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バサラ日記(その11)

512名無しさん:2012/12/05(水) 14:50:48
▼ホロコーストは政治的に利用されてきたのではないか

 ホロコーストの事実性を分析することは禁じられているので、
私はこれを分析しないでおく。だが、禁止範囲の外側にも、ホロコーストに
関係した分析すべきことはいくつもある。その最大のものは、
ホロコーストを歴史的事実と認めた上で出されている「ホロコーストは
政治的に利用されてきたのではないか」という疑問である。

 この問題を提起した人として著名なのは、アメリカのシカゴ大学教授
の歴史学者ピーター・ノビック(Peter Novick)である。彼はシカゴ大学に
ユダヤ研究コースを設立した権威あるユダヤ人学者で、
1999年に「The Holocaust in American Life」(アメリカ社会におけるホロコースト)
という本を出版した。同書は、アメリカのユダヤ系社会でホロコーストが
喧伝されるようになったのは1970年代からで、
それはイスラエル支持を強化するための政治戦略だったと分析している。

 戦後の最初の20年間(1945−65年)、アメリカのユダヤ人たちは、
ホロコーストについてほとんど語ろうとしていなかった。その理由の一つは、
戦後すぐに冷戦が始まり、アメリカの敵はドイツからソ連に代わり、
ドイツ(西独)はアメリカの同盟国になったので、ドイツの戦争犯罪を追及することが
控えられたからだった。

 当時のユダヤ社会には、被害者意識を持ち続けることは
後ろ向きな態度であり良くないと考える風潮もあった。リベラル主義の考え方を背景に、
ユダヤ人だけの被害を考えるのではなく、抑圧されているすべての民族のことを
考えるべきだという普遍的な人権主義の方が重視されていた。

 1950年代末に米中西部の大都市近郊に住むユダヤ系アメリカ人を対象に行われた世論調査によると
「良いユダヤ人であるためにあなたが重視することは何ですか」という質問に対し
「恵まれない人々への援助」と答えた人が58%だったのに比べて
「イスラエルへの支持」と答えた人は21%しかいなかった。
1970年代より前には、ユダヤ系アメリカ人は大してイスラエルを支持していなかった。

 状況が大きく変わったのは1967年と73年の中東戦争からで、
アラブ諸国と戦うイスラエルのもとに欧米のユダヤ人を結束させるために、
ホロコーストの被害が喧伝されるようになった。「イスラエルが負けたら再びホロコーストが起きる。
ユダヤ人は全員イスラエルを支援すべきだ」「ホロコーストの再来をふせぐため
イスラエル国家の強化が不可欠で、そのためにパレスチナ人が難民になることなど小さいことである」
といった理屈だった。

 ホロコーストが起きた背景には、欧州のキリスト教徒の反ユダヤ観(キリストを殺したのはユダヤ人だという視点)
があったとする考え方も広まり、ホロコーストを防げなかった欧米諸国は罪滅ぼしのために
イスラエルを支援する義務があるという主張が出てきた。

 1940年代末、ニューヨークの著名なユダヤ人たちが
金を出し合ってユダヤ人迫害を記念する石碑を作ろうとした。
だが、アメリカユダヤ協会(AJC)、名誉毀損防止組合(ADL)など、
今ではホロコーストを非常に重視しているユダヤ人組織の多くが、
当時は「そんなものはユダヤ人が弱いということを物語るものなので、
作らない方が良い」と反対していた。

「アンネの日記」は1955年に演劇化され、59年には映画化されたが、
いずれも苦境の中で前向きに生きる普遍的な人間性に焦点を当てており
「ユダヤ人迫害」の物語として描かれていたわけではなかった。
演劇でも映画でも、アンネ・フランクは「迫害されてきたのは
私たちだけじゃない。ある時はある民族が、別の時には違う民族が
迫害されている」という普遍的な人権問題を象徴するせりふを発しており、
当時のユダヤ系社会が目指していた理想が何だったかを物語っている。

 ところが、普遍的人権よりホロコースト再発防止の方がずっと重要なのだという意識が
ユダヤ系社会に広がった後の1980年代には「アンネの日記」の演劇や映画は
ユダヤ系の評者に酷評されるようになり、やがて「普遍的な人権問題だけに結びつけられるのなら、
アンネの日記が存在していること自体に意味がない。戦災で焼失していた方がましだった」
とまで言われるようになった。




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