起こすやも」という衆知に反して
山の如く動かず、二人の王子も【白牡丹】と親しいのは、
燕家が「皇族白家の内紛を起こさず、他家に簒奪の隙を与えず」という信条のもとに存在していたからである。
右弼【左匡輝】が士大夫の長として中書に居り、左輔【焦景栄】が皇帝の代弁者として門下に居り、
強大な燕王家が皇帝と親密であったからこそ、すでに修復不能な王朝二百六十年の歪みにも耐え
中央は表面上の安定を保っていたのである。
21
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 15:55:44
ところが、この安定は地方の異変によって崩壊する。
隴右節度使【楊昂譚、字は子寧】、隴西の人。突厥や鮮卑などの血を引き、低い身分から武功によって地位を手に入れた。
すでに任地で支配権を半ば確立していた彼であったが、賊を使って州刺史を除き、
突厥族とも結んで、この地を完全に掌握していた。
【楊昂譚】のもたらした偽情報と、その上洛によって京師広陵は俄かに騒然とした。
しかも、事もあろうにそのような状況下で、皇帝白牡丹が病に倒れたのである。
伏せる直前、【白牡丹】は太液池に手負いの白虎が現れ、手を触れようとした瞬間に掻き消えたのを見た。
春の花神【花姑】が白牡丹に危険を知らせたとも、【白如月】派の臣僚が皇帝を亡き者にせんと謀ったともいわれる。
流行病、熱病による皇帝のあらゆる能力の損失、死、やがて来る後継者を巡る動乱――。
百官の頭に不吉な言葉が過ぎった。
皇帝の平癒を願い、吏僚、皇族、後宮全ての宮中に携わる京師の人間は宗廟の英霊に祈りを捧げた。
尚薬局の治療と人々の祈りが通じたのか、やがて皇帝は平癒することとなる。
だが、このことが、呉の分裂を早めることになる。
22
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 16:14:08
【楊昂譚】は宮中に参内する。彼は不正に握った権力を、その舌で皇帝のお墨付きを得て正当なものとした。
そしてたたみかけるように、配下の【郭勝】を遣わして燕王白果とよしみを通じようとするが、
そちらは燕王家の勘気を被り失敗する。
結局、【楊昂譚】は隴右の支配権を得ただけで任地に戻った。 宮中には束の間の平和が訪れた。
白牡丹と薛才人、薛才人に密かに思いを寄せた、燕王の二人の王子。
【白呈春】と【白承芳】の口から出る、衆知とは異なった『燕王』の顔。
白果も、若き日には叡宗の側室郭貴妃に懸想をしたことがあるという。歴史は繰り返す。
しかし、束の間の平和は永の平和とはならなかった。
楊昂譚は、今まで帝国が見て見ぬ振りをしてきた歪みを浮き彫りにした。
皮肉な事に、この事件は宮中に於ける帝位継承騒動を一時的にだが、鎮圧させた。
白牡丹は、一度呉朝とわが身を襲った危機に触れ、宗教的人間から政治的人間に変じようと努力していた。
努めて最高会議【政事堂】に顔を出し、燕王家や左輔右弼との関係を緊密にしようとし……
また、広陵の街へ抜け出したくなっても我慢して、
夢幻の中に落ちそうになっても、現実を見ようとした。
23
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 16:28:43
燕王家や左輔右弼との関係を深めようとした白牡丹。
この試みは、右弼【左匡輝】との間では完全に裏目に出て失敗する。
【左匡輝】は、白牡丹の何気なく発した一言に己の忠節を否定された思いを禁じ得ず、
かといって儒の原則から【白如月】派に転向することもできず、苦渋の選択として参内をやめてしまった。
後宮をまとめる焦景栄と、儒者の代表の左匡輝が主導する政事堂が
百官の関係を調整し政治を司るという構図はここにおいて完全に破綻する。
そればかりか、これは白牡丹と科挙官僚の決定的対立のきっかけともなってしまう。
一方で、燕王家や焦景栄との間では、この試みは成功する。
一月の間に二度の満月が上った夜、焦景栄、白呈春、白承芳、燕王府の武官から游騎将軍に抜擢された関鉄、
そして白牡丹は、ここに居る皆で呉の社稷を守ろう、と誓い合った。
24
:
白牡丹
◆Enju.swKJU
:2012/02/04(土) 16:53:12
しかし、この誓いはいとも容易く破られてしまう。
ついに白牡丹を廃し、帝国を旧に復そうと図る保守派の臣僚が計画を実行に移す。
首謀者の名前を示す。
『宮中の水鏡』礼部尚書【薛珠】。人心を操るのに長け、特に外交手腕を買われ叡宗時代から礼部尚書を長く勤めていた男。
好々爺然とした容貌、穏やかな物腰、令嬢が皇帝の後宮に薛才人として仕えているという立場。
難関の科挙に及第してから、常に「完璧」であり続けた彼は、常に己を高めていたかった。
その政治生命の唯一の失敗作、白牡丹を廃し、名君を生み出して青史に名を残す……
【薛珠】は白如月に期待をかけ、神格化してさえいた。
『劉瑶の後継者』大宦官【李畢嵐】。醜い容姿で、これまで損をすることが多かった。
毛並みの良い焦景栄と比べて、間引かれ死んだ所を【花姑】に助けられた貧農の倅に過ぎなかった。
このときまでは、彼は焦景栄の影でしかなかった。
しかし今や、李畢嵐は白牡丹と「兄」焦景栄を亡き者にする計画の中心にいた。
浙西節度使【朱日昊】。闖忠弘、喬大聖、「四天王」(金巨山、田要家、清恵礼、安圭斎)、策士史逸ら多くの臣下を抱え、
浙西という都からほど近い地の支配権を得ていた男。
皇帝白牡丹(後に薛才人に変更)・門下侍郎焦景栄・中書侍郎左匡輝の三名を暗殺し、
皇弟白如月と燕王白果が帝位を巡って争うように仕向けた後、
政争に負けたほうを擁立して広陵に進軍する計画を立てていた。
しかし方針の違いから科挙官僚と足並みを揃えて動くこと、機に乗じることができなかった。
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