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バサラ日記(その16)

853名無しさん:2014/01/12(日) 16:33:45
33 :本地垂迹説の起源:2013/09/24(火) 13:40:26.40 「神仏習合」が東大寺大仏建立よりどのぐらい前まで遡れるかは、現在の学会でも結論めいたものは出ていません。
ただ「本地垂迹説」については、当時まだ下級貴族だった大江匡房がお上の歓心をかって出世するために、
さも空海が根拠を説いたようにみせかけて、自著『本朝往生伝』の中で諸神に片っ端から本地仏をあてがっていったのが始まりだとほぼ結論が出ています。
僧侶でも神官でもないただのオヤジの醜い出世欲が、その後の日本の宗教観を決定づけたというのは、最悪のブラックジョークですね。
(大江家というのは、その後も朝廷と鎌倉幕府の間でコウモリのように立ち回ってのしあがったり、その子孫である毛利氏は関ヶ原の戦の際にもひよったり、
さらにはこうした胡散臭いDNAが最終的に明治の廃仏毀釈へと繋がってゆくのですから、ムチャクチャもここに極まれり…といった感じです。
本地垂迹説をでっち上げた者の子孫たちが神仏判然令・廃仏毀釈をおっぱじめるわけですから、いやはや…。)
ちなみに、勝手に本地垂迹説の根拠に利用された空海ですが、近年の研究では自身は、本地垂迹説ではなく、神仏ともに尊し…という「神仏対等」もしくは「神仏相互共助」の立場だったことが明らかになりつつあります。




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