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ノート

81千手:2009/09/02(水) 21:31:21
>更に彼我法治を異にせるよりして、他の法治の下に生くることを屑とせずして自殺
>せる例あり。

>我邦に在りては、かの北條氏の滅亡に際し、一族門葉悉く自刃し、為に死者
六千八百余人を算したるが如き、其最も顕著なる者と為す。

(同、p.910)

82千手:2009/09/03(木) 00:27:23
板垣の「殉死」についての見解も紹介しておこう。これも一つの死の形を明確にさせている。

> かの主君の病んで死せる後を追ひ、自殺して以て死に従ふ所の所謂殉死なるものは、我
>邦の歴史に於て往々其事績ありと雖も、こは宗教上の迷信より来れるものにして、則ち其
>平生恩顧を受けし所の主君に別るゝに忍びず、冥途黄泉までも之に伴はんと欲する所の
>未来観よりして茲に至れるもの、今にして之を論ずれば愚といふの外なし、是故に古来
>殉死は法律の禁ずる所たる也。
(同、pp.911-912)

執筆年からして明らかなように、板垣はここで乃木将軍の自殺を問題にしようとしているのだが、乃木の自殺は殉死ではないというのが彼の主張だ。
問題は、板垣の描くような「殉死」が、いわゆる殉死のどれほどに妥当するかということだろう。

自由の行為が存在する、それこそ武士道だ、という板垣の議論は、カント主義と一致するが、やはり非常な的確さと射程がある。「明治武士道」(菅野覚明)の枠に収まるものかどうか、点検すべきだろう。

83千手:2009/09/03(木) 15:29:53
>>76は 推敲を加えて
http://25237720.at.webry.info/200908/article_5.html
に再録。

84千手:2009/09/04(金) 06:59:06
>天は人の上に人を造ら
>ずとは西哲の警句なり。西人今や人種の上に人種を造り、彼等が曾て自由と平等と友愛
>の名によりて破りたる階級制度を、更に大なる範囲、更に大なる規模に於て世界人種の間
>に之を造り、彼等自ら人種的貴族となりて有色人種を奴隷視せんとす。是れ豈に近代文
>明の一大怪事、一大時代錯誤にあらずして何ぞや、一国の政治に於ける貴族政治、階級制度
>は、遠き過去に於て平民の為めに既に破られたり。人種問題に於ける貴族政治、階級制度
>に対しては、亜細亜人須らく世界の平民となりて之を打破せざる可からず。是れ新時代
>に於ける自由主義の世界的運動にして、亜細亜人の頭上に懸れる使命にあらざるか。(大正五年)
(板垣退助「世界の時局と日本の使命」、全集p.415)

「天は人の上に人を造らず」の警句をこうして人種問題に応用する、というテクニックは板垣のオリジナルか?

85千手:2009/09/05(土) 01:18:56
> 抑も予の戊辰戦争の役を了へて土佐に帰るや、兵制を改革して、人民に参政の権利を与ふる
>と共に、徴兵の令を布いて兵丁を四民の間に均一に募集し、以て国家有事の日に備ふる
>所あらんと欲し、之を後藤に謀りたるに、後藤は痛く予の趣旨に賛成を表せるも、古来土佐に
>は堕胎圧死の蛮風ありて、其人口の割合他藩に比して尠きを以て、之が根本を矯正するに
>非ずんば到底其目的を達する能はざるべきを説き……(明治四十三年)
(板垣退助「土佐に於ける育児会の事業」、全集p.561)

軍事がエリート(武士)の仕事だったところから国民皆兵制へ。これが四民平等の趣旨にかなうことだという。
そしてその達成のために「育児会」を作って、土佐の死産率を全国平均にまで下げようという政策を作り実行する。
 一貫した現実的な思考み見える。

86千手:2009/09/11(金) 22:00:37
土佐には素人相撲の興業があったらしい。

>土佐では九月十日に興業相撲がある。興業相撲と云つても土佐は一種の素人相撲で、子
>供が寺子屋の退散から集まつて相撲を取る。それで私の邸は広い者であつたから土俵を
>築いて相撲を取らせた。寺子屋の師匠は小笠原淳助と云ふ人で家中の子弟は過半はそ
>れに手習に行つた者である。其寺子が集まつて相撲を取る。(明治三十二年)
「相撲漫談」(板垣退助全集p.747)

板垣退助の邸宅には土俵があったわけだ。

87千手:2009/09/11(金) 22:15:55
次の民俗がおもしろい。

>夫から私が十七八歳の頃に
>は城下の鏡河原に二ヶ所上の河原と下河原に土俵があった。所がソコには士族は
>行かれぬ事に為つた居つたが相撲好の侍は忍んで行く、そこに行けば些細の事があつても無
>礼咎めをしない、又平民もそこに来れば武士に対しても酷い用捨をするに及ばないと云
>ふ一種の風習が其間に行はれて居つた。それで武士がそこに立混る事も殆ど公然の
>秘密と云つて宜い。武士は覆面で頬被をして相撲を取る、然れども其翌日になると云ふ
>と出入の酒屋などが台所に来てからに家人と話をして、「夕べコツチの旦那を擲げて遣つ
>た」、と云ふから直き判つて仕舞う。
 (全集、pp.747-748)

板垣が土佐のことについて述べるものは、実に生き生きしていておもしろい。

88千手:2009/09/11(金) 22:40:18
親友の後藤(象二郎)は、東京に出ても「三段目の頭や二段目の裾位に居る相撲には優に敗ない程取れた」という。

>それから段々身を入れて見ると相撲は戦や武芸と同じ様なもので殆ど変らない、
>孫子十三篇を解釈して相撲に嵌めても嵌らぬ事はない位である。
(p.748)

後藤とは一緒に行って取っていた。それだけに相撲にも一家言あった。

>一体相撲に一番必要の事は立合と、それから立合の上ズッ張りと云ふ
>ものが激しくあると敵が嫌がる、さうすると自分の儘に相撲が取れると云ふ事が一番肝
>要の事である。
 (p.749)

当代の相撲取り評もなかなかの見方だと思う。


そして最後に引き出してくる教は実践的なことだ。

>其虚実の変化と言ふものは余程面白いものであらうと思ふ。
(p.752)

90千手:2013/10/09(水) 21:08:28
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