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【主イエスキリスト来臨の祈り】【セカンドカミング】

5INRI:2008/09/20(土) 09:56:59 ID:CROcOETE0
これは、新約聖書では、信者たちが空中に引き上げられ、主とともにお会いする携挙の時として預言されてい
ます。「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らとい
っしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主と
ともにいることになります。(1テサロニケ4:16-17)」この出来事ののち、私たちは、キリストのさばきの
御座の前に立ちます。そこは、私たちの罪がさばかれるのではなく、むしろ、私たちが主にあって行なったす
べてのことについて、褒美をもらうときです。「よくやった、忠実な良いしもべよ。あなたは、小さな事に
忠実であったから、大きなことも任せよう。」と主が言われて、みなさんを御胸で抱きしめて、みなさんを受
け入れられるときであります。ああ、この日が待ち遠しいです!この真理を知れば、自分の奉仕が人の前で認
められなくても、主の前で認められることを知ります。人の前で祈らなくても、独りで祈っている祈りが、父
なる神の前に届いているのを知ります。隠れたことがあらわにされるのが、この時なのです。そして、このと
きは、自分がむだに行なったことが、きよめられ、火で焼かれる時でもあります。ですから、主が来られるこ
とを意識することは、私たちの心の動機にきよめをもたらし、本当に主に愛されている愛によって、自分が突
き動かされているかどうかを点検する動機ともなるのです。

この過去と未来の間にいる、現在の自分を見ることはとても大事なのです。過去に行なわれたキリストのみわ
ざを見て、すべてのキリストにある歩みがスタートできるように、未来に行なわれるところのキリストのみわ
ざを見て、キリストにある歩みがゴールします。目標点もなく走っている競走選手などいません。同じように、
目標点も知らずに生きているクリスチャン生活など存在しないのです。


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