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エスペラントはどのくらい易しいか

1樂々:2007/06/05(火) 21:26:10 ID:VBtkMNoI
皆さん質問にお答えいただいてありがとうございます。
実は一番お尋ねしたかったのがこの質問なんです。
予想したとおり答えは大きく分かれてしまいました。
これはエスペラントにおいて根本的な問題だと思いますので、
専用のスレを立ててもっと討論を続けてていきたいと思います。

2Kanva:2007/06/06(水) 23:57:51 ID:???
特別な教育プログラムを用意しない限り、eterna komencantoに留まる人が
多数出るくらい、また学習開始一ヶ月ほどで放棄する人も出るくらいには、
難しさのある言語だというのは、広く共通の認識ではないかと思いました。
つまり、「民衆が遊びながら勉強できるほど非常に簡単」というのは誇大
広告であり、「相手がエスペラントを知らなくても通じる」というのは、
欧洲内はともかく、アジアその他ではあり得ないことでしょう。
それでも、例えばサンスクリット等を始めるよりは、格段に敷居が低いのは
確かだろうと思います。
しかし、「民衆が遊びながら勉強できるほど非常に簡単」ではない程度の
易しさを、国際補助語として十分な価値のある易しさだと位置づけることが
できるかどうかが、議論の焦点になろうかと思います。
現実問題、エスペラントより更に易しい国際語を今から創ることは、至難
だろうと思いますから、エスが中立の国際語に適さないならば、中立の国際
補助語という理念そのものを放棄、乃至は全く別な発想に立つことを求める
ことに繋がりかねません。
そういう「根本的な問題」ですよね。

3松戸彩苑:2007/06/07(木) 05:00:22 ID:???
>>2
> つまり、「民衆が遊びながら勉強できるほど非常に簡単」というのは誇大広告であり

これを言ったのはザメンホフだと思いますが、ザメンホフは欧米人のことしか考えてない
ですからね(もちろんそれは、止むを得ないんですが)。
欧米人にとっては、かなり易しいのは事実でしょう。

でも、その欧米でさえも、エスペラント運動がうまく行ってないんですよね。
「エスペラントをやってもカネにならないから」という理由だけだとは、私にはとても思えな
いんですけどね。

4胡人:2007/06/07(木) 06:43:34 ID:KWkJeUjY
> つまり、「民衆が遊びながら勉強できるほど非常に簡単」というのは誇大広告であり
> これを言ったのはザメンホフだと思いますが、ザメンホフは欧米人のことしか考えてないですからね(もちろんそれは、止むを得ないんですが)。

たぶん、これは16か条の文法と同じく、ザメンホフのある意味意図的な誇大広告だと思います。エスペラント普及活動としての宣伝の一環だと思います。そして一番初めは、欧米人というよりも、欧米に散らばっているユダヤ民族の共通言語としての使用目的という側面もあったに違いありません。たぶんイーディッシュよりも現代ヘブライ語よりも簡単なのだと思います。

私の gvidanto 的には、少なくとも英語よりも4~6倍は簡単と言います。それは16か条とは言わないまでも文法が大変簡単で、不規則変化が少ない。また単語に関しても、一つの単語を覚えると、接頭語、接尾語の使用で計算的には75倍の単語量?が確保でき、その上造語法によって様々な表現が可能であるからという理由です。

でも結局言語ですから、英語で3000時間とすれば少なくともエスペラントでも500時間は必要と言われています。

以前、韓国の有名な先生に「何故、韓国人の方が日本人よりE能力の向上が早いのでしょう?」と聞いたところ、母語的な問題もあるかも知れないが、基本的には入門初級の講習システムの違いも大きいと思うと言われた。

韓国ではE講習は有料で週2回講習が基本。日本では週に1回ある所では月に1回と聞くが、語学において週1は少なすぎる、ある程度身に付くまでは、一定期間まじめに取り組む必要があると言っていました。

反面、大学でのE授業は、その語学としての簡単さから、単位獲得のために選択する人ばかりで、卒業するとEは縁が無くなってしまう人がほとんどと嘆いていました。

5樂々:2007/06/07(木) 06:46:02 ID:VBtkMNoI
根本的な問題と申しましたのは、エスペラントの価値をどこに見出すか、
そもそもエスペラントに価値があるのかどうかにかかってくるからです。
わたしにとってはエスペラントはケタ違いに易しいです。だから、エス
ペラントを使っているのです。そんなに易しくないと言われても承服
できません。

6胡人:2007/06/07(木) 07:03:32 ID:KWkJeUjY
その意味ではパソコンと同じで、エスペラントも一つの道具です。使う人がいなくてはそれ自体に価値は有り得ません。
各々価値観は違うのが本当のところだと思います(^^)V

様々な文章を10人くらいで翻訳していると、だんだん美しい文章、憧れる文章が現れだしてきた今日この頃です。
奥行きは結構深いと思いますよ。

7樂々:2007/06/07(木) 20:54:38 ID:VBtkMNoI
>特別な教育プログラムを用意しない限り、eterna komencantoに留まる人が
>多数出るくらい、また学習開始一ヶ月ほどで放棄する人も出るくらいには、
>難しさのある言語だというのは、広く共通の認識ではないかと思いました。
特別な教育プログラムが用意されれば極めて短期間にエスペラントは
習得され得るものです。エスペラントの教育法は百年前から進化していません。

8Bonsano:2007/06/08(金) 11:31:36 ID:jBsTP12E
ザメンホフも最初にターゲット(celatoj)にしていたのは、やはりインテリ連中
だと思います。
印欧語族に属するインテリたちにとってはEはそれこそ桁違に易しいものだった
でしょう。トルストイが3時間で辞書を片手に読み書きできるようになった話は
有名ですね。
しかし、一般の大衆がEを使いこなせるようになる為には、日本の英語教育のように
学校の教育カリキュラムの中である程度の終始一貫した学習年数が要求されるのは
必須だと思います(それでも英語教育は成功していない)。
すなわちEが最終勝利(この定義も色々と論議の余地がありますが)を得るまでは、
一般大衆にとって本当の国際交流補助語としてその有用性を認知して頂くのは、
相当無理な話といえるでしょう。

>エスペラントの教育法は百年前から進化していません。

印欧語族以外の人たちをEの享受者として念頭に置くなら確かにそう言われても
仕方ありません。それぞれの母国語の特徴に準じた教授法を考案すべきですね。
その試みは、未だ少数ですが、既に為されてきていると思います。地方会のgvidant/int/oj
がこれまで体験したことを持ち寄って、最も効果的な教育法は何か、そのための
教材やカリキュラムはどういうものが良いかを煮詰めて体系化する作業が必要であろうと
私も考えています。

9松戸彩苑:2007/06/09(土) 00:04:39 ID:???
要するに皆さんは「エスペラントが使えるようになりたい」「エスペラントが使える人を増や
したい」ということで、「学習方法」について議論したいわけですね。

私もそういったことに関心がないわけではないんですが、しかし、かんじんの私じしんが
エスペラントを自由自在に使えるわけではないので、語りたくても語れないんですよね。

そういう話は、よほどエスペラントのうまい方か、あるいはエスペラントを教えた経験のあ
る方なんかがすべきであって、私のような者がすべきではないと思ってたわけです。
でもまぁ、多少は考えてみることにしますか。
--

はじめの一歩は、やはり入門書で、基礎的な文法と語彙を身につけるしかないでしょうね。
この点に異論のある方は、ほとんどいらっしゃらないと思います。

さいわいにも日本では、さまざまな入門書が出ています(とは言っても、一般書店で入手
できるものは限られていますが)。

私の場合は『エスペラント四週間』でした。
これまでにも書いてきたように、私は一度も講座に参加したことがないので、このときも独
学です。

この本は、文法の基礎なんかはかなり判りやすく説明してあったと思いますが、読み物の
部分は、文字が小さすぎるのと、初学者には難しすぎるのが良くないと思いました。
ただし、日本語訳のほうだけ読んで「エスペラントには、これだけの表現力があるのか」と
思い、エスペラントに対する信頼が高まりましたので、まったく役に立たなかったというわ
けでもありませんでした。

逆に言えば、単純な読み物しか載っていなければ、「なんだ、エスペラントって、この程度
のものなのか」と思ってしまったかもしれませんね。

これ以外の入門書についても、私は何冊か入手して読んでおりますので、いろいろな感
想は持ってるんですが、やはり初学者の立場では読んでいないという事がありますので、
ここでは割愛させていただきます。
---

で、問題は、入門書を終えてからなんですよね。

「初級は文法、中級は会話」
「中級で訳読などやるのは意味がない。自分一人でできるからである。教室は教室でなけ
ればできないことだけをやるべきである。それが会話である。」

と論じておられるのは、ヤマサキセイコー氏です。

ヤマサキ氏は『Resumo de la prelego pri la instrumetodo por la mezgrada kurso』という、
A4判で8ページの講演用の資料のなかで、このようにおっしゃってるんですが、これにつ
いては、共感できる点と、疑問に感じる点とがあるんですね。

共感できるのは、私の経験からいっても「言葉は目から憶えた場合、読めるようにはなる
が、アクティブに使えるようにはならない」「自分の口や耳を使わないと、アクティブに使え
るようにはならない」ということがありますので、そのために会話の練習をするというのは
大事なことだと思うからです。

梅棹忠夫氏も『私の外国語』という本のなかで「自分は英語やドイツ語の単語をたくさん知
ってるし、本もそれなりに読めるのだが、しかし、アフリカで身につけたスワヒリ語のほうが、
知ってる単語は少ないにも関わらず、使っていて実感がわく」といったことを論じておられ
るんですね。

私の場合、出不精なのと、他人のペースで勉強するのがイヤだったのと、「単語をたくさん
憶えれば、判るようになるよな」という思いと、知ってる単語が少ない状態でシドロモドロに
なって、したくもない話をさせられるのがイヤだという思いがあって、独学を続けたんです
が、やはりそのせいで、身につくのが遅かったと思いますし、また能力的にバランスがとれ
ていないような感じもします。

しかし、「会話をやるべき」ってのには賛成するんですが、「中級で訳読などやるのは意味
がない。自分一人でできるからである」というのは、語学が得意な人はそうでしょうけど、そ
ういう人ばかりではないと思うんですよね。
そういう形でないと語彙が身につかないという人もいると思うんですね。

で、これを読んで感じたのは「たしかに素晴らしい方法だが、こういう授業の先生ができる人
というのは、なかなかいないのではないか」ということです。
会話の授業の際には、原則的にエスペラントのみとし、説明もエスペラントで行なうというわ
けですが、かなりの能力が必要とされると思いますね。
もちろん、そういう人を養成することは大事だと思いますが。

ということで、多少は疑問に思う点はあるものの、大筋では正しいと思いますので、この資
料は必読だと思います。

(これとほぼ同じことがRO誌かどこかに載ってたような気がするんですが、どこだったかは
今はちょっと思い出せません)

(続く)

10Kanva:2007/06/10(日) 20:38:57 ID:???
現在の私の場合は、自分がまだ初級者であるところへ、後発の入門者が入って
きている(そして今からも新参加者がいる予定)という状況です。
全くもって、エスペラント学習法の話をする資格はありませんが、中級・上級
者でなければ後進に助言もできない、というわけでもないと思います。
自分の身に引き当てつつ、このスレッドでのご議論を拝聴したいと思います。

会の「入門講座シリーズ」は、一度も全部には出席できていませんが、数回
経験しています。毎回趣向や教材を変えて工夫されるところに、gvidantoさん
の熱意を感じます。
また、それらに使われた教材以外にも、入門書や辞書を持っています。
そういう乏しい経験からでも、ベテランの皆さんの書き込みを見て思うこと
があれば申し上げます。

11松戸彩苑:2007/06/12(火) 23:31:36 ID:???
私は >>9 において、ヤマサキセイコー氏の文章に言及したあとで

  これとほぼ同じことがRO誌かどこかに載ってたような気がするんですが、どこだったか
  は今はちょっと思い出せません

と書きましたが、調べてみたところ、RO誌2002年5月号の8〜9ページに、ヤマサキ氏の
「中級へ進むことの意味」という文章がありました。

最初に「1 わたしの中級の定義」というのがあって、ここには次のように書いてあります。

  中級の人とは初級を終えた人である。初級を終えたとは品詞語尾、数、格の語尾、相
  関詞表、助辞をいくつか知っていることである。つまり文法をいくらか知っていることで
  ある。だから中級の範囲は非常に広い。(後略)

という事なんですが、ここで気になるのは「知っている語根の数」にはまったく言及してい
ないんですよね。
まぁ、ふつうの入門書に出ている語根を総動員して、さらに勉強すれば、そこそこ話がで
きるって事なんでしょうけど、このあたりがちょっと判らないですね。

また、相関詞表にも言及しておられますが、これを完璧に憶えるというのも、けっこう大変
なんですよね。
まぁ最初は tio、kio、tiu、kiu あたりから憶えることになるんでしょうが、tio と tiu の使い
分けなんかも、なかなか分からなかったりしますよね。

私の場合は独学でしたから「最初のうちは、読んで理解できれば良いや」と思って、使い
分けについては後まわしにして、語根を憶えることに集中したんですが、会話をやるという
事になると、そうも言ってられないわけですよね。
---

そしてヤマサキ氏は

(1) 生徒は教室では日本語はいっさい使ってはいけない。
    講師は日本語を使ったほうがいいと判断したばあいには使ってよい。

(2) 教科書は使わない。

(3) 生徒は字引を持ちこんではならない。
    教室で字引を引いているとき生徒は教室で行なわれていることへの注意が数秒逸
    らされてしまう。

(4) 生徒は知らないことが出てきたらなんでも帳面に書き留める。
    その場で質問するほか自宅で帳面を見ながら文法書や辞書で調べる。

といったことを述べておられるのですが、これはよく判るので、とくにコメントはしません。

しかし5.2には、次のように書いてあるんですね。

  5.2 会話が上達するのには語彙をふやすことが重要である。そのいちばんいい方法
  は「読む」ことである。それを教室でやるのはムダである。中級でもっとも望ましくないあ
  の輪読会になってしまう。そうではなくて自宅で読む。いやというほど字引を引く、読む。
  分からないことを中級の教室で質問するのはよいことである。なぜなら日本語で質問を
  してはいけないのであるから「話す」けいこになるからである。単語をふやすには、はず
  かしがらずに中学校の思い出なつかしい単語帳をもつことが必要である。本を読む時
  間がない人は電車のなかで読む。そのときは吊革につかまりながら紙片に自宅で引き
  たい単語を鉛筆で書き留めて置く。その紙切れは捨てないでクリップで留めて置くとそ
  のまま単語帳になる。

こう言っちゃあ何ですが、凡人にとっては、かなりの難行苦行だと思いますね。

もちろん、5.3に「ゆっくりやって構わない」といった感じのことも書いてありますし、また、
民族語で同じことをやるのに比べればずっと楽だってことも判るんですが、ほんとうにこれ
が「いい方法」なのかなとも思います。

というのも、基礎的な語根・表現を憶えるのに、いちいち辞書を引くというのは、あんまり効
率が良いとは思えないからです。

まぁ、「中級の範囲は非常に広い」と述べておられるわけですから、おそらくこれは「初級
を終えたばかりの人」の事ではないのでしょう。

初級を終えたばかりの人の場合は、1冊だけではなく、複数の入門書を勉強するというの
が良いのではないかと思います。
そうすると、1冊目とは違った語根や表現が出てくるでしょうし、文法項目の復習にもなる
わけです。

それから、エスペラントは「自由に合成できる」というのが特長なわけなんですが、しかし、
初学者が辞書を引く場合には、この合成語が意外と難物となるんですよね。
つまり、知ってる語根の数が少ないと、語根と語根の切れ目が判らない、ということがよく
あるわけです。

12松戸彩苑:2007/06/12(火) 23:33:39 ID:???
>>11 の続き)

それから、エスペラントは「自由に合成できる」というのが特長なわけなんですが、しかし、
初学者が辞書を引く場合には、この合成語が意外と難物となるんですよね。
つまり、知ってる語根の数が少ないと、語根と語根の切れ目が判らない、ということがよく
あるわけです。

それでも日本の場合は『エスペラント小辞典』があるので、かなり助かってるんですが、
欧米語を母語としてなくて、『エスペラント小辞典』のような合成語も見出し語として載って
るような辞書の無い国の人たちは、かなり苦労をされてるんじゃないかと思いますね。

ですから、合成語を使うときは、ハイフンを多用したほうが、学習者にとっても辞書で調べ
るのが楽になると思うんですけど、こういう配慮はあまりなされていないようですね。
---

ということで、ヤマサキ氏の意見に多少疑問を投げかけてみましたが、じつは私も独学で
したから、私が身につけたすべての語根や表現は、入門書か、辞書か、あるいはRO誌に
載っているような学習読み物などをつうじて身につけたことになります。

ですから私の学習法も、基本的にはヤマサキ氏の主張するところと、あまり変わらなかっ
たわけです。

しかし私の場合は、もっと漫然とやってましたね。
「少し読んでみて、難しすぎるとか、つまんないと思ったら、読むのをやめる」「面白いと思
える読み物を探す」といった感じでやってましたので、時間はかかったかもしれませんが、
挫折せずに身につけることが出来たように思います。
---

それから「読む」ということですけど、その際には「読み物の選び方」というのが大事だと思
います。

私の場合 Monato や、UEAの Esperanto などに載っている短い記事が読みやすかったよ
うに思います。
つまり「どこどこで、こんな事があった」という具体的な文章ですね。

これらに比べると Literatura Foiro はさすがに難しかったですね(今は読めますけど)。

また文学作品が楽に読めるようになるのにも、少々時間がかかりました。

童話みたいなのは読む気がしなかったので読みませんでした。
(もちろん、こういうのが好きな人が読むのは良いと思いますが)

それから、TEJOが出している Kontakto ですと、大人が読んでも面白いと思えるような読
み物が載っていましたので、これも役に立ったと思います。

なお、エスペラント書きの雑誌で、これ以外に読んだことがあるのは El Popola Cxinio と
Fonto と Heroldo de Esperanto だけですので、Sennaciulo とかについては判りません。

また、エスペラントや人工国際語の歴史について書かれたエスペラントの本がいくつか出
ていますが、こういうのは、エスペラントや人工国際語の歴史を(日本語で勉強して)知っ
ていれば、語学力があまり無くても楽に読めたりしますね。

つまり、「自分がすでに知っていることをエスペラントで読む」というのは易しいわけです。
私は先に「文学作品は難しい」と書きましたが、これは要するに、私が文学をほとんど読
んでないからなんでしょうね。
ですから、すでに読んだことのある、自分の好きな文学作品のエス訳を選べば、学習の
効果があるのかもしれません。

それから私の場合は、フィクションよりもノンフィクションのほうが性(しょう)に合ってたん
だとも思いますね。

私はエスペラントを本格的に始めたときから「エスペラントはそれなりによく出来ているよう
に思われるのに、どうして現実にはうまく広まらないのだろうか」という疑問を持っていまし
たから、エスペラント運動の歴史や現状、それにエスペラントの言語学的な問題などに関
心がありました。

それで、かなり早い時期から、そういった本(日本語・エスペラント・英語で書かれたもの)
を買い求めて読んでいたのですが、そういったこともエスペラントを身につけるうえで役に
立ったと思います。

それからマンガについてですが、手塚治虫の『火の鳥 未来編』のエス訳がありますが、
マンガは絵があるので、エスペラントを始めたばかりの人が読むのに良いのではないか
と思います。
ただし、今の造本ではページが開きにくいので、そういった点は改善していただけると(と
くに初学者にとっては)有難いなと思います。

13松戸彩苑:2007/06/12(火) 23:37:23 ID:???
>>12 の続き)

あと、読み物ではないんですが、「なるべく早い時期に、エスエス辞典を使う習慣をつける」
というのも大事でしょうね。

もちろん、あるていどの基礎が身についてないと使いこなせないんですが、文学作品を読
むのよりは、ずっと易しいのですから、やはり、なるべく早い時期からチャレンジすべきだ
と思います。

それから、いちおう言っておきますと、動植物名や化学物質の定義には難しい専門用語
が使われていますので、専門家でもない人にこれが判らないのは構わないと思います。
---

私は「対訳本」をいろいろ(エスペラント以外の言語のものも)買ってみたんですけど、今
まであまり役に立ったという記憶が無いんですね。
もちろん上手な使い方というのがあるのでしょうけど、私の場合たいていは、日本語のほ
うだけ読んで、外国語の部分は、最初のほうだけ目を通しておしまい、って事になってま
すね。

対訳本よりも、難しい単語だけを取り出して和訳が添えてあるタイプの読み物のほうが、
役に立ったという感じがあります。

むしろ対訳本は、エスペラントのことを知らない人に見せて、エスペラントにはこれだけの
表現力があるということを示すといったような使い方をするのに良いんじゃないか、なんて
思ったりもしてるんですが。
---

また、ヤマサキ氏の文章のなかに「分からないことを中級の教室で質問するのはよいこ
とである」とあるのですが、先生のほうは、こうした質問にエスペラントでまともに答えられ
るかもしれませんが、生徒のほうがそれを理解できるんでしょうかね?

ということで、今までいろんなことを書いてきましたが、結論を言えば、私はヤマサキ氏の
アドバイスにかなりのていど同意するんですが、しかし「ちょっと一般人向けではない部分
もあるよな」と思ってるわけです。

「出来るだけ会話する機会を増やす」というのはまったく正しいと思うんですけど、かなり
の強行軍ですので、これについて来れる人はそんなにいないだろうという感じもするわけ
です。

とは言うものの、重要なヒントが簡潔に述べられているとも思いますので、これを参考にし
て考えていくべきでしょう。
---

ここからは、ヤマサキ氏の文章とは関係の無い、私じしんの体験について書いていきます。

私の場合、エスペラントを学び始めてから3年くらい経ったころから、自分が使いそうな単
語を和エスや英エス辞典で調べるということをやったんですね。
じつは、この作業をつうじて「日常生活に関する語彙・表現の不足・混乱」に気づいたわけ
なんですが、やはり使いそうな単語でないと憶える気になれなかったので、こんな事をし
たんですね。

ということで、私は「エスペラントの分野別の語彙・表現集」みたいなものがあれば、学習
者にとって役に立つのではないかと思っております。

こういったものにコロケーションの情報も盛り込めば、かなり役に立つんじゃないかと、大
ざっぱな構想をいだいているんですね。

エスペラントの単語帳といえば、大学書林から1500語のものと6000語のものが出てま
すけど、私の場合は、あれでは憶えられなかったですね(私が初学者だったときは1500
語のほうしか出てませんでしたが)。
ああいうふうに、ただ単にアルファベット順に並んでいるだけでは、とても憶えられません。
もっとも、あるていど学習が進んだ時点で、ああいった単語帳を読んでいけば「落穂拾い」
ができるのかもしれませんが、私の場合は、役に立ったという印象はありませんね。

それから私は『改訂 新選エス和辞典』や『エスペラント小辞典』を拾い読みするということ
もやってみましたが、どのていど効果があったのか、よく判りません。

14松戸彩苑:2007/06/12(火) 23:38:07 ID:???
>>13 の続き)

ということで、私の体験についていろいろと書いてきましたが、参考になったでしょうか。

ところで、私にはまったく判らないのが「インターネットがエスペラントの学習に与える影響」
です。

私がインターネットを利用するようになったときには、すでにエスペラントが出来るようになっ
てましたので、ぜんぜん判らないんですね。

でも予想をしますと、いつでも好きなときにエスペラントで書かれた文章に接することが出
来るわけですから、プラスに働いているように思いますね。

また、ネットを利用すれば、そんなにおカネをかけなくても、エスペラントを身につけることが
出来るのかもしれません(もっとも、たまにはエスペラント書籍を買ってやってほしいもので
すが)。

また、ヤマサキ氏が批判しておられる「輪読会」というのも、どんな感じのものなのか、ぜん
ぜん知りません。

私は、こういったことについても教えていただきたいと思っております。

(とりあえず終わりですが、続くかもしれません)

15Kanva:2007/06/13(水) 21:02:14 ID:9ssV.6Mc
>>14

>「輪読会」

我々のところでは、テキストを配って、1・2段落ずつ参加者が順に音読と
和訳を言う、という、学校の授業の延長みたいなスタイルの時間があります
が、そのことですかね?本当に長い文献を通読するわけではなくて、一回に
1ページくらいを読むのですが。

ちなみに、質問事項にエスペラントで説明を返されても理解に苦しむのは、
確かです^^;。

16胡人:2007/06/14(木) 07:28:43 ID:ioIx19yI
脱初級クラスが、様々な段階の参加者のためか、正直、試行錯誤に近いのでしょうか…
私の地域では、輪読会はしません。やはりまとまった本を読むのは自習が基本とされています。
グループ学習としては、

(1)「Kiel vi fartas?」>gvidantoが質問し各々現状等をエスペラントで報告する。
(2)「翻訳会」>難解な100字程度の日本文(ことわざ、小説の一部分、詩など)を先に提示し、後に翻訳を発表し合う。
(3)「20の扉」>順々に出題者が変わって、エスペラントで質問と答えを繰り返し、その解答を導く。

(1)を初めに行い、(2)(3)を1週おき(po du semajno) に行っています。

個人的には、価値観の好き嫌いはともかく、
自習は、沼津の通信講座(特に中級)
またネット上では「Vojagxo en Esperanto-Lando」面白い読み物を探す上でも(^^)V
http://www.geocities.jp/akvoju/vel/
が大変良い様に思われます。

しつこいですが、より簡単なエスペラントの追求(文法上ではなく、基本単語を500〜1000字程度にしぼった)も、普及活動の一環として私には必要と思われます。

17Kanva:2007/06/14(木) 21:46:39 ID:???
>>11
ヤマサキセイコーさんの「中級」の定義は本当に広いですね。
いわゆる"eterna komencanto"も、大半が中級者に分類されるのでしょうね。
私も中級者ということになりますが、私自身は、今の水準では初級者と呼ぶ
べきと確信しております。詰まって考えながらでも、辞書などなしに独力で
その言語での意思表示ができなくては、中級者とは呼べません。その場合に、
丸暗記の挨拶語("Bonan tagon.""Gxis revido."k.t.p.)は除外とします。
手段は、発話自体に困難のある人もいるので、筆記でもよいこととして。

>>16
なるほど、そのグループ学習が成立するのは、確かに中級以上でしょうね。
私は、そういうスタイルを経験したことがありません。

数人の集まりに、入門から中級者まで混じり、gvidanto一人が上級者の場合、
中級者に合わせるのは難しいだろうと思います。
各自が言いたいことを順に話す時間もありますが、単語を調べたりして
用意してきた人も、しばしば、考え考え、しどろもどろになっています。

18松戸彩苑:2007/06/15(金) 04:59:54 ID:wB9UW7EA
>>16
> しつこいですが、より簡単なエスペラントの追求(文法上ではなく、基本単語を500〜
> 1000字程度にしぼった)も、普及活動の一環として私には必要と思われます。

いちおう言っときますと、私もそれには賛成です。
私の説明が中途半端だったせいか、誤解をされてる可能性があるみたいですので、ここ
で改めて説明しておきますね。

まず私は「日常生活に関する語彙・表現の不足・混乱」を解決しなければならないと考え
ているんですね。
で、これを行なうと、新語根を導入する必要が出てくると予想されるわけですけど、それは
やむをえないだろうと思うんですね。

エスペラント界には新語根に断固反対という人が少なくないんですが、しかし、日常生活
に必要な語彙・表現が不足しているのを放ったらかしにしておくわけにはいかないと思い
ます。
それでは、英語などに太刀打ちできないからです。

ただしそうすると、たしかに憶えるべき語彙・表現が増えますから、そのぶん辞書や(とくに
欧米語を母語としていない人向けの)教材を充実させないといけないわけです。
それで私は、従来の学習教材に加えて、娯楽を利用しても良いのではないかと言ったわけ
です。

ということで、私も、学習読み物は大事だと考えているわけですが、しかし、それはすでに
あるものですから、とくに重要性を強調しませんでした。
しかし、ひょっとすると、その点が誤解されてしまったかもしれませんね。

19Kanva:2007/06/15(金) 20:58:59 ID:???
例の松戸彩苑さん>>11での、ヤマサキセイコーさんの文章からの引用文、

> 中級の人とは初級を終えた人である。初級を終えたとは品詞語尾、数、
> 格の語尾、相関詞表、助辞をいくつか知っていることである。つまり
> 文法をいくらか知っていることである。だから中級の範囲は非常に広い。
> (後略)
というのを下手に適用されると、私の場合は、小学生の頃から中級だった
ことにされかねません。

--------
私は、団塊ジュニア世代の先頭の年で、公教育ではもうエスペラントの話は
全く聞きませんでした。中核派によるバリケードストライキなんかを学内で
実体験として目撃している珍しい一人だと思います。

しかし、小学校高学年の頃から、言語(特に音韻と文字について)に関心を
抱いて、図書館や書店に行くと、語学のコーナーで片端から立ち読みをして
いました。
エスペラントの入門書を開いたのは六年生で、「品詞語尾、数・格の語尾、
相関詞表や接頭辞・接尾辞の過半」はその場で暗記し、昨年初めてエス会に
正式に接触するまで、忘れていませんでした。でも、その一番最初の入門書が
誰の何という本だったのかは、全く忘れていますが。

とにかく、文字や語尾を覚えるのに手間がかかった記憶は全くなく、初日の
立ち読み数十分で済んでしまった覚えがあります。子供のことですからね。
ヤマサキさんの定義によれば、もしや、それから二十数年間、私は中級者
だったことになるのかもしれません。

けれども、私は、エスペラントの能動的運用能力を、つまり、辞書なしで
話したり書いたりする能力を持ったことは、これまで一度もないのです。
断言できます。
基礎文法を知り、文法的語彙を抑えていることは、中級と言える必要条件
ではあっても、十分条件ではありません。それは確かですよね?

語彙を知っているというのも、語形を見て母語での大まかな意味を言える
だけでは使えないのですね。意味範囲、構文、コロケーションをきちんと
把握して、習熟していないといけません。
語形を見てある程度意味の分かる語根というだけなら、今でも500は超えて
いますが、使える語彙が非常に少ないのです。

なお、会話とか読み書きには、純粋な語学力だけではなく、機能的問題も
絡んできます。私は、日本語でも、隣に座っている同僚の話を三回に二回
以上聞き返さないと、話のテーマも分からないのです。ちゃんと聞き取れ
れば分かるはずの表現ばかりなのにです。
エス会でも、gvidantoの進行や他の出席者の発言が、音声として十分聞こえ
ないことがしばしばあります。

20Kanva:2007/06/15(金) 22:34:05 ID:???
松戸さんの仰っている「複数の参考書を読む」ということは、私も独習には
有益だと思います。実際、他の言語でも、記述の分かりづらいところや、
誤記などが、幾つかの参考書を比較することで分かることがありました。
エスペラントについても、幾冊かを持っています。


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