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宇宙開闢と建築供犠−セカンドインパクト−
8
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2009/02/15(日) 02:53:07 ID:???0
これはそこに示されているようにロゴス(言葉)について考察しなけれ
ばならない。実は私は、博士が私にハヤカワの本(現在読書中)を薦め
てくださったのと、「ぶっとび具合ならヒトのコミュニケーション段階
をブラヴァツキーからコージブスキーまでアカシック的に概観する私論
がある」というお話を聞いて以来、ずっと今展開しようと思っている論
と何がしか関連があるのか、という点で気になっている。それらについ
ては図書館にもなく、知りえない状況にあるのでいずれその話はお聞か
せいただけるとそれを切に願って待つほかない・・・。(:_;)
ハヤカワの本を読み終えればまた見解は変わってくるのかもしれないが、
今のところ私がこのロゴスに関する部分を読んだ第一印象としては「言
霊」がそれに近いのではないか、ということである。
>>4
にある通り、
『フィリポによる福音書』のロゴスは、肉の領域に内在する神的存在・
諸至高霊のひとつであることを表されているわけだが、そこではそれが
どのような神話論的な枠組みが前提となっているのか定かでない。
わかるのは言葉を発することができるのが肉のあるうちに限る、という
ことであろうか。たとえ「生きてない生を生きている=死んでいる」と
はいえ、肉体的には生きており、啓示を受ければ肉のうちにある別なる
光(本来的自己)は復活する。これは「本来的自己の死」とは言い回し
の問題であって、本来的自己について、忘却状態にあることを比喩的に
言っているのだと捉えればいいだろう。実際には肉のうちにア・プリオ
リに秘められているということなのだ。それだから何を語るのであれ、
肉を離れては何一つ語れないということは、啓示を受ける前に死んでし
まえば、言葉も失われ、即ち肉のうちにある別なる光は復活を受ける前
にそのまま消えてなくなってしまうので、復活できなくなってしまうの
である。言われてみれば簡単だ、肉体がなければ言葉を覚知できる主体
が存在しないのだから。
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