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音義説と、かわいい音・汚い音

1高橋半魚:2007/03/02(金) 14:39:56
 ご無沙汰しております。いつも質問ばかりで恐縮です。いわゆる「音義説」というのは、明治以降の国学では否定されていると思うのですが、一方、最近でも、「ぱぴぷぺぽ」はかわいい感じ、「ばびぶべぼ」は汚い感じ、などという言い方を聞くことがあります。あてにならない番組とはいえ「タモリのじゃぽにかロゴス」で、金田一秀穂先生が、そのように仰しゃっておいででした。語を用いることでそれが習慣化し、そういう感覚が成立して来てるということは理解できますし、バ行に汚さが内在している、パ行に可愛さが内在している、という事を言わんとしているわけでもないのだろうとも、思います。そういう意味で、音の持つ感覚のようなものが成立することと、音義説とは、本質的に無関係なのかも知れません。が、なんかひっかかります。(個人的には、パがかわいいとは思いません。パットン将軍は可愛くないし、ビューティは汚くない、と思う。笑)。
 質問なのですが、最近の国語学では、そういう、語・音の持つ感覚の成立みたいなことを、真面目に研究しておられるのでしょうか。あるいは、その成果はどういう風に出ているのでしょうか。

2岡島:2007/03/10(土) 09:38:01
擬声語擬態語などにおける音の選択・配列について、

濁音を語頭に持つ擬声語擬態語が、そうでない擬声語擬態語に比して、
ある感覚が付加されることはありますね。
 からから:がらがら
 さらさら:ざらざら
 たらたら:だらだら
 はらはら:ばらばら:ぱらぱら
(臨時的に作られる擬声語擬態語も同様です)
「ばらばら」に対して「ぱらぱら」が、「かわいい」かと言われると、回答を保留したくなりますが、
「ばらばら:ぱらぱら」「びりびり:ぴりぴり」「ぶるぶる:ぷるぷる」「ぼろぼろ:ぽろぽろ」
という対に、共有のものがあるとは感じます。

このような感覚が、擬声語擬態語ではない一般の語にも影響を与えることもあり、
これは言語学者の鈴木孝夫氏が指摘したりしています。たとえば、
 「トリは食ってもドリ食うな」(ドリは鳥肉のよくない部分、すなわち内臓)
 「ダマになる」(小麦粉などの塊)
などです。

「濁音減価」といわれていますが、このようなことは、日本語の音の配列の習慣が生み出した感覚であると思われます。
(固有語(「やまとことば」)では、通常は濁音が語頭に来ることがなかったなど)

擬声語擬態語の研究で、「かわいい・きたない」などの評価語と結びつけて研究をしているのは、
国語学よりもむしろ心理学などの領域のように私は見ています。

これらは、濁音が語頭に来ることが特殊な意味を持っていた日本語の中でのことなのですが、ビューティフルを汚い音だ、と書いていた人もいたかと思います。

半濁音がかわいい音であると捉えられがちなのは、半濁音は濁音を無声化したものなのだけれども、
清音とは違って一般語との関連が感じにくく、俗な感覚があるからなのだろうと思います。


このような感覚がいつごろ成立したか、どのように成立したかを見極めるのは難しいことでしょう。
音への評価を記したようなものを少しずつ拾ってゆくしかないのが現状だと思います。
遠藤邦基氏などは、そうした文献を紹介してくださっています。


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