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鬼和尚に聞いてみるスレ part10
1
:
541
:2017/11/14(火) 22:18:47 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。
鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが
あからさまな批判レスや中傷、論争及び自説の主張等はアウトです。
ルールを守って使用しましょう。
前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part9
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1496591715/
437
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/15(月) 00:18:18 ID:DAY232aw0
>>435
ご回答ありがとうございます。
質問ばかりですいません。
肉体、感覚、感情、思考、分別、認識をを観察していても、自我を観ようとしなければ自我は観れないのでしょうか?
続けて質問申し訳ありませんが、
記憶も観察した方が良いのでしょうか?
記憶は色受想行識のどれかに入るのでしょうか?
438
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/15(月) 06:47:04 ID:czRftzgI0
>433
はい、実践します
439
:
123師
:2018/01/15(月) 10:20:45 ID:fqNocczU0
437.
観察、か。
それは心理学である。
それは悟りとは関係がないよ。
440
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/15(月) 21:13:40 ID:1d4drIFg0
>>436
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>437
全てを完全に観察すれば自我も観られるのじゃ。
それらの心身全てが厭離されれば自分と言う観念も在り得ないからのう。
肉体も認識も厭離してしまえば自我も滅するのじゃ。
記憶も観察すると良いのじゃ。
それは認識の能力になるのじゃ。
ものごとを分別し、名前と形を決めるのに使われているのじや。
>>438
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
441
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/15(月) 21:39:05 ID:DAY232aw0
>>440
ご回答ありがとうございます。
肉体、感覚、感情、思考、分別、認識、を完全に観察出来れば、自我も観られ、認識を滅する、無認識に至ることが出来ると言う事なのでしょうか?
しつこくなってすいません。
442
:
123師
:2018/01/15(月) 23:30:47 ID:eomqpZ8E0
441.440.
認識を滅する、無認識に至る、か。
それが実現したと仮定して、何の効果があるのかや。
バカになるだけのことである。
自我も滅する、か。
それで、どうなるのかや。
バカになるだけのことであるよ。
443
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/16(火) 02:25:22 ID:tLbYq57Y0
>>442
相談者との間に口挟んだら叱られますよ、
ほかのスレならある程度ならば許容範囲内ですが。
444
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/16(火) 19:08:09 ID:8qFvIk/s0
鬼和尚、苦について質問です。
嫌な記憶があったとして、それを思い出すたびに苦を感じ、それがループして苦しみ続ける。
これは、観察で何とかなると分かりました。
それでは、嫌いな人を見て苦痛を感じる、車のクラクションを聞いてドキッとする。
記憶を思い出すのではなく、その場で感じる苦痛は厭離することは出来るのでしょうか?
たとえば嫌いな人の場合、
1)目で見た
2)それがなにか認識する
3)胸の辺りに不快な感覚が走る。
という順番で、反応が起きていることが分かります。
一連の反応を思い起こして観察してみて厭離してみるのですが、実際に見ると不快になります。
その場で生じる苦はどうにもならないということでしょうか?
もう一つ、こういう反応は、悟ると認識がなくなるということですので、1)の段階で止まって、苦を感じなくなるのでしょうか?
よろしくお願いします。
445
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/16(火) 21:59:42 ID:1d4drIFg0
>>441
そうじゃ、実践すればできるじゃろう。
実践しなければ出来ないじゃろう。
実践が全てなのじゃ。
>>444
それも原因から観察できれば消えるのじゃ。
嫌いな原因などを追究して原因から嫌いという感情が起こり、見たら苦になると観察するのじゃ。
それができれば消えるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
悟ればもはや他人も認識しないじゃろう。
一切の苦の根本である観念も無いからのう。
446
:
123師
:2018/01/17(水) 10:26:38 ID:EPoGaxF60
445.
実践するバカになるのじゃ。
無くなると、どうなるのか。
バカになるだけのことであるよ。
447
:
541
:2018/01/17(水) 18:22:02 ID:o7TfOr0I0
しかし、自由にならないものと言えば「身体」があげられますね。
「身体も観念なのじゃ」と言うでしょうが、では観念を取っ払ってそこにあるものと我々はいかに付き合えば良いのでしょうね。
448
:
蓮恵
:2018/01/17(水) 20:28:03 ID:fDmYjxio0
鬼和尚さま
心の隙はどのようにすれば消えるのでしょうか。
そもそもなぜ心に隙が生まれるのでしょうか。
449
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/17(水) 21:21:40 ID:1d4drIFg0
>>447
観念が無ければもはや苦も無いのじゃ。
ただあるがままにあればよいのじゃ。
どのように付き合うのかと思うことも無いのじゃ。
>>448
常に自分の状態に気をつけていれば隙は消えるのじゃ。
油断すると隙も生まれるのじゃ。
常に注意深く自分に気をつけているのじゃ。
450
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/17(水) 22:49:57 ID:Nw8VwStU0
>>446
それは言えますね。
鬼和尚の悟りは大乗の悟りではなく阿羅漢の悟りなので、
苦しみはなくなるが社会的には馬鹿になってしまう。
だから、世捨人のように一人で生きている人にはお勧めだが、
世話をしなければならない家族や従業員を抱えた人には合わない
宗教だと言えるでしょう。
451
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2018/01/18(木) 01:00:34 ID:w/zTNYuQ0
鬼和尚
潜在意識というものがありますが、
これによって知らず知らずのうちに行動することは、
自らの行いの報いを受けることと同じようなものでしょうか?
452
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/18(木) 07:42:45 ID:czRftzgI0
苦は、何かの五感の刺激で最初胸ないし後頭部の小さな疼きがあって、それから胸(大抵チャクラ付近)の大きな緊張へと広がる。その胸の緊張ないし圧迫を苦と認識している。これらは自然に起きているのに肉体の緊張の感覚があまりに強烈なので、それと自己同一化してしまうと、観察しました。
453
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/18(木) 14:08:53 ID:8qFvIk/s0
>>445
いつも指導頂きありがとうございます。
たしかに、その場の状態だけを捉えて観てましたが、言われてみれば、
それには原因がありますよね。納得です。
早速実践してみます。
454
:
123師
:2018/01/18(木) 15:44:20 ID:T.K3GDAo0
451.
心理学をやっている場合ではないよ。
455
:
541
:2018/01/18(木) 17:44:29 ID:o7TfOr0I0
俺としたことが、事業も上手く行き、人間関係も、すべてが思い通りになり
「望月のかけたることもなしとおもえば」と言う藤原道長のような心境になっていたのだが
ある時、突然、「友人が背信しているのではないか?」と言う観念に囚われ、「有頂天」から「奈落」に真っ逆さまに落とされてしまった。
こういった現象が何故起こるのか、そしていかにしたら防げるのか、俺なりに考えて見たいが、鬼和尚の意見も参考に求むます
456
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/18(木) 18:38:58 ID:KPTPnXc20
鬼和尚さま
山田無文師は悟っておられたでしょうか?
457
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/18(木) 18:52:15 ID:czRftzgI0
>452 (訂正)
苦は、何らかの五感の刺激に基づく認識を経て、最初胸ないし頭部の小さな疼きがあり、それから緊張が胸全体へと広がる。その胸の緊張を苦と認識している。肉体の緊張の感覚があまりに強烈なので、一連の流れは意志なく起きているのに自己同一化してしまうと、観じました。
458
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/18(木) 21:05:44 ID:1d4drIFg0
>>451
同じとは言えないのじゃ。
それは自ら変えることもできるからのう。
報いは変えられないのじゃ。
善事を積むとよいのじゃ。
>>452
>>457
それでよいのじゃ。
更に実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>453
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>455
欲に囚われている者が多いからなのじゃ。
常に監視しておくと良いのじゃ。
>>456
悟っていないのじゃ。
愚痴の多い老人なのじゃ。
459
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/18(木) 21:11:27 ID:czRftzgI0
>457
ありがとうございました
460
:
541
:2018/01/19(金) 06:58:19 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。確かに友人にはそういうところがありますが、それはそうとして
そのような人間世界で、彼らとも共に生きていく必要がある訳です。
つまり「気にならない」のであれば、問題は無い訳です。友人が悪魔でも気にならないならば気にならないはずであります。
実際、鬼和尚や釈迦のサンガには、鬼や悪魔も説法に来ているでしょう。
また、実際、友人は、背信しているとまでは言えない感じではあります。
ただ、私と向き合うと「忠義深い人」を装いますが、影では「アイツがさぁ」と言っているタイプです。
これは、人間だれしも、そのような面はあります。
461
:
541
:2018/01/19(金) 07:04:43 ID:o7TfOr0I0
×説法に来ているでしょう。
○説法を聴きに来ているでしょう。
ちょうど、織田信長と明智光秀との関係のようなものかもしれませんね。
鬼和尚が言うように、注意深く監視する必要がありますが、天下を取るには光秀の力も必要な訳です。
実際、信長が人間不信に陥って、光秀も秀吉も勝家も久秀や村重も解雇していたら天下統一どころか地方大名の地位も危うかったでしょう。
光秀の離反はむしろ、信長が後年、やや苛烈に家臣を処遇し始め、寛容さを失ってきたところにも淵源があります。(佐久間信盛の追放など)
つまり、離反されるのは、光秀が欲深い面もあったかもしれませんが、信長にも原因はあった訳です。
462
:
541
:2018/01/19(金) 07:15:09 ID:o7TfOr0I0
何故と言うのは「友人をどうやったら離反させないようにするか」ではなく、
どうしたら「自分が疑心暗鬼に陥らないで済むようになるか」の法です。
一説によると、光秀が本能寺で信長を襲撃したのは、信長が、光秀に「家康討伐」を命じたからだという説があります。
つまり、鬼なるは、光秀と言うより、信長本人が鬼になっていた可能性がある訳です。
仏説で「世界は自分の映し鏡」と言いますが、友人が欲深いのではなく、私自身が欲深いし、裏表があるから、友人にそれを投影して、戦慄を感じているのかな
とも思うわけです。スレの趣旨からやや外れてくるので、続きは悟りを開いた人のスレ51の方に住処を変えます。
463
:
蓮恵
:2018/01/19(金) 12:31:14 ID:QZjWADYU0
鬼和尚さま
たとえ人間的に正しい義憤や慈悲であるにしても、私の心を乱してやみません
物事を思えば心が乱れます
心を守るためには、一体何を思えばいいのでしょうか
何を念じれば良いのでしょうか
464
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/19(金) 13:21:17 ID:8qFvIk/s0
鬼和尚!また質問させていただきたいのですが、
私とは何か、思考とは何か、苦とは何かと考えていたのですが、和尚のブログから心の模式図の説明を発見しました。そこで疑問が生じました。
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-46.html
1)ブログの心の模式図ですが、
http://i.imgur.com/b8ePSFX.jpg
この認識が阿頼耶識ということですが、阿頼耶識は認識以外の機能もありますか?
2)この認識はアートマンですか?
3)それがアートマンで無いなら、アートマンはどういう役割をしていますか?意志とかそのようなもの?転生する時に、記憶や業なども残るということなので、これらをイメージするとこういう感じであってますか?
a)アートマンがベースにあるイメージ
http://i.imgur.com/npk22lG.jpg
b)自我の中心にアートマンがあるイメージ
http://i.imgur.com/9m8dqQV.jpg
4)思考を停止してもそれを認識しているものがいます。それが阿頼耶識ですか?
5)ヴィッパーサナーで観察してるとします。その観察行為はどこがしてるのでしょうか?思考のような気がしますが?
6)悪口を言われたとします。それを不快と判断するのが阿頼耶識ですか?
不快な場合、悪い感覚が体に走ります。例えば、胸の上がりがズキっとしたり。それを生成してる部分はどこですか?
7)そして、その体に走った感覚を感じて認識して、不快と思ったりするのでしょうか?嫌だと思ったら、さらに不快という感覚が生じて・・・と無限ループにならないのはなぜでしょうか?
8)思考をして、不快な感情が生じ、感覚したとします。それは、思考を観た阿頼耶識が不快と判断して感情を生成したのですか?
9)図にある自我とは、
>自我は阿頼耶識に蓄えられた言葉とイメージであり、感情、感覚などに依存して生起されるものなのじゃ。
とありますが、自我は常にあるということではない、ということでしょうか?つまり、何らかの刺激により、自分のことだと認識された、感情、感覚がトリガーとなって、そのつど生じるということでしょうか?自我の中身は何でしょう?
10)たとえば瞑想をしてみようと思ったとします。その瞑想をしようという意志はどこから生じたのですか?意志の源というのはありますか?
11)お腹がすいて、それを阿頼耶識が認識します。次に食べ物を食べたいという欲求が起きます。この本能的思いは、どこが生成しますか?
12)悟った人間がよく言うことに、人生は夢を見ているのと変わらない、とあります。そこで考えると、たしかに人は五感で情報を得て、それで認識が勝手に世界を作り出しています。では、元となる感覚の刺激はどこから来たのでしょうか?その刺激自体も幻想でしょうか?となると、幻想は誰が作ったのでしょう?
質問ばかりで申し訳ないです。よろしくお願いします。
465
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/19(金) 19:38:54 ID:DAY232aw0
>>445
ご回答ありがとうございます。
質問ですが、真実を知れば悟りを得る事が出来るのでしょうか?
466
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/19(金) 22:39:12 ID:1d4drIFg0
>>459
どういたしまして、またおいでなさい。
>>462
疑心暗鬼でも良いのじゃ。
どんどん疑ったらよいのじゃ。
疑い得ない真実だけを求めたらよいのじゃ。
それは実は友人を信じている振りをしながら疑心暗鬼にならないようにするとか。
疑っている自分が格好悪いから疑っていない振りをしたいとか。
そのような苦かもしれん。
自分の本心を受け入れ、深く観察する事でその苦も消えるじゃろう。
>>463
お釈迦様はこのように言って居る。
50 他人の過失を見るなかれ。
他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。
ダンマパダの一句なのじゃ。
常に経典を読んで心を整える道を探すのじゃ。
そして実行すれば心も守られるのじゃ。
467
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/19(金) 22:46:17 ID:1d4drIFg0
>>464
1 ないのじゃ。
2 アートマンではないのじゃ。
3 アートマンは無いのじゃ。
観念を破戒するための観念なのじゃ。
4 それはまだ阿頼耶識ではないのじゃ。
分別が有るからマナ識じゃな。
5 マナ識じゃな。
6 それもマナ識じゃな。
自分の悪口とか分別しているからのう。
脳みそじゃな。
7 不快であるから体に反応が有るのじゃ。
8 マナ識が分別するのじゃ。
9 そうじゃ、常には無いのじゃ。
名前とか形態のイメージなのじゃ。
10 分別から起こるものじゃ。
マナ識じゃな。
11 マナ識じゃな。
12 マナ識じゃな。刺激も幻想なのじゃ。誰も作らないのじゃ。
468
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/19(金) 22:47:57 ID:1d4drIFg0
>>465
出来ないのじゃ。
知識では悟りは得られないのじゃ。
観察して気付くことが大事なのじゃ。
469
:
541
:2018/01/19(金) 23:25:17 ID:o7TfOr0I0
なるほど。これは納得のいくお話です。
>>462
疑心暗鬼でも良いのじゃ。
どんどん疑ったらよいのじゃ。
疑い得ない真実だけを求めたらよいのじゃ。
それは実は友人を信じている振りをしながら疑心暗鬼にならないようにするとか。
疑っている自分が格好悪いから疑っていない振りをしたいとか。
そのような苦かもしれん。
はじめは、「(友人の)Aが裏では私のことを悪く言っているのではないか?」と疑ったのですが
しかし、そう考えると、理屈に合わない現象も生じてくるわけです。
8割くらいは、私の錯覚であると言うこともわかりました。
同時に私が、Aの支持を失う恐怖も持っていると言うことも否定できないこととして認識できます。
ヘーゲルの「奴隷と主人の弁証法」と言うやつで、Aは経験的に習得したのでしょうが「相手に支配されることで、かえって相手を支配する」テクニックに長けた人なのであろうと思われます。
そこに悪意がある訳ではなく、人間関係においてそういう技術を覚えたのでしょう。
470
:
541
:2018/01/19(金) 23:33:28 ID:o7TfOr0I0
この「奴隷と主人の弁証法」は、市井の人だけではなく、戦国大名もこのテクニックを使っています。
例えば、真田昌幸や徳川家康などがそうでした。徳川家康は織田信長に臣従して大きくなり、さらに味を覚えて(言い方悪いなw)、
豊臣秀吉に本格的意識的に、そのテクニックを使い、内部から権力を奪取することに成功したわけです。
これは異性を口説くテクニックとしても有効でしょう。下手に下手に出ることで、相手に取り入り、相手が自分無しでは居られなくなるほど自分に依存させる訳です。
すると、主人が、その奴隷無しでは生きていけなくなり、逆に元の奴隷に奴隷の如く仕えるようになる訳です。
織田政権もかつては奴隷として使っていた、秀吉、光秀、長秀、勝家、一益らの支持が無ければ成立しないようになっていました。
(続きは悟りを開いた人スレで)
471
:
蓮恵
:2018/01/20(土) 10:33:58 ID:cxZA.SSo0
鬼和尚さま
我々の"精神"、"心"というものこそが観念であり、妄想なのではないのでしょうか
472
:
蓮恵
:2018/01/20(土) 12:35:10 ID:cxZA.SSo0
もうひとつ質問させてください
瞑想にしても座禅にしても
心に寸分の油断も隙が存在しては
ならないのではないのでしょうか
我々の心は妄想の塊であり、観念の塊であり、常に気をつけておかなければ妄想、空想に陥ります
瞑想に臨む心ですら妄想ではないのかと思う次第です
故に心すら信じることなく、
隙の無いように、姿勢を正し座ることが求められると思うのですが、
如何でしょうか
473
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/20(土) 15:17:09 ID:8qFvIk/s0
>>467
ありがとうございます。
回答を理解する前に、とりあえずマナ識がよく分からないので、これを勉強してきます!
474
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/20(土) 18:43:39 ID:8qFvIk/s0
>>467
調べてみました。マナ識は、唯識論では自我(思考作用と煩悩)ということでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
和尚の図で考えるなら、自我と思考作用が合わさった感じでしょうか?
説明を読んでいると、
>これまでの説明は、阿頼耶識から末那識および六識の生ずる流れ
とさらっと書いてありますが、これ、すごく重要じゃないですか?
ふつう、一般人だと、常識で考えると、
外の情報を六識が感知して、それを自我が処理して、最後に阿頼耶識と考えます。
ところが、これは、阿頼耶識から生じて、その情報が末那識を経由して六識になると、
間逆のことを言ってます。例えば、りんごがあると見た場合、りんごの感覚が
阿頼耶識に生じて、末那識を経由して、六識として現れる。つまり、見ている世界は、
阿頼耶識が作り出してるという話です。確かに世界は夢を見ているようなものだとするなら
こういう話になりそうです。
いろいろな事象で苦しんでいますが、”すべて”自作自演だということになります。
本当の意味で。あると思っていた肉体や脳、外界は阿頼耶識が生成していたのです。
ネトゲでいうなら、サーバーが阿頼耶識で、PCが末那識、ディスプレイなどが
六識ということです。
こういう世界観ということでいいのでしょうか?(´・ω・`)
もうひとつ疑問に思うのは、他人との関係はどうなっているのでしょうか?
475
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/20(土) 21:38:03 ID:1d4drIFg0
>>469
自分の本心を観るのじゃ。
いつでも答えはそこにあるのじゃ。
ヘーゲルには無いのじゃ。
>>471
それも妄想じゃろう。
今ここにあるものだけを観るのじゃ。
>>472
油断とか隙がないようにするのじゃ。
そうすれば素早い認識の働きも観察できるのじゃ。
妄想でも妄想から覚めるための妄想なのじゃ。
全てに注意して実践あるのみなのじゃ。
>>473
>>474
そのような理解でよいのじゃ。
他人もまた妄想なのじゃ。
自分のしたこととしなかったことだけを観て主義用に励むのじゃ。
476
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/20(土) 23:01:37 ID:DAY232aw0
>>468
ご回答ありがとうございます。
心の模式図の事なんですが、感覚、感情、思考は刺激に依って認識されるのでしょうか?それとも感情、感覚、思考の刺激が認識されるのでしょうか?
477
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/20(土) 23:12:20 ID:Zn79xP3A0
鬼和尚、
集中力を高めるためにサマタ瞑想をもう一度やり始めました。
数息観は苦手なのでYouTubeで一定の間隔で鳴るお鈴の音を聞いています。
鈴の余韻を追いかけているうちに、中心に意識が定まるような感覚となってきました。
その中心から鈴の音が発生し、またそこにスーッと消えて行きます。
もしかして、この鈴の音が自我なんではないかと思いました。
鈴の音が消えている間、足の感覚に意識が飛んだりします。
その瞬間は「足の感覚を感じる私」は無く、あえて言えば「足の感覚と記憶しているもの」が中心に現れます。
自我とは、私という観念に意識が向いた時に起こる現れの一つと思っていたのですが、実は鈴の音や足の感覚自体など、現れては消えるこの現象こそ自我なんではないかと思ってきました。
ちょっとズレてきてますかね…汗
478
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/21(日) 17:32:32 ID:Zn79xP3A0
しかし不思議なもんですね。
このように普通の生活をしていても中心に意識が定まり不安も減って落ち着いています。
まだ始めて数日なのに効果があるんですね。
今までなんで真面目にサマタ瞑想をやらなかったんだろう…。これもタイミングなんでしょうね。
479
:
123師
:2018/01/21(日) 17:37:40 ID:DMkPRszg0
心理学をやっている場合ではないよ。
480
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/21(日) 18:15:27 ID:8qFvIk/s0
>>475
ありがとうございます。
自我というものを効率よく見つけようと思い、模式図などを参考にして浮き彫りに出来ないかと考えてましたが、
和尚のブログや回答を見て考えた結果、面倒くさがらずに総当りで観るしかないと結論に至りました。
自我を観るルートとしては、ブログをまとめると2種類でしょうか?
1)自我が投射されている部分、観念などを探し、観察厭離し、自我の外堀を埋めていくルート
2)サマーディに達し、自我を消した後、生成する瞬間を捉えて観るルート
とりあえず、1)をこつこつと積み重ねながら、2)を狙う攻略法で行ってみたいと思います。
481
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/21(日) 18:58:36 ID:czRftzgI0
朝目覚めてぼんやりしているのは自我がない状態で、自分が部屋にいると自覚して意識がはっきりするのは自我が生じた状態ですか?
482
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/21(日) 22:50:42 ID:1d4drIFg0
>>476
どちらも認識されるのじゃ。
認識は全ての心身の活動の根源であるからのう。
認識されなければそれは無かったと思うのじゃ。
>>477
おぬしがそう気づいたならばそれでよいのじゃ。
違うと思えばそれも良いのじゃ。
囚われずに進み続けるのじゃ。
>>480
そのような理解でもよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>481
そういえるじゃろう。
その瞬間を見るのじゃ。
自分の部屋とか自分の持ち物とかが分別されるときに自我も起こるのじゃ。
実践あるのみなのし゛ゃ。
483
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/21(日) 23:00:35 ID:DAY232aw0
>>482
ご回答ありがとうございます。
とても勉強になります。ありがとうございます。
基本的な質問で申し訳ないのですが、
自我を厭離出来たら無我なのでしょうか?
484
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/22(月) 00:29:12 ID:c4A35JV.0
>>482
鬼和尚、
私なりの気づきですが、それはあくまで私の中での真実であり、私の中の真実はやはり真実。ということでしょうかね。
その真実に固執せず、瞑想を続けて参ります。
ありがとうございました。
485
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/22(月) 07:20:24 ID:czRftzgI0
>481
やってみます
486
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/22(月) 18:33:53 ID:8qFvIk/s0
>>482
ありがとうございます。
ブログを読み進めると、また方針や理解が変わるかもしれません。
とりあえずこれで進めてみます。
487
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/22(月) 20:22:34 ID:.LHxHz8k0
鬼和尚さま
ジャータカはどの程度創作、あるいは事実なのでしょうか?
初期経典にも入っているので意外と事実は多いのかなとも思いますが、
単にためになる説話を取り入れたようにも見えます。
ジャータカのひとつひとつの物語の終わりにこ話に出て来る○○はお釈迦さまの過去生であるみたいにありますが、
ああいうのは実際お釈迦さまがそのような過去生を話したのですかね?
パーり経典のような初期経典にも創作の部分は多いですか?
488
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/22(月) 21:10:11 ID:1d4drIFg0
>>483
無我になるのじゃ。
もはや自我はなくなるのじゃ。
創ることは出来るがのう。
>>485
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>486
そうじゃ、いろいろ試してみるのじゃ。
またおいでなさい。
>>487
全部創作なのじゃ。
幻想なのじゃ。
初期経典にも創作はあるのじゃ。
大乗の経さえも入っているのじゃ。
昔はあまり考えないで分類したからじゃろう。
489
:
487
:2018/01/22(月) 21:56:44 ID:.LHxHz8k0
>>488
ありがとうございます。
全部創作というのはそれはそれで意外ですね。
お釈迦様は自分の過去生の具体的な話などはしなかったのでしょうか?
したのでしたら何かしら残ってそうな気もしたのですが。
ちなみに過去生を観るとき、動物など人間だったとき以外の過去生も観えるのですか?
自分が動物や植物だったときのことが観えたような話をする方もいますが。
それともそういうのはその人の幻想でしょうか。
490
:
蓮恵
:2018/01/23(火) 08:52:01 ID:fDmYjxio0
鬼和尚さま
瞑想中の妄想について
妄想が起きたから瞑想が止まるのではなく、
瞑想を拒む心身の状態があるため(意思としては瞑想を望んでいるにも関わらず)に、妄想が起きるのだと感じられました。
そのため、起きた妄想を止めようとするのではなく、瞑想に臨む心身を追求し、守ることが重要かと感じました
491
:
123師
:2018/01/23(火) 11:48:06 ID:tAghitQc0
490.
妄想も瞑想も共に心理学であるよ。
それは宗教ではない。
492
:
素人A
:2018/01/23(火) 12:06:21 ID:gOqWUDAs0
この世とあの世の境目に幽界があるとして世界を見る聴くだけでテレビと一緒
なんだけど、この世のテレビに心奪われる人は愉快な幽界はテレビに誘拐される世
うな気がする兎に角テレビくだらなくても観るし損な暇あつたら坐禅や瞑想すすめられるけど
なかなかやれない、習慣をつけようから始めないと
493
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/23(火) 18:27:26 ID:DAY232aw0
>>488
ご回答ありがとうございます。
質問ですが、鬼和尚さんはどうやって観察しているのでしょうか?
494
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/23(火) 20:22:16 ID:1d4drIFg0
>>489
すこしはしたのじゃ。
ダンマパダでもわしは何度もうまれかわって苦を受けたとか言っているのじゃ。
動物とかもみえるのじゃ。
幻想ではないのじゃ。
おぬしも思い出して見るとよいのじゃ。
>>490
そうじゃ、心構えが大事なのじゃ。
なにものにも囚われないようにする心構えがあれば妄想にも囚われないのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
>>492
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>493
わしはありのままに観察しているのじゃ。
なにがあろうと本心を受け入れ、そのまま認めるのじゃ。
全ての原因も反応もただありのままに観るだけなのじゃ。
おぬしも実践あるのみなのじゃ。
495
:
487 489
:2018/01/23(火) 22:53:49 ID:.LHxHz8k0
>>494
ありがとうございます。
動物だったときも観えるとはすごいものですね。
自分は何か観えても自分の願望や想像かもしれないので気にしないようにしていますが、
そのうち心に願望が生じなくなってきたらチャレンジしてみたいと思います。
ありがとうございました。
496
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/24(水) 02:30:29 ID:Jg0hNPyA0
鬼和尚さん、質問があります。
止と観を突き詰めていくと、非止非観になると聞きます。
この非止非観とはどのようなものなのでしょうか?
止や観というように、部分部分でとらえるのではなくて、
全体的にとらえるようになるという事なのでしょうか?
例えば、武道などで技を稽古する時、
最初は、脱力する・体幹を使うというように、部分部分で自分の身体に着目しますが、
上達すると、良く身体が使えているというように、全体的にとらえるようになります。
これと同じように、止や観といった部分部分で考えるのではなく、
全体的に、良い心の状態を保つようにすることが、
非止非観なのでしょうか?
答えがありましたら、お願いします。
497
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/24(水) 17:32:06 ID:DAY232aw0
>>494
ご回答ありがとうございます。
ありのままに観察していこうと思います。
修行と関係無い質問で申し訳ないのですが、やりたいことをやった方が良いのでしょうか?
498
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/24(水) 21:52:02 ID:1d4drIFg0
>>495
そうじゃ、いろいろ試してみると良いのじゃ。
またおいでなさい。
>>496
止観を極めたならばもはや悟りを得て止観も必要なくなるのじゃ。
そのような境地ではもはや止める心も無く、観る心も無いのじゃ。
止観もまた彼岸へと渡る筏である故に、悟りを得ればもはや要らないものとして捨てるべきなのじゃ。
そのような境地なのじゃ。
>>497
そうじゃ、やったらよいのじゃ。
やりたくないことはやれないじゃろう。
ストレスがたまってやめてしまうのじゃ。
好きな道を行くとよいのじゃ。
499
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/24(水) 23:07:45 ID:DAY232aw0
>>498
ありがとうございます。やりたいことをやろうと思います。
500
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/25(木) 01:41:26 ID:Jg0hNPyA0
>>498
496です。
回答、ありがとうございます。
止観も手段であり、悟ったならば、それすらも必要ないというわけですね。
これからも精進します。
501
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/25(木) 16:56:26 ID:rIFRVnQI0
集中と観察は車輪のようなもので両方の力を高めていく必要がありますか?
集中か観察だと、観察の方がやりやすいと感じます。
座法によるサマーディは集中とは関係無く起こるものでしょうか?
座法によるサマーディを起こすためには、最低でもどれくらい姿勢を崩さず座っていられる必要があるでしょうか?
座る力が段々付いてきていますが、まだまだ姿勢が崩れやすいです。
座る力がつけば、
例えば30分位は背筋が丸まったり前傾姿勢になって姿勢を戻すなどのことをせずに動かずに座っていられるものなのでしょうか?
502
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/25(木) 17:07:32 ID:rIFRVnQI0
鬼和尚の姿勢についてのブログ記事は大変参考になります。
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-101.html
姿勢を調整していって何となく頭が白くなるような感じがある時がありますがそれが正しい姿勢でしょうか?
しかし保ってはいられずすぐにズレてしまうようです。
こちらの姿勢の記事も参考になります。
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-75.html
力を抜いて座っていられる姿勢というのが出来ていないようです。
背筋を伸ばして姿勢に力を入れています。
なので姿勢がすぐ崩れたら直して…そのうちに背中とかが痛くなってきて…という感じです。
骨盤を垂直にすることが出来れば姿勢に力を入れなくても座れるということなのでしょうか?
私の座り方の改善ポイントを教えて頂けませんでしょうか。
参考になる座り方の画像なども教えていただけましたらありがたいです。
503
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/25(木) 17:10:50 ID:rIFRVnQI0
また、サマーディは睡眠と同じような状態なのですか? 睡眠との違いは何でしょうか?
サマーディを体験すると普段の生活でも自己への執着が薄れて苦が発生しずらくなり、智慧が湧きやすくなりますか?
504
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/25(木) 19:41:12 ID:czRftzgI0
涅槃に入ることが気になります。ぱっと見は普通の死と変わらないのですか?死んでも体は腐らないのですか?
涅槃に入る時体の苦しみはないのですか?
505
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/25(木) 20:48:35 ID:VfhJ5ipQ0
鬼和尚さん、久しぶりに質問させてください。
以前、鬼和尚さんに相手に期待しないことについて教えて頂いたのですが、最近、自分が無意識にどうしても相手に期待してしまっていることに気づいてきました。
特に自分の予想通りに相手が動かない時、ストレスや怒りを感じてしまいます。
それはだいたい自分の知らない人間です。
知らない人間相手に期待していて、予想通りに動かない相手は、まるで自分の敵のように感じます。
自分の予想というのは、こういう場合普通は人はこうするだろうという、いわば社会の理想像のようなことです。
こうすれば良いのに、なぜこの人間はそうしないんだろう、というストレスが湧いてしまいます。
相手が普通に動けば、社会が上手く回るのに、という感覚です。
そして、相手がわざわざ弱い自分にルールを曲げて挑んできて、
自分に勝とうとしているように感じます。
劣等感を刺激されます。
理屈では何かおかしなことだとわかっていますが、反射的にストレスを感じているので、本当にはわかっていません。
どうしたら、ストレスがなくなりますか?
何が原因でこういうふうになるのでしょうか?
506
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/25(木) 22:39:58 ID:1d4drIFg0
>>499
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>500
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>501
そうじゃ、両方やるとよいのじゃ。
やり易い方を多くしても良いのじゃ。
姿勢が正しければ集中とは関係なく起こるじゃろう。
人によるのじゃ。
姿勢が本当に正しく下腹に力が入っていれば五分でも起こるのじゃ。
姿勢が正しくなれば起こらないのじゃ。
何時間も座っていられるのじゃ。
体には悪いがのう。
>>502
骨盤を垂直にして下腹に力を入れるのじゃ。
それによって力を入れずに座っていられるのじゃ。
ヨーガなどもするとよいのじゃ。
http://photohito.com/photo/375335/
このような姿勢が良いのじゃ。
胸を張って肩を落とすのじゃ。
507
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/25(木) 22:44:40 ID:1d4drIFg0
>>503
意識が有ることなのじゃ。
自我が忘れられていても意識は有るのじゃ。
それが睡眠との違いなのじゃ。
そのようになるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>504
普通の死と変わらないのじゃ。
死体も腐るのじゃ。
もはや悟っていれば苦はないのじゃ。
>>505
その原因はおぬしの心の中にあるものじゃ。
自ら追求しなくてはわからないのじゃ。
昔、そのように期待通りに人が動かないために痛い目にあったからかもしれん。
人に対して恐れが有るからかもしれん。
自らの本心を受け容れて観察有るのみなのじゃ。
508
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/25(木) 23:59:00 ID:rIFRVnQI0
>>506
ありがとうございます。
何時間も座っているのは体に悪いのですね。修行者は何時間も座るものだと思っていました。
写真もありがとうございます。
そのような姿勢になれるよう研究してみます。
背中も首もまっすぐ伸びていますが、それには背中や首の力は要らないものなのでしょうか?
ヨーガは、ポーズをやると良いのでしょうか?
509
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/26(金) 07:08:08 ID:czRftzgI0
>504
体は腐るのですか。本人だけが至福の中で逝くわけですね。また何かあればお願いします
510
:
蓮恵
:2018/01/26(金) 08:59:04 ID:AlNqYyjs0
鬼和尚さま
日常で物を見たときに、意識的に空観をしなくとも見た物体が、見えるけど存在しないもしくは消えてしまうと見えることがありました
この物の見方(見え方?)は空観の一つとして捉えて良いのでしょうか
この見方で自我や認識が見えるけど存在しないもしくは消えてしまうと見えれば、よろしいでしょうか。
511
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/26(金) 18:46:00 ID:pN2bNS2k0
悟り鑑定お願いします!
https://www.youtube.com/watch?v=hwGQssmqi4Q
このニームカロリババって人は悟ってますか?
512
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/26(金) 22:59:50 ID:1d4drIFg0
>>508
そうじゃ、何時間もサマーディに入っていて死んだりする者もいるのじゃ。
ほどほどにするのじゃ。
首や背中の力はほんの少し入れるのじゃ。
バランスをたもって真っ直ぐにするのじゃ。
背骨を真っ直ぐにするためにいろいろなポーズをするとよいのじゃ。
>>509
そうじゃ、またおいでなさい。
>>510
それでよいのじゃ。
実践してみるのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
>>511
悟っていないのじゃ。
純粋な者であるがのう。
513
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/26(金) 23:53:32 ID:S4DZwztg0
鬼和尚はヨーガを勧めていますが、鬼和尚の体の柔軟性はどのくらいですか?
前屈をした時、床に手のひらは全部つきますか?
開脚は何度開きますか?
514
:
123師
:2018/01/27(土) 09:49:43 ID:KAeU/RFE0
513.
体操の問題ではないよ。
ヨガは宗教の問題ではない。
体操の問題であるよ。
515
:
505
:2018/01/27(土) 13:21:57 ID:LstX99Vo0
>>507
鬼和尚さん、ありがとうございます。
子供の頃に起きた出来事を思い出してきました。
そして、知らない人で予想通りに動かない人は、自分を叩こうとしていると思ってしまうのだと気づきました。
それを思い出したら、この変な期待も消えてきた感じがします。
観察しようとしてもできなかったのは、子供の頃のことが嫌な出来事過ぎて、その出来事を思い出したくないと、無意識に思っていたからだと思いました。
それで思ったのですが、同じように、悟りたいと思っていても、自分を失いたくないと無意識に思っていれば、悟れないと思いました。
そこで質問なのですが、自分を失いたくないという無意識に勝つには、どうするのが良いのでしょうか?
リラックスして本心を観察することでしょうか?
他にも何かありますか?
516
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/27(土) 14:24:33 ID:yGBK3BFs0
あと、瞑想をする時、なぜ 正しい姿勢 というのが重要なのでしょう?
517
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/27(土) 16:56:13 ID:rIFRVnQI0
>>512
ありがとうございます。
下腹の力を入れ方が合っているのかよくわからなかったのですが、色々試して様子を見てみます。
下腹に力を入れると、 下腹に意識が集中してしまいますが、それでも良いでしょうか?
また、背筋を伸ばす事に疲れたら壁に背中を当てて続けても良いでしょうか?
518
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/27(土) 22:13:50 ID:1d4drIFg0
>>513
つかないのじゃ。
百度ぐらいじゃな。
>>515
そうじゃ、その原因で今ここで期待通りに動かないものへの苦が有ると観察するのじゃ。
それができれば消えていくのじゃ。
知識によってその自分が重荷でしかない観念であると繰り返し念じることでも恐れもなくなるのじゃ。
それが観念であり、失いたくないという思いも謬見として空と観想することでもなくなるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>516
正しい姿勢によって集中力が増すからなのじゃ。
気が上昇すれば自然にサマーディにも入れるのじゃ。
そうすれば忘我に成り、無我にも近づけるのじゃ。
>>517
そうじゃ、いろいろ試してみるのじゃ。
下腹に集中しても良いのじゃ。
背中を壁に当てても良いのじゃ。
自分のやり易いようにして続けるとよいのじゃ。
519
:
541
:2018/01/28(日) 07:06:32 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。今日はプレイベートな飲み会で、いつものように、会社や他者への文句や性的な妄想話のオンパレードだったのですが
どうして人々は、物事の本質を見ようとしないのでしょうかね。
ある人が「左遷」されたのは、結局のところ、「他者への攻撃心の強さ」故であって、
今まさに、不幸の種を撒いていると言うのに。
520
:
541
:2018/01/28(日) 07:11:05 ID:o7TfOr0I0
「情けは人のためならず」と言う格言を噛み締めるだけでも、人は幸せに人生を送ることが出来る。
しかし多くの人々はその逆をやり、自分で自分を苦しめるようなことをしている。
このような席に出るだけでも、自分の心に苦の種を撒くので、余り出たくは無いのだが、人は、昼間「良い人」の仮面をかぶっているので
夜、アルコールの力を借りて、「ダークな自分」を出して、バランスをとっているのでしょう。
しかしこのようなことを繰り返して何の解決になるのだろうか?
521
:
541
:2018/01/28(日) 07:13:07 ID:o7TfOr0I0
おっと、私も、ここで愚痴を言っているので似た様なものかも知れませんね。失礼しました。
522
:
123師
:2018/01/28(日) 11:36:49 ID:xvrPOVc60
518.
忘我に成り、無我になる、か。
それは心理学である。
523
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/28(日) 19:40:03 ID:8qFvIk/s0
鬼和尚。サマーディに入るために、サマタ瞑想を集中的に
しているのですが、サマーディに入るとどういう状態(感覚)に
なるのでしょうか?
ブログを見るとこう書いてあります。
テーマ:集中法
1 最初は10秒も集中できないじゃろう。
2 10秒間は集中できるようになる。
3 雑念を流せるようになる。
4 思考が止まるまで放って置けるようになる。
5 この辺で不動心が芽生えてくるじゃろう。
6 無念無想になる。
7 快が生じる。
8 忘我のサマーディに入る。
9 対象の無いサマーディに入る。
10 悟りを得るじゃろう。
サマーディの段階についてはヨーガスートラを読むと良いのじゃ。
この表でどの状態になったのか分かりません。
まず思考を止め、それを見ているものに気付いてそれを止め、呼吸に集中
することも止め、ただ感覚しているだけというか、ただ居るだけのような
感じになりました。そうしているとおなかの辺りが嬉しくなった時の様な感覚が
こみ上げてくるようになり、頭に気が上るような感じになり、頭の周り
がほわほわとした、幸せな感じになります。この状態で放置していると、
断続的に、頭が空白になっているような感じになりました。
これはどのような状態なのでしょうか?
この先はどういう感じになるのでしょうか?座っているという感覚や、時間の
経過も忘れるような状態になるのでしょうか?
524
:
505
:2018/01/28(日) 19:54:22 ID:kV7xIwD.0
>>518
鬼和尚さん、ありがとうございます。
かなり苦がなくなった感じがします。
自分を失いたくないという無意識に対抗するのには、知識の繰り返しでも良いということなので安心しました。
ずっとそういうことをしている気がするので、このままやっていきます。
また質問ができたら教えてください。
ありがとうございました。
525
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/28(日) 21:28:47 ID:1d4drIFg0
>>519
他の者はおぬしほどの智慧も知識も無いからわからないのじゃ。
それがわかっているだけでも福楽への道を知っている知者なのじゃ。
実践によって
526
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/28(日) 21:34:00 ID:1d4drIFg0
>>519
>>520
他の者はおぬしほどの智慧も知識も無いからわからないのじゃ。
それがわかっているだけでも福楽への道を知っている知者なのじゃ。
実践によって福楽も付き従えるのじゃ。
>>523
かなり進んでいるのじゃ。
6から7に移行する無念無想から快が生じている状態なのじゃ。
これからその快はもっと強くなっていくじゃろう。
人が味わえる快の何倍にもなるのじゃ。
それから自分も忘れる忘我に入るじゃろう。
座っていることも時間も忘れるじゃろう。
恐れず囚われずに精進あるのみなのじゃ。
>>524
よかったのじゃ。
またおいでなさい。
527
:
123師
:2018/01/28(日) 22:12:18 ID:Hg9MNBGI0
523.
心理学をやっている場合ではないよ。
528
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/28(日) 23:14:32 ID:DAY232aw0
いつもご回答ありがとうございます。
鬼和尚さん質問ですが、
一度、無我になると、もう元には戻らないのでしょうか?
529
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/29(月) 15:11:10 ID:8qFvIk/s0
>>526
ありがとうございます。
忘我の状態ですね。その状態になれるように努力してみます。
530
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/29(月) 23:27:43 ID:1d4drIFg0
>>528
本当に無我になったならばもはや戻らないのじゃ。
自我が自分でも主体でもなく観念であると知ってしまったのであるからのう。
仮に主体の観念を作って人と話すことは出来るのじゃ。
それでもそれがただの観念と知っているのじゃ。
>>529
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
531
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/29(月) 23:41:55 ID:lkuHi1XE0
仏教では「一切皆苦」と言っていますが、それは悟ったあとのエゴのない意識にとっても
「一切皆苦」、すべては苦である、というのが当てはまるのでしょうか?
それとも一切皆苦というのはあくまで自我と同一化した意識、エゴ意識にとって一切は苦である、
ということでしょうか?
釈迦は苦から脱する法を教えたのであるから一切皆苦というのは苦から脱していない状態のエゴ意識に
とってだけ当てはまる教えのような気がしますが…違うのでしょうか?
532
:
素人A
:2018/01/30(火) 09:00:00 ID:gOqWUDAs0
本当の私とは真我として?真我が自性?世界と関係して迷いの修行して真我が無一文が使いきれない程の大金持ちの元に戻つて
世界は自分とは何の関係しないと悟る事がヨーガの佐保田さんの理想とか根本経典に書いてあったけど、私の今の環境は環境を
見捨てるほど私は冷酷ではないしと言うか見捨てられるのを恐れている。自分の身体心家族周り日本国に助けられたり少しだけ
たすけたり市内と生きていけない。弱いといえば弱い、優しいといえば優しい、みんなも同じ様にして生きている生ぬるいと
言えば生ぬるい日本人。こんな事で皆環境の仲お互いごちゃごちゃになりさあとりあえず生きている。不平不満足ダラケでも
日々口実で何とか生きているのでまあ良いか?環境が冷たくしたら居直れるのか居直れないのかたぶん逃げ回るなさけないと
言えばなさけない。自主性を少しはもたないと行けない鴨。今は少し厳しい環境なので少し修行させられてる野鴨。でも
インドの聖人の様に自己瞑想を完成して世界を見捨てて洞窟の中で自己満足して脳内麻薬丸出しで生活する聖人もいるけど
まあどうなんだろうか?私ではないし関係ないといえば関係ない正解。達磨さんをそういう眼で見るでもこの世に無害な理由
頭は良い人だけど ?
https://www.youtube.com/watch?v=c8DhOii40fo
533
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/30(火) 17:56:00 ID:DAY232aw0
>>530
ご回答ありがとうございます。
質問ですが、思考を起こさせようとしているものが、自我と言うのはあり得ますか?
534
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/30(火) 23:42:55 ID:1d4drIFg0
>>531
そうじゃ、悟っていない者には苦なのじゃ。
悟れば一切が永遠に安楽なのじゃ。
それは言わば悟りを推奨するための宣伝文句なのじゃ。
この世は全て苦で有るが、悟れば永遠に安楽なると教えているのじゃ。
>>532
真我などはないのじゃ。
ただ自らの心の苦を滅すればよいだけなのじゃ。
苦の根本原因である自我まで滅すれば永遠に安楽なのじゃ。
>>533
そのようなことはないのじゃ。
自我は観念であるからのう。
自我も原因から起こされた認識対象なのじゃ。
それは主体ではなく客体であるから何かを起こさせようとする力はないのじゃ。
535
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/31(水) 16:35:12 ID:lkuHi1XE0
>>534
なるほど、「一切皆苦」とは悟っていない者に当てはまる言葉であり、悟ったら苦がなくなっているから
一切皆苦という言葉ももはや当てはまらなくなる、このような認識で大丈夫ですか?
536
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/31(水) 20:48:47 ID:DAY232aw0
>>534
ご回答ありがとうございます。
質問ですが、自分とは観念なのでしょうか?
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