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一望監視装置と司牧者権力

1【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/06/28(日) 11:59:41 ID:???0
論文の試案からの脱稿であるが書き綴っておこう。内容はフーコーの思考
とグノーシス主義、ユダヤ=キリスト教の司牧者権力の相関をまとめよう
とするものである。フーコーは、近現代の統治機構(あるいは支配者)が
諸個人の≪身体≫に≪規律・訓育≫を行使することによって生成した知の
有機空間を、ベンサムの「一望監視装置」という建築物に準えているとい
うことは別スレでも説明した。これは中央部に監視塔があり、その周囲に
円形、六角形、あるいは半円形などに並びたてられた牢獄がある。文字通
り、中央の監視塔からその全ての牢獄の中にいる囚人を一望できる監獄装
置である。これは常に囚人に「見張られている」と強制的に意識させる装
置である。さらに、この装置は、囚人たちを個々の牢獄の壁によって非連
続的に寸断している。この建築物の構造を、フーコーは政治的領域の有機
空間のモデルとしてみなしている。つまり監視塔にいるものが支配者であ
り、囚人たちは被支配者という構図となる。この構図は、社会の中に投げ
込まれている人間が、統治機構によって「機能本位」に「個人化」を押し
進められていると言うことをも説明しているのだ。
ところでこの構図、『監獄の誕生』を読んだだけでは書かれていないが、
旧約聖書以来の「神と人間」の関係の構図に極めて近似していることはお
気づきであろうか?本来的な神概念は壊れているが、この一望監視装置の
構造それ自体は、監視塔にいる支配者=神と見立てると、一なるものとし
ての神と、その非連続的な位格である被造物としての人間という構図に一
致するのだ。実は私が気づいたこの構図、フーコー自身が既に「コレージ
ュ・ド・フランス」の講義でユダヤ=キリスト教の「司牧者権力」を、ほ
ぼ「一望監視装置」の前身的なものとして取り扱っていたのだ。ユングも
説明している神概念の当たり前のこととして、この唯一神は、人間のうち
に臨在しており、全ての人間に監視の目を光らせているというのがある。
このような神=牧者の立場を、昂る「権力への意志」の下に手に入れよう
としたのが「栄光のナポレオン」である。


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