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三島由紀夫の演説
31
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2009/02/01(日) 06:25:11 ID:???0
うーん…、率直に言わせていただければ、バタイユを絶対化していると
いうよりは、博士がここで述べられて以来、三島のエロティシズムの考
え方と、バタイユの考え方にどうもひっかかりがあって、その比較検討
というかそれを行ってみようと思っていただけなんです…。誤解されて
しまったらまことに申し訳ないんですが、私には澁澤が自分の翻訳でエ
ロティシズムを読んでほしかったというのが、暗に室淳介訳への批判で
ある以上に(これは三島もはっきり「よくまあこんな日本語の文章を天
下に公表する気になれる」と酷評していますが)、自分の翻訳を読んで
いれば三島はあんな風にはならなかったはずだと言いたいような感傷が
ひしひしと伝わってくるからでして。このあたり何かご存知でしょうか?
このあたりがどうにもはっきりしないんで。そこで渋澤訳のバタイユの
エロティシズム論の観点からして、あんなことにはならなかったはずと
いうところに該当するであろう自殺ってどうなのと素朴に考えてみたん
ですが。つまり、バタイユ絶対化ではなく、ひとつの知のあり方から見
てどうであるかの思索であって、博士が仰ってくださったように、思考
の相対化への過程にあります(このあたりには私にも自覚があり、決し
て盲目であるわけではないということをお伝えしておきたいです。お見
苦しいところをお見せしてしまって大変申し訳ないと思いつつも書いて
います。これに偽りはありません、本音です。)
また、日本における「晴れと褻」の考え方というのは、西欧における
「聖と俗」の対立とは道徳観の次元を異にするものだと思いますし、
この場合、三島は西欧の道徳観とエロティシズムの考え方を、無批判
に日本においても通用するものだと取り入れてしまったのではないか?
という疑問が浮かび上がってきたわけで・・・。なんにしてもこれ以
外にも私の頭の中では思考の氾濫が起こっており、これ以外にもあげ
ようと思えばいくらでもあがるくらいです…。
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