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バサラ日記(その16)
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1865年大院君は王后揀択を試みた。これは、権門勢家の政治的影響力を削ぐため、早急に執り行われた。
といっても、有力候補はほぼ権門勢家の娘である中、驪興府大夫人閔氏が積極的に遠縁の閔妃を推薦したので、
権門勢家の影響を考慮して閔妃を王后に指名した。
閔妃が王后となって間もない頃は、大人しく従順だったが、夫である高宗が閔妃に無関心だったことや、
大院君の態度によって、次第に大院君を敵視した。高宗の寵愛する李尚宮が長子・完和君を出産した際、
大院君は歓喜し、その頃から大院君は閔妃に対して、無視するなど冷酷な態度を取るようになり、
閔妃との軋轢が生じた。
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