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【アンケート】 desuprismo 型の運動は成功するか?

1松戸彩苑:2007/09/27(木) 22:26:40
エスペラントを普及させることを考えた場合には、大きく分けて2とおりのやり方があります。

1つは、政府や国際機関などにエスペラントの意義を認めてもらって、政府や国際機関の
力によって広めてもらうというものです。
もう1つは、一般人の手で、徐々に社会に広めていくというやり方です。

前者を desuprismo(上からの運動)、後者を desubismo(下からの運動)と言うのですが、
みなさんはこの「desuprismo 型の運動は成功する」とお考えになりますでしょうか?
---

私の考えを述べさせていただきますと、私は(現在のような) desuprismo 型の運動では、
絶対に成功しないと考えております。

主な理由は、次のとおりです。

(1) エスペラントは発表されてから120年もたっているのに、ほとんど広まっていないし、
    欧米においては衰退のきざしさえ見られる。
    その一方で、英語の普及はいちじるしく、また機械翻訳の水準もそこそこ上昇してい
    る。
    そのようななかで、政府や国際機関がエスペラントに本気で期待することは、まず無
    いと考えられる。

(2) 中国においては、大学教育における第二外国語の1つとしてエスペラントが認められ
    ており、大学院に進むための試験や、公務員になるための試験などでもエスペラント
   が選択できるようになってるそうである。
    また、テレビでエスペラントの講座を放送したり、大型書店に中国国内で出版された
    エスペラント書籍が並んでたりもしている。
    ということで、中国においては desuprismo 型のエスペラント普及活動が、あるていど
    実現しているわけであるが、しかしこれだけ恵まれた状況にあるにも関わらず、中国
    社会においてもエスペラントはマイナーな存在にとどまっており、英語や日本語の学
   習熱には遥かに及ばない。

(3) 考えてみれば、せっかくエスペラントの学習を始めても、挫折してしまう人が、日本に
    おいても、また海外においても、きわめて多い。
    つまり、それほど「学習容易」ではないということである。
    もちろん、民族語を一から学んで自由に使いこなせるようになるのと比べれば楽なの
    かもしれないが、しかし、エスペラントをそこまで頑張って身につけようという気にはな
    れないためなのか、挫折してしまう人が多い。
    (津田幸男氏のような人でさえ、身につけるには至っていないようである)
    エスペラント界では propedeŭtika valoro などということが言われるが、エスペラント
    の学習そのものに挫折する人間が多いことを無視した議論だとしか思えない。

(4) また、これまで私が指摘してきたように「日常生活に関する語彙・表現が不足・混乱し
    ている」ということがある。
    私の言う「日常生活に関する語彙・表現」というのは「文明社会に住んでいる普通の
  成人であれば誰でも知ってるような物・事」のことである。
    こういったものが大量に不足・混乱しているのだが、多くの人はぜんぜん気づいてい
    なかったり、あるいは「自然に決まる」と信じてたりする。
    私の考えでは、このような欠陥が、エスペラントの能力を大幅に狭めているのである。

(5) (3)(4)の問題があるので、たとえ政府や国際機関がエスペラントを認め、学校でエ
    スペラントの授業を行なったとしても、大した成果は上がらないものと考えられる。
    また(2)で述べた、中国においてエスペラント運動がそれほど盛り上がらないのも、
    (3)(4)の問題によるところが大きいものと考えている。

(6) このような問題を放ったらかしにしたままで、いくら高邁な「理念」を掲げても、人がつ
    いてこないのは、当然すぎるほど当然である。
    ウソだと思ったら、自分の家族や知人に対して、これらの「理念」を訴えて、エスペラ
    ントの支持者あるいは学習者にしてみていただきたい。
    要するに、政府・国際機関にしても、エスペランティストの家族・知人にしても「発表さ
    れてから120年もたっているのに、ほとんど話者がいない」から支持してくれないの
    であって、理念が理解できなかったり、あるいは理念の完成度が高くないといったこ
    とが原因なのではない。

2松戸彩苑:2007/10/01(月) 21:50:09
私は今まで「エスペラントの普及のために娯楽も利用すべきだ」と言ってきましたが、これ
は決して「エスペラントの理念」を忘れているわけではありません。

「エスペラントの理念」を唱えたくらいで世間にすんなり受け入れられるのであれば、私だ
ってそうするのですが、しかし、これまでさんざんやってきたにも関わらず、効果が無いど
ころか「新興宗教」だなどと思われて気味悪がられるだけで、自分の家族や知人からも理
解されなかったわけです。

それで止むなく「普通っぽいことをやったほうが良い」と言ってるわけです。

社会運動は、世間に合わせないと、ただただ無視されるだけだと考えたので、世間のレベ
ルに合わせようと提案しているわけです。
---

最近出版された田中克彦氏の『エスペラント』という本を読んで感じるのは、田中氏が「エ
スペラントの理念」というものにほとんど言及していないという事です。

この本を読めば、田中氏がエスペラントの文献をそれなりに読んでることは明白ですし、
また田中氏は「言語の差別」に関する本もいくつも出してるわけです。
さらに言えば、岩波書店から出してるのですから、「理念」を強調しても問題は無かったは
ずです。
しかし、そうはしなかったんですね。

で、私は「理念を強調すると、従来のエスペラント全面礼賛型の宣伝文と変わらなくなって
しまうので、あえて理念に触れなかったのかな」と考えたりもしました。

しかし、これまでにも田中氏はエスペランティストが開催したシンポジウムに参加している
のですが(1986年の「言語的多様性の中の国際語を考える」、1987年の「いま、国際交
流の言語とは?」など)、講演録を見るかぎりでは、こういったシンポにおいても、理念がど
うしたといった話はしてないんですね。

こういったことを考えると、田中氏というのは「理念を前面に押し出したような宣伝」には与
していないと考えるしかないと思うんですね。

近年では、日本の何人かのエスペランティストの方たちが「言語権」といったものを通じて
エスペラントを宣伝していこうとしているわけですが、しかし、そういった方面のプロである
はずの田中氏は、そういう事をまったくしていないということの意味を考えてみるべきだと
思いますね。

要するに「田中氏も、理念で世間に広まるとは思っていない」という事なんだと思います。
---

これまで皆さんも、エスペラントをやってない人に対してエスペラントについて説明したこと
があると思うんですが、かならず訊かれるのが「話者の数」なんですね。

その一方で、「理念」の中身について詳しく訊かれたことなんかは、まず無いと思います。

ということで、要するに、世間の人たちにとっては「理念」よりも「話者の数」のほうが大事だ
ってことなんですね。

とは言っても、エスペラントの話者の数は100万とか200万とか言われてますが、この数
字でさえも、「話者の数」を気にする人たちは、まず評価してくれないわけです。

とすると「大部分の人たちは、エスペラントなんかやりそうにない」ということになってしまい
ます。
---

しかしです。
人間というのは、必ずしも事務的にばかり考えるものではないんですね。
「楽しいことであれば、難しくてもやる」、いや、むしろ「難しいから、より楽しい」と感じること
もあるわけです。

将棋・碁・チェスなんかはそういったものだと思うんですが、エスペラントもそういうものとし
てなら、現在の社会のなかでも存在していけるのではないかと私は思ったわけです。

つまり、最初は「娯楽」として広めてとりあえず話者を増やし、そして、そこからさらに、エス
ペラント運動の質や量を向上させるというやり方なら可能ではないかと考えたのです。

これだけ説明しても、エスペラントが「娯楽」として広まるということに抵抗を感じる人がいる
かもしれませんが、そういう方に対しては、自動車が普及したときのことを説明しておきま
しょうか。

自動車というのも、はじめは「金持ちのオモチャ」として販売されたんですね。
で、金持ちが買ってくれたおかげで、自動車メーカーは徐々に量産することができるように
なってコストダウンも行なわれ、徐々に大衆化していったわけです。

また、以前にも述べましたが、パソコンなんかも最初はオタクっぽい人たちがやってたわけ
ですが、そのような人たちが一般人にも使えるようなソフトを開発したりして、大衆化してい
ったわけです。

3松戸彩苑:2007/10/01(月) 21:52:08
>>2 の続き)

今では、自動車もパソコンも無くてはならないものですが、どちらも最初はオモチャとして
販売されたものだったんですね。
決して「社会を良くするために、自動車・パソコンを普及させましょう」などという運動によっ
て広まったわけではなかったのです。
---

それから、理念を前面に出すことで大きく損をしていると思われることを、もう一つ。

考えてみれば、現在のマスコミは「国際交流」とか「市民運動」といったものが大好きなん
ですね。
テレビでも新聞でも、そういったものがよく取り上げられてますよね。

ところが、どういうわけだかエスペラント運動は、めったなことでは取り上げられません。

その理由を考えてみたんですが、「落ち目だと思われている」ということに加えて「特殊な
思想・イデオロギーだと思われている」ということくらいしか思いつかないんですね。

マスコミは「不偏不党」というのを指針に掲げていることが多いので「特殊な思想・イデオロ
ギー」だと判断されると、敬遠されてしまうんですね。

もう何年も前のことになりますが、ラジオのリクエスト番組でアナウンサーがハガキを読ん
だんですが、その人のペンネームが「エスペラントはどこ行った」というものだったんですね。

というのも、イーグルスの「デスペラード」という曲をリクエストしてたからなんですが、この
ペンネームが読まれたあとで、ゲストの人が「エスペラントって、ほんとにどこに行ったんで
すかね?」みたいなことを気軽に言ったんですが、それに対してアナウンサーが「世の中に
は、いろんな思想・信条を持つ人がいて…」みたいなことを言い出したんですね。

私はそれを聞いて「あぁ、やっぱりエスペラントは、マスコミ業界の人たちからは、特殊な思
想・信条だと思われてるんだなぁ」と思ったんですね。

それでなんでしょう、オタクの人たちのイベントはしばしば取り上げられるのに、エスペラント
のイベントはほとんど取り上げられないという事になってしまうわけです。
これでは、ぜんぜんダメですね。

ですから「人数を増やす」ということに加えて「普通っぽいことをする」ということにすれば、
マスコミに取り上げられる機会も増えるかもしれないと思っています。

なお、先の私の分析は、単なるシロウト判断です。
エスペラント界のなかにもマスコミ業界にいる(あるいは、いた)人が何人かいらっしゃるよう
ですので、そういう方たちに訊いてみたほうが良いでしょうね。
---

さて、いつものようにいろんなことを書いてきましたが、最後に言いたいのは、私だって娯楽
を「最終目標」だと言ってるわけではないということです。

あくまでも「通過地点」だと考えていますが、しかし、これは必要不可欠な通過地点だと考え
ております。

また、エスペラントを知るのには「実際に学んで、使ってみる」しかないわけですから、私は
たとえ学習のキッカケが「娯楽」であっても良いではないかと考えているわけです。

たとえ娯楽から入っても、ほんとうに良いものならば、そのまま続けるだろうと考えているの
です。

言語の不平等という「理念」を達成するために「娯楽」を勧めるというのは矛盾しているようで
すが、世間の人たちの反応を考えれば、こうするしかないだろうと思うのです。

(終わり)

4松戸彩苑:2007/10/06(土) 09:16:38
>>3 に訂正します。

【下から3行目】
言語の不平等という「理念」
  ↓
言語の不平等の解決という「理念」

5松戸彩苑:2007/10/07(日) 11:12:06
さっぱり書き込みが無いですね。

やはり「国や国際機関に働きかければ、きっと判ってくれる」と信じていたから、エスペラン
トをやってたんですかね?

6松戸彩苑:2007/10/08(月) 18:37:20
エスペラント界の先頭に立っている人たちの言動を見てますと、どうやら「現在のありの
ままのエスペラント運動が、そっくりそのまま、自分の考えているとおりに世間に受け入れ
られるんだ」と信じて疑っていないように見えるんですが、私はそれは絶対にムリだと思っ
ております。

たとえば、田中克彦氏は『エスペラント ― 異端の言語』に次のように書いておられます。

  私はもちろんエスペラントの名を知らなかったわけではない。それどころか知人、友人
  の中には、結婚式の誓いのことばを、新郎新婦がともにエスペラントで述べあったとい
  う人さえいた。しかしあのヒゲの大きなザメンホフをあまりほめたたえて偉人物語にし
  てしまう運動は好きになれなかったし、もっと悪いことには、正統の言語学をやったせ
  いで、私にはエスペラントを冷ややかに眺めるくせがついていた。

  (中略)

  そのような私は決してエスペランチストではないが、といって反エスペランチストでもな
  い。中途はんぱなエスペラント・シンパ(同調者・支持者)であり続けた。そして、そのよ
  うな人間が、いまこんな本を書いている。

  だからこの本は、私がエスペラントをどのように思っているかということをいつわらずに
  書いた、まことににえきらない本である。何よりもまずいことには、エスペラントの最初
  のエスのあたりの入口でとどまってしまっていることである。

  (同書208〜209ページ)

これを見れば判るように、これまでのエスペラント運動を100%肯定する気は、まったく
無いんですね。

しかも田中氏は、エスペラントを書籍をつうじて知っているというだけではなく、エスペラン
ティストとのお付き合いもある人なんですね。

  その点では、本書にたびたび登場していただいた、ブランケさん、クズネツォーフさん、
  リンスさんたちは、その著書と同様、御本人もまことに魅力あふれる人たちである。私
  が本気でエスペラントに心ひかれるようになったのは、これらの本の著者、そしてその
  作品のなかに登場する人たちによってである。

  (同書212ページ)

そういう人が、エスペラントに対しては、こういう「にえきらない」ことを書いているのですか
ら、この事実を重く受けとめる必要があるんですね。
---

そもそも、現在のエスペラント運動はパッとしないわけです。

で、原因を考えてみると「せっかく学習を始めても、挫折してしまう人がたいへん多い」とか
「日常生活に関する語彙・表現が不足・混乱していたり、または長すぎたりする」といった
問題があるわけです。
ということで、どう考えたって、現在のエスペラント運動の側に問題があるわけです。

もちろん田中氏が、そんなことまで知ってるわけがありませんが、しかしエスペラント運動
がパッとしてないことは知ってるわけです。
そういうものを、手ばなしで大絶賛できるわけがありません。

「理念が正しければ、あとはどうでもいい」と思ってる人もいるのかもしれませんが、そもそ
もエスペラント運動というのは、エスペラントが「学習容易」で「レベルも高い」ので、言語の
平等といった「理念」も実現できるんだ、という話だったはずなんですね。

ですから「挫折する人が多い(=学習容易ではない)」とか「日常生活に関する語彙・表現
の不足・混乱(=レベルも高くない)」といったことがありますと、「理念」を支える大前提が
破綻してしまうわけです。
これが、どうでもいい問題であるわけがないんですね。

そういったことをまったく考えず、田中氏がエスペラントを大絶賛しないことに腹を立てても
仕方がないんですね。

それどころか、言語学の世界では、こういうエスペラントに関する本を出すことじたいが、き
わめて危なっかしいことだと見られているに違いないんですね。
「まともな学者のはずなのに、どうしてあんなにエスペラントに好意的なんだろう」と思われ
ているはずです。

以上のように考えますと、世間の人たちが、現在のエスペラント運動をそっくりそのまま受
けいれるとは、とても考えられないのです。
やはり、挫折する人を減らしたり、世間の人たちにも理解できるように歩み寄ったりしない
と、世間の人に理解されず、永遠に平行線をたどることになると思いますね。

(終わり)

7松戸彩苑:2007/10/20(土) 12:41:12
現在、世界エスペラント協会は、ユネスコと協力関係にあります。
また、その関係で、日本エスペラント学会は、日本ユネスコ協会連盟と関係を結んでいる
そうです。
これは事実であり、エスペラント界が誇るべきものだと思います。

しかし、だからといって「これで大丈夫」などと安心するわけにはいきません。

そもそも冷静に考えてみますと、ユネスコや国連は、エスペラント団体と関係を結ぶ以上
のことは何もしてくれないんですよね。

ということで「ユネスコや国連は、どうしてそれ以上のことをしてくれないのか」ということに
ついて考えてみようと思います。
---

そもそもユネスコとの協力関係は、1946年に始まった大規模な署名運動によって成立
したものです。

この署名運動によってエスペラント界は、1949年末までに、76カ国から、492の団体
(会員数を合計すると約1545万人)と、約89万5千人の個人の署名を集めました。

この署名は1950年8月2日、UEAから国連に提出され、受理されました。
そして検討のため、国連からユネスコに送付されます。

その結果、1954年にウルグアイのモンテビデオで開催されたユネスコの第8回総会にお
いて「エスペラント支持決議」が採択されたわけです。

『シンポジウム「いま、国際交流の言語とは?」講演録』(日本エスペラント学会 1988年)
の73ページに、英仏語から訳したこの決議文の和訳があるので、それを引用しますと

  第Ⅳ.1.4.422-Ⅳ.1.4.4224号決議(1954年12月10日)

  Ⅳ.1.4.422  総会は、エスペラント採用の国際的請願に関する事務局長報告を討議し、

  Ⅳ.1.4.4221 エスペラントが国際間の知的交流および世界の諸民族の親善の分野に
          おいて、エスペラントが成し遂げた実績に注目し、

  Ⅳ.1.4.4222 これらの実績がユネスコの目的と理想に合致することを認め、

  Ⅳ.1.4.4223 いくつかの加盟国が、その学校および高等教育機関においてエスペラント
          教授を導入あるいは拡大する用意のことを表明していることに注目し、さ
          らにこれらの加盟国に対し、この分野において達成した実績について事務
          局長に報告するよう要請し、

  Ⅳ.1.4.4224 事務局長に対し、教育科学文化におけるエスペラントの利用における発展
          の実状を追い、かつこの目的のためにユネスコと世界エスペラント協会の
          双方に関する諸問題についてこの協会と協力するよう権限を与える。

この決議によって、UEAはユネスコと協力関係を結ぶことになったわけです。

8松戸彩苑:2007/10/20(土) 12:42:49
>>7 の続き)

また1985年にブルガリアのソフィアで行なわれた第23回ユネスコ総会において「エスペ
ラント百周年祝賀決議」が採択されました。

『シンポジウム「いま、国際交流の言語とは?」講演録』の73ページに和訳があるので、こ
れを引用します。

  第ⅩⅩⅢ.11.11号決議(1985年11月8日)

  総会は、

   モンテビデオでの1954年総会において、第Ⅳ.1.4.422-Ⅳ.1.4.4224号決議により、国
  際間の知的交流および世界の諸国民の相互理解の分野において、国際語エスペラン
  トが成し遂げた実績に注目したこと、さらにこの実績がユネスコの目的と理想に合致
  することを認めたことを考慮し、

   この間エスペラントが、世界の大部分の地域に進出し、人間の活動分野の大部分に
  はいりこむことにより、異なる国々の国民、文化の相互理解の手段として、少なからぬ
  進歩を遂げたことを想起し、

   エスペラントが、国際間の理解および民族的に異なる国民間のコミュニケーションを
  すすめる上で、大きな可能性をもっていることを認め、

   エスペラント運動、特に世界エスペラント協会が、ユネスコの事業に関する広報活動
  において非常に重要な貢献を行っていること、およびユネスコの事業に参画しているこ
  とに留意し、

   1987年にエスペラントが百周年を迎えることに鑑み、

  1.エスペラント運動百周年にあたり、これを祝い、

  2.事務局長に対して、異なる民族および文化間の相互理解の向上をはかる手段とし
    てのエスペラントの発展を、今後とも注視するように要請し、

  3.加盟国が、当を得た催し物、宣言、記念切手発行等により、エスペラント百周年を記
    念するよう、ならびに、言語問題およびエスペラントに関する学習・研究カリキュラム
    を学校および高等教育機関に導入させるべく働きかけるよう求め、

  4.国際非政府組織が、ともにエスペラント百周年を祝賀し、また、ユネスコに関する情
    報も含めあらゆる情報をメンバーに広く伝達する手段としてエスペラントを役立てる
    可能性を検討するよう呼びかける。

これを見ると大成功のようですが、しかし最初に述べたように、2度も「ユネスコの目的と理
想に合致することを認め」たわりには、ユネスコや国連は、この半世紀ものあいだ、エスペ
ラントのために何かをしてくれたわけではないんですよね。

たしかに世界エスペラント大会のときにメッセージを送ってくれはしますけれども、しかし、
それ以外のことをしてくれたという話は、聞いたことがありません。
---

私はこういった分野には詳しくないのですが、聞いたところによりますと、国連の決議にも、
法的拘束力のあるものと、法的拘束力のまったく無いものとがあるらしいのです。

たとえば1948年の「世界人権宣言」というのがありますが、あれも法的拘束力は無かった
そうです。

しかし考えてみれば1948年当時は、アジア・アフリカの多くの地域は、欧米の植民地だっ
たわけですし、アメリカ国内での人種差別も激しかったわけですから、すべての人の平等
をうたう宣言に、欧米人が法的拘束力を与えるわけがないんですね。

とは言っても、この宣言によって、アジア・アフリカ諸国の独立や、アメリカの黒人の地位
向上が早まったということはあったかもしれません。

しかし、いずれにしても「世界人権宣言」には法的拘束力は無かったのだそうです。

9松戸彩苑:2007/10/20(土) 12:45:30
>>8 の続き)

また、国連の決議のなかで take note と書いてあるのは、大して評価してないんだという話
を聞いたことがあります。
それによると、国連の決議においては

(1) commend(賞賛)
(2) welcome(歓迎)
(3) take note with appreciation(評価しつつ留意)
(4) take note(留意)

という順になっていて、take note より下のものは無いんだそうですね。

で、先にあげた決議文の英語版を読んでみますと、モンテビデオ決議のなかの

  Ⅳ.1.4.4221 エスペラントが国際間の知的交流および世界の諸民族の親善の分野にお
          いて、エスペラントが成し遂げた実績に注目し

  Ⅳ.1.4.4223 いくつかの加盟国が、その学校および高等教育機関においてエスペラント
          教授を導入あるいは拡大する用意のことを表明していることに注目し

の最後の「注目し」と訳されてる部分が、原文では take note なんですね。

ということで「エスペラントが国際間の知的交流および世界の諸民族の親善の分野におい
て、エスペラントが成し遂げた実績」と「いくつかの加盟国が、その学校および高等教育機
関においてエスペラント教授を導入あるいは拡大する用意のことを表明していること」に対
して、とりあえず留意しましたよ、という程度の話だったみたいなんですね。

その程度なのであれば、わざわざ「ユネスコの目的と理想に合致することを認め」なんて
仰々しいことを書かないでほしいと思います。
素人は、完全に誤解をしてしまうじゃないですか。
(まぁ、誤解をするほうが悪いんですけど)

とは言っても、「ユネスコと世界エスペラント協会の双方に関する諸問題についてこの協
会と協力するよう権限を与える」ことについては実際に実現してるのですから、この部分
は誇張ではなかったわけですね。

なお Ziko Marcus Sikosek(著)『Esperanto sen mitoj』(1999年に出た版では125ペー
ジ)によると、このときの請願には「加盟国がエスペラントの使用を奨励することを国連が
勧める」という条項が入っていたそうですが、これは否決されたのだそうです。
---

それからソフィア決議のほうですが、take note は「モンテビデオ決議(第Ⅳ.1.4.422-Ⅳ.1.
4.4224号決議)で take note した〜」というところにしか出てきません。

しかし、最後に出てくる4つの提案を記した文章の「動詞」を見てみますと、1は congratu-
lates なんですが、2は requests、3は invites、4は recommends となっており、どうも2・
3・4は単なる「お願い」でしかないようなニュアンスを感じるんですよね。

ということで、これら2つの国連決議は、この程度のものだったってことになります。

ですから我々は、ユネスコや国連に過大な期待をいだいてはいけないのだと私は思うん
ですね。

そもそも国連というのは、仕事の重大性にくらべて予算が少ないわけです。
また「世界政府」のようなものでもないですし、そういったものを目指しているわけでもあり
ません。
---

先に1940年代から50年代にかけての署名運動について紹介しましたけれども、じつは
1960年代にも同様の署名活動が行なわれたんですね。

Lee Chong-Yeong(編)『Esperanto kaj internaciaj organizaĵoj』(UEA 2003年)の11ペ
ージによると

  UEA kolektis 930 000 subskribojn de individuoj kaj 3 800 subskribojn de organiz-
  aĵoj por la peticio, okaze de la 20-a datreveno de la fondiĝo de UN, kaj prezentis
  ilin al UN la 6-an de oktobro 1966; sed la peticio ne estis akceptita, ĉar ĝi ne
  estis prezentita de Ŝtato-Membro de UN.

とあります。
つまり「国連創立20周年に合わせて、UEAは93万人の個人と3800の団体の署名を集
めて、1966年10月6日に国連に提出したが、国連の加盟国によって提出されたもので
ないという理由で、請願は受け入れられなかった」ということですね。

10松戸彩苑:2007/10/20(土) 12:48:26
>>9 の続き)

で、請願の内容というのが、これです。

   Donante plenan apogon al la klopodoj de Unuiĝintaj Nacioj progresigi la kunla-
  boron inter la popoloj kun la celo dispeli internaciajn tensiojn kaj firmigi la mondan
  pacon; sed profunde kunvinkitaj, ke la lingva diverseco prezentas unu el la plej gra-
  vaj obstakloj al plua intensigo kaj vastigo de internacia kunlaboro sur ĉiuj niveloj;
  prenante en konsidero la rezolucion de la 10-a de decembro 1954, per kiu la ĝene-
  rala Konferenco de Unesko rekonis "la rezultojn atingitajn per Esperanto sur la
  kampo de internaciaj intelektaj interŝanĝoj kaj por la proksimigo de la popoloj de
  la mondo";

   Ni nun proponas, ke Unuiĝintaj Nacioj solvu la lingvan problemon per efektiva kaj
  efika helpo al disvastigo de la neŭtrala internacia lingvo Esperanto, rekomendante
  ankaŭ al la Ŝtatoj-Membroj progresigi ĝian instruadon kaj stimuli ĝian uzon en la
  internaciaj rilatoj de la popoloj.

つまり「国連はもうちょっと積極的に、加盟国に対して、エスペラントの普及を呼びかけて
ほしい」と提案してたわけですね。
これは1954年に否決された部分について、再び請願してみたということなのでしょう。
しかし、大量の署名を添えていたにも関わらず、断わられてしまったわけです。

余談になりますが、私も10年以上エスペラントをやっていますが、この1960年代の署
名運動の顛末について書いてある文献を、この本以外には知らないんですね。

もちろん単に私が勉強不足なだけなのかもしれませんが、しかし、どうもエスペラント界と
いうのは、こういう「失敗した部分」については語りたがらないような気がしますね。
本当はこういった事こそ、これからの運動を考えていくうえで、ひじょうに大事だと私は思
うんですが。

それから、これは1990年代末にUEA機関誌「Esperanto」に載ってたものですが、90年
代末に行なわれようとしていた国連改革のあおりを受けて、UEAとの協力関係が解消され
てしまうのではないか、という話が出たこともあったようです。
結局、関係が解消されることもなく、現在にいたるまで関係はあるわけですが、しかしこれ
だって、いつなんどき変更されるか判ったものではありません。
---

ということで、いろいろと見てきましたが、結局ユネスコや国連は、これまでエスペラントの
普及のために動いてくれはしなかったということです。
そして、これからもそれは変わらないように思われるのです。

ということで、やはり結局は、エスペランティストじしんで広めてゆくしかないように、私には
思われるのです。

しかし、もしもエスペラント界の質・量が向上して、ユネスコの活動にエスペランティストが
協力するといったことが出来れば、エスペラントの良い宣伝になるわけです。
つまり、ユネスコの活動に従事している人たちのあいだで、エスペラントに対する理解が
深まるはずなんですね。
ユネスコとのコネは、そういうふうに利用すべきものだと私は思いますね。

とは言っても、これはなかなか大変なことです。
日本ユネスコ協会連盟のサイトのなかのリンク集に、日本各地のユネスコ協会のサイト
がリンクされていますが、これを見ると、英語を使って活動をしているところが少なくないん
ですね。

エスペラントは人数的には英語に勝てないわけですから、少なくとも質の面で互角でない
といけないわけですが、はたしてそれは可能でしょうか。
私の判断では、かなり不安があるわけです。

ということがありますので、ユネスコの活動に協力するためにも「娯楽などを利用して、エ
スペラントができる人間を増やす」ということと「日常生活に必要な語彙・表現を整備する」
ということが必要不可欠だと思うのです。

ということで(いつものように)厳しい結論が出てきたわけですが、しかしこれはどうしようも
ないですね。
エスペラント運動においては「希望的観測」というのがあまりにも多いわけですが、これが
エスペラント運動がうまくいかない元凶だと私は思いますので、これをどんどん破壊して
いるわけです。

(終わり)

11松戸彩苑:2007/10/27(土) 11:18:43
>>1 で「desuprismo 型の運動はうまく行かない」と書きましたが、説明不足だったかもしれ
ませんので、補足をさせていただきます。

以前「大衆迎合なエスペラント運動を考える」というスレの168において説明したことです
が、私は次のようなステップを踏んで、エスペラントを広めるべきだと考えているのです。

(1) 個人レベルでエスペラントを使って、なにかの役に立てる。
    (こういう人を増やすために、娯楽を利用する)

(2) (1)ができる人たちが協力して、学校、市町村(姉妹友好都市などの国際交流)、NP
    O、娯楽の団体などにおいて、エスペラントを活用して成果をあげる。
    これによって、これらの団体にいる人たちにエスペラントの有効性を認めてもらう。
    また、マスコミなどに取り上げてもらう。

(3) (1)や(2)の成果を、国や政党や公的機関に示すことによって、エスペラントの有効
    性を認めてもらい、支援をしてもらう。

これを見れば判ると思いますが、最終的には「政府や国際機関などに協力してもらう」わけ
ですけれども、そこに至るまでに踏むべきステップがあるんだと考えてるわけですね。

そして、そのために「学習途中で挫折する人を減らして、曲がりなりにもエスペラントができ
る人を増やす」とか「日常生活に関する語彙・表現を整備する」といったことが必要不可欠
だと言っているわけです。

そういったことを無視して、一足飛びに政府や政党や国際機関などに協力をあおいでも、
門前払いされるだけですよということが言いたかったわけです。

12松戸彩苑:2007/10/27(土) 11:24:58
>>11 に補足しますが、どうしてこのようなステップを踏まないといけないかというと、エスペ
ラントそのものに信用が無いからであり、社会の信用を得るには、小さいことから成功させ
ていかないといけないからです。

13Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2007/10/27(土) 17:10:08
Mi aprobas vi.
たしかに、70年代の学生運動の生き残りのような行動パターンでは、今の若者はついてきません。
キーワードは、萌とエロとツンデレとヴァイオレンスと人型決戦兵器かな・・・・・・・・。
なんかおもしろそうなヲタアニメでもあればやる気もでるのでしょうが・・・・・・・・・。
ただ、そういうのを作れるほど、人材はないかも。協会自体、拉致家族同様高齢化が深刻らしいですし。

確かに、そもそもの原因は、言語性能どうこうでなく、「要らないからやらない」、「つまらないからやらない」だと思います。
たぶん、英語も学校から強制されなければつまらなそうだからやらなかっただろうし。
ただ、ラテン語やアルカは、なんとなく面白そうだから自発的にやりました。

今は18世紀のヨーロッパと同様に需要がない時代だから何をしてもうまくはいかないと思いますが。
各先進国の軍事力・政治力・経済力が均衡している17世紀や19世紀〜第一次大戦の時代でなければ、世界的な国際補助語への需要は生じるはずもないのです。
せめて、アメリカとインドが滅びた後でないと需要がないでしょうし。

過疎掲示板で意見しても誰も聞く人がいなそうなので、とりあえず、電突先をさらしておきますね。
日本エスペラント協会 mailto:esperanto@jei.or.jp Tel: 03-3203-4581,  Fax: 03-3203-4582
世界エスペラント協会 mailto:info@uea.org Tel:31 10 436 1044, Fax: 31 10 436 1751

また、2ちゃんねるの方が人が多い分、レスが期待できるかと存じます。
エスペラントを改良するスレ http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1189060941/l50
言語としてのエスペラント 4 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1187078117/l50x

14松戸彩苑:2007/10/28(日) 10:57:13
理念や理論でエスペラントを広めるべきだと信じて疑わないエスペランティストたちという
のは、次のように考えているのではないでしょうか。

  たしかに現在のエスペラントには問題もあるかもしれない。

  しかし、そういうこととは関係なく、「言語の平等」というのは人権の問題であるから、政
  府・国際機関・政党・社会運動家などが取り組むべき課題であるはずだ。

エスペランティストたちがこのように考えるのはよく判るのですが、しかし世間の人たちに
も、言い分はあると思います。

  たしかに「言語の平等」というのはよく判るんだが、しかし言っちゃあ何だが、エスペラン
  トはまったく成功していないではないですか。

  英語や機械翻訳のほうが、よっぽど現実的に思えるんですよ。

私がこれまでさんざん言ってきたことですが、エスペラントというのは世間においては、幽
霊やUFOに関する話よりも見聞きすることが少ないものなのです。

また、世間の大部分の人たちは、エスペラントを話す人に一度も会ったことがないし、エス
ペラントで書かれた本を一度も目にしたことがないはずです。
ですから、こういうものを「支持しろ」と言われても、支持できるわけがないわけです。
---

エスペランティストたちは、エスペラントを支持してもらえるよう、理念や理論を訴えている
わけですが、それを見て、世間の人たちはどう思うでしょうか。

  たしかにエスペランティストというのは、みんな頭が良いみたいだし、また一生けんめ
  いに活動をしている。
  また、プロの言語学者も何人かいるらしい。

  しかし、こういう頭の良い人たちやプロの言語学者たちが頑張ってもうまく行かなかっ
  たんだから、やはり誰がやってもダメなのだろう。

理念や理論を一生けんめいに訴えれば訴えるほど世間からこのように思われてしまうと
いうことに、エスペランティストはまったく気づいていないみたいですが、これが普通の考
え方だと思うのですね。

要するに「学習容易だ」「レベルも高いんだ」と言ってるのですから、エスペラントが使える
人を増やさないといけないわけですね。

エスペラントが使える人が少ないのに「学習容易だ」「レベルも高いんだ」などと言っても誰
も信じませんし、「エスペラントによって言語の平等を達成することなんてムリだ」と思われ
るに決まっているわけです。
---

理念や理論が好きなエスペランティストたちが誤解しているのは、「理念さえ正しければ、
頭の良い人であれば支持してくれる」と考えているところです。

しかし、いくら理念に好意的な人であっても、「学習容易だ」「レベルも高いんだ」と言ってる
のに、いつまでたっても使用者の増えない言語なんかを支持するわけがありません。

ということで、結局「エスペラントが使える人を増やす」ことが何よりも大事であって、それを
せずに理念や理論を訴えることは、むしろ逆効果でしかないということです。

(終わり)

15松戸彩苑:2007/10/28(日) 11:29:06
>>14 に補足しますが、要するに「エスペラントを使える人が(そこそこ)いる」ということが
最良の宣伝になるのであって、「理念や理論を訴えるだけ」というのでは意味がないという
ことです。

16松戸彩苑:2007/10/28(日) 11:43:24
>>13
ご意見を書き込んでくださって、ありがとうございます。
このスレを立ててから1ヶ月たつんですが、ほかの方は誰も書き込んでくださらないんで
すよね。

私は「エスペラントで楽しいことが出来れば、たとえ使用者は少なくても、学習する人はい
るだろう」と思っているんですね。

また「手話のように、使用者は少ないけれども、社会的なステータスはある」という状態を
目指せば良いんだとも考えています。

しかし現在、エスペラント運動の先頭に立っている人たちというのは「世間の人たちに理念
を理解してもらえれば、必ず支持されるんだ」などと本気で信じているから、エスペラントを
やっているのでしょう。

ですから、私の意見なんかは「つまらないもの」に見えるのでしょうね。

17Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/10/28(日) 16:57:41
率直に申しまして松戸彩苑さんがそこまで執着される理由が
理解できません。

18松戸彩苑:2007/10/28(日) 19:00:32
>>17
いや、今のままですと、徐々に高齢化していって先細りになるだけだと思うんですけどね。

いわゆる「茹でガエル」というやつで、ほんのわずかずつしか変化していないので、注意し
ていないと気づかないのかもしれませんが、どう考えても、世間はエスペラントにとって不
利になりつつあると思うんですよね。

そもそも、ふつうに考えれば、すでにエスペラントには発展する可能性はまったく無いの
ですよ。

エスペラントの雑誌というのは、エスペラント運動にとって都合の良いことしか取り上げな
いものですから、ああいったものを読んで「これでエスペラント運動の全体が判った」など
と考えていたのでは話にならないと思うんですよね。

そもそも現在、エスペラント運動にとって明るい話だとか計画だとかがあるでしょうか?
そういうものがあるのであれば、ぜひとも教えていただきたいですね。

そういえば Wikipedia によりますと、『Cxu Esperanto postvivos la jaron 2045?』という本
を書いて、エスペラント運動の危機を訴えた Tazio Carlevaro は、現在はエスペラント運
動から身を引いてしまったそうです。

http://eo.wikipedia.org/wiki/Tazio_Carlevaro

19松戸彩苑:2007/10/28(日) 19:18:02
それから、欧米でエスペラント運動が落ち目だということがあるんですね。

「アジア・アフリカでエスペランティストが増えている」という話もありますけれども、欧米で
ダメだったものがアジア・アフリカで成功するとは、とても思えないんですね。

20Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/10/29(月) 06:51:19
松戸彩苑さんは一緒に運動する者をこの掲示板で募ってらっしゃるんでしょうか?
それなら提案にもう少し具体性が必要でしょう。
JEIの方針を変えようとお考えなら会員でなければならないでしょう。
何を意図しておられるのかわかりかねます。

21松戸彩苑:2007/10/30(火) 05:38:22
とりあえずは「読んで」「よく考えて」そして「感想を教えて」いただけると有難いと思ってお
ります。
理解する人が増えないと行動は起こせませんし、また私の考えのなかに大きな間違いが
あるかもしれませんから。

これまで私は「エスペラントは自然に発展する」とか「日常生活に関する語彙・表現はす
でに出来ている」といった従来の(誤った)エスペラント観を批判し、「要するに、ザメンホフ
にも間違いがあったのだ」と言ってきたわけですが、はたして成功してるでしょうかね?

従来のエスペラント観のせいでエスペラントの発展がいちじるしく遅れたわけですから、こ
のへんのことまで理解していただかないと、たとえ国や国際機関や言語学者が協力した
としても、日常生活全般について簡潔・的確に表現できるような言語にはならないと思うん
ですね。

それから、エスペラントを長年やってる人というのは、みんな「エスペラントが普及しない理
由」について考えてるものだとばかり思っていたのですが、そういう人は意外と少ないので
しょうか?

22松戸彩苑:2007/11/20(火) 22:49:34
libera folio に「スイスの国会議員がUEAをノーベル平和賞の候補に推薦」って記事が出
てますね。

http://www.liberafolio.org/2007/svisaparlamento/

UEAはこれまでにもノーベル平和賞の候補に推薦されたことがあるはずなんですが、そ
れは良いとしましても、私ははっきり言って「困ったことだな」と思ってるんですね。

というのは、もし本当にノーベル平和賞を受賞したら、そのあとが大変だと思うからなんで
すね。

(1) ノーベル平和賞を受賞すると、当然、社会全体の雰囲気が「エスペラントを学習しよ
    う」とか「エスペラントを社会のなかで使おう」という感じになる。

(2) しかし、今のままでは「学習途中で挫折する人が大量に出る」ことになりますし、また
    「日常生活に関する語彙・表現が不足・混乱していることが発覚」したりします。

こうなったら、エスペラントの信用はまったく無くなるわけですね。
「なんだ、やっぱり英語のほうが信頼できるよね」ということになってオシマイです。

私は「エスペラント改造論」というスレで、現在のエスペラントにおける日常生活に関する語
彙・表現の不足・混乱についてしつこく論じていますが、こういう問題について知っている私
からすると、上のようなシナリオしか描けません。

たぶん受賞はしないと思うので、安心してはいるのですが…。

23松戸彩苑:2007/11/23(金) 16:36:21
どうもエスペラント界の力を過大評価してる人が多いようなんですが、現実には Ĝangalo
や Internacia Televido 程度のものでさえ維持できないのです。

これが、現在のエスペラント界の実力なんですね。

24松戸彩苑:2007/11/25(日) 17:14:56
現実をしっかりと見ないから、社会から(自分の家族&知人からさえも)無視されるのです。

25papageno:2007/12/16(日) 22:17:40
EUの公用語の一つにもなれないエスペラントが、世界の共通語になる可能性はほとんどゼロでしょうね。

何にせよ、なぜエスペラントは世界の「唯一の」共通語になりたがるんでしょう? なぜ、英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、アラビア語などと同様の共通語の「一つ」になることを目指さないんでしょうか? そうせずに一挙に世界「唯一」、あるいはEU「唯一」の共通語になろうなどと無茶なことを言うから相手にされないんじゃないでしょうか?

26papageno:2007/12/17(月) 10:45:54
>>25
ここにエスペラントの矛盾があるんですね。
エスペラントは各民族語を尊重し、それらに取って代わるのではないと主張しておきながら、他の国際共通語は尊重せず、それらに取って代わると主張している訳です。
これはある意味子供じみた考えで、これでは世間から相手にされません。英語やフランス語などは、何らかの必要性があるからこそ、国際共通語として使用されているのです。

もっと大人になって、他の国際共通語と共存して行くという発想に切り替えなければ、ただただ世の中から忘れ去られて行くだけでしょう。

27KamelioJapana:2007/12/17(月) 16:47:37
松戸さま。
「日常生活に関する語彙・表現が不足・混乱している」

まだ、仰っているんですね。
お伺いしますが、国際共通語と言う地位を戦前は英、戦後は米の武力を背景にして
築きつつある歴史的偶然の申し子とも言える英語なんかは、日常語の混乱どころの
比ではないでしょう。
スコットランドやニュージーランド映画には、米国ではしばしば米語字幕がついて
いますよ。

>「学習途中で挫折する人が大量に出る」

その数は英語の学習挫折者に比べたら、二桁も三桁も違うでしょう。
勿論、ノーベル平和賞ということになれば、マスコミや出版会の学習志願者に対する
態度も違ってくるでしょう。今までよりも遥かに優れた教材が提供される事になる
し彼ら自身も学習を急きょ開始するでしょう。
我々E-istojは寝かせてもらえなくなりますがね。。。
しかし、
その実現は、現代世界の経済的力関係からみても、まず無理でしょうが、ノーベル賞の
受賞を応援こそすれ、それに反対する態度は真面目に運動を追及しているE-istojにとっては、
言語同断の極みと言われるでしょう。

28なつ:2007/12/20(木) 05:25:50
papagenoさん。
セレン氏の名言に「所詮喧嘩の強い奴と金持ちとには勝てないのだ」というようなことがありますが、
英語話者(優)>他言語話者(劣)
ゆえに劣者は優者の言語を話せ。というのが英語が世界共通語の理由ですね。
簡単です。劣者は常に英語の文法や語彙を気にしながら、生涯下手ながらしゃべらなければならない。
こういう現状打破の理想がEであり、そこに左翼が侵入するんですが。
こういう構図はEの基本なんでご存知だと思うのですが。
英語という言語自体においては必要性はありません。
共通語選択において選択されるのが強制的に英語ということです。

しかし、各民族語は各民族間で話せばいいじゃん、と、Eの存在は簡単な理由です。

ただし、一足飛びに「唯一の世界語となるのだ!」というのは、おかしいですね。
それには同意です。
共通語として英語を話したければ話せばいいのです。
Eを話したければ、話せばいい。自由にすればいいのです。
その選択肢のひとつに末席ながらEがすえられるというのが望ましいのではないでしょうかね。
同意です。

29松戸彩苑:2007/12/29(土) 05:47:32
アメリカ発のサブプライム問題のせいで、アメリカとヨーロッパが不景気になりそうですし、
また中国の景気もバブルですから、これもじきに破裂する恐れがあります。

ということで、残念ながら、世界的に「エスペラントなんかやってる場合じゃない」という感じ
になってくるのではないでしょうか。
---

1990年前後に東欧諸国やソ連が共産主義を放棄しましたが、この政治的な大変化のな
かで、エスペラント運動はかえって後退しました。
それまでは国の援助があったのが無くなってしまったからです。

しかし考えてみれば、貧しいとはいえ、自由に外国人とコミュニケートできるようになったの
ですから、これはエスペラントにとってはチャンスだったはずなのです。
しかし、ただただ後退しただけだったのです。

結局、東欧のエスペラント運動というのは「アサガオ」と同じで、支えがないと倒れてしまう
程度のものでしかなかったわけです。

また、エスペラント自体の有用性というものにも疑問を感じないわけにはいきません。


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