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主と救い主
1
:
野本
:2007/03/24(土) 15:40:50
ご回答いただきありがとうございます。
聖書では「主よ、」というように「主」という言葉が
何度も繰り返されています。
旧約聖書と新約聖書の両方で「主」と言えば
神を指すのでしょうか。
また「救い主」と言えば旧約では神を、
新約ではイエスを指すのでしょうか。
旧約聖書と新約聖書の文脈にも依ると思いますが
主や救い主の定義や解釈の仕方で
分かりやすい考え方がありましたら
ご教示のほど宜しくお願いします。
2
:
ソフィー★
:2007/03/25(日) 15:56:32
野本さん、こんにちは^^ とても重要な質問ありがとうです。
主とは、神さまのことです。
実はキリスト教の2000年の歴史ではイエス・キリストは、神であるのか、
人であるのか、という議論がありました。
イエス・キリストは、神であったのに全ての座をすてて人となって、
私たちが犠牲にならなければらなかった(神の前で)、
自分がみがわりとなってくださった、というのがキリスト教です。
キリスト教では、救い主(私たちを救ってくださったの)のは、
イエス・キリストです。
2世紀ころは、イエス・キリストはただの人間で神さまではなかった、
という主張かでできました。
3
:
野本
:2007/03/26(月) 08:34:08
ご回答ありがとうございます。
ある本を読むと、旧約は神が創られた救い主(メシア)イエスが
登場するまでの事が書かれたものであり
新約は救い主イエスの生涯について書かれたものだということが分かりました。
つまり旧約ではイエスがまだ登場していないので
主と言えば「神」そのものであり、
新約ではイエスは「神の御使いであるけれども、人の形をした神」でもあり、
その書かれている文脈によって
「主」が「神」であるのか「救い主イエス」であるのか
判断する必要があるということでしょうか。
4
:
ソフィー★
:2007/03/29(木) 18:12:56
新約聖書では、イエスが神さまのことを父とよんだりしています。
これは、イエス・キリストは神さまであったのに、まったく人間の形となった(つまり、神さまの全ての栄光を捨てて、私たちと同じように人間になられた)からです。
つまり、イエス・キリストは神さまを必要していました。なぜなら、神が人になったからです。
イエス・キリストは、私たちと同じ肉体をとりました。
つまり、天に全ての神としての栄光を捨ててきたのです。
私たちが本来、神を求めなければならないのに、
イエス・キリストが私たちのとこに降ってきて、愛してくださった。
これが、キリスト教の考えです。
5
:
ソフィー★
:2007/03/29(木) 18:17:27
>ある本を読むと、旧約は神が創られた救い主(メシア)イエスが
>登場するまでの事が書かれたものであり
>新約は救い主イエスの生涯について書かれたものだということが分かりました。
おっしゃるとおりです^^
6
:
ソフィー★
:2007/03/29(木) 18:19:15
フィリピの信徒への手紙2章は、原始キリスト教団の最古の信仰告白の1つとしてよばれています。
その告白には、次のように書いてあります。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
7
:
ソフィー★
:2007/03/29(木) 18:24:46
kai. pa/sa全て glw/ssa舌 evxomologh,shtai告白する o[ti・・・ということを
ku,rioj主 VIhsou/jイエス Cristo.jキリスト eivjために do,xan栄光 qeou神/ patro,j天Å
新約聖書はギリシア語でかかれました。
上記はフィリピ2・11の、ギリシア語聖書からの転載です。
「全ての舌は、告白する。主、イエス・キリスト 天の父の栄光のために。」
8
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9
:
ソフィー★
:2007/03/29(木) 18:27:19
うーーーー。
この掲示板は、ギリシア語のフォントが文字化けするみたいですね(´;ω;`)
10
:
野本
:2007/03/29(木) 19:45:20
いろいろと解説いただきありがとうございます。今後、読み進めていくにつれて
理解が深まっていくと思います。
11
:
possibleちゃん(*^^*)
:2007/04/01(日) 17:56:29
私はかつてエホバの証人でしたが、
今では、「古くさい教義」を完全に捨てました。
聖書の中でいろんな呼び方が(象徴的に)なされていますが
(聖書は、純粋に「心理学的、霊的な教科書」と私は考える)、
それが「キリスト」と呼ばれようと、
「聖霊」と呼ばれようと、
「天の父」と呼ばれようと、
究極の源は、「神」だけです。
それだけ分かっていれば十分ではないでしょうか。
神もキリストも聖霊も、わたしたちの
「うちにおられる」
と聖書は言うのです。
仮に、ジャングルに迷っても、誰も助けには来てくれません。
いわゆる「キリスト」が、天の雲に乗って天使と共に
私たちを助けに来てくれるわけでもありません。
「救い主」は、私たちの「うちに」おられます。
私たちの「うちにおられる神」だけが、
その時、助けてくれるのです。
12
:
ソフィー★
:2007/04/02(月) 20:50:12
ぽっしぶるちゃん、おかえりなさい!
13
:
ソフィー★
:2007/04/02(月) 20:52:03
野本さん、いつでも疑問ができたときはたずねてください^^
聖書は命の水です。掘れば掘るほど、新しい発見もあります!
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