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神聖にして呪われたる生贄

8【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/09/18(木) 20:31:44 ID:???0
ケース③ 嘘と沈黙
実はこの嘘と沈黙の題名とその英文サブタイトルは、結末において破綻
していくストーリー内でも、バタイユのエロティシズム論ならばその不
条理な人間模様をいともあっさりとミもフタもないほどに曝け出せる。
・嘘と沈黙
・Those women longed for the touch of others lips, and thus invited their kisses.
まずは英文サブタイトルの意味を踏まえてみよう。
これはTV版がビデオ発売されたときの、ケースの裏側にも紹介として
書かれていることだが、「女たち」に該当するのは明らかにミサトとア
スカであり、彼女たちは他者の唇との触れ合いに焦がれ、そしてそれは
結果的に「彼ら」、すなわち加持とシンジを、各自それぞれとのキスへ
と誘った(いざなった)ことを意味するといえる。

絵コンテを担当している甚目喜一氏とミサト役である三石琴乃嬢の芝居
が映える演出となっているミサトと加持のキスシーンだが、このシーン
との対比関係にあるのがシンジとアスカの場合でもある。バタイユ論は
その著作の中で、この対比関係をものの見事に言い当ててしまう。バタ
イユの言及でキーポイントとなる用語が、「淫売」「狼狽」「羞恥心」
「娼婦性」などなどである。

こんなものがキーポイントとなる用語なのか?と単純にみただけであれ
ばそう思われるかもしれない。しかしそれは、俗語として、卑猥なもの
を連想させているだけのことであって、バタイユが言わんとしているの
は、そのような貶下(へんげ=軽蔑)的な意味をこめているわけではな
いということをくれぐれもご留意いただきたい。

バタイユは、女性的宇宙を特徴づけるものとして「他者への依存性」を
挙げ、それを「娼婦性」と呼ぶ。これについては澁澤龍彦が実に明瞭に
説明しているのだが、この娼婦性は、他者に依存しており、買われなけ
れば顕在しないが、しかし一方で、買われる事を期待しつつ、期待だけ
で生きることが出来るのも、女性の特権であるというのである。

この「娼婦性」は、女性のセクシュアリテの、男性にとって自分が欲さ
れ、望まれるところのものとしての対象として、自分そのものを曝け出
す特徴に帰結する。要するに、自分を相手にとっての欲望の対象として
売り込むのだ。この娼婦性は、女性が自己の裡を他者の裡に委ねざるを
得ないという、解剖学的な事実にも則るものとして説明されている。


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