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神聖にして呪われたる生贄
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【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/08/17(日) 20:33:28 ID:???0
この「凌遅刑」、実は彼女が自分の「死の恐怖」として抱いていたイメ
ージと意味がまったく変わらないのである。バタイユの思索の方向を決
定的にしたのが、中国において行われていた残酷刑のひとつであるこの
「凌遅刑」だった。
これはプロメテウスの罰などというような生易しいものではない。実際
に、アスカと弐号機のようにされる残酷刑というものが存在していたの
だから恐ろしい。バタイユはその最後の著作「エロスの涙」において、
自分が受けたショッキングな事実を語っている。
時は1905年、中国においては清王朝末期の時代である。
フー=チュ=リという人物がモンゴルのアオ=ハン王を殺害したことで、
モンゴルの諸王がこの人物を火刑に処すべしと願い出ていたのだが、光
緒帝がいうのには、火刑は残酷であるから、凌遅(刻み切り)刑によっ
て緩慢な死に処する、これを尊べ!というのだ。
正直わけがわからない。ジャンヌ・ダルクの火炙りの刑にしても十分残
酷すぎるというのに、凌遅刑に処することが「緩慢な死」であり、残酷
ではないというのか。ただし光緒帝自身は変革運動に失敗して、西太后
によって幽閉されていた時期であるから、光緒帝自身がそのように述べ
たのかは怪しい。
だが問題は光緒帝がそのように言ったかどうかの真偽はともかくとして、
そのような記録が残っており、実際にそれが、過去において何度も行わ
れていたということなのである。どう考えても残虐すぎる。しかもこれ
にはそれを見物していた人間(バタイユではない)が詳細に渡ってその
プロセスを物語る写真を残しているからたまったものではない。
この刑が課せられている間、フー=チュ=リは確実に生きているのだ。
死に至るまで、かれはその「切り刻み」を受け続けなければならない。
文字通り、死と限りなく隣接した「生の極限状態」である。そういう極
限状態を、アスカも同様に受けたのだ。
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