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バサラ日記(その9)

19名無しさん:2012/08/22(水) 10:23:34
>ホームページに謝罪文を掲載してください。

我が国、日本の一部地方と同じく、支那人は人間を食う。
と言うか、実はどの国でもやっているのだ。表に出しているのが顕著なのが
支那人だ と言うだけの事。

カニバリズムをしない動物は ほとんどおらず、人間も動物の一種である以上
例外ではない。今まで欧米主導で隠されてきたと言う事だけ。
何故、隠すのか?と言うと 人を狩りやすくするため。
被食者に油断してもらうカモフラージュのため 隠しているだけ。
本当は、食人は 人類普遍の原理 と言っても 過言ではない と見られる。

中国でのそれは、生死がかかった飢餓のときだけではなく、平時にも行われ、
すでに支那民族としての食文化といっていい歴史を持っている。

毛沢東が主導した「文化大革命」の時にも、多くの支那人が食べられた。
支那の食人の歴史は長い。食人が公然たるひとつの食文化として存在し続け、
食用人間の養殖までしていた。食人は支那の正史である「史記」に、
堂々と記載されている。

「食人宴席」(鄭羲 黄文雄訳 光文社 一九九三年)、
「中国食人史」(太田龍 雷韻出版 二〇〇三年)、
「中国四〇〇〇年 弱肉強食の法則 驚異の繁殖力の秘密」(徳田隆 講談社二〇〇四年)、
「日本人が知らない中国『魔性国家』の正体」(黄文雄 成甲書房 二〇〇八年)、
「戦争の歴史 日本と中国」(黄文雄 WAC 二〇〇七年)等に
「中国大虐殺史 なぜ中国人は人殺しが好きなのか」(石平 ビジネス社 2007年)があります。この石氏の著書と他の著書を合わせて読むと、虐殺された民衆がどのように処理されたかよく理解できます。

文革時代の食人について書かれた「食人宴席」には

「武宣県では、食人事件が流行にさえなった。街頭引き回しデモ闘争があるたびに、
老婆たちはかごを下げて、糾弾大会の終わるのをじっと待っていた。
人間が殺害されると死体に競って群がり、なるべくいい人肉を切り取って持っていく。
遅れてきた者は人肉を切り取れないので、骨まで持っていく。
人肉を食べた者は幹部の中でも少なくなかった。略)

 もっとも残虐な食人事件は、生きているままで腹を裂き、まだ息絶え絶えなのに
肉一切れ一切れを削ぎ落とし、その人肉を油で揚げて食べるということだろう。」P六二〜六三

「陳は最初、腹を裂き、肝を取り出すことができなかった。どういうふうに手を下せばよいかを知らなかったのだが、
そのとき、一人の年寄りが彼に人肉と肝を切り取る要領を教えたという。
腹部に向かって『人』の字をの形で霧、足で力強く下腹部を踏めば、
心臓と肝臓がすぐとび出て来るということを教えたのだった。
つまり、これは、腹を裂き、心臓をえぐり取る技術がすでに存在していた
ことがわかる。」P八〇




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