したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

神聖にして呪われたる生贄

1【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/08/12(火) 23:43:24 ID:???0
バタイユ的解釈の続投である。今回は劇場版におけるアスカと弐
号機が、まるでゼーレの宗教的犠牲の生贄のごとく扱われている、
という点に着目点を置いての考察である。

生贄とは、「有用」な富の総体の中から取り除かれる一種の剰余
であるとされ、それは利得なしに蕩尽されるためにしか、つまり
永久に破壊されるためにしか抽出されないというのである。それ
は生贄としてみなされるや否や、苛烈な蕩尽へと運命付けられた
「呪われた部分」となるのである。

アスカが復活し、暴れまわり始めたことは、忌むべき存在がゼー
レの宗教的儀式の妨げとなったことを意味している。これは連中
にとってアスカと弐号機の存在が、有用性を持たぬ富、つまり余
剰物と化したことを意味する。この時点で「毒は毒を持って制す
しかない」とされていることは、ゼーレにとって彼女と弐号機が
「呪われた部分」となり、徹底的破壊の対象として、蕩尽の対象
としてみなしたということなのである。

この呪詛は、毒なる存在は「もの」ですらあってはならないという
残酷さを露呈させ、彼らの認識からしてアスカと弐号機を「もの」
という次元からすら引き離すのである。つまり、当初は「もの」と
して使用していた存在だったが、この残酷性は、今度は「毒物」だ
という特性が明確になったことから、「もの」であることすら許さ
ん、というわけである。

「もの」である以上、それを縛り付けている現実の次元からそれを
真に引き離すためには、徹底的破壊によって「毒物」としての特性
を彼女と弐号機から剥奪して、その有用性を永久に除去する以外に
方法はないというわけである。アスカの運命は、彼らによって「呪
われた生贄」として聖別されたのである。

アスカは彼らによって「呪われた部分」であると聖別されるや否や、
投入された量産機と戦うことになった。だがこの戦いに「参加する」
ということは、自由への戦いにはあらざるものである。これは彼女
が自ら、自分を生贄として奉納しようとする者たちに接近し、破壊
的行為の対象物として、自ら彼らの蕩尽に参加する一員となること
を意味していたのである。

つまりアスカは自分から「生贄として」彼らの儀式の一員となった
のである。この場合アスカが勝てると思っているかいないかは問題
とならない。あくまでゼーレ主観であり、ゼーレからすれば彼女と
弐号機が「もの」ですらなくなるまで徹底的に破壊するという決定
事項は変わらないからだ。

アスカと弐号機にとっては明らかに余命いくばくもない「祭典」の
なかで、彼女は白目剥き出しで踊り狂うがごとく、量産機を相手に
血みどろの戦いを挑む。その顔つきと衝動と語り口調は、戦いに快
楽を、別の意味で共に享受しているとしかいいようがないほどであ
る。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板