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新エスペラントNEPO*進行中

208ベダウリンデ:2010/02/12(金) 15:53:19
身体部位語彙にも手をつけちゃいました。(なつさんいないけど)
最初、難しいかな、と思ったのですが、
①身体の形状は人類共通
②部位的に区切りがしやすい
という点では、楽かもしれません。
肩から指先までを「手」とするか、肩から手首までをarmとするか、或いはもっと細かく区切るか、区切り方は民族語によって異なるけど、
胴体から出た棒状の部分と言う点では、どの民族も区切りとして認識してるであろう(できるであろう)と思われます。
エスペラントではarmとhandと同じ関係でbrakoとmanoがありますが、
手首から先の「手」を指す語彙が無い日本語人でも、見た目の区切りは明確に認識できます。
brakoとmanoは簡単な言葉だし、manoに相当する単語が存在しない日本人でも使いこなせるし、今のままでいいか、と思います。

そんな感じで、人体部位を、目で見て区切れる部位に、まずは大まかに切り分けていく方法が良いと思いました。
頭、首、胸、腹、腕、手首から先の手、足、足首から先の足、という感じです。
背、顔も入れると使い勝手が良いでしょう。(顔の各部位は別検討します。)
肩、肘、膝、指は、人体として動かしやすい目立つ箇所なので、残しておいて良いでしょう。
そうすると、現在のBROに登録されてる基本語と、ほぼ一致してしまいます。
kapo,kolo,brusto,ventro,brako,mano,kruro,piedo,
dorso,vizagxo,sxultro,kubuto,genuo,fingro14語です。
BROにはその他、こぶし、かかと、乳房、くるぶし、足の裏、胴、うなじ、のど、も入ってますが、
これらは覚える手間から省きたい語なので、できれば造語したい。
例えば、こぶしはfermita-mano、かかとはpiedo-postajxo、乳房はvirin-brusto、くるぶしはpiedo-radiko-osto(英語でankleboneだから)
足の裏はpiedo-plato(手のひらがman-platoだから)胴はbrusto kaj ventro、うなじはkol-dorso、のどはvocx-tubo、とか、いかようにでも作れますね。
そのほか、脇、脇の下、みぞおち、ウエスト、腰、尻、もも、ふくらはぎ、土ふまず、等の細かい部位も必要に応じて基本語から造語する。
区切りにくい部位をどう区切って名付けているかは、民族語によって異なる可能性があるので、あんまり細かく定めても意味無いかもしれない。
まあ、脇はbrusto-flanko、脇の下はsub-brako・・いかようにでも作れます。

209ベダウリンデ:2010/02/16(火) 17:16:13
雑談:片言の外国人に向かって、日本人はよく「日本語お上手ですね」という。
これは、母語話者の「上から目線」なんだと思う。
エスペラントでは例外を除き母語話者は存在しないので
「エスペラントお上手ですね」と人を褒める事はあり得ないのでろうか?
しかし私は、他人のエスペラント文を読んでて、「この人上手だな」と思う時がある。
私のような初心者の頭にもするする入る論理展開と文章構造と、そして使用単語の分かりやすさ。
それも、稚拙な中一英作文程度の内容で、とかじゃなくってですよ。
ぐだぐだ長いだけの文章は、日本語でも読む気しないけど、エスペラントでは尚更。
使用単語は上手く造語してくれると本当に分かりやすいと思うし、それは可能だと思う。
「分からない単語」があると、理解はそこでストップするし、
ある物が、民族語由来の固定の名前で呼ばれる必要は全くないと思う。

210ベダウリンデ:2010/02/16(火) 18:04:03
今見たら、先に言及した(>>207)レルヌのスレにアル○ングルと名乗るJPの某氏が意見書いてた。
209はそれに対するアテツケではありません、念のため。
私にはいまいち主旨が読みとれなかったけど、書いただけも拍手喝采ですよ!ガンバレニッポン

211ベダウリンデ:2010/02/22(月) 16:47:54
松戸さんとこの掲示板でD氏が、何だか元気の無い様子。
エスペラントに関して恐怖感が抜けないみたい。
私はおそらく、Dさんとほとんど同じ時にエスペラント始めたと思う。
その時の、ネット上のエスペラント界は酷かった。
Maldekstruloj insistis, ke Esperantistoj devas esti maldekstruloj kaj diskutis kun dekstruloj.
Maldekstraj esperantistoj nomis sin plejparto de esperantujo.
Kaj ili asertis, ke tiu,kiu ne povas havi la saman ideon, ne povos dauxri Esperanton.
Mi timis, ke esperatistoj ne devas havi propran opinion.
Eble iu timis, ke lernado de Esperanto envolvos lin en politikan konflikton.
つまり、右派左派の争いが凄かったんですよ。私も怖いと思ったし、今でも悪印象が抜けない。
Dさんも、きっとその時の印象が強いんだと思う。
でも、最近は潮流変わってきてると思う。
ここも「よろず」も閑散だし、政治的話題を論じてる場面を目にする事が非常に減った。
Lastatempe tiela afero ne aperas.
Oni ne diskutas pri politika temo.
La tempo sxangxigxis, mi sentas.
Mi gxojas, ke multaj komencantoj lernas Esperanton sen ia ajn timo.
Esperanto disvastigos pli kaj pli.
ツイッターとか見ても、最近勉強してる人は、何にも難しい事考えてなくて、素直でかわいい感じする。
Dさんが願った「政治ではなく萌えで普及を」は、お気楽に楽しんでる新エスペランチスト達によって着実に実行されると思う。
そして、そういう流れに持ってったのは「我々の代」だと思うのですよ。
言ってみれば、多大な自己犠牲を払って、彼らを駆逐した(と、私は自負したい)。
Kie ne trovigxas maldekstruloj, tie ne aperas ankaux dekstruloj.
Sekve venis la paco.
うざかった「左派」は、今でも同じ考えでどっかに潜んでいると思うけど、表に出なければ平穏そのもの。
表向き平穏ならば、何にも知らずに気楽に学び始める人はどんどん増えると思う。
それにより「萌え」も拡大するでしょう。
Dさん、元気出して、せっかく学んだエスペラント、楽しんで使って下さい。
Via celo jam duone realigxis.

212ベダウリンデ:2010/02/26(金) 09:22:16
昔の人はある意味熱かったなーと、今つくづく思う。
エスペラントは本当に公平な言語か?という事を真剣に考えてたHPが複数あった。
「真の意味での言語的平等とは何か」という崇高な探求精神があったからこそ、そういう疑問が生じるのだと思う。
理想の高い人はエスペラントを「非難」し、現実のエスペラントが大好きな人は何とかして「反論」を試みエスペラントを擁護してきた。
どちらも、熱かった、と思う。
でも今の雰囲気は何か違う。「平等とは」という崇高な理想が失われてると思う。
複合的な時代の流れだとも思いますが、その背景の一つに、現代の「格差の固定」があるんじゃないか、と私は読んでます。
絶望的な「格差の固定」が、平等を求める精神的な基盤すら破壊したのかな、と。平等なんて言っても空しい的な。

今、エスペラントは、「公平かどうか」の疑問なしに多くの人が「楽しんでる」ように感じられる。
「政治ではなく娯楽で普及を」と主張していた人々の願いは、今の時代に実現されたように思う。
今の時代、英語ができるのは当たり前、それプラスアルファ、個性的な外国語ができれば
この「格差社会」において何らかの自分の「売り」になる。できる外国語の中にエスペラントも一応追加しておけば、
プロフィールに書ける項目が一個増える。英語できない人もエスペラントができれば何となく個性を発揮できそうな気になる。
今後のエスペラントは、「格差の中でのちょっとした味付け」の地位をこのまま伸ばしていけば、「大衆への普及」も夢でないように思う。
ちなみに自分は古い人間だから、「理想」は常に心の奥底にとどめていたいな、と思う。

213だにょ:2010/02/27(土) 17:44:56
>Dさん、元気出して、せっかく学んだエスペラント、楽しんで使って下さい。

ありがとうございます。

>ちなみに自分は古い人間だから、「理想」は常に心の奥底にとどめていたいな、と思う。

そうだったのですか。若くて博学な人かと思ってました。


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