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宇宙開闢と建築供犠−セカンドインパクト−

11【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/03/02(月) 21:05:27 ID:???0
博士のご返答はとりあえず待つとして、展開する予定だった残りを先に
片付けてしまうことにしよう。グノーシス主義における「復活」の第二
の意味である。「生きてない生を生きている=死んでいる」状態から、
復活した人間、即ち復活を促す啓示的な言葉(光のグノーシス)によっ
て本来的自己を回復した人間は、終末にあって肉体を脱ぎ去り、魂の故
郷であるプレーローマに回帰する。これがそのままグノーシス主義にお
ける「復活」の第二の意味である。これは積極的な意味での子宮(=両
性具有の至高神)から流産した形で経験した死(=この世の生)を一度
目の死とするなら、「この世の生」の死という形で、積極的な意味で説
明される「子宮」へ回帰する「二度目の死」である。二度目の死によっ
て連続性(=両性具有性)へと回帰するこのグノーシスの神話の表現法
は、壮大な胎内回帰物語ということになるのである。

遠回りに迂回したうえに、あらゆる意味で「生=死」と表されてしまう
この『見かけ』ペシミスティックなストーリーは、しかし「始まりと終
わりは同じところにある」というゼーレのキール議長の台詞とかかわっ
ている。ゼーレの連中は『見かけ』の点でのみ、グノーシスのこの「大
いなる胎内回帰物語とでも言い表せる思想に当てはまっている。結局、
私がエリアーデと絡めて言いたかったのは何だったかというと、連中が
この世に見出した「明瞭に意味付けられた世界=コスモス」は「閉塞し
た世界」という名の「カオス」であったということである。そしてその
ように明瞭に意味づけられたコスモス=カオスの中で、彼らが抱いた願
望から見出せるのは、弱者のルサンチマン臭がプンプン臭う、この世の
生に絶望ばかりしている安直なペシミズムである。彼らのいう「本来の
姿に還る」とは、宗教的儀式という名の自己満足的な死を、本来の姿へ
の「復活」であるとみなしたものだったのである。


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