したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

ヨブへの回答−完全グノーシス版−

15【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/11/22(日) 01:33:45 ID:???0
私ははっきり言って、ニーチェの芸術についての論理それ自体は、ユングの内的要因
であるゼーレが、外的要因に触発されて生成することへの意欲に駆られるという説明
と全く違わないものであると考える。ニーチェは、『力への意志』とは、「魂」が感
官の先入見のうちに世界に対して抱く、「「芸術家」の芸術(技芸)への「生命感情」」
であるという。これはユングの言うところのヌミノース(ヌーメン的・守護霊的)な
「情動」に近いのではないか。というか訳の問題だと思うし、またニーチェ自身の語
の表現が散逸的なのだが、ちくま版の『権力への意志』において「欲情」となってい
る部分が、ハイデッガーの講義(細谷訳)では「情動」となっている。しかも感情と
情動と情熱がニーチェにおいては同一的に扱われているとのこと。「欲情」という日
本語には二つの意味があるが、単純に「欲する心」ということの意味でとるより、通
俗的にとられている「異性の肉体を欲する」とか、劣情を催すほうで一面的に受け取
られかねないので、細谷訳を採用したほうがいいだろうか(ご意見求む)。
さて、「「神」とは最高の〈力〉、これで十分!」というニーチェの論理では、ヨブ
は、『悦ばしき知識』の341番において「神的なこと」を聞いた!と叫ぶものに該当す
ることが、ニーチェ自身によって説明されている。ニーチェのヨブについての考えは
『力への意志』の821番にて述べられている。ヨブは「芸術を肯定する」とある。ただ
これだけであるが、たったこれだけでヨブが「神的なことを聞いたもの」ということ
ができる。最後につむじ風の中から現れた「主」は、「力への意志」そのものを表象
する神である。それはまさに「これぞ神の最高傑作!」とうたうベヘモットやレヴィ
ヤタンを「生成すること」に表れている。これが神の「芸術・技芸」だ。すなわち、
「芸術を肯定する」とされているヨブは、なんの裏もなく全面的に悔い改めていると
目されているのだ。この場合『ヨハネ福音書』に書いてある「神を見た者はいない」
という記述は嘘だということになる。ヨブは間違いなく神を「見た」。「聞き知って
いただけの神」のほうは、哲学者の虚栄心が生み出した知恵の怪物だということにな
るのだろうか。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板