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《YHWH》について
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【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2011/02/25(金) 23:38:55 ID:???0
はじめまして、管理人アブラクサスです。レスが遅れてすみません、仕事が立て込ん
でるのもありますが、何よりご質問のことが私の語学力・聖書云々の知識程度では、
お答えしきれなさそうなところがありまして…(私も岩波委員会訳は書店や図書館で
調べてます。それに基づいているところもあります)。仰る通り、HyHが「在る」
とともに「成る」、つまり「存在」と「生成」という意味を併せ持っているというの
は存じておりますが…。というかあれ読み方間違ってましたね。ハーヤーでしたか?
まず明確にお断りしておきたいと思いますが、私はなんにかにしても、その手の専門
家ではなく、素人だということを予めページにて表明しております。素人が調べる必
要があったことを調べてインプットし、そうしたことのアウトプット程度にしかあの
ページを書いてません。恐らく猫飼さんの質問にお答えするには明らかに技量不足で
あると思われますが、それを抜きにしても、ご質問の意味・内容がよく解らない箇所
がありました。この掲示板を立てた目的と違うのですが、ごちゃごちゃになってるま
まにしておくのは嫌いな性分なので、明確にしたい思惑で私が色々と教えてもらって
いる語学に詳しい方に聞いたりして、調べてまいりました。そこから学んだことを、
まとめてここに載せさせていただきます。
1) 各訳とも概ね「私は〜するものである(/になる)」という体裁をとっており、
これが ehyeh asher 〜 の部分を訳したものと看做せる。「〜するもの」が asher
によって導かれる関係節に対応しており、関根訳他に於いても asher は関係詞と
して解釈されていると見て問題ないと思われ、猫飼さんがそこに疑義を挟んでお
られるところの根拠がよく解らない。
2) 各訳に目立った違いがあるのは、先に「〜」として略した部分である。これは
関係節中の(二つ目の)ehyeh に対応する。この ehyeh を新世界訳は「自分がな
る」と訳し、新改訳は「『わたしはある』という」と訳した。
同じ様に、この ehyeh を関根訳は「あらんとしてある」と訳し、口語訳は「あっ
てある」と訳している。これらの訳に助詞「て」が現れるのは、動詞 ehyeh を解
釈した結果であり、asher とは関係がない。
と、こんなところで、これ以上のことは現段階では分からないです。
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