レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
バサラ日記(その16)
-
垂仁天皇26年=皇紀657年を、西暦と間違えた。
結果、日本書記だけ見ると、伊勢神宮の方が生田神社より古くなる、と言う事になる。
私は昨日からの論説で大きなミスをした。ここに訂正する。
結果、生田神社の伊勢神宮に対する優位性は、
文化の質のみとなるのであろう。
生田神社は酒造文化。伊勢神宮は諜報文化(伊賀文化)。
今後、私による伊勢神宮叩きは、伊賀忍による工作の歴史を叩く事でなされる。
特に明治維新における「ええじゃないか騒動」に関する疑い
(すなわち孝明天皇親子暗殺加担の疑い)が議論のポイントだと思う。
ただ、鹿島昇らによると、皇室のルーツは、
「A,D214年、イワレヒコ=神武が九州糸島郡に上陸して伊都国を建てた」
事に関連すると分析されているので、西暦200年以前の日本書紀は
古事記同様、神話、と言うか「後世の作り話」かもしれない。
神功皇后元年(201年)鎮座と言う生田神社の方が、年代的に
中韓の古文書が残した日本の歴史に合うのである。
伊勢神宮の鎮座の起源は神話、もしくは「後世の作り話」である可能性も
否定できない。
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板