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スマナサーラの上座仏教入門

12アルボムッレ・スマナサーラ:2011/01/28(金) 10:11:43 ID:p4/Hgfqk0
その究極の形が、たぶんお釈迦様のいう「わたし」を消すことなんでしょうね。他者から害される「わたし」が消えてしまえば、どんなにひどいことされようが怒りようがありません。まあそんなん現実的に考えて無理なんですけど、「わたしは間違っている」し、「相手も間違う事がある」という前提にたって物事を考えると、あまり怒ることもなくなるのです。

だからといって、相手が何をしようが「おーけーおーけー」と許容の態度を示すのも、また間違いであると言うのですね。子供が目の前で悪い事をしていたら、ちゃんと叱らないといけないと。ただ怒らないで、「それは間違いである」ときっぱりと言うだけ。その答えに愛情と自信さえあれば相手はちゃんと聞くと言っています。

お釈迦さまが言うには、たとえば恐ろしい泥棒が来て、何も悪い事をしていない自分をつかまえてこいつを切ってみよう、面白いよ、というだけの理由でこっちを切ろうとしてきても、『嫌だ』と怒ってはいけないのだそうです。「そんなバカな」と僕などは思ってしまうのですけれども、どうもお釈迦様的に言えば「わたし」というエゴ的な部分を、完全に捨て去ることから幸福が生まれる、とそういう意図らしいんです。「わたし」なんかないんだから、切られたって別に嫌じゃないというのです。

まあ何はともあれ幸福に生きる為には、「怒らないこと」であり、怒らないためには「怒らないこと」であり、「わたし」を消していき、理性でもって正しい事と間違っている事を判断していくことが必要である。そういうことです。


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