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ディーヴァとの「霊機融合」と超人への道【錬金術の大いなる秘法】

1【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/09/13(日) 16:50:41 ID:???0
「さあ、アニマ・ムンディ!お前は『賢者の石』たるか、はたまた川底に転がりし苔むす小石か!」
[『アキハバラ電脳組』17話「新生」 竜ヶ崎鷹士(シューティングスター)の台詞より]
これを書く前に、是非ともお断りしておきたいことがある。私はまだ錬金術の用語について使い慣れていな
い側面があるので、先達である博士などには、もし使い方が間違っているところがあればご指摘いただきた
い。この考察はディーヴァ・アフロディーテとひばりが霊機融合したときの描写を、錬金術の「大いなる秘
法」(劇中ではミステリウム・マグヌムといわれている)と照合しての解釈である。
ここで記そうとする超人とは、錬金術の達人たちがその「大いなる秘法」を通じて達成しようとする「神的
存在」のことである。これは錬金術の中でも最も野心的なものである。錬金術はこの超人への道、すなわち
神への道を説く。その道とは人間の霊的復活、すなわち人間の内部で神的な力を発展させるのに必要な諸条
件を作る術である。これにおいては人間それ自体が錬金術の「大いなる作業」の材料であり、《ロゴス(神
の言葉)》=「錬金術師」、《聖霊》=「秘密の火」となる。錬金術はしばしばヘルメスの術とも呼ばれる
が、ヘルメス主義が物質への軽蔑を説くというのは極端なグノーシス主義と若干違う側面がある。ヘルメス
主義的神秘主義は、物質を創造の必要部分と考えており、霊が物質を超えて上昇するためには、物質につい
ての知識をよく理解し征服しなくてはならないとする。故にこの神への道(すなわち神人合一)を達成させ
る際にも、物質的操作の作業と、神秘的作業(霊的作業)を同時に行わなければならない。この二つの作業
は、互いの作業が互いに厳密に対応しているのである。以下にこの二つの作業について触れておこう。
1.神秘的作業
神秘的作業は、肉体の抵抗を打ち砕くことによって脱魂状態を生む可能性のあらゆる方途を駆使し、方法論
的に規定された禁欲修行を通じて行われる。それが完成を見るのは、人間存在の聖化、その徹底的純化を通
じてだが、これはグノーシス主義の「教示者」による復活の啓示と同じく、「神的存在」からその恩寵を授
からないことには成しえない。それは《ロゴス》によってのみ授けられる《火の洗礼》であり、その《火の
洗礼》とは「神の霊」、《秘密の火》、《燃える水》の降下のことである。これを俟って、人間存在の聖化
の徹底化が可能となる。
2.物質的作業
上記の神秘的作業と同時に錬金術師は「生きた宇宙エネルギー」、すなわち「スピリトゥス・ムンディ(世
界精気)」を媒介とする物質的作業を成就しようと努める。この《精気》は《アイテール(エーテル)》と
同義である。錬金術師は、暗く不定形な物質の内部に閉じ込められた不滅の火の光線を迸らせようとする。
そのため錬金術師は「自然の火」(それなくしてはこの世の何ものも生育しないとされる)を我が物としな
ければならないとされるが、この「自然の火」とは《精気》のことであり、それ自体は闇に捉われていると
される。錬金術師はこの《精気》を物質化する度合いに応じてそれをつかまえていかなければならないので
ある。
『アキハバラ電脳組』では、鷹士(シューティングスター)が、自分がローゼンクロイツの息子として、そ
の錬金術の秘法を受け継ぐものと自負しているあたりをみれば、彼が「アイテールを我が手に」と言ってい
る意味が、この錬金術の考え方に対応していると考えられる。
(この項続く)

2【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/09/18(金) 22:58:23 ID:???0
うーむ、錬金術の内容は奥深い上に用語が多くて頭の整理が大変だ・・・。荒削りな上に間違っている可能性が
なきにしもあらず・・・。

《アニマ・ムンディ》は錬金術用語で女性的と見なされる《世界霊魂》あるいは《宇宙霊魂》を意味する。
錬金術では、アニマ・ムンディが《第一質料(プリマ・マテリア)》あるいは《原物質(ウルストフ)》で
ある卵の中に閉じ込められているとか、闇の勢力に囚われているという考えがある。これは『創世記』の冒
頭の記述にも対応している。すなわちロゴスによる創造以前のカオス(混沌)についての記述である。
「[創造されざる]地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、神(エロヒーム)の霊(ルーアッハ)
 が[劫初の]水(テホム)のおもてをおおって[みなぎって]いた」
劫初の水(テホム)は《原物質》にあたる。これは、《原物質》が一なるものにまとまった《世界霊魂》と
《世界物質》であるということを表している。錬金術師はこのマクロコスモスの構図を「一つの霊を持った
石(ラピス)」だと表現する。このマクロコスモスの構図がそのままミクロコスモスの構図に対応している。
人間の肉体も《原物質》からできており、《アニマ・ムンディ》はそれに囚われているというわけである。
上から三行あたりだけでも読めば察しがつくように、この《アニマ・ムンディ》はグノーシス主義の囚われ
のソフィア、具体的な文書で言えば『魂の解明』の「女性としての《プシケー》」と同義的であり、人間の
内なる「神の臨在=シェキナー」とも同義的である。
人間それ自体を材料とする超人への道、それを成し遂げるための錬金術の「大いなる作業」は、ロゴスによ
る《火の洗礼》を受けることによって、《アニマ・ムンディ》を肉体のくびきから解放し、この世にあるう
ちから「蘇り」の状態に達するという点において、とりあえずはグノーシス主義における教示者の言葉によ
る叡智の開示によってなされる霊的復活(本来的自己の力の覚醒)、あるいはソフィア(プシケー)の救出
と、そのイメージを同じくしているといえるだろう。しかし「生きながらの死」の状態からの復活を果たし
た後に肉体的な死を遂げることでプレーローマに回帰することが最終的な「復活」を意味するグノーシス主
義と違い、錬金術の場合は肉体的な死を通過せずして腐敗すべき肉体から解放されることを目的とする。ロ
ゴスの《火の洗礼》によって蘇りを果たした魂は粗悪なマグス(塊)を破壊し、肉体を改変して、限りなく
流動的で光り輝く精髄たらしめる。すなわち外からの影響を全く受けない、人間の形態を保ったままの《栄
光に輝く身体》を手にするのである。これこそが現世の出来事の偶発性・偶然性から解き放たれ、精神的に
も肉体的にも純化された「超人」である。「超人」は「知識」「力」「不死」の三重の分け前に与っており、
心のままに神と交感し一体化しているとされる。

3【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/09/22(火) 23:58:01 ID:???0
物凄くごったがえしていることを述べることになるが、以前散々論ったアブラクサス論にまで立ち返ること
になる。何度か述べたことであるが、《ロゴス》は『ヨハネ福音書』の記述において、「彼(ロゴス)をさ
しおいては、何一つ生じなかった。彼において生じたことは生命(ゾーエー)であり、その生命は人々の光
であった」と語られているのと同じく、錬金術においても「《生命》の根源」と見なされている。錬金術師
はこのロゴス(ひいてはロゴス=キリスト)について、『賢者の石』と同一視することを躊躇わない。これ
はユングも自明のこととして認識しており、彼もまた『賢者の石』をキリストと同じ内なる神(=自己)の
元型の象徴的表現のひとつに挙げている(ただし、精神元型の典型としてのキリストについては、「自己」
の半分だといっているところもある)。錬金術においては『賢者の石』が人間を不老不死の完全体(=超人)
にすることができるという伝説がある。先述したように、プレーローマへの回帰が最終的な「復活」を意味
するという意味では若干異なるが、グノーシス主義的であれど同じロゴス=キリスト論で語られている『フ
ィリポ福音書』の、以下にもう一度取り上げる記述は解釈の参考になるだろうか。

「私としては、それ(肉)は「甦らないだろう」と言う者たちをも非難する。(…)君はこう言っている、
 『肉は甦らないだろう』と。しかし、それならば私に言ってみてくれ。いったい何が甦るのかを。そうす
 ればわれわれは君を尊敬するだろう。君は言う、「霊が肉の中にあるそして、肉の内なるこの別なる光が
 それである」と。だがこの別なるものは肉の内なることば(ロゴス)のことなのである。なぜなら、君は
 何を語るのであれ、肉を離れては何一つ語れないからである。この肉にあって甦ることが必要である。な
 ぜなら、あらゆるものがその肉内にあるのだから」

4【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/09/23(水) 00:10:50 ID:???0
ロバート・フラッドは『神学・哲学論考』の中で、超人について「雲の中より発せられた《御言葉》を有し、
神の光耀に耀く《精霊》と一体になる者」(ついでにそれは「モーゼやエリアの運命」)といっている。
「雲の中より発せられた《御言葉(ロゴス)》を有する」とは、この場合、《ロゴス》の《火の洗礼》によ
るものであるから、それすなわち《神の霊》の降下であるからして、ユングが『ヨブへの答え』で強調して
いる「《パラクレートス》の宿り」と同義であり、また『フィリポ福音書』の上記の記述における肉の内な
る別の光としての《霊》が、肉のあるうちに《ロゴス》によって「復活」するという記述と変わらない。加
えて『魂の解明』の《プシュケー》は邦訳からしても《魂》だが、この話の中では《心魂》ではなく、《霊》
と同じ扱いをされている。《アニマ・ムンディ》もまた、ソフィア同様、上記に記したように『創世記』の
冒頭における《神の霊》に対応している。

『賢者の石』はユングにおいて「上位人格」としての「自己」(内なる神)の象徴的表現であり、これはか
つて私が散々論じた『死者への七つの語らい』におけるプレローマそれ自体の象徴的表現である両位的な神
であるアブラクサスとも同義である(加えて言えばアートマンや如来蔵などもユングにおいてはほぼ同義で
ある)。錬金術の「大いなる秘法」の場合、《ロゴス》の《火の洗礼》による《アニマ・ムンディ》の覚醒
・解放が「超人」への道を成し遂げるのだとすれば、冒頭に引用した『アキハバラ電脳組』の鷹士が、ひば
りをさして言っている台詞が、己の肉体を《栄光に輝く身体》へと変容させる《アニマ・ムンディ》=《神
の霊》=《内なる神》=《賢者の石》の力を覚醒させる素養を持ちうるか、すなわち「超人」としての素養
があるかを問うているということができるだろう。

6【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/09/23(水) 00:57:16 ID:???0
「天使たちが集まるところ」とか「原動天」などといった意味を持つ『プリムム・モビーレ』の名を与えら
れている天空の城に住まうクレイン・バーンシュタイクは、そのコードネームをメタトロンと呼ばれている。
このメタトロンは、《ロゴス》と同一視とされるばかりか、《火の霊》でもある。劇中ではクレインとひば
りが交感する場面がよく見られるが、ひばりが白い王子を黒い王子(鷹士)と取り違えずに明確に区別して
認識できるようになったのは、17話の「新生」における、霊機融合の直前の出来事である。そこでは黒い
王子がつばめに指令を与えてディーヴァ・エリヌースの力によってタキオンフィールドを展開し、その空間
にひばりを閉じ込めて追い詰め脅迫していた。アフロディーテがエリヌースによって滅多打ちにされ、ズタ
ボロにされていく中で、その黒い王子の仕打ちに嘆き悲しむひばりはクレインと交感する。助けを求めるひ
ばりに対してクレインの言葉は以下のようであった。
「『力』は誰の心にもある。『諦めの思い』ある限り、『真の力』は目覚めない。」
「『真の力』?」
これはひばりに対して、ほとんどグノーシスの開示がなされたといっても過言ではなかった。ひばりはこの
クレイン(=メタトロン=火の霊=ロゴス)による《火の洗礼》(神の霊の降下、パラクレートスの宿り)
を受けることによって、自分で自分に無意識のうちにかけていた『諦めの思い』という呪詛的な抵抗部分を
打ち払う捨て身さを見せることになる。その結果、アニマ・ムンディの巫女としての“覚醒”を遂げてアフ
ロディーテと霊機融合した。
「あ、あたしデンスケと合体しちゃった・・・、これがあたしの『真の力』?感じる、感じるわ!あたしの
中にデンスケを、王子様を!」
この様はメタトロンを神的存在と見なすなら、神との一体感を得ているということになる。
単純に見れば火事場の馬鹿力的な描写になってしまうが、ディーヴァの素体についての説明を見れば、これ
にはこれまで説明してきた錬金術の「大いなる作業」の究極である「超人への道」が成就されたのと同義で
あるといえる要素があるといえる。シゴーニュ・ラスパイユことサン=ジェルマン伯爵は、ディーヴァのこ
とを「人類を肉体というくびきから解放するもの」と言っている(ちなみにサン=ジェルマン伯爵にも不死
身の肉体を有する云々の伝説がある。澁澤の説明がコミカルで面白い)。更にはシマ福郎による以下の説明
がある。
「ディーヴァはただのロボットではない。もともとはローゼンクロイツが新たな人類のイレモノとして作り
 上げたんじゃ。(・・・・・・)エリキシルのような薬に頼らない、真の不老不死じゃ。あれと合体した人間は、
 もはや食事もいらんし、呼吸もせんでええ。未来永劫あの姿で生き続けることができる。(・・・・・・)霊機
 融合とは完璧な同調の証、もはや二人にとって、ディーヴァは一心同体の存在なのじゃ。」

7【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/09/26(土) 13:33:28 ID:???0
ディーヴァは、元はローゼンクロイツが「新たな人類のイレモノ」として作り上げたもので、彼やシゴーニ
ュはそれとの霊機融合を果たすことによって真の不老不死を得ようとしていた。しかし「霊機融合」=「超
人への道」が彼らの最終目的ではない。彼らにはその先の展望があった。実は「超人」になろうとするもの
は、超人となった後の展望のことも考えている。次は劇中のローゼンクロイツの口から語られている思想と
「超人」となったものがその後行わんとすることは何かということとを照らし合わせてみることにしよう。
「超人」はもろもろの超自然の力(姿を見えなくすること、どこへでも思いのまま迅速に行けること、あり
とあらゆる言語を理解し、かつ語ること、病人を治すことなど)に恵まれながら、なおも地上にとどまろう
とする。何のためか?それはこの世の宇宙を経巡って他の人々が救いに与るのを助け、受け伝えられる秘法
が汚されぬよう厳重に監視・管理するためである。実はこのこともローゼンクロイツの言葉から捉えること
ができる。
「『ダモクレスの剣』は我らの頭上にある。何が起ころうとも、一歩も動くことはできないよ」(ローゼンクロイツ)
[第5話]
「新世紀が訪れたとはいえ、未だ世界は混沌の中にある。科学は、『大衆に恩恵を与える』と同時に、『破
 壊を招く』こともできる、『諸刃の剣』だ」(ローゼンクロイツ)
「まさに『智慧の実』が如くさ」(シゴーニュ)
[14話より]
5話の中で語られている『ダモクレスの剣』の故事が、14話にて回収されている。『ダモクレスの剣』の
諺は、「幸福や栄華のうちにも常に危険と隣り合わせになっている戦々恐々とした状況、あるいはそのよう
な状況をもたらすもの」という意味の譬えとして用いられているからである。これは「《智慧》を有するヒ
ト(ホモ・サピエンス)」は、上記に示されている「《智慧》の二面性」について、それと向き合うことか
ら逃れることは絶対にできぬ、ということを強調しているといえる。しかもこのことは“鬼哭啾啾”の説話
を見れば、「ロゴス(ランガージュ、言分け構造、《言語能力》)を有するヒト(ホモ・ロクエンス)」の
次元から語られている。ユングや丸山らのネタであることは言うまでもない。ローゼンクロイツはこのよう
な智慧をもつヒトの特徴を踏まえた上で以下のように言う。
「知識は責任ある人々の中で管理されなければならない。それを司り、滞ることなく人類を進歩させるのが、
 われら『新生薔薇十字団』の目的なのだよ」(ローゼンクロイツ)
[14話]
この台詞は決定的である。後に「われわれが神となりコントロールしなければならない」という考え方とし
て顕れてくるようになるが、上述したヘルメス主義の、「物質についての知識をよく理解し征服しなければ
ならない」という考え方に違わない上に、超人が地上に留まろうとすることとも同じであろう。

8【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/09/26(土) 17:18:31 ID:???0
さて、ミクロコスモスの次元で「大いなる作業」による、人間の超人への変成が成された後、それはマクロ
コスモスの変成に適用されるようになる。錬金術の達人は罪人としての人間が自らと共に堕落させた世界を
再生せしめようと努めるのだ。超人とは真のパラクレートス、つまり未だ混沌の中にあって混乱と迷妄の中
に彷徨状態にある人間と宇宙に救済をもたらす者となる。ローゼンクロイツらは自分たちが「超人」となり
この宇宙の再生を図ろうとしていた、と捉えることができる。
「さあ、選ばれし我々の力を知らしめるのだ、私たちの楽園を!君の物理と工学、そして私の医学と生物学。
 君と私が力を合わせれば、世界を牛耳れる!愚かな人間どもを、導いてやれるのだ!」(ローゼンクロイツ)
少々この台詞には後ほど別の視点からの考察をしなければならないと思うが、それは後で検討することにし
よう。宇宙の再生=救済のため、錬金術には「知的な錬金術があり、倫理的な錬金術があり、また社会・生
理・星辰・動物・植物・鉱物その他、多くの領域に関する錬金術がある。ただし霊魂の錬金術こそはやはり、
種々なる錬金術の範型であり、鍵であり、根拠である。そして、まさしくあの有名な『エメラルド・タブレ
ット』でヘルメスが言った通り、上のごとき各種応用錬金術のいずれかを知ることは、暗に他の全てのそれ
を知ることを示すものである」(A・サヴォレ)
アキハバラでは錬金術+科学が取り上げられているわけであるが、あのローゼンクロイツの謎のカードは一
体なんなのだ?(笑)
『エメラルド・タブレット』について引用しておこう。
01.こは真実にして偽りなく、確実にして極めて神聖なり。
02.唯一者の奇跡の成就に当たりては、下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し。
03.万物が一者より来たり存するが如く、万物はこの唯一者より変容によりて生ぜしなり。
04.太陽はその父にして、月はその母、風はそを己が胎内に宿し、大地は乳母なり。
05.そは万象における完全なる父(テレスマ=原理)なり。
06.其の力は大地の上に限りなし。
07.汝は、火と大地を、精と粗を、静かに巧みに分離すべし。
08.そは大地より天に昇り、たちまち降りて、優と劣の力を取り集む。かくて汝は全世界の栄光を己がもの
  として、闇は全て汝より離れ去らん。
09.そは万物のうちの最強者なり。全ての精に勝ち、全物体に浸透するが故に。
10.かく、世界は創造せられたり。
11.かくの如きが、示されし驚異の変容の源なり。
12.かくて我は世界霊魂(アニマ・ムンディ=叡智)の三部分を備うるが故に、ヘルメス・トリスメギスト
  スと呼ばれたり。
13.太陽の働きにかけて、我は述べしことに欠く所なし。

9【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/10/09(金) 02:02:37 ID:???0
基本事項の確認をしておこう。“ヘルメス・トリスメギストス”は『ヘルメス文書』に登場する神ないし
啓示者であり、『エメラルド・タブレット』をも記したとされる、いわゆる神人である。“ヘルメス=ト
ート”、及び“ポイマンドレス”は別名である。“トリスメギストス”は《三重に偉大なるもの》の意で
あり、『エメラルド・タブレット』の12番の記述にあるように、“ヘルメス・トリスメギストス”とは、
アニマ・ムンディ(=叡智)の三部分を備えた《三重に偉大なるヘルメス》を意味する。“ヘルメス”は、
ギリシャ神話のオリンポス十二柱の神々の中で一番若く見える青年神“ヘルメイアース”のことで、その
手に黄金づくりの伝令杖“ケーリューケイオン”を執り、頭にはツバ広の帽子を被り、足には羽根の生え
たサンダルを穿いているという身振りをしている。その役柄は神々の伝令使といったところであり、巧み
な言葉・智慧を操り、技術・工夫に長けているという生得的な性格を有する神でもある。彼は赤ん坊時に
アポロンの牛を50匹ほど盗み、住居の窟の前に這っていた亀の甲羅(中身の肉は食った)と、生贄として
殺した牛からとった腸の筋を七本張り渡して、世界最初の竪琴を作ったとされる。牛を盗まれたアポロン
の方は、当初癇癪をおこして牛を返せとヘルメスに迫ったが、ヘルメスが掻き鳴らしていた竪琴の音を聞
いてアポロンはその初めての代物を欲しがり、牛は要らないからそれをくれろと要求した。この竪琴をア
ポロンにあげることによって、ヘルメスは本意どおりに牛50頭を手に入れることになる(しかし赤ん坊だ
というのに牛を生贄にしてその肉を煮たり焼いたりして食うとか、アポロンの前で物珍しいものをチラつ
かせる智慧を働かすとか、さすが神の赤ん坊…)。黄金づくりの杖“ケーリューケイオン”も、アポロン
とのやり取りから手に入れた代物である。もともと“ケーリューケイオン”はアポロンが牧人として携え
ていた牛追いの杖であるが、それはすべての人を眠らせ、あるいは覚まさせる働きをもつという特別な代
物である。ヘルメスは、今度は自分の技術で葦笛をつくってこれを吹いて遊び、アポロンにチラつかせる
ことによって、彼にそれを欲しがらせた。アポロンは“ケーリューケイオン”と交換しようという条件を
出したが、ヘルメスはその上に占いの術も教えてくれなければヤダと駄々をこねたので、どうしてもその
葦笛が欲しかったアポロンは、小石を用いる筮占術までも彼に教えてやったということである。このよう
なヘルメスを、ギリシャ人はエジプトのトートと同一視した(あるいは澁澤いわく「ごっちゃにした」)。
トートは神々の記録係であり、叡智の神であり、書記と学芸の守護者にして、文字(ヒエログラフ)の発
明者だとされる。錬金術師はこのヘルメスとトートを結合させた合成神“ヘルメス=トート”を、言葉と
諸々の学問知識(智慧)と技術との始祖たる守護神“ヘルメス・トリスメギストス”として立てることを
好んだ。それは伝統の保持者にして伝達者であり、人間を越えた神来の智慧の根源を代表する者である。
錬金術師は、往々それを、一個の「人間」、古代の王、学問知識とアルファベットの文字を創始した最初
の学者と見なしていたということもまた見逃してはならない。アキハバラのローゼンクロイツが引き合い
に出した“鬼哭啾啾”の説話は、文字の発明という点でこの話を仄めかせるものといえるだろうか。

10【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/10/10(土) 19:43:57 ID:???0
この際だから、話題になるだけでなかなか出てこなかった『ヘルメス文書』の『ポイマンドレース』にも
触れておこう。遠回りになるが、再びアキハバラのメタトロンとアニマ・ムンディ=シェキナーのネタの
ことに戻って結び付ける解釈(ぶっ飛びを含むかも?)を試みてみよう(失敗したらすみません^^;)。

「ある時私の中で、(共に)《存在するもの》についての省察が始まり、思考の力が甚だしく高まり、食
 事に満腹したり身体が疲て眠りに引きずり込まれる人のように、身体の諸感覚が停止した時、そこに誰
 か途方もなく巨大な《人》が居合わせて、こう話しかけながら私の名を呼んでいるように思われた。
 『おまえは何を聞き、眺めたいのか。何を《知解》して学び、認識したいのか』
 私は言う、
 『でも、あなたはどなたなのですか』。
 彼が言う、
 『私は《ポイマンドレース》、《絶対(至高神)の叡智(ヌース)》である。私はお前の思い計りを知
  り、何処にあってもお前と共に居るのだ』
 私は言う、
 『私は《存在するもの》を学び、その《本性(フュシス)》を《知解》し、神を認識したいのです』、
 また言った、
 『私はどんなに(それを)聞きたいことでしょう』。
 彼が再び私に言う、
 『お前が学びたいと思っていることをすべて《自分の叡智》に留めて置きなさい、私が教えてあげよう』。」
「『あの光は、私であり、お前の神なるヌース(叡智)であり、闇から現れた湿潤なフュシスより以前に
  ある者である。ヌースから出た、輝くロゴスは神の子である』。
 (・・・・・・)かくお前の内で見聞きしているものは主(至高神)からのロゴスである。他方、(お前の内
 に見ている)ヌースは父なる神である。というのは、これらのものは互いに分たれないからである。す
 なわち、《命》はこれらのものの結合である』。」
「私は《ポイマンドレース》の慈しみを心に刻んだ。そして、望んでいたものを満たされて、歓喜に浸っ
 た。なぜなら、身体の眠りが魂の目覚めとなり、肉眼を閉じることが真の開眼となり、私の沈黙が善を
 孕むものとなり、言葉を出すことが善行の実を結ぶこととなったからである。これが私に起こったこと
 なのである。それは私が《自分の叡智》、すなわち【《ポイマンドレース》、《絶対のロゴス》から受
 けたもの】である。私は神の《真理》の霊に満たされて(ここに)至ったのだ。だから全霊、全力をも
 って父なる神に頌栄を献げる。」

11【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/10/10(土) 20:01:30 ID:???0
“ポイマンドレース(Poimandres)”の名は、かつてはギリシャ語で《牧人(Poimen+aner)》を意味す
るものとして説明されていたが、今日ではコプト語の《太陽(神)の知識(P−EIME−N−RE)》として説
明される。前者の場合、ヘルメスがアポロンからうまいぐあいに入手した黄金づくりの伝令杖ケーリュー
ケイオンを携える牧人的なイメージ、後者の場合は《絶対の叡智》との関連をより密にうかがわせる。さ
て、このポイマンドレースが説明していることをまとめてみると、実はポイマンドレースそれ自体が、グ
ノーシス主義、特にヴァレンティノス派やプトレマイオス派の超越的世界プレーローマの最深部である八
個組(オグドアス)に相当している。ポイマンドレースは内なる《神》であり、《ヌース》であり、《ロ
ゴス》であり、《人間(アントローポス)》である。つまり、至高神《プロパテール(原父)》−《ヌー
ス=アルケー=パテール(叡智・原理・父)》−《ロゴス(言葉・論理)》−《アントローポス(人間)》
からなる四柱の一体性をそのまま体現しているのである。これはポイマンドレースに啓示される「私」が、
「自分の内に(世界の)原型、すなわち《無限の始めよりも以前からあったもの》としての原型を見たの
だ」とポイマンドレースから説明されていることからも伺えることである。そして、ポイマンドレースが
《絶対のヌース》であり、かつ《絶対のロゴス》でもあって、これらが分たれないものであるというのは、
「父子一体」を唱えるものであるといえる。ヴァレンティノス派乃至プトレマイオス派の場合、オグドア
スは最深部の四個組である《テトラクテュス》と、それ以外とに分けられているが、前者が《父なる神》、
後者が《神の子》の方に対応しているだろう。これがまた「父子一体」であるので、「人間即神也」が成
立しているのである。そして、このポイマンドレースが、「私」に《知識》を啓示する際に、自らの姿を
《蛇》に変容させるという記述がある。これにはユングが言うような《ヌース》と《ロゴス》のシンボル
としての、あるいはノイマンが言うような、「始原にいつもある一つのシンボル」としてのウロボロスの
《蛇》を思い起こさせる。また、ここでは文字通り「蛇足」になるかもしれない(あながちそうであると
も限らない)が、アブラクサスの《蛇の足》も《ヌース》と《ロゴス》を象徴するものだったね(^^;)。
さらに、ギリシャ神話のヘルメスに相当している(というか錬金術では同一視されている)ローマ神話の
メルクリウス(マーキュリー)などにも触れておかなければならないだろう。

13【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/10/12(月) 04:15:35 ID:???0
メルクリウスに入る前に上記のことを少々整理しておきたい。《叡智(ヌース)》は男性名詞であるが、
『エメラルド・タブレット』では女性的な《宇宙霊魂》あるいは《世界霊魂》を意味する《アニマ・ムン
ディ》が、それとイコールになっている。求道者である「私」は明らかにポイマンドレースのことを「彼」
と呼んでいる。これはどう解すればよいのか。私見ではあるが、これは『ヘルメス文書』で《ヌース》が
男女(おめ)であると説明されているところを見ればよいと思う。ヴァレンティノス派乃至プトレマイオ
ス派グノーシス主義における男女(両性具有)なるアイオーンはシュジュギア(「対」)の概念でもって
説明されている。それは虚構的な主体/客体の分化化であり、どちらか一方をさしていったとしてもそれ
が互いの性を有する両性具有であるということができる。この場合は、《プロパテール=ビュトス(原父
=深淵)》−《ヌース=アルケー=パテール(叡智=原理=父)》−《ロゴス(言葉・論理etc)》−
《アントローポス(人間)》からなるオグドアスの柱が、それぞれ《エンノイア=シゲー=カリス(思念
=沈黙=恩寵)》−《アレーテイア(真理)》−《ゾーエー(命)》−《エクレーシア(教会)》からな
る虚構的な女性性の柱を有しているということになる。面白いことに、『ポイマンドレース』の「彼(ポ
イマンドレース)」と「私」の会話を中心とする記述は、このオグドアスの八個組のシュジュギアの関係
に対応していると見なすことができる。冒頭からして「私」の《思念》から始まっているわけだが、ポイ
マンドレースはことあるごとに「私」に対して《沈黙》せよと命ずる。この「私」の《沈黙》が善を孕む
ものとなり、言葉を出すことが善行の実を結ぶという《恩寵》を得ている。《命》(の光)が《ヌース》
と《ロゴス》の結合である、というのも《命》とシュジュギアを成す《ロゴス》、及び「父子一体」の関
係にある《ヌース》と《ロゴス》という、縦と横の結合関係を見れば、これも一致しているといえるだろ
う。《人間》と《教会》のシュジュギアに相当するところも、そう取れる箇所がヘルメス文書の中にはあ
る。《エクレーシア》とは、キリスト教(乃至はキリスト教グノーシス主義)における《教会》の概念で
あるが、これは元来は『タルムード』と「ミドラシュ」における「イスラエル共同体」、すなわち「イス
ラエルの《全会衆》」に由来するものだ(ポイント)。イスラエルの《全会衆》(この場合《全会衆》っ
て大げさに言わなくても《人々》とか《民》でも十分意味は取れる)は神に選ばれたものたちであるが、
ヘルメス文書においてもポイマンドレースの啓示を受けた「私」による伝道を受け入れる《人々》と、そ
うでないものたちがいる。「私」は、伝道を受け入れる《人々》の一人であり、ポイマンドレースという
《人》から啓示されるものである。そしてこの「私」は最終的に神の《真理》の霊に満たされる。《真理》
は《叡智》とシュジュギアを成している。ヴァレ・プトレ両派のグノーシス主義では、このオグドアスの
四対八柱のシュジュギアは超越的世界のものであるが、『ポイマンドレース』の場合は、これがポイマン
ドレース=ヘルメス・トリスメギストスと求道者(あるいはその教えを受け入れる人々)の、区分の存在
しない「全にして一」である「人間即神也」の関係に置き換えて言うことができるのであり、それはまる
で『ヨハネのアポクリュフォン』で言うところの、どちらも両性具有であるとされるにもかかわらず、至
高神(第一の人間)が「彼」と呼ばれ、その最初の自己分化によって生成された《バルベーロー》が「彼
女」と呼ばれる関係に等しいのである。

14【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/10/15(木) 17:46:57 ID:???0
「私」が神の《恩寵》を、《自分の叡智》=《ポイマンドレース》=《絶対のヌース》=《絶対のロゴス》から受け、
それを《自分の叡智》に留めおくことで、神の《真理》の霊に満たされたという一巡する形となっている記述は、ポ
イマンドレース(ヘルメス・トリスメギストス=ヌース)が自己のうちに臨在する神であり『エメラルド・タブレッ
ト』において、《アニマ・ムンディ》の三部分を備えているというのを逆に捉えてみてはどうだろうか。両性具有が
シュジュギアの概念でもって語られるということは、両方とも本来的には男女(おめ)であることを意味し、一方が
対になっている相手をその内に備えているということを意味するからである。たとえば、ヴァレ・プトレ両派におけ
る男性至高霊《叡智》と女性至高霊《真理》のシュジュギアの場合は、《叡智》はその内に《真理》を備えており、
《真理》は《叡智》をその内に備えていると言うことができる。このことから、『エメラルド・タブレッド』の中で
《アニマ・ムンディ》を備えているヘルメス・トリスメギストス(=叡智)というのと同じく、逆に《アニマ・ムン
ディ》も本来的には《叡智》を備えているということができるだろう。だから説明的には「私」の肉体の内にある女
性的な《世界霊魂》を意味する《アニマ・ムンディ》が、《自分の叡智》=《ポイマンドレース》=《ヘルメス・ト
リスメギストス》であるといっても差し支えない。ただし先にイスラエルの《エクレーシア(全会衆)》のことで述
べたように、「神の《恩寵》」を授かることのできるものは選別されている。このことは『ポイマンドレース』に限
らず他のヘルメス選集にも散見されている。アキハバラ電脳組において、ローゼンクロイツがアニマ・ムンディの巫
女としての覚醒を果たした少女たちをさして、「ホーリー・グレイル(神の聖杯)を手にすることができる選ばれし
者」と言っているのはまさに大正解であろう。ちなみにこれはまた後に詳述する際にポイントとなることだと思うが、
「「私」が神の《真理》の霊に満たされるという神秘的体験をして、全霊、全力をもって父なる神に頌栄を献げる」
という記述については、旧約『レビ記』の9章22節以下(新共同訳では『アロンの祝福』と題されている箇所)に
おいて記述されていることとほぼ合致していることがうかがえる。
「アロンは手を挙げて民を祝福した。彼が贖罪の献げ物、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物をささげ終えて、壇を下
りると、モーセとアロンは臨在の幕屋に入った。彼らが出てきて民を祝福すると、『《主の栄光》が《民全員》に現
れた。』祭壇の上の焼き尽くす献げ物と脂肪とをなめ尽くした。これを見た《民全員》は、『喜びの声をあげ、ひれ
伏した』」
このモーセ(預言者)らが民を祝福することで《民全員》において生じた神秘的体験である《主の栄光》の現れとは、
まさに人間の内の《神の臨在》、すなわち《シェキナー》のことだ。この《シェキナー》との絡みについては後ほど
ショーレムの説明を踏まえつつ詳述する。とりあえず、まずは錬金術ネタなので、次はメルクリウスとヘルメス、ト
ートについてのユングネタを持ち出しておこうと思う。

15【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/10/15(木) 21:08:27 ID:???0
ローマ神話のメルクリウスの身なりは、ほぼギリシャ神話のヘルメスを踏襲したものとなっている。“ケーリューケ
イオン”の杖がラテン語式に“カードゥーケウス”の杖となっているが、その意味は前者のそれと同じである。述べ
忘れていたが、読みの違いに関係なくこの杖にもその柄に二匹の蛇が巻きついている。『元型論』にそのメルクリウ
スの図が載っているが、これにはコルヌコピア(果物が溢れ出てくる豊饒の角)もついている。『元型論』の論文の
一つ「トリックスター元型」の中で、ユングはメルクリウスが単独でトリックスター元型のモチーフを多く揃えてい
ると説明している。それは「半ば面白半分、半ば悪意(毒!)のある狡猾な悪戯の性癖、変身の能力、獣神的な二面
性をもち、あらゆる種類の拷問に晒され、そして最後に重要な特徴として、《救い主》の像に近づく」という性質を
持っているという点で、ヘルメスよりさらに古い原始時代から甦ったデーモンのようだというのである。トリックス
ターのモチーフとしては、「トリックを使った狡猾さ」「反秩序的」「愚鈍さ」「逆転」の性質が挙げられる。ユン
グにおいて強調されているのが、このトリックスターの「逆転」の性質の幾分かが、たとえば「悪魔を《シミア・デ
イ(神の牝猿)》として描く場合」などにあらわれるということである。《シミア・デイ》は、一方では悪魔(下等
極まりないものとか軽蔑すべきもの)であるが、他方では神的存在であり、最も高きものへの可能性を暗示している
ものをさしていっている概念である。私にしてみればトリックスターでこのようなモチーフ持っているものとして馴
染み深いのは、『西遊記』の孫悟空や『封神演義』(西遊記にも登場する)のナタ(ナタク)太子である(ちなみに
西遊記ではこの似た者同士の二人が一騎打ちをするという展開がある。ナタが負けてしまい、清源妙道真君が召喚さ
れて驚異的な変身の能力を使った化け合戦が繰り広げられる)。もちろんヘルメスもトリックスターとしてみること
ができる。ヘルメスは悪魔ではないが、上述したように赤ん坊の時分にアポロンの50頭もの牝牛を盗むというあさま
しい泥棒行為をしている。その牝牛を盗んだことがばれないように細工を施し、またその牝牛の内の2頭を生贄の儀
式のための供物にして食った(アルカイックな供犠である)。また自分の家の前にいた亀の中身を食って、その甲羅
と牝牛の腸の筋を使って竪琴を作ったり、牝牛を盗まれたことを知ったアポロンに対して、母親ともども赤ん坊であ
ることをいいことに方便で誤魔化そうとし、しらばっくれる。このような狡い智慧やトリックや嘘は全知のゼウスの
前に引っ立てられれば通用しないという点で「愚鈍」さを露呈している。ヘルメスの態度に癇癪を起こしたアポロン
が彼をゼウスの前に引っ立てようとした際に竪琴を掻き鳴らしてアポロンを宥めすかせたこと。おまけにそれによっ
て自分の本意どおりのものを手にするばかりか、他のものが努力によって何とか手にしようとしても得られないよう
な“ケーリューケイオン”や筮占術まで手にする上に、ゼウスに任じられることによって神の伝令使という啓示的存
在にまでなり、さらには、そのケーリューケイオンを用いて、怪物アルゴスを殺して囚われのイーオーの救い主にま
でなっている。このようなヘルメスは、上記に挙げたトリックスターのモチーフを持っており、「動物的で太古的な
幼児性から神秘的な《ホモ・マクシムス(最高の人間)》への変容」を遂げたという点で、ユングの言う《シミア・
デイ》として描かれるトリックスターのモチーフを持っているといえるだろう。加えて合成神ヘルメス=トートの場
合、トートは姿かたちにおいてずばりヒヒ(Hundsaffe=ドイツ語で直訳は「犬の頭を持つ猿・犬猿」))として、エ
ジプトの『死者の書』において変わることなく一貫して描かれている。ユングは猿や蛇、怪蛇バシリスク、鷲などを
して悪魔の比喩(アレゴリー)であり下等極まりないものであると説明されているが、既に述べたとおり、トートは
そのような姿でありながら至高な神的存在として神聖視されている。まるでヘルメスのもつ《シミア・デイ》の内面
的な特徴が、そのまま姿において外面的に露骨に表現されたかのような位置づけで、ユングは説明しているのである。

16【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/12/15(火) 23:14:58 ID:???0
単純化した図式を書くとすれば、
ヘルメス=メルクリウス=トート=エノク=メタトロン=ヘルメス・トリスメギストス=ポイマンドレス
これらの女性的半身が、
アフロディーテ=ウェヌス=シェキナー=女性メタトロン=アニマ・ムンディ
ということになろうか。アキハバラでは白い王子=クレイン・バーンシュタイクがメタトロンと呼ばれ、
花小金井ひばりら少女たちがアニマ・ムンディの巫女と呼ばれる。特にひばりとのやり取りが描かれるわ
けだが、ひばりのDIVAはアフロディーテだ。メタトロンとアフロディーテという組み合わせでは一見
分野違いに見えるが、錬金術ネタではこういう組み合わせでも問題ないというわけw。

17【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/12/17(木) 00:28:07 ID:???0
ちなみにこれ、天上界=神が男性原理で、地上界=人間が女性原理だという考え方
からすれば、神人合一はヘルメスとアフロディーテのアウフヘーベンであるからし
て、ヘルメス+アフロディーテ=ヘルマプロディトスということになるわけか。


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