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17
:
亭
:2007/11/09(金) 23:39:56
(
>>16
*から続く)
組織論争とケルンの解決1920-1933/34
戦後人々は共通の目的のためUEAと国別協会との調和に達しようと努めた。人々は
エスペラントのための国際的ロビー活動、宣伝、固有の運動抜きでの各国での教育、
エスペラントラジオ放送への注意喚起等々を欲し、そしてそのために組織と財政を
必要とした。
すでに国別協会のUEAへの一体化とともに共通の委員会とともに共通の解決の思想が
存在したにもかかわらず、ばらばらの諸機関を伴った組織が一時的に勝利した。19
22年UEAと国別協会はヘルシンキ協定に基づく協力に合意した。このヘルシン
キ・システムでは、一方のUEAともう一方の国別協会が共同で国際中央委員会を
選び資金拠出した。このICKは後に事務所と理事を持った(ロベルト・クレウツ)。
ヘルシンキ組織についての非合意のゆえに国別協会は新しい解決を探した。それ
らは新しい国際協会の創立という脅しをかけたので、UEAは妥協に同意せざるを
得なかった。1933年のケルンのUKで合意に署名し、それによって国別協会は
UEAに加入し、会費を払い、委員会にメンバーを送ることになった。ケルンの合
意は追々修正を経た上で現在のUEAにとっても基礎である。
(*続く)
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