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バサラ日記(その16)
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1866年に南鐘三などをはじめ8000人近くのカトリックが処刑され、
フランス人のカトリック宣教師12人中9人が処刑され(丙寅教獄)。
丙寅洋擾が勃発する。
丙寅洋擾(へいいんようじょう、병인양요、ピョンイニャンヨ、英:Byeong-in yangyo)とは、
1866年10月、フランス人宣教師の処刑(丙寅教獄)を契機として、
李氏朝鮮とフランス帝国との間で発生した戦争。他のアジア諸国と同じく
李氏朝鮮においても近代化は遅れており、近代的な軍隊と最初に遭遇した戦いとなった。
しかし戦いは文殊山城の戦いと鼎足山城の戦いに勝利した朝鮮軍側の優位に進み、
フランス軍は大きく装備に劣る軍隊によって数倍の損害を与えられた。
最終的にフランス軍は敗走し、朝鮮の植民地化を諦めた。
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