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これは成長ではない−太母ウロボロスの恐怖−
1
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/08(火) 02:49:53 ID:???0
新劇「破」において、シンジがアスカを救わず、レイに関してはほとんど飲み込まれる勢い
で突っ込んだ事が熱血と受け取られ、歓迎されている向きがあるようだが、あのような行為
は台詞もそうだが英雄たる条件を失っている。それにしても疑似シン化第一覚醒形態だった
か、アニメにおけるご都合主義的な「思考の全能」の発揮というか、なんというか…。
それにしても、一体なにがそれほどまでに変わったというのか。見た目からあたかも変わっ
た、変わったと、製作者・観客の大勢が一致した見解を持ってそれを既成事実としているだ
けではないのか?ノイマンの『意識の起源史』で取り上げられている英雄神話の模範として
のペルセウス神話の分析と比較検証することで、旧作のときの何も変わっていないというこ
とを示しえると思うのだが。
英雄神話における、英雄の「龍との戦い」の目的は、ほとんどいつでも囚われの女性[=得
難い貴重な性質]を解放することである。英雄の「龍との戦い」の中で男性が変化すると、
男性が女性に対して持つ関係も変化する。この変化は龍の猛威から囚われの女性を解放する
ことに、即ち恐ろしい母の像から囚われの女性を救い出すことに象徴されている。これはユ
ング=ノイマン的に言えば、母元型からのアニマの分離といえる。成人男性が彼と同質同年
代の女性の伴侶と《聖なる結婚》によって結ばれる。ここで初めて男性は成熟し、子を作る
ことができるようになる。この男性は自ら父親として自らの子の養育と責任を引き受け、女
性と継続的な関係を保ちながらあらゆる父権的文化の核である家庭構築、更には王朝や国家
を建設する。
・呑み込む太母に対する少年の恐怖も、ウロボロス的な善き母に頼りきった幼児の幸福も、
男性が女性を体験する基本的形態だが、男性が女性と現実的な関係を結ぼうとするならば、
それは唯一の形態であってはならない。男性が女性の中の「与える母」の部分のみ愛する限
り彼は幼児の域を出ない。また、男性が女性を去勢する原子宮であるとして恐れるなら、彼
は女性と結合することも、彼女に子を生ませることもできない。英雄によって女性の恐ろし
い面のみが殺されるなら、女性は解放され、それと共に彼女の至福を与える多産な面も解放
され、このよい面によって彼女は男性と結合する。
・囚われの女性は、もはや高踏的な超個人的な元型ではなく、また無意識の圧倒的な充溢や
力でもなく、男性が個人的に結合しうる人間的な存在・伴侶となっている。この女性は更に
解放され、救助され、救出されねばならない何者かであり、また男性が男性的であることを
証明することを要求する。この女性が期待するのは力、才知、尽力、勇気、保護、闘う姿勢
である。女性の救済要求は多くある。即ち牢獄の破壊、殺したり魔法をかけたりする母性及
び父性的な威力からの救済、阻止や恐れを表す茨や炎の垣根の突破、鎖に繋がれてまどろん
でいる女性性の解放、無気力な鬱状態からの救出等。
・しかし解放されるべき囚われの女性は常に個人的であり、それゆえ男性の伴侶になりうる
が、それに対して克服されるべきものは超個人的な諸力であり、これは客観的には囚われの
女性を拘禁し、主観的には英雄が女性と関係するのを妨げる。
・囚われの女性が救済されるべきものとして、龍が殺されるべきものとして、登場する神話
の形態と並んで、もう一つの神話形態がある。それは英雄の怪物殺害が、女性の援助によっ
て可能になるという神話形態である。この女性は、呑み込む母としての龍に対立する女性で
ある。
・男性の原始的心理の特徴は、近親相姦的な家族結合を強めようとするリビドーの傾向であ
り、この傾向をユングは近親リビドーと名づけている。つまり、ウロボロス内での「神秘的
融即」という根源状態が、最も近い家族関係の原初的な結合に留まろうとする惰性の形をと
って表れるのである。この家族関係は個人に投影される場合には、母や姉妹との関係となり、
また彼女達との象徴的近親相姦は、ウロボロス内への固着と関係するために、個人と自我を
無意識の中に拘留する「下なる女性性」との関係という性格を持つ。
・英雄は、囚われの女性を解放することによって自分自身をも族内婚的な近親リビドーの拘
束から解放し、「族外婚」へと向かう、即ち他所の女性の救出的な奪取に乗り出すのである。
このアニマの女性的な異質性は常に「上なる女性性」の性格をも持つ。というのは、アニマ
は、救出される囚われの女性としても援助する女性としても「上なる女性性」として、英雄
の「上なる男性性[=光・目・意識・精神(ガイスト)]」と関係付けられるから、即ち英
雄の自我−意識の活動と関係付けられるからである。
2
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/08(火) 02:51:42 ID:???0
囚われの女性と女援助者の双方、あるいはそのどちらかを体験することによって、母達に属
する危険な怪物的な無意識世界から一つの領域が解放される。それはゼーレ・アニマであり、
英雄[=意識の自我領域]の人間的−女性的伴侶をなす領域である。このアニマ−像は超個
人的な諸特徴をも持つとはいえ一層自我に近づいており、この像と接触することは可能であ
るばかりか《豊かな創造力の源泉》(←要チェック!)でもある。男性が「上なる女性」の
性質[=男性を真に援助しえる対等的な伴侶足りえる女性]と親しくなることは、牙をむき
出して去勢する子宮としての太母[=囚われの女性に近づくことを妨げ、創造し、孕み、産
む女性の真の子宮に近づくことを妨げる太母]を倒す重要な助けとなる。
囚われの女性を求める英雄の戦いの中で要求される男性たることの証、及び自我の堅固さ、
意志、勇気、「天[=息−精神−風の原理(父権的な神・学問的な哲学を産み出した原理)]」
などに関する知識の要求は、歴史的には思春期儀礼に相当していて、これに合格することで
初めて「大人の仲間入り」ができる。これとは逆に、この思春期儀礼としての「龍との戦い」
に失敗する[=原両親という問題圏に固着し、大人の仲間入りができない]ケースが、人生
前半期の神経症の中心問題であること、また伴侶との関係を持てない原因であることが、神
話や歴史の中で繰り返し明らかになっている。
大人の仲間入りを果たすためには、男性も女性も「龍との戦い」において原両親を斃して、
その支配から、あるいは葛藤から抜け出さなければならない。原両親−葛藤とその魅力の中
にいつまでも留まっているのが、多くの神経症者の特徴であるばかりか、ある種の男性的−
精神的タイプの特徴でもある。このタイプの限界は、「龍との戦い」において「上なる女性」
及び女性的ゼーレの獲得に失敗した点に認められる。
・英雄たる条件。それは最終的には「創造的・生産的な個人」でありえること。そしてその創
造的な個人であるには「上なる女性[=男性を真に援助しえる対等的な伴侶足りえる女性]」
の存在なくしてはありえないということが重要。
3
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/08(火) 02:52:43 ID:???0
原両親との対決が前面に出ている限り、意識と自我はこの原両親の圏内に捕えられている(こ
のような人々は原諸力・原両親との対決に巻き込まれているだけ)。個人の活動がこの圏内に
限定されたままだと、本質的に否定的な特徴を帯び、個人の働きが孤独・閉鎖的になってしま
う。たとえある種の行為が一見英雄的な、救済者・救世主的なイメージだったとしても、囚わ
れの女性[=上なる女性]の救出も彼女との聖なる結婚も行われず、王国も築かれない(要す
るに創造的な個人でありえない)とすると、それら全ての像はそれ自体何か問題を含んでいる
と考える必要がある。「上なる女性」に対する明確な無関心・無関係は、太母との無意識的で
強烈な結合によって補償されている。囚われの女性を解放しないということは、太母とその死
の性格に支配され続けるという形で表されており、またこれは肉体と大地に対する疎遠、生の
敵視、世界拒否をもたらしてしまう。
4
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/08(火) 02:53:49 ID:???0
さて、ここで本題に入ろう。新劇場版で製作者が「使用用途がない」として行ったアスカの残
酷な犠牲描写と、「自分がどうなろうと世界がどうなろうとレイだけは助ける」とシンジを吶
喊させた事が果たして英雄的行為かどうか、英雄神話の模範ともいえるペルセウスの話を中核
に、ユング=ノイマン的に検証するという試みである。
【ペルセウス神話概要】
ペルセウスはゼウスとダナエーの子であり、その周辺の人間関係においては、人間の姿を纏っ
た「否定的な父」が二人存在する。一人は祖父アクリシオス、もう一人はポリュデクテス[=
客を厚遇する男]である。アクリシオスは、息子を得たいと思って神託に伺ったところ、息子
は得られないということと、娘(ダナエー)の息子によって殺されるということを告げられて、
ダナエーを冥府の牢に監禁するが、彼女は黄金の雨に変身したゼウスによってペルセウスを受
胎する。この神の子であるペルセウスが生まれたとき、アクリシオスは彼をダナエー諸共箱に
入れて海に捨てる。そしてポリュデクテスは、ダナエーを手に入れ結婚するためにペルセウス
を亡き者としようとして、ゴルゴン(メデューサ)の首を取ってくるよう、ペルセウスに命じ
る。三人のゴルゴンはポルキュス[=恐怖]の娘である。ポルキュスは姉妹のケートー[=恐
ろしい女]&エウリュピア[=強力な女]、兄弟のタウマス[=驚愕させる男]と同様、ポン
トス[=原−海の深み]とガイア[=大地]の子である。彼ら全員から神話の恐ろしい怪物が
生まれる。ゴルゴンたちは、翼を持ち、髪が蛇であり、蛇を体に巻きつけており、また猪の牙、
髭、突き出した舌を持った、太母ウロボロス的なシンボルである。彼女達の姉妹であり見張人
であるのがグライアイだが、この名前は「不安」と「恐怖」の意味である。グライアイたちも
一つの目と一つの歯しか持たず、夜と死の境界[=西の果て・原大洋の岸]に住んでいる、ウ
ロボロス的存在である。これに対してこのゴルゴン+グライアイに挑む神の子ペルセウスの側
には、智慧と意識の神であるヘルメスとアテナがついている。この二人の援助によって、彼は
グライアイを騙して善き海の神であるニンフの元に行く道を聞き出し、ニンフたちから姿を消
すハデスの帽子と空飛ぶサンダル、袋を貰う。ヘルメスは鎌を与え、アテナは彼女の盾を鏡と
して貸し与える。ゴルゴンの顔は直接まともに見た者は、石化して死んでしまうので、ペルセ
ウスはその盾を鏡代わりにしながらメデューサ(ゴルゴン三姉妹の内、唯一可死の末妹。長姉
ステノーと次姉エウリュアレーは不死身)の首を見て、それを刎ねる。
※上記のシンボル的アイテムを入手する過程(誰から入手するか)ということについては諸説
あり、ここではそれが主題ではないので省略させていただきます。
5
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/08(火) 15:07:11 ID:???0
しかし、初期ギリシャ芸術におけるペルセウス像の描写の中心的主題は、このメデューサの殺
害かと思いきや、実はそうではなく、妹を殺されて怒り狂ったゴルゴンの姉妹の追跡からの逃
走となっている。奇妙だが、繰り返し描きだされるのは、「英雄ペルセウスが逃亡者として疾
走する」像なのだ。ペルセウスにとって殺害用の刀(鎌)よりも、翼のついたサンダル、姿を
消す帽子、首を納める袋[=これらは全て知性と精神化のシンボルという点で同様の意味を持
つ]の方が重要である。このことは英雄の恐怖を表しており、殺されるメデューサや追跡して
くるゴルゴン達の恐ろしい側面を際立たせる。英雄の逃走や救助は、太母の圧倒的な性格を如
実に物語っている。英雄はヘルメスとアテナの援助を受け、ニンフから奇跡をもたらす品々を
贈られ、また顔を背けつつもメデューサ殺害に成功したにもかかわらず、太母達全てを殺すま
でには至っていない(他のゴルゴン達はそもそも不死の怪物だ)。太母[=ゴルゴンたち]の
圧倒的な力が強大であるため、意識[=ペルセウス・男性的自我]は直接その力に対抗するこ
とができない。間接的に、アテナ[=ペルセウス(男性的自我)を支える援助者的女神]の盾
を鏡代わりにして映すことによってのみ、メデューサを殺すことができるのである。しかしそ
うした助けがなければメデューサを殺せなかったとはいえ、メデューサの首を刎ねるという行
為それ自体はペルセウスの大いなる英雄的行為であることには変わりはない。ペルセウスは恐
ろしい太母を殺したが故に英雄である。そして更にこのペルセウスの英雄的行為は続く。
ゴルゴン・メデューサの首を刎ねて、その姉達からの追跡を巻いた(これが可能だったのはヘ
ルメス、アテナ、ニンフらから入手・借用したシンボル的アイテムを持ち合わせていた故)後、
ペルセウスは故郷に帰る途中、エチオピアの上を通りかかった際に美女が縛り付けられている
のを発見した。この縛り付けられていた美女は、その土地の王ケーペウスの娘で、その名をア
ンドロメダといった。彼女は、ケーベウス王の妃カシオペイアが、その容色自慢から海に棲む
ネーレイデスの内誰一人として自分には及ばないなどと高言したためにその祟りを受けて、海
の怪物の餌食になるところだった。というのは、カシオペイアの思い上がりに憤ったネイレイ
デスらが、ポセイドンに頼んで、この国に洪水を起こさせ、またこの怪物に襲わせたからであ
る。アンドロメダが縛られていたのは、この禍を取り除くために彼女を人身御供として捧げる
他にないというアンモン神の託宣が下ったためだった。恐れ戦くこの囚われの美女を見た瞬間
に、ペルセウスはその勇ましい騎士としての義侠心から、これを見逃しにしていくことはでき
なくなり、王宮を訪ねて、ケーペウス王に彼女の救済を約束し、その褒美としてアンドロメダ
との婚約を求める。ケーペウスは万一の僥倖を頼んで承諾する。ペルセウスは、海神ポセイド
ンが遣わしたこの怪物と激闘し、これを斃す(あるいはメデューサの首を突きつけて、怪物を
石化させる)ことで囚われの美女アンドロメダを救出することになる。
6
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/08(火) 15:22:53 ID:???0
アンドロメダを救出した後、ペルセウスは彼女と結婚し、彼女との間に生まれた子をケーペウ
ス王の後嗣として残し、彼女と共にポリュデクテスの許へと戻った。彼らが戻ってきた頃、ポ
リュデクテスの横暴は度を越したものとなっており、それがペルセウスの母ダナエーには耐え
難いものとなっていた。ダナエーは彼女の庇護者となっていたディクテュスと共にゼウスの祭
壇に縋って救いを求めた。いかにポリュデクテスといえど、ゼウスの祭壇には手を出せない。
そこで、彼はゼウスの祭壇を取り囲ませ、ダナエーを半ば監禁状態に置き、彼女が折れて出て
くるか餓死するかという仕打ちにしていたのである。この仕打ちに激怒したペルセウスは、ポ
リュデクテスの王宮に踏み入り、ポリュデクテスを、彼(ペルセウス)を取り囲んで押さえ込
もうとした取り巻き諸共、メデューサの首を使って石化させ、ダナエーを救出する。この後、
ペルセウスは恩人ディクテュスをポリュデクテスに代わるセーリポスの王とする。そしてペル
セウスは、生まれ故郷アルゴス(祖父アクリシオス王のいる場所)へ、ダナエーとアンドロメ
ダを連れて帰る。また、ヘルメスやアテナなどから借り受けていたシンボル的アイテムを返却
し、討ち取ったメデューサの首についてはアテナへの御礼として奉る。この首はアテナの盾に
嵌め込まれる。生まれ故郷アルゴスへ帰ったペルセウスは祖父アクリシオスとの面会を求めた
が、アクリシオスは「自分が孫に殺される」という神託を恐れていた。だからといってペルセ
ウスと敵対するのも好まなかったので、密かにアルゴスを脱出し、テッサリアのラーリッサ市
に赴く。ペルセウスに祖父を殺害する気など更々なかった。彼は祖父を探し回る過程でたまた
まテッサリアを通りがかった時、その地域の領主が開催した運動競技会のことを知って、これ
に参加することを希望する。ところがこの協議の中で、ペルセウスの投げた円盤が、誤って見
物人の間に飛び込んでしまう。この円盤が白髪の老人の頭に当って、その老人に重傷を負わせ、
死なせてしまう。この老人が実はペルセウスの祖父アクリシオスだった。こうした形でアクリ
シオスは自分が受けた神託どおりに孫によって死に至らしめられてしまったのである。ペルセ
ウスは祖父を誤って殺してしまったことを嘆き、深い悲しみの内に祖父を葬り、アルゴスへと
帰ったが、ギリシャでは血族間の流血が最も深い罪であるとして償いと追放とを要求されると
いう規範があったので、自分の祖父の所領を継ぐことを憚って、従弟の子の所領ティリンスと
の交換を申し入れた。ペルセウスがここで、死や、去勢行為[=創造的な個人(英雄)として
の死]に逃げないという点は、知らずして父を殺して母と婚姻してしまったことを知って目を
潰した[=去勢行為に同じ]オイディプスとは違う側面があることも指摘しておこう。この後
のペルセウスの生活は、至って平穏に、アンドロメダとの間に数人の子女を儲け、己の領国を
よく治め、安らかに世を終わったといわれる。アンドロメダは、かつてのような受身でも鎖に
縛り付けられているのでもなく上なる女性[=男性を真に援助しえる対等的な伴侶足りえる女
性]となっている。ペルセウスはその英雄神話の諸段階において「上なる女性」との体験、即
ち女性援助者と囚われの女性の双方との関係を持った体験を、アテナとアンドロメダの二人と
の関係において体験しているといえる。アテナは戦闘的で、男性と意識の味方であり、太母と
敵対する女性的ガイストとしての性格が強い。アテナがペルセウスから御礼として奉られたメ
デューサの首を自分の盾につけたことは、その男性と意識の味方である戦闘的な面の、原母に
対する勝利に華を添えるものである。何はともあれ、祖父を殺してしまうという悲劇はあった
が、この二人がいた為にペルセウスは最後まで英雄たりえた。
7
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/08(火) 15:25:42 ID:???0
ウォルト・ディズニー生前最後の作品『眠れる森の美女』のフィリップ王子が、魔女マレフィ
セント[=太母ウロボロス]の支配下に置かれた茨の城のオーロラ姫を救出しようとし、その
際に文字通り龍となって立ち塞がったマレフィセントを斃すに当って、3人の女性的精霊の力
(アテナ的)を借りていることも該当するのではないか。
8
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/16(水) 22:39:17 ID:???0
さて長い迂回路を経たが、本題に入ろう。まずは「破」において製作者が使用用途がないとし
てアスカを犠牲した描写についてだ。個人的感想だが、一国あたりのエヴァ保有数を3機まで
とするバチカン条約といい、よくまああれだけ犠牲にするためだけのお膳立てを用意したもん
だと呆れ果てたものである。3号機の起動実験が始まると、「お約束の如く」3号機に侵入し
ていた使徒が、アスカごと3号機を乗っ取って暴走、大爆発を起こす。ネルフ本部においては
ゲンドウがエヴァ3号機の破棄を決定、初号機を単独で投入することを決定する。(「零号機
は修復中」という「設定」だった)。目の前に使徒に乗っ取られた3号機が現れ、それにまだ
アスカが乗っていることを知り、シンジは戦わなかった。3号機[=使徒]に首を絞められて
も「アスカを殺すよりは(自分が殺されるほうが)良い」と言い、旧作同様にシンジには全く
戦意がなかった。この台詞には第三の選択肢が考えられていない。この「第三は存在せず!」
的な発言。彼の選択肢には何故か「アスカを殺すか自分が殺されるか」の二択しか考えられて
いない。「使徒を倒して囚われの身となっているアスカを救う」という第三の選択肢が、彼に
は全くなかった。彼にはペルセウスのようなポセイドンの怪物のために囚われの身となってい
るアンドロメダを救う事と、その怪物を倒すことを同時に成し遂げて見せようという義侠心な
どなかったということだ。彼にはメデューサの首の代わりにエヴァの力があったにもかかわら
ずである。そして、ユング=ノイマン的解釈に即して彼の「自分が殺される方がよい」という
ことを考察すれば、これは太母の呪縛の内に、それが要求すること、即ち自己去勢する・自殺
する・八裂きにされる[=太母に男根を差し出す]ことを自ら是とするものの謂いである。
新劇においては旧作のような第一使徒アダムの存在が明瞭でない。しかしポセイドンとメデュ
ーサが愛人関係にあり、尚且つポセイドン(或いはその怪物)が太母メデューサに属し、太母
の男性的−破壊的側面が独立したものだというのは、この場合リリスを目指す使徒において該
当しているといえる。
9
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/16(水) 22:44:34 ID:???0
この見方は、アスカの位置づけを怪物の支配下にあって救済を求める「囚われの女性」(あ
るいは上なる女性)と見立てるものである。この位置づけは、先に述べた「囚われの女性」
の特徴に一致しているものと考えられる故である(これは旧作とほぼ変わらない)。これに
対して、レイの場合はその設定からしても台詞からしても、シンジとの関係においては「下
なる女性」、即ち男性の近親リビドーを刺激して、個人・自我を無意識の中に拘留し、彼を
ウロボロス内での「神秘的融即」へと固着させる性質を持った女性である。太母の男性的−
破壊的側面が独立したものといえる使徒[≒ポセイドンの怪物]に拘束されたアスカ[=ア
ンドロメダ・囚われの女性]という見方において、シンジの選択肢にしろ製作者側がアスカ
に使用用途がないから犠牲にするとした意図にしろ、初めから救出する気がない。これはユ
ング=ノイマン的に見れば「囚われの女性(あるいは他所の女性)を救出する」ということ
について無関係的で無関心だということだ。これは、次の使徒が襲来した時のシンジの行動
・台詞において一層明らかなものとなる。使徒[=太母の男性的−破壊的側面が独立したも
の]によって囚われの身となったアスカは、実際にはシンジに見捨てられている。既に述べ
た通り、アスカを殺すよりは自分の死を、という時点で、この使徒のなすがままに、創造的
な個人[=英雄]であることを放棄しているのだ。ここで自我−意識の活動に働きかけるア
テナ的存在がいればまだ望みはあったかもしれない。しかしあの場にはそういう存在は誰も
いない。そういう役割を果たしうるような「声」をかける存在すらいない。ちなみにゲンド
ウの言は「龍との戦い」を強いる否定的な父親の言だと取れるかもしれない。
10
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/16(水) 22:45:14 ID:???0
ペルセウスが、海の怪物と戦って勝ち、アンドロメダを救出したことは、「龍との戦い」に
勝利して男性たることを証し立て、族外的な上なる女性を伴侶としえたということだ。これ
は彼が母元型からアニマを分離し、大人の仲間入り[=族内婚的な近親リビドーの拘束から
の解放]を果たしえたということだ。これに対してシンジの場合は、彼の族外で上なる女性
になりえる解放・救出されるべき「囚われの女性」となったアスカを目の前にして、自身の
死[=自己去勢・自殺・創造的な個人であることの放棄]を選択し、挙句ゲンドウによる命
令介入→ダミープラグによる擬似的な暴走を引き起こさせてしまった。ここには二重にたと
えられる要素がある。まず、シンジが自分の死を選択したということについて、これはペル
セウス神話に照らすならば、ペルセウスが囚われの身となっているアンドロメダを前にしつ
つ、現れた怪物を相手に戦意を見せずに彼女もろとも自分も死ぬことを選ぶということであ
る。もう一つは、ダミープラグによる初号機の擬似的な暴走を引き起こさせてしまったこと。
これは自分の目の前で縛られているアンドロメダをポセイドンの怪物の手に委ねて食わせて
しまったも同然である。この場合、怪物[=太母の破壊的な側面]の位置づけが使徒から初
号機に替わっている。これは結局シンジの意識と自我が、原両親の圏内に捕えられており、
原両親との対決に巻き込まれているだけで、救い出すべき囚われの女性を救い出さず、男性
たることを証立てる「龍との戦い」に失敗し、大人の仲間入り[=近親リビドーの拘束から
の解放]を為しえなかったということだ。これはペルセウス神話と全く逆といっても過言で
はない。そしてこの無様な「龍との戦い」の失敗を、今度はおおっぴろげに全力で肯定しよ
うとしてしまうのが、よくスーパーヒーローとか熱血と受け取られている次の使徒との戦い
での、綾波レイを挟んだシンジの行動と台詞であると考えられる。
11
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/16(水) 22:46:55 ID:???0
「怪物と闘う者は、そのため己自身も怪物とならぬよう気をつけるがよい」といったのはニ
ーチェだが、この場合は「太母と闘う者は、太母の狂気に呑まれぬよう気をつけなければな
らなかったのではないかと考えられる。シンジの場合はいとも簡単に自分が怪物になってし
まうし、太母に簡単に呑まれてしまう。それが「龍との戦い」の失敗に続いて、次には「全
力で綾波レイを救出しようとする行動」において、全ての破滅をもたらしかねない危機的事
態を起こす形で顕わになる。前回の「龍との戦い」の試練に失敗したことで明らかになった
のは、まず、シンジの意識・自我が未発達であり、彼が自らを無意識的に太母に捧げる男根
と同一視している「下なる男性性[=地上・男根段階]」に留まっていて、「上なる男性性
[=天−精神段階]」の確立に失敗したということ。アスカを大切な人といい、自分の手で
傷つけさせた件について、シンジはゲンドウを責めたて、ネルフ施設をエヴァで踏みつける
という暴挙に出る。これは当に意識の未発達な自省的態度のない子どもの地団駄というもの
だ。大切な人なら何故第三の道について考えなかったのか、彼は少しも考えようともしない
のである。
(ちなみにあのような地団駄は、スキゾ・パラノの庵野不在の座談会に出席していた他のス
タッフが庵野秀明本人について発言していたことと一致していたから、全く笑えなかった)
12
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/16(水) 22:49:21 ID:???0
ゲンドウの「大人になれ」という言葉。それを「ゲンドウ、お前が言うか?」とも皮肉れ
るが、シンジの側にしても「自分にはなにが大人なのか分からない」と返答した言葉も、
これは思春期儀礼としての「龍との戦い」に失敗した者の捨て台詞だともいえる。そして
綾波レイを間に挟んだ次の使徒との戦い。これは「龍との戦い」の失敗の更なるダメ出し
である。彼においては龍との戦いに失敗していて、上なる男性性が確立されていない。ネ
ルフを離れたとはいえ、彼は未だ男性の原始的心理の特徴である近親リビドーの拘束から
己を解放しえていないのである。レイは設定的にシンジとの関係において「下なる女性」
であることは述べた。彼女はアスカとは違い、設定的にも彼の族内の存在である。彼女も
また、最強の拒絶タイプとしての使徒に零号機ごと使徒に捕食され、取り込まれてしまう
描写があるが、この場合はアスカが囚われの身となったのとは意味が異なる。レイごと零
号機を吸収し、下部を人間の女性に変化させたあの使徒は、レイ諸共ゴルゴンの如き太母
ウロボロスそのものとなったと考えられる(レイという特殊存在の設定自体がスキゾ・パ
ラノで明かされたこと[=レイの肉体がアダムとユイの遺伝子を半分ずつ受け継いでいる
ということ]やその魂がリリスのものであるということがそのままかどうかはともかくと
して)。レイと零号機が丸呑みにされるところを目撃したシンジは、旧作の時と同じよう
な展開で初号機に乗り込み、全力でレイを救出しようとするが、この場合、彼の台詞・行
動からしても、彼を突き動かしているのは近親リビドーである。レイが、シンジとの関係
において族内の存在であり、「下なる女性[=男性の近親リビドーを刺激して男性を近親
相姦へと固着させ、男性を下なる男性に留め置く女性]」だということが、この戦いにお
ける龍[=使徒]を倒すことに、大人の仲間入りを果たす通過儀礼としての性格を持たせ
ていないのである。「自分がどうなろうと世界がどうなろうとレイだけは助ける」という
ような言動は、近親リビドーの拘束・傾向の強い者の発言であり、英雄の発言ではない。
救出するという言葉とは裏腹に、彼の行動原理は太母ウロボロス龍に呑まれんとするもの
で、その死の性格に支配されているものである。「龍との戦い」に勝利したペルセウスの
場合は高い意識段階・「上なる男性性[=天−精神段階]」を確立することに成功してい
る。そして、彼は祖父を誤って殺してしまったが、オイディプスのように太母とその死の
性格に支配されて目潰し[=自己去勢]して創造的個人であることを放棄しはしなかった。
13
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/16(水) 22:50:18 ID:???0
(ノイマンにおけるオイディプス解釈は、オイディプスは一度はスフィンクスという太母
との戦い(謎々を解く)に勝ったが、知らず父を殺して母との近親相姦に至り、それを知
って目潰しをするという点において、結果的には一度は打ち負かしたはずの太母スフィン
クスの生贄になったも同然としている)
14
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/16(水) 22:52:01 ID:???0
これが可能であったのは、アンドロメダという、ペルセウスとの関係において族外であり、ま
た対等的な女性援助者としての得難い伴侶との創造的な結合、《聖なる結婚》に至っているか
らである。アンドロメダとの《聖なる結婚》において、結婚が創造的な実を結んでいるという
ことは、自らの家族の構築、子々孫々の代にまで国家の発展という点に表れている。そしてこ
の男女の客観的な関係と創造的な有様は、同時に主観的には彼の豊かな創造力の源泉としての
無意識=魂の解放及びそれとの意識との統合を意味しているのだ。
「文化をもたらす者は皆、意識と創造的な無意識との統合に成功している」(ノイマン)
15
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/16(水) 22:54:34 ID:???0
これとは対照的に、強化されるばかりの族内婚的な近親リビドーに拘束され、全力でレイとの
近親相姦を望むシンジの図!このシンジの有様は、太母ウロボロス龍とその死の性格に支配さ
れ、それによって怪物じみた狂気へと突き落とされている様である。まさに怪物と闘う者が怪
物と化してしまっているのだ。太母とその死の性格に憑かれた者の狂気は、彼を八裂きにし、
その人格を破壊する。人格と個性的な自我意識とを解体し引き戻そうとするのが太母の本質だ
からだ。上なる男性性が未確立の少年は、たとえ死の恐怖に脅かされようが、欲望を満たすこ
とが死と去勢を意味していようが、この狂気に奔ってしまう。人の形を保てなくなろうが、自
分の行為で世界がどうなろうが構わぬとし、その象徴的近親相姦の本懐を遂げてまどろみに浸
ることを「もういいんだこれで」とし、その結果サードインパクトのトリガーが引かれるの図。
ここには、その太母とその死の性格に憑かれた者の狂気の特徴が表れている。それは肉体と大
地に対する疎遠、生の敵視、世界拒否をもたらすことのトリガーだといえるからだ。一見熱血、
スーパーヒーロー化したと取られがちな「破」の最後に描き出された戦いには、「龍との戦い」
の性格が全くなく、成長的要素などは見られない(旧作との変化さえほとんどない)。「破」
ではノイマンが言うところの「龍との戦い」の勝利も「囚われの女性」の救出も、その女性と
の《聖なる結婚》も一切なされていない。あるのは近親相姦と幼児的退行と世界の破滅のトリ
ガーを引くという、建設的で創造的な個人たりえる者としての英雄とは真逆の性質だけなのだ。
こういう点からあの一見熱血、スーパーヒーローと見える像にはノイマンが問題視すべきとし
ている像が多分に含まれており、また旧作との比較においてもこれは変わらないと思われる。
このことはまた、旧作と違って初号機のイメージが天使的になり、悪魔的でなくなったという
見解をみることがあるが、それに対しても照らし合わせることができると思われる。そもそも
サードインパクトのトリガーが引かれるという時点で、あの初号機の「疑似シン化第一覚醒形
態」の様は、旧作と同じく「神に最も近き存在」としてのルシファーそのものなのではないの
か。ルシファーの力には創造(あるいは生み出す)と破壊(あるいは呑み込む)の両方に働く
作用がある。エリファス・レヴィによればルシファーは「クロノスの蛇の如き自らの尾を嚙む
中心の火」だと述べられているが、クロノスは呑み込む母ならぬ呑み込む父であり、太母ウロ
ボロスの男性的側面を示している存在だ(クロノスの蛇が、「自らの尾を嚙む」といわれてい
ることからもウロボロスだといえる)。ルシファーの力が破壊的な傾向(即ち否定的、マイナ
ス面的)に働く場合、それは隕石の如く大地の全てを焼き払う者となる(つまり全ての生ある
ものを死に呑み込む)。
16
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/16(水) 23:02:33 ID:???0
お断りとしておきたいが、ここで述べていることは、「破」が公開された時点の分析でしかな
い。しかしこの後の展開がどうなるかということとは別にして、巷では多くの人が「序」「破」
公開と共にストーリーの流れのいわゆる変更について、宣伝する側、観客ともに「大幅に変わっ
た」とする傾向があるが、私には相変わらずわからない。現時点では旧作同様、話の流れがただ
単に回帰を繰り返すだけとなっているような気がするのである。ニーチェの概念とは若干ずれる
が、話の流れそれ自体も、旧作を反復する、あるいは永遠に回帰する円環の中にあるだけのよう
な気がしてならない。太母ウロボロスないしルシファーの光の力の救済的なプラスの側面が現れ
て、再び生まれ出でたとしても、「何の変わりも無い」ことの繰り返しでしかない。ユング=ノ
イマンはある神話などを解釈する時は主観段階(この場合製作者の意図)と客観段階(話の内容
の流れ)の双方を共に見なければならない、と指摘している。十数年以上前に破壊されつくされ
た作品を再び生み返したということ、「破」の時点まで文字通り「破壊」と血まみれの殺戮ショ
ーばかりが為されているということ、旧作同様に主人公の族外の女性であるアスカが相変わらず
「呪われた部分」として聖別されていること、話の流れの中で主人公が女性の中の「与える母」
の部分のみ求め、幼児の域を出ない母親コンプレックスの息子そのものだということ、作品その
ものの流れが同じことの繰り返しでしかないということ。これらは全て「製作」とは裏腹に「創
造性を欠くもの」だといいえるのではないか。
17
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/06/16(水) 23:06:46 ID:???0
非常に嫌になったのが挿入歌『翼をください』だ。この歌それ自体が嫌なのではない。あの場面
で、この歌を入れられたことでとてもではないが笑えない倒錯的一致が見出されたのが嫌になっ
たのだ。というのは歌詞を見ていただきたい。
今 私の 願い事が 叶うならば 翼が欲しい この背中に 鳥のように 白い翼 つけてください
この大空に 翼を広げ 飛んでゆきたいよ 悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ
ゆきたい
「子どものとき 夢見たこと 今も同じ 夢に見ている」
この大空に 翼を広げ 飛んでゆきたいよ 悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ
この大空に 翼を広げ 飛んでゆきたいよ 悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ
この大空に 翼を広げ 飛んでゆきたいよ 悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ
この大空に 翼を広げ 飛んでゆきたいよ 悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ
ゆきたい
碇シンジの願うことそのままにするのがあの「疑似シン化第一覚醒形態」[=リツコによって神
に最も近い存在(要するにルシファーと同義)といわれた]であり、その願いが綾波レイとの近
親相姦的結合とサードインパクトだとすれば、そりゃあね、旧作同様、サドの至上者の如くにそ
の至上権を行使して無の空間を開けば絶対的自由者になれるし、そこには悲しみも無いし、母親
コンプレックスの子どもが求める心配事など何一つもない状態を作り出せるでしょうよ…。旧作
ではそれをやらかすところまでやっておいてから、「没落」したわけだけれども。
18
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2010/09/09(木) 20:31:34 ID:???0
アブジェクシオンの対象としか言いようがない…。
こんなもん買う気など起きぬが、いいかげんにしろと言いたい。
http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-6439.html
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