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【分野】おすすめの本を書くスレ【不問】
1
:
名無しさん@中島ゼミ
:2007/11/10(土) 16:26:12
おすすめの本を書いていきましょう。
1レスに1冊。分野は問いません。法律専門書でも、小説でもOK。
できれば理由も一言ほどあると嬉しいな。
2
:
名無しさん@中島ゼミ
:2007/11/10(土) 16:28:44
>>1
乙。
真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫、2003)
まぁなんというか、面白いです。今までと違った視点から世界を見よう。
3
:
名無しさん@中島ゼミ
:2007/11/10(土) 20:40:51
またかと言われそうですが(笑)
有賀誠・伊藤恭彦・松井暁編『ポスト・リベラリズム――社会的規範理論への招待』(ナカニシヤ出版、2000年)
をおすすめしておきます。
とりあえず、ロースクールの未修を受けるなら必読です。
あとは、志望ローの傾向や自身の興味関心に従って
http://www.wasedasouken.jp/ini/report/6/02.html
などを参考に勉強を進めてください。
4
:
や
:2007/11/20(火) 23:58:48
水月昭道『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』(光文社,光文社新書,2007)
今日の21時に買って今読み終えました。
前半では,「法務博士」を含む「博士」身分がどれだけ悲惨か(「専任」職のなさ,「非常勤」身分の悲惨さ等),および,「集金マシン」として大学院生を「カモ」にする大学?について,これでもかといわんばかりに書かれています。
後半では,「研究職を目指さない博士課程」=生涯学習機関としての大学院の活用,ポスドク・オーバードクターの社会的活用,ひいては大学のあり方にまで話が及んでいます。
大学院を目指される方は,読んでみてはいかがでしょう・・・・。
はぁ・・・・。
5
:
や
:2007/11/21(水) 00:01:03
↑
の本を読んで,↓のHPを見ると悲しくなります。
実態を知らないので,勝手に悲しくなってるだけかもしれませんが。
http://www.waseda.jp/hougakubu/HP-to-students/main/index-houken-window.html
6
:
や
:2007/11/26(月) 14:55:27
先週の発表と関連して、
内山融『小泉政権』(中公新書,2007)
小泉政権の概観を見た後、その内政・外政を、「戦略」、「従前の政治プロセスとの比較」、「小泉自身の人物像・政治行動」、「政権を支えた諸制度」等の観点から検討が加えられます。
そして、小泉政権の政治学からの検討と小泉政権の功罪、今後の展望について書かれています。
「執政(とその統制)」を頭に置きながら読むとまた違った面白さがあると思います。経済財政諮問会議についての記述は大変興味深かったです。
7
:
名無しさん@中島ゼミ
:2007/11/27(火) 02:37:26
YAHOO!トラベルを使って国内ツアーを検索すると、
お得なプランが見つかりますよ。
http://domestic.tour.travel.yahoo.co.jp/bin/search?num=20&to=&mon=0&day=0&ld=2&lp=0&hp=0&p=%C7%AE%B3%A4&at=&x=23&y=7
8
:
や
:2007/11/27(火) 12:12:28
↑
これは春合宿のなにかかな?
9
:
や
:2007/12/14(金) 18:26:05
北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』(日本放送協会、2005)
「反省」の社会学、の書。なかなか読みごたえあります。
著者の「2ちゃんねる」論は、非常によく分析されていてそのとおりだと思います。
なんで「そのとおり」と言えるのか、については聞かないのが「お約束」。
10
:
や
:2007/12/14(金) 19:28:52
失礼。
誤:北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』(日本放送協会、2005)
正:北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』(日本放送出版協会、2005)
11
:
や
:2008/01/07(月) 19:19:33
本ではありませんが。
宍戸常寿「『憲法改正』とはどういうことか」『RATIO(ラチオ)』4号(2007)132頁以下。
「立憲主義の多様性」や宍戸先生の立憲主義観についての記述は,大変勉強になります。一般向けに書かれているので,文章それ自体は平易です。「実質的意味の憲法」とくに憲法附属法の改正について,考えることはやっぱり大事ですね〜。
12
:
や
:2008/01/12(土) 22:57:01
またも本ではありませんが。
座談会・石川健治ほか「法における人間像を語る」法律時報80巻1号4頁以下。
先日の125周年記念シンポの内容とも大きく関連した報告・発言です。
「鉄仮面」と読んだ瞬間に「The Stranger(Billy Joel)」を思い出すのは,私がBillyファンだからです。
13
:
や
:2008/01/16(水) 22:56:34
野矢茂樹『哲学の謎』(講談社現代新書,1996)
「哲学用語」は,全くといっていいほど出てきません。
でも,「哲学ぽくない」さらっと書かれた文章の意味内容は極めて難解です。
14
:
や
:2008/02/26(火) 00:34:04
森村進『自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門』(講談社現代新書,2001)
うーん。自己所有権はそこまで万能なのか?
15
:
や
:2008/03/11(火) 23:17:03
川本隆史『ロールズ 正義の原理』(講談社,2005)
こういう本から読み始めるのがいいのかどうか,わかりませんが。
正義の二原理。まだ充分理解しているとは思えませんが,面白いですね。
16
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/03/21(金) 02:24:31
最近目にして、興味深く思った文献です。
毛利透「憲法改正論議への比較法的視座――ドイツ憲法学の視点より――」法学論叢161巻4号(2007年)1頁以下。
改憲論議のうち、二つの争点に焦点を絞っています。
①憲法の部分改正とは区別される全面改正が、日本国憲法上許容されるか、
②憲法の改正要件の緩和、
という二点が問題とされています。
特に後者は、毛利先生の展開されてきたこれまでの民主政論と関連が深く、興味深いです。
17
:
や
:2008/03/24(月) 20:59:27
・長谷部恭男「とらわれて」『UP』3月号54頁。
…長谷部センセと「公共の福祉」の意外な関係?
・石川健治=駒村圭吾=亘理格「小休止」法教331号(2008)65頁。
…こういう企画は本当に有難い。論文読んでいるだけでは分からなかったところが(しかし鼎談を読んでもわからないところも相当ある),この鼎談で「ハッ」とさせられました。もう一度いままでのを読み直してみよう。
・宍戸常寿「憲法 解釈論の応用と展開」法セミ640号(2008)55頁。
…新連載。今回は「公共の福祉」。
18
:
や
:2008/03/30(日) 20:54:57
最近バタバタしすぎて勉強の本が読めません・・・。
19
:
や
:2008/04/04(金) 02:44:18
映画:『ミンボーの女』(1992)
ただ法律が強い,ということが主張したいわけでは,ないのだろう。
どうもそういう目線で見がちになってしまうのは,よくないのかな。
20
:
や
:2008/04/23(水) 20:58:39
奥平康弘「なぜ『表現の自由』か」同『なぜ「表現の自由」か』(東京大学出版会,1988)3頁。
原理論,主観―権利,客観―制度。
21
:
や
:2008/04/27(日) 00:27:02
J.M.Balkin, The constitution of Status, 106 Yale Law Journal, 2313(1997).
長いですが読みやすいです(正確に読めているかは別として)。何度も同じことが豊富な具体例を用いて主張されています。
―憲法は,cultural struggleのためのfair ruleを提供しているのに加え,憲法は,unjustなsocial hierarchiesそれ自体の解体をも要求している(p.2343)。詳しくは,Ⅲ(p.2342)のD(p.2358)を。
22
:
や
:2008/04/27(日) 00:57:25
http://www.yale.edu/lawweb/jbalkin/articles/status1.htm
ここで
>>21
は公開されていました。
23
:
や
:2008/05/15(木) 14:08:09
笹沼弘志『ホームレスと自立/排除』(大月書店、2008)
「権利を持つ権利」、「強いられる『自立』」…。
24
:
や
:2008/05/16(金) 17:57:41
マックス・ウェーバー(尾高邦雄訳)『職業としての学問』(岩波文庫,改訳版,1980)。
「“教師”と“予言者”」が主たるテーマだと思われますが,
前半部分の「就職は“僥倖”」部のほうが今の私にとっては・・・。
25
:
や
:2008/05/20(火) 23:50:01
佐藤幸治『憲法とその“物語”性』(有斐閣,2003)。
「戦後の憲法学が『法』としての『憲法』と,わが国の永い歴史,その歴史に顕現する人々の現実の生の在り方とを架橋する“物語”の形成・展開にどのように自覚的に取り組み,どのような工夫をこしらえたか」。「戦後の憲法学が,憲法学者自身も含めて人々の現実の生の在り方とやや切り離されたところで,『法』としての『憲法』を建前として性急に追求しすぎる傾きがなかったかどうか,謙虚に振り返ってみる必要があるのではないか」(以上,本書66頁)。
これに対して,佐藤先生は,個人主義・「人格的自律」という観点から検討されています。
26
:
や
:2008/05/23(金) 22:28:33
奥平康弘『憲法の想像力』(日本評論社,2003)。
「休憩」として,と思って読み始めたら,おもしろくてそれ以降ずっと「休憩」になってしまいました。
それはさておき,「生きて成長していく存在として憲法が自分たちとともにある,それに働きかけていく,そういう存在として憲法があるという発想」(奥平康弘『憲法を生きる』〔日本評論社,2007〕159-166頁,引用は160頁。)を,
>>25
の佐藤先生の「物語」とどこが違うのかなあ,ということを考えながら読みました。
とくに,「世代を超えた『共同作業』としての憲法」(『憲法の想像力』31頁以下)と「やっぱり気になる『フィクション』論」(同204頁以下)が,「物語」について書かれています。前者では,「生きて成長していく存在として憲法が自分たちとともにある,それに働きかけていく,そういう存在として〔の〕憲法」が述べられているように思われます。後者の「物語」は,またこれとは違った意味のものだと思われます(「当該争点の背後にある問題群それぞれ」〔213頁〕)。
佐藤先生は「物語」がなかった!ということだと思われるのですが,奥平先生はそうお考えではないようです。これ以上うまくいえませんが。
27
:
や
:2008/05/25(日) 00:39:33
ハンナ・アーレント(大島通義・大島かおり訳)『全体主義の起源2帝国主義』(みすず書房,1972),第五章(「国民国家の没落と人権の終焉」)。
とりあえず,第五章だけ。「なにかで頭を殴られたよう」な感覚。
nation-stateにより保障される「人権」と,「承認」されず真空状態にいる「ヒト」…。
アーレントの指摘からもうすぐ50年。世界は変わらないものなのですね。
28
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/05/26(月) 20:24:06
>>27
憲法10条に、根本的な矛盾があるのです。
29
:
や
:2008/05/26(月) 22:38:48
というか「Nation-state」という前提が問題かもしれませんね。日本だと諸々の理由でなかなか「気付きにくい」かもしれませんが。
30
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/05/27(火) 04:19:56
>>29
日本の憲法学説上、参政権は原則として日本国籍をもつ者にしか保障されないとされています。
そして憲法10条は、日本国籍付与の態様について、立法府の広範な裁量に委ねていると考えられます。
これが意味するのは、現に日本国籍を有する者が、かなり自由に日本国籍の付与対象を決定できるということです。
外国人の人権については、性質説が一般ではあります。
しかし通説は、参政権をはじめ少なからぬ人権について、外国人による享有を、厳しく制限します。
ゆえに、日本国籍を有する者(の多数派)が、日本国籍付与のコントロールを通じて、参政権行使としての政治参加の可否など、外国人などの人権保障状況を、かなり自由に変更できることとなります。
アーレント流に言えば、ヒトは〈仮面〉をつけ〈声〉を響かせる、すなわち共同体の政治に参加し、自己の〈卓越性〉を示すことによって、はじめて一人前の〈人間〉となります。
しかし日本国憲法のもとでは、誰に〈仮面〉を与えるかを、すでに〈仮面〉をつけた〈人間〉、すなわち日本国籍をもつ者が自由に決定できます。
外国人が、政治参加を通じてヒトから〈人間〉になれるかは、他の〈人間〉の手に委ねられているのです。
外国人は、〈仮面〉を通じて〈声〉を響かせることができません。
(以上の〈仮面〉〈声〉などの概念については――かなり以前に読んだきりなので、内容を正確に覚えてはいませんが――権安理「公共空間は、なぜ、いかなる空間なのか――ハンナ・アーレントにおける公共空間をめぐって――」仲正昌樹『ポスト近代の公共空間』(叢書アレテイア6、御茶の水書房、2005年)69頁以下を参照してください)
僕がアーレントの文脈で、憲法10条に根本的問題があると述べたのは、そういう趣旨です。
もっとも、憲法10条は、完全な自由裁量を立法府に認めたものではない、という批判がありうるでしょう。
ですが、ではどのような限界づけがあるのかと言えば、そこには共同体の同一性・伝統などがもち出され、まさしく君が示唆するように、単一民族神話がそこに侵入してくる恐れがあります。
31
:
や
:2008/05/27(火) 08:43:59
http://www.asahi.com/culture/update/0527/TKY200805260355.html
32
:
や
:2008/05/27(火) 09:07:26
http://www.yomiuri.co.jp/atcars/news/20080521ve01.htm
33
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/05/27(火) 12:49:15
>>31
・32
ん?
これは、30の僕の書き込みに対するコメントではないですね?
ニューススレッドに張るつもりで、間違って張ってしまったのでしょうか。
34
:
や
:2008/05/27(火) 12:56:48
あ,スイマセン。普通に間違えましたw
35
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/05/27(火) 12:59:48
「や」君がここに書く前に、挙げてしまいましょう。
石川健治「アプレ・ゲール、アヴァン・ゲール――コードとしての「戦後」」法律時報80巻6号(2008年)19頁以下。
興味深いことは興味深かったです。
ですが、重大な制約というか欠如が、二点どうしても気になりました。
諸々の事情から、この掲示板にはっきりと書くことはできません。
二つの問題点は、相関しています。
一つめの問題点は、僕自身もその制約はなかなか超えがたいので、それを指摘することは公平でないかもしれません。
26頁注(22)とそれ以外の箇所とを比較すると、僕の言いたいことが、お分かりになるかもしれません。
もう一つの問題点は、いくら石川教授のような方法論をとるとしても、かなり不公平であるように思われます。
石川教授の方法論の限界が顕在化するポイントとも言えそうです。
僕の今の居場所を想像していただくと、お分かりになるでしょう。
36
:
や
:2008/05/27(火) 13:07:52
それは昨日読みましたが,正直なところbeyond my understandingといったところでしょうか。
まあそれは私の単なる勉強不足だとして,「85年生まれ(私)の憲法感覚」からの脱却というのもなかなか困難なものですね。
37
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/05/27(火) 13:25:08
>>36
そういえば、君が憲法の研究に向かったきっかけなどを聞いたことはありませんでしたね。
ここでそれについてお話しすることは避けたほうがよいでしょうから、またの機会に聞かせてください。
ちなみに、僕が憲法をゼミで勉強するようになったのは、大学入学以降のポストモダニズムとジェンダー論との出会い・コミットメントと、対抗者としての(近代)憲法学の意識からですから、相当に屈折したものではあります。
大学一年のころ、ドゥルージアンの先生による現代思想の授業を受けたあと、次のコマに大須賀明先生の憲法の授業を受講していたのですが、両者の差異は、僕にとって強烈なものでした。
38
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/05/27(火) 13:33:58
大学入学以降にポストモダニズムとジェンダー論とであったといっても、それらへのコミットメントに繋がるような問題意識というか違和感は、ずっと昔からもっていました。
上で憲法10条がどうとか述べましたが、僕のそういった発想も、実はポストモダニズムから出発しています。
39
:
や
:2008/05/27(火) 13:45:18
すごいですね。私は小中高時代は随分呑気な感じでしたから,そんなこと何にも考えてませんでしたね。今から思えばそういう時期に色々な勉強をしておくべきだったと強烈に後悔していますが。
まあ私のきっかけは,随分個人的な要素もありますので,またの機会にでも。
40
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/05/27(火) 13:50:35
了解しました。
というか、おすすめの本を書くスレッドに、雑談スレッド向けのことを書いてしまってすみません。
41
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/05/28(水) 17:00:25
アーレントが出た関連で。
ジュディス・バトラー、ガヤトリ・スピヴァク(竹村和子・訳)『国家を歌うのは誰か?――グローバル・ステイトにおける言語・政治・帰属』(岩波書店、2008年)
今日発売だったので、僕も精読はまだですが、読むうちにぐいぐいと惹きつけられる、魅力的な対談です。
さすが、現代を代表する〈語り〉手の二人といった印象です。
アーレントについて、かなりの紙幅が割かれています。
訳も分かりやすく、かつ信頼が置けるので、おすすめです。
42
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/05/28(水) 17:02:06
このような本も読みつつ、ローの予習も、もちろんちゃんとやっています(笑)。
43
:
や
:2008/06/03(火) 16:40:50
たまには本以外で。
小曽根真『Wizard of Ozone』(2000)
といっても私は殆どtrack11の「We are all alone」しか聴きませんが。元曲のBoz Scaggsのそれもたまに聴きます。古くても良いものは良いのです〔私にとって〕。
44
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/06/14(土) 20:31:39
>>43
小曽根真さんというのは、ジャズピアニストの小曽根さんのことですか?
この前の2月に聴きに行った演奏会で、彼が演奏されていたのを思い出しました。
聴きに行ったのは、
大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)の演奏会で、
指 揮:大植 英次
独 奏:小曽根 真(ピアノ)
曲目
ラヴェル/道化師の朝の歌
ガーシュウィン/ラプソディ・イン・ブルー
ベルリオーズ/幻想交響曲 作品14
でした。
小曽根さんはガーシュインを演奏しておられ、またアンコールで彼のオリジナル曲も、かなり長く演奏してくださいました。
アンコールで演奏してくださったオリジナル曲は、"Bienvenidos al Mundo"だったかなあ。
小曽根さんは、超絶技巧を誇っておられましたが、もちろんそれだけではなく、演奏から豊かな音楽性が迸っていました。
ちなみに、上記の大フィルの演奏を聴きに行ったのは、僕は指揮者レナード・バーンスタインが好きで、その弟子である大植英次さんも好きだからです。
彼らは、音楽性も指揮の姿勢も、非常に情熱的です。
45
:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2008/06/14(土) 20:50:28
ジャズがお好きであれば、こんなCDをご紹介しましょう。
輸入版で恐縮ですが。
"MASS and chamber music"
Compositions by Steve Dobrogosz
performed by Saint Jacob's Chamber Choir, Stockholm Chamber Orchestra
Steve Dobrogosz, piano, Gary Graden, conductor
中島ゼミ生にもご存知の方がいらっしゃるはずです。
ジャズとクラシックの交錯と呼ぶべき性格をもっています。
"MASS"は曲目が
INTROITUS
KYRIE
GLORIA
CREDO
SANCTUS
AGNUS DEI
となっており、形式は伝統的なミサ曲のそれですが、表現はクラシックの枠にとどまらない、すごく格好いいものです。
おそらく、ジャズの性格をもっているためではないでしょうか。
46
:
や
:2008/07/04(金) 11:37:46
内野正幸『憲法解釈の論理と体系』(日本評論社,1991)。
「厳格憲法解釈論」の考え方は,自分にとってある程度“あたりまえ”の思考方法になっているような気がします。
これは,私が,奥平康弘「試論・憲法研究者のけじめ」法学セミナー369号(1985) の年に生まれたことと関係あるかもしれませんね。もうそういう考えが有力な時代を生きている,と。
47
:
や
:2008/07/04(金) 11:39:31
湯浅誠『反貧困』(岩波新書,2008)。
なんか日本はおかしい。
48
:
や
:2008/07/04(金) 21:45:05
合宿前だし、自戒も込めて。
野矢茂樹=植田真『はじめて考えるときのように』(PHP文庫、2004)。
<「考える」とは?>ということが、例によって軽妙な感じで書かれています。
49
:
や
:2008/07/06(日) 22:10:12
授業の関係で,以下のサイトを使っているのですが,これは非常にありがたいですね。
貴重な資料がふんだんに使われています。
国立国会図書館「日本国憲法の誕生」(
http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html
)。
50
:
や
:2008/07/11(金) 19:33:58
小山剛『基本権の内容形成』(尚学社,2004)。
うーん。悩ましい。
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