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使い道無き言語の使い道

1Assh:2007/05/16(水) 19:32:44 ID:Gq.9J0g2
アートに用いるのがベストでしょ?言語で世界平和なんて絵空事!って思いませんか?だってそんなもんで世の中平和になるくらいなら21世紀の今日、憎しみ合いなんてとうになくなってるでしょ?わては歌の詩とかに使いたくて言語創作してます!エスペラント語のaj,ojのないIDO語の方がまだ美しく響いてる。Kを使ってるのはなんだかゲルマン語を彷彿させてダサい!ゲルマン語がダサいわけではなくエスペラント語がダサい!固有名詞まで語尾をOにするな!

7Kanva:2007/05/19(土) 23:40:07 ID:???
>Assh様

勉強と活動の、時間と量とが、ご自慢なのですね。少なくとも、お元気
なのは結構なことです。いつまでも、諸天のご加護がありますように。
……でも、私はそんなもので人間の価値を計りませんし、あなたに私の
思想の全体を云々されるほど、ここで考えを披瀝した覚えもありません。
私からは、Asshさんは、独断的で慎重さを欠き、議論は直感頼りで飛躍
だらけだというふうに見えていますよ。
それはさておき、人格批判はお互いにこれくらいにしましょう。

8Kanva:2007/05/20(日) 07:51:47 ID:???
>Assh様

私のことを、「社会・実践・生活体験から遊離した者」の一人だとお考えの
ようですが、それは、非人間的なほど睡眠時間を削って活動しているかで
決まることではありますまい。世の中には、睡眠三時間くらいでも正気を
保って活動できる人もおれば、言うまでもなく、七時間や九時間の睡眠を
必要とする人もいるのです。
日本経済新聞に、「世界を創った男 ―チンギス・ハン」(堺屋太一著)と
いう小説が連載中ですが、それによれば、チンギス・ハンは、「体力や
気力の特別に優れた者を、リーダーにしてはならない。なぜなら、部下の
疲労や苦痛を理解できないからだ」(取旨)と言っていたそうですね。
ご参考までに。

ちなみに、音楽活動歴という面でも、私とAsshさんは共通点がありますね。

9Kanva:2007/05/20(日) 20:01:02 ID:???
>Assh様

Asshさんが「噛み合いたいとも思わないのは五割。」とか「私の“独り言”
を…」とか書いておられるのが、本音かどうかは分からないんですけどね。

> 固有名詞まで語尾をOにするな!

それはそうなんですが、エスペランティストもそう思っている結果、今でも、
エスペラント化が定着していない都市名や人名は-o語尾にしていないことが
多いと思うんですよね。創始者Zamenhof博士の名前からしてそうですし。
学習用テキストにも、-o語尾にしない人名がよく登場しています。
改めてAsshさんが何度も叫ばれる理由がよく分かりません。

> エスペラント語のaj,ojのないIDO語の方がまだ美しく響いてる。

この種の語尾や音韻の好き嫌いは、多分に個人の感性によると思うんですね。
私の場合、比較的早くに触れたロシア語のうち、母音・半母音・鼻音で構成
される長めの語尾が一致して繰り返される点が特に気に入っていました。
エスペラント風に綴ると-oj,-ej,-ij,-aja,-ije,-oje,-eje,-uju,-om,-em,
-am,-im,-ami,-omu,といった形の、一連の格変化語尾ですね。
エスペラント語の-aj,-oj,にも、特に抵抗はありませんでした。

> Kを使ってるのはなんだかゲルマン語を彷彿させてダサい!ゲルマン語が
> ダサいわけではなくエスペラント語がダサい!

これも、Asshさんにダサいと感じられる理由がよく分からないですね。
kの字は、ギリシア語のκから来て、ラテン語を通じてゲルマン諸語に入った
文字じゃないですか。私には、ちょっと字体が変わっただけで、同じことに
思えるのですが。
wが使われなかっただけ良かった、とは思えないのでしょうか。
古いドイツ語の書体のkの形はまた違いますけれど、それだと少しはましな
のですか、それとももっと嫌いになるのですか?

10Kanva:2007/05/20(日) 20:21:38 ID:???
>Assh様

> わては歌の詩とかに使いたくて言語創作してます!

私も、各言語の持つ音の感触と、音楽表現に関しては、語りたいことが
ありますよ。ただ、お互いに、好きな音韻っていうのは違うと思うので、
誰かが「これは美しい」と思って作った言語がごく一部の人にしか同意を
得られない、という状況は変わらないのじゃないですかね。
文字による書道(私は独自の文字があるので)、を考えても同じことです。

ですから……、

> 使い道無き言語の使い道、アートに用いるのがベストでしょ?

アートとして発表したら、人はアートとしてしか見てくれないわけですよね。
それでも、作っている本人は楽しいから、自己満足はできますけれどね。
結局、みんなが好き勝手な言語を、個々別々な作品世界のために使って、
一部は人気が出て一時広まるけれども、また消える、の繰り返しですね。
やっぱり、理念を持ったものも、アートとは別に欲しいですね。

それは……、

> 言語で世界平和なんて絵空事!って思いませんか?だってそんなもんで
> 世の中平和になるくらいなら21世紀の今日、憎しみ合いなんてとうに
> なくなってるでしょ?

言語だけで世界平和が実現できるわけはないけれども、助けになるなら
いいじゃないですか。
それに、言語による不平等の解消は、世界平和とは別のテーマとして考え
てもいいわけでしょう。

11Kanva:2007/05/20(日) 20:29:03 ID:???
>Assh様

そうそう、「エスペラント自体の中から作られた-oで終わらない固有名」と
いうのも沢山ありますよ。つまり、曲名・著作名として。動詞の直接法や
命令法で終わる題名をつけた場合なんかですね。

12松戸彩苑:2007/05/22(火) 05:08:14 ID:wB9UW7EA
>>8
> チンギス・ハンは、「体力や気力の特別に優れた者を、リーダーにしてはならない。なぜ
> なら、部下の疲労や苦痛を理解できないからだ」(取旨)と言っていたそうですね。

これは、エスペラント運動にも大いに関係のある話だと思いますね。

私の考えでは、現在のエスペラント運動の中心となっている人たちは、ほとんどの場合、
外国語学習が得意な人たちであって、エスペラントの学習に挫折してしまう人間や eterna
komencanto が大量に生まれてしまう理由が本気で判らなかったり、あるいは(自分は身
につけられたから)真剣に対応する気がないのだと思われるのです。

これでは、エスペラント運動がうまく行くはずがありません。

私はつねに、挫折してしまった人たちや eterna komencanto のことを念頭に入れて、さま
ざまな提言をしてきたつもりです。

13樂々:2007/05/22(火) 06:11:54 ID:VBtkMNoI
eterna komencantoは意図的に大量生産(意図ほどには大量じゃありませんが)
されてるんですよ。

14樂々:2007/05/22(火) 06:35:17 ID:VBtkMNoI
胡人さんの会ではeterna komencantoの大量滞留現象は見られないでしょうね。

15胡人:2007/05/22(火) 08:55:37 ID:l1OWtCrU
楽々さま
確かにシステムとして「eterna komencanto」で居られないところもあるかもしれません。でも考えて見れば「eterna komencanto」のどこが悪いのでしょうか?

当地のEクラスをみると基本的に、「eterna komencanto で充分楽しむことを考慮するクラス」と、「 即 脱 eterna komencanto 」クラスの2つに大別される様にも思われます。

あるクラスにおいては一般教養として、言語としモノにしなくても、エスペラントっていう言葉を今 学んでいるんだということで充分という方々が対象のクラスもあります。そう言われながらも進まない様に見えてツイツイ進んでしまいますが…

正直、逆に前に進まないと教える方のモチベーション維持が難しいのが本音だと思います。

松戸さまの言われることを、私もやはりそう感じますし、入門者から指摘されます。
またスポーツ界で良く言われる、「良い選手と良いコーチ監督は必ずしも "=" ではない。」と言う事もあり得ると思います。

以前の公用語についてもありましたが、反面公用語になりえなくても良い、アジア人でもすぐに使用できる様な、より簡単な意思伝達手段的な、例えば、せめて500語覚えればOK的なエスペラント( Poemo も関係ない文化性、芸術性を考えない、文のリズムも関係ない )もより重要な到達点の一つとしてあるべきだと思います。

(1)簡単エスペラント → (2)地域公用語 → (3)世界公用語 という流れと、各々並列的到達点という流れが矛盾を持ちつつ前向きに行くと良いと思うのですが…

エスペラント能力と、エスペラントの活動面等、他の要素が同調するのは、拙い面があり、ある意味での政教分離的なところへ行かないとエスペランチストの層は広がらないと思いますが…

16松戸彩苑:2007/05/22(火) 21:48:22 ID:???
>>15
たしかに、のんびりやるってのも良いんですよ。
で、のんびりやりたいって人に、無理やりハードな勉強をさせるような事があってはいけま
せんよね。
結局、本人が満足できれば成功だと考えるべきだと思いますね。

でも、私の見るところでは、そういう人ばかりではないと思うんですね。
むしろ、「思ったほど表現できない」って感じている人のほうが多いと思うんですが。

しかし、樂々さんが >>13 でおっしゃった「eterna komencanto は意図的に大量生産されて
る」ってのは、どういう事なんでしょう?

17Kanva:2007/05/22(火) 22:32:29 ID:???
どんな言語を学習するにせよ、「手をつけたはいいものの、なかなか上達
しない」っていう人は相当いると思うのですが、それを言語別に比較する
のは難しいですよね。統計の材料になるほどの知り合いもいませんし。
エスペラントにおけるeterna komencantoの割合が、他の言語よりも多い
のか少ないのか、私にはまだその感触は分かりません。

eterna komencantoの多さを問題にする立場というのは、「エスペラントは
学習容易である」という主張が反証されると困るということですよね?

18樂々:2007/05/23(水) 06:01:59 ID:VBtkMNoI
eterna komenncantoが意図的生産されてるのと感じるのは初等講習の後の
教育が行われないからです。独学で短期間に習得する者を除いてはeterna
komenncantoにとどまらざるを得ません。胡人さんの会はやはり特殊だと思います。
eterna komenncantoはエスペラントに特有な現象でしょう。"運動"ですから。

19Kanva:2007/05/23(水) 08:57:09 ID:???
私の短い経験からすると、「永年初級者」というより、入門講座の修了前後に
抜ける「試学者」が過半数のような気がしています。
どんな習い事やサークルでも、「見学だけ」とか「三日坊主」は相当に多い
ものではありますが……。

20Kanva:2007/05/23(水) 23:37:37 ID:???
英語等のNHKに講座があるような大言語以外で、一般社会人向けに入門から
上級までの学習環境が整っている言語があるだろうか?、と逆に思います。

エスペラントより話者の多い言語でも、日本語ではテキストが刊行されて
いなかったりして、英語その他を介して学習を進めざるを得ない場合も多い
わけです。日本語の学習テキストが複数種類刊行されていて、辞書もあって、
地域によっては仲間と集まりを持てる環境は、逆説的に言えば学習環境と
して恵まれているほうとも言えると思います。

私の参加しているエス会では、例会参加は、世話人さんを含めて数人です。
その参加者たちの皆さんは、拠点会場の市の外から通ってきています。
「進度や関心別に集まりを分ける」こと自体が、非現実的な状況といえるで
しょう。
……胡人さんの会は、確かに特別に恵まれた活況にあると思います。

21樂々:2007/05/24(木) 05:41:34 ID:VBtkMNoI
胡人さんの会のように中級上級の講習が行われている会のeterna komencantoと
初等しか行われていない会のeterna komencantoとは全く違うはずです。わたしが
問題にしているのは後者のほうです。

22松戸彩苑:2007/05/24(木) 06:07:49 ID:???
いろんな意見が出てきて、とても参考になりますね。
じつを言いますと、私は完全な独学で、人に教えたこともないので、どのような講習会を
やっているのか全然知らないんですよ。

しかしエスペラントは、母語にしている人がほとんどいないので、学ぶ人がいなくなると、
そのまま先細りになってしまうんですよね。
また、小言語の保護に関心のある言語学者はけっこういるんですが、エスペラントを支持
してくれる学者はほとんどいないですしね。
(6月に『エスペラント 異端の言語』を出す田中克彦先生は例外的な存在ですね)

だから、どうしても話者を増やさないといけないんですよね。
そういう事情があって、私は「娯楽でも良い」とか言ってるんですが、ほんとうは、エスペラ
ントを始めた人たちに実際に訊いたほうが良いんですよね。

23胡人:2007/05/24(木) 08:30:49 ID:ikuvoSAk
 言語学者的にとって、言語学は飯のタネですから、エスペラントの様に、それ自体が人工語で、に歴史が浅く、研究発表でき得るモノが無いと日本では思われているのが普通一般の捉え方と聞いています。
 たとえ極少数の話者言語でも対象言語のその独自の文化、長い年月におけるその言語体系の変遷を研究するのはある意味当然で、極少数言語の方が研究者が少なくてある意味対象として選びがいがあるともいえます。それを論文化し研究発表するのが言語学の様ですから(^^)

 近年になって、欧米の言語学者の中には、百年続いて来たその実績をもってエスペラントを取り上げる動きが出て来た様です。日本では百年やそこらでは取り上げる価値を見出せないと言われるのが、その学界ではある意味当たり前みたいです。人工より自然の方が上というか人間自体の価値が、欧米よりも低いのかもしれません。
 ですからあまりその様な方々を尊重しすぎても意味無いのではと正直思ってしまう事があります。その取材、研究等に対しての協力は自分の余裕をもって出来る範囲にとどめて、極冷静にあまり期待しないで見守る方が無難だと思われます。その方が反って良い方向性も現れてくるのかなぁとも…
 また学者として、真にその仕事上で、お一人でも、お二人でもエスペラント親派的な活動が出来る方が現れて来られると、本当の意味での存在が確定してきたというものでしょうか?百年二百年単位ではマダマダ実験的段階なのでしょうね(^^)

24樂々:2007/05/24(木) 21:26:28 ID:VBtkMNoI
エスペラント団体のメンバーの獲得それ自体はエスペラントの普及ではありません。
彼らのエスペラント能力を高めることが最も手っ取り早く確実な
エスペラント普及です。

25胡人:2007/05/25(金) 09:01:22 ID:4J3Qu0Jk
 エスペラント能力をどこまで高めるか、例えば日常会話までとか、通訳が出来るまでとか、案外そのモノサシが難しいです。
 知りたい情報についての能力は案外簡単につくものでしょうが、関心の無い分野はいつまでたっても身に付きません。

 よく「エスペラント」の能力の段階を「自転車に乗ること」に例えます。「なかなか自転車(エスペラント)に乗りきれないわ。」とか「やぁ、いつのまにか自転車(エスペラント)に乗っていますね」とか。「とにかくエスペラントという名の自転車に一度乗って一人立ちしてしまえば、後は少々離れてもチョッとすればすぐに元の能力に戻る。ガムシャラにそこまでは努力しましょう!」と入門者にお話します。

 また別に eterna komencanto といっている人も、それなりに場数を踏んでいるといつのまにか力を付けているのを実感します。

 結局、場数をどれだけ踏めるか?場数を用意出来るか?って気もします。近年、若干、場数が不足していましたが、今度、外国の女の子が来ますので、それを利用しようと思っています。入門者数人にすべて任せて放って半日観光案内をしてもらいます。案外、そんなことで簡単に段階が上がる人が出てきますので…

26Bonsano:2007/05/25(金) 09:48:51 ID:jBsTP12E
eterna komencantoとして残っている人がいるだけでも重要なことです。

他の外国語学習者を思い浮かべて見ますとkomencantoのまま残る人は絶対数はともかく
相対数としては日常会話以上のレベル者との比較においては極々低い割合だと思います。

殊に英語を考えてみればこのことはもっとはっきりした数字が得れると思います。
日本人の大多数が6年間英語を学習した後でどれだけの数の人がkomenncanto
(英語だとbiginnerですか)として英語界に残っているでしょうか。
残っているのは、英語教師などの職業従事者が殆どでしょう。
その他の人で考えられるのはジオスやノヴァの様な英語学校の集まり(同窓会的なもの)
ぐらいなものでしょう。

このことを考えると特に就業年齢にあたる忙しい一般の人たちがeterna komencantoでも
エス界に残っていることはとても素晴らしいことだと思います。

27松戸彩苑:2007/05/25(金) 20:13:01 ID:???
みなさんに忘れないでいただきたいのですが、エスペラントを宣伝するさいに「民族語より
もずっと学習容易である」って言ってるんですよね。

最近はこんなことを言うのか知らないんですけど、少なくとも少し前までは「5分の1の時
間で習得できる」みたいなことを言っていたはずです。

ですから、英語などの他の言語と単純比較していたのではダメなんですね。

28Kanva:2007/05/26(土) 00:37:34 ID:???
> エスペラントを宣伝するさいに「民族語よりもずっと学習容易である」
> って言ってるんですよね。

確かに、私もそのように聞いた(及び読んだ)覚えがあります。

私の感想としては「桁違いに簡単」とは思えないんですけれどね。だから
私は、その宣伝が少なくとも誇張だという前提の上で、他の言語の場合と
比較をしています。
まあ、全然知らなかったシステムの文字を覚えたり、不規則な屈折や抱合の
仕方の何通りものタイプを学んだり、辞書を引くのに単語を区切ることから
して大変だったり、綴りと読みの関係が不規則だらけだったりするのよりは
取っ付きやすいわけですが、言語は言語です。

29樂々:2007/05/26(土) 06:26:36 ID:VBtkMNoI
エスペラントは格段に習得容易です。教育法がダメなのです。

30松戸彩苑:2007/05/26(土) 07:13:55 ID:???
>>29
具体的には、どのように教育・学習すれば良いとお考えなんでしょうか?

31樂々:2007/05/26(土) 11:06:42 ID:VBtkMNoI
教育法開発や教師養成はほとんど行われていないんじゃないですか。
100年前から進歩していないようです。ロクな教育がないのに
続いていることが容易さの何よりの証明でしょう。

32松戸彩苑:2007/05/26(土) 12:32:04 ID:???
>>28
> 私の感想としては「桁違いに簡単」とは思えないんですけれどね。

でも「学習が容易」だというのが、エスペラントの大前提になってるんですよね。
学習が容易だから

(1) 国際共通語として適している。
(2) 今は使える人が少ないけれど、すぐに増える。
(3) 外国語学習に費やしていた時間を大幅に減らすことができる。

などと言ってたわけですからね。
それが「それほど簡単ではない」ってことになりますと、これらのメリットはぜんぶ無いって
ことになってしまいますよね。

また、エスペラントが、ラテン語やフランス語などから単語を採用しているのも、「学習を容
易にするため」だったわけですね。

クリンゴン語のように、まったくアプリオリに単語を作るか、あるいはノシロ語のように世界
中の言語から単語を採用するかすれば厳密な平等性が得られるのですが、それでは学
習が困難になるので、エスペラントでは厳密な平等性は追求しないことにして、当時のヨ
ーロッパにおいてもっとも学習されることの多かったラテン語とフランス語から単語を採用
して、学習を容易にすることを優先しているわけですね。

「言語の不平等の克服」のために作られたエスペラントが、言語の不平等のなかで優位に
立っていた当時の国際語から単語を採用しているのは、世間の人たちから見れば矛盾で
しかないわけですが、それはひとえに「学習を容易にするため」だったわけです。

ということでエスペラントでは、その成り立ちそのものにおいて、厳密な平等性を放棄して
まで学習を容易にするという方針がとられているのに、それにも関わらず「それほど簡単
ではない」ということになりますと、結局は、エスペラントの存在そのものにあまり意味がな
かったのではないかという疑問さえも出てくるわけですね。

もちろん「いくら合理的に作られているとは言っても、膨大な数の語彙・表現を憶えないと
いけないことには変わりはないわけだから、それほど学習容易には出来ないよ」というの
は、まぁ私にも判るんですね。

でも私の場合は、その次に考えることが違ってまして「それなら今以上に、学習を容易に
する工夫が必要なんだ」って考えるんですよね。

その工夫が「娯楽を利用する」とか「日常生活に関する語彙・表現の不足・混乱を解決して
おく」といったものなんですね。
(このほかにも「ネット上に電子辞書を作る」などということも考えられるでしょう)

どう考えても、学習の容易さはエスペラントにとって必要不可欠だと思いますので、これだ
けは何としてでも追求していかないとダメだと思いますね。

なお、今までさんざん言ってきましたが「これ以上、新語根を増やさないようにする」という
消極的なやりかたには、私は反対しております。
もちろん、導入してもあまり意味のない新語根には反対ですが、しかし現実には、日常生
活に関する語彙・表現が不足・混乱しているのですから、これを解決するのに合成ではう
まく行かないという場合には、新語根は必要だと考えております。

こういった新語根にまで反対していたのでは、とても英語に太刀打ちできるようにはならな
いと思うのです。

33松戸彩苑:2007/05/26(土) 12:34:56 ID:???
>>32 の続き)

「娯楽を利用したていどで、ほんとに効果があるのか」とお考えになる方もいらっしゃると思
いますので、これについて説明してみましょうか。

パソコンオタクの人がいますが、彼らのなかには、コンピューターにはものすごく詳しいけ
れども、学校の勉強は苦手・嫌いだったって人がけっこういるらしいですね。

また私事になりますが、私の母は田舎の中学校を卒業しただけの人なので、英語なんか
はほとんど判りません。
でも園芸が好きなので、カタカナだらけの花(の品種)の名前をたくさん知ってたりするん
ですよね。

要するに、人間は「興味がある」ことはけっこう憶えるけれども、「興味のない」ことは憶え
ないって事なんですね。

こういう事がありますから、エスペラントを身につけるさいにも、できるだけ本人の好きなこ
とを通じて憶えることができれば良いんじゃないかと思ったんですよね。
(もちろん、今のところは「日常生活に関する語彙・表現」でさえも不足・混乱しているので、
なかなかうまく行かないでしょうが、だからこそ、これを少しずつ解決していく必要があるの
です)

当たり前のことを言ってるみたいですが、私の見るところでは、勉強のできる人というのは、
興味のないことでも平気で憶えられるせいか、どうもこのあたりのことが本気で判ってない
ように思えるんですね。
彼らは、憶えられない人を見ると、単純に「憶える量を減らす」ことしか考えられないような
のですが、つまらないことは、いくら量を減らしても面白くはならないんですよね。
ですから、「量」ではなく「質」を変えなければならないと思うんですよね。

これは重要なことなので、この点は特別に強調しておく必要があると思いました。
---

なお、Kanva さんは「私は、その宣伝が少なくとも誇張だという前提の上で…」とお書きに
なっていますが、この部分で引っかかるものを感じたんですね。

Kanva さんのように「あんまり簡単じゃないけど勉強します」って人が多ければ良いんです
が、世の中そういう人ばかりだとはとても思えません。

むしろ「学習が容易です」という宣伝を信じて勉強を始めたものの、やがてそれが「誇張」で
あったと気づいて「だまされた」と思うほうが普通じゃないでしょうかね。

>>19

> 「永年初級者」というより、入門講座の修了前後に抜ける「試学者」が過半数のような気が
> しています。

とお書きになっていますが、この人たちのなかにも「誇張」に気づいてやめたという人が、か
なりいるのではないかと私には思われるのです。

とすると、やはり「実際に学習容易にする」か、あるいは「宣伝のさいに学習容易だとは言わ
ない」かの、いずれかにしないといけないと思うんですよね。

「桁違いに簡単」とは思えなかったというのは事実でしょうから、そうお書きになるのはべつ
に構わないんですが、しかし「民族語よりもずっと学習容易である」という宣伝を単なる「誇
張」だと考えて、これをさほど問題だとは思っておられないように私には感じられたんですね。

エスペラント界に長いあいだいると、こういう「言ってること」と「現実」との違いにだんだん気
づかなくなってしまって、世間の人たちの感覚とはズレてしまうということが往々にしてある
のですが、ひょっとしたら、そうなりかけているのかもしれないと思ったんですね。
それで、いろいろと書いてみたんですが、私のカン違いかもしれませんね。

(終わり)

34樂々:2007/05/27(日) 07:22:53 ID:VBtkMNoI
なぜスペラントが広まらないのかを語るとき問題になるのはなぜ学習やエス団体に
参加しないのかです。参加した人がなぜ離れるのか、なぜeterna komencantoの
ままなのかは問題になりません。問題の本質はここにあると思います。
実際、"エスペランティスト"の多くがエスペラントができませんしエスペラントは
桁違いに易しいとも思っていません。ですから人に勧めませんし勧めても効果は
出ません。すべてのエスペランティストがエスペラントは桁違いに易しくないと
思っているなら「エスペラントは桁違いに易しい」は単なる嘘で終わってしまいま
すがそうではありません。エスペラントは桁違いに易しいと実感し確信している人
は一部ですが存在します。そのような人たちは皆エスペラントに堪能な人たちです。
理解しなければいけないのは、人間には言語学習能力に秀れた人とそうでない人が
いるということです。秀れた人は独習で短期間に学習できますが、そうでない
人でも適切な教育を受ければ著しい向上を示します。それはすでに証明されています。

35Kia-kabalo-mi-estu?:2007/05/27(日) 16:50:20 ID:SmtnnwJk
>教育法開発や教師養成はほとんど行われていないんじゃないですか。

これは、答えになっていません。
誰がどのようにやればいいとお考えなのか、具体的に教えていただきたいです。

尤も、楽々様の総てにおいてcinikismo的なコメントからでは、エス運動の未来は
お先真っ黒なのに、それでも如何してこの界に残っておられるのかは、不思議で
たまりませんと言う以外にはありませんが。。。

Bonsano様も仰ってるように、komencantoの底上げでも地方会の少ないメンバーでは
容易なことではない中で、初級段階でもエス界に残られている方々には感謝感激なのですよ。

36Kanva:2007/05/27(日) 23:07:22 ID:???
私にはいい解決策は思いつきませんが、エス運動の勢力が拡大しない
状況を整理すると、
(1)世間一般の人々から広く興味・共感を得られていない問題
(2)学習を試みても入門レベルで中断してしまう人が多い問題
(3)組織に属しても語学力が思うように向上しない人が多い問題
があるということになりますね?

私は、例えば出版の面では、エス界の諸先輩方はとても精力的に努力されて
きていると、感じています。人数が少ない中、入門書・文法書・辞書の出版、
翻訳の出版など、十分活発にやってこられたのではないかと。
それにWEB上の資料も加えれば、初級の学習の環境としては、強力な現代語
十余種に次ぎ、中規模現代語や定番古典語に伍す水準にあるものと感じて
います。

「エスペラントが自然言語より段違いに習得容易で、教育法の工夫や講師の
数や講座の種類が不足しているだけだ」、というのが本当なのだとしても。

私なんかでは、一体、あと何を誰がどう工夫し、どう足したらいいのか、
それが分からないわけです。松戸彩苑さんの、日常生活用語(特に日本の)
を充実・整理・統一させる試みは、確かに素晴らしい着眼点の一つで、
有意義な作業だと思いますけれども。

37松戸彩苑:2007/05/29(火) 01:41:27 ID:???
ひょっとすると、私とみなさんとでは考えてる事がちょっと違うのかなと思ったんで、私の
考えてることを説明してみますね。

エスペラントは欧米語をもとにしているので、欧米人はエスペラントを使えるようになるの
が早いわけです。
しかし、それにも関わらず、欧米のエスペラント運動はうまく行ってないんですよね。
そして「そもそも欧米でうまく行かなかったものが、日本でうまく行くはずがないだろう」と、
私は考えるわけです。

ですから、まず最初に「どうして欧米でうまく行かなかったのか」ということを考えないとい
けないんですね。
「エスペラントはちゃんとしてるんだが、宣伝がまずくて、広まらなかったんだ」などと言っ
てる人がいるんですが、これは絶対に間違っています。
ほんとうにエスペラントが役に立っていれば、エスペランティストの家族や知人に広まって
いくはずなのです。
自分の家族や知人にさえも認めてもらえなかったから運動が大きくなっていかないのであ
って、宣伝のせいにしてはいけないと思うんですね。

また、私が指摘しているように「日常生活に関する語彙・表現がちゃんとしていない」という
ことも大問題なわけですね。
現代ヘブライ語やトク・ピシンなんかは成功しているのに、エスペラントはいまいちパッとし
ないというのは、やはりこの点に問題があるからだろうと、私は思ったわけです。

で、エスペラントの世界では、日常生活に関する語彙・表現については「自然にできる」と思
ってますから放ったらかしなんですが、そのかわりに一生けんめいやってるのが、なんと
「詩を作ること」なんですね。
私も、エスペラント雑誌に載ってる詩を読んだりはしますし、たしかにそれなりによく出来て
はいるなとも思うんですが、こんな事をいくらやっても、トク・ピシンを超えることも出来ない
だろうと思います。

ということで、私が考えているのは、日本のことだけではないんですね。
日本のことだけ考えますと「どうしたら、欧米のエスペランティストのようになれるか」みたい
な発想になってしまうと思うんですが、私はそういうふうには考えていないわけです。

もちろん、欧米語を母語としていない人が上手になるには、欧米人よりも多くの時間をかけ
たり、教材に工夫を加えたりしないといけないと思いますし、そういった議論も大事だとは思
いますが、順番としては、そういったことよりも「どうして欧米でうまく行かなかったのか」とい
うことを考えるのが先だと思っています。
このあたりの違いが、注目する点の違いになってるんだろうと思いますね。

38Kia-kabalo-mi-estu?:2007/05/29(火) 22:44:31 ID:m.H0ysG6
>どうして欧米でうまく行かなかったのか

松戸様。
投稿を総て拝見する時間が余りありませんでしたので、今の今まで見ておりませんでしたが、
良い視点に到達しましたね。

松戸様の近頃の投稿を拝見しておりますと、少しは私の見解も理解していただけて
いるのではないかという感想を心浮き浮き持たされる今日この頃です。
この問題に関しましては、今後「エスペラントの思想と国家権力」のスレで意見を
述べさせていただきたいと思います。なぜなら結局はこの問題に突き当たると私は
考えているからです。

ところで松戸様はこの問題に関して如何お考えなのでしょうか。
やはり日常語彙の不足・曖昧性の問題だとお考えですか。

39松戸:2007/05/30(水) 05:49:03 ID:wB9UW7EA
理論的に考えて、欧米人にとってエスペラントは学習容易なはずなのに、現実には、欧
米においてエスペラント運動がうまく行っていないということは、やっぱり「日常生活に関
する語彙・表現の不足・混乱」というものが原因だとしか考えられないと思います。

もちろん、これ以外にも問題はあるでしょうが、でも、最大の原因はこれだと考えても大過
ないと思っています。

40胡人:2007/05/31(木) 09:02:16 ID:jW0tsjc.
松戸さま
 最大の原因は、経済的メリットがほとんど無いという事だと思います。

 特に、ヨーロッパ日米いわゆる先進国と言われる国々では、公的な理想より個人の幸せが最優先される環境にあるからだと思います。個人の幸せが追及出来ない様な貧しい不幸な国々の方がエスペラントに情熱を燃やしている様にも見えます。

 戦争が身近で起こり個人の幸せ以前に公的な安定、幸せへの環境整備が必要な地域では、ある面、明治維新の頃の様に様々な取組みがなされます。エスペラントもその一つとして。

 各国々の友好協会の方々とお話してわかるのは、大なり小なり様々な支援が各国大使館を通じてあります。たとえ経済的な支援が出来ない国々でも、出来る限りの支援をしようとしてくれます。
 その意味でエスペラントは本当に個人の力のみで成り立っているわけで、その動機には精神的なものがより必要なものになるとも言えます。

 いわゆる先進国各国がより文化的に熟成し、経済的な面である意味出口のない到達点に至った時、価値観が変化していき、再びエスペラントの出番が来るのではないでしょうか?
 またそれは案外早いかもしれません。チョット前までまったく相手にされなかったEUでのエスペラントの現状を観ればそのように思われますが…

41Bonsano:2007/05/31(木) 09:27:19 ID:jBsTP12E
松戸さんの意見にほぼ同意します。
Kia-kablo-mi-estu様も同様なことを常日頃から私に語っておられます。

42樂々:2007/05/31(木) 21:37:05 ID:VBtkMNoI
>>40
>最大の原因は、経済的メリットがほとんど無いという事だと思います。

>特に、ヨーロッパ日米いわゆる先進国と言われる国々では、公的な理想より個人の幸せが最
>優先される環境にあるからだと思います。
先進国ではNGOやNPOが盛んですよ。エスペランティストだけが衰退しつつあるのです。

>その意味でエスペラントは本当に個人の力のみで成り立っているわけで
China Esperanto-Ligoは国家の補助を受けています。

43Kia-kabalo-mi-estu?:2007/06/01(金) 07:59:52 ID:jFG75wqY
Bonsano 様

>松戸さんの意見にほぼ同意します。

確認ですが松戸さんではなくて胡人様の意見ですよね。

44胡人:2007/06/01(金) 19:01:46 ID:32c3BaCQ
楽々さま
>先進国ではNGOやNPOが盛んですよ。
NGO、NPOといっても個人的にはサラリーとしてその労働力の対価を得るシステムです。本当のボランティアではないんじゃないでしょうか?

>China Esperanto-Ligoは国家の補助を受けています。
確かに以前は、現在も少しは補助を受けているはずです。
補助といえば、毎年の日本大会もほとんどの大会はなにがしかの補助を公共団体から受けていますし、当地でも約40万円いただきました。
また私達のグループでは、ほとんどの公共施設は無料で使用できますし、●●基金等からも毎年いくらか、多い時は20万近くは受けています。でもそれは申請し、審査を経て受取るもので、私の言う支援はより積極的な補助を指すつもりです。

日本でも、環境関係のNPOは地方においても結構簡単に年間数百万円程度の補助を受けている団体は数多くあります。

NGO、NPOは極端に言えばその団体として利益をださねば良いというだけみたいなもので、それで生活をしている方々は多いですし、その様な社会システムになっていっているのが現状の様に感じます。
その意味でエスペラントは現代では稀なくらい真のボランティア団体に見えます。

45樂々:2007/06/01(金) 21:12:12 ID:VBtkMNoI
う〜ん・・・。そこまで歪んだ独善的な考え方しかできないのでは
救いようがないですね。わたしも幾つかの非営利民間団体に関わって
来ましたけど、エスペランティストが特に無私無欲で献身的なわけでは
ありません。

46胡人:2007/06/02(土) 00:35:30 ID:jSyenjVU
すみません!何かすれちがっちゃいましたね〜ちょっと極端に書いたのが悪かったのでしょうか?
>エスペランティストが特に無私無欲で献身的なわけではありません。
もちろんそうです。私もいくつかの団体に関わって来ましたし、現在も3ヶ所に席が有ります。

国際交流団体で、母国語的な意味でのスポンサーがいない団体はそのような立場でしか存在できないと言いたいのです。
それゆえその経済的な弱点はいつもあるという事です。
少なくとも日本のエスペラントの歴史をみるとそれは大きな要素としていつもあります。

47樂々:2007/06/02(土) 06:57:08 ID:VBtkMNoI
>>46
先進国には金にならないことに一生懸命な人は大勢います。それが言いたかった
だけです。
エスペラントはそれでも恵まれてるほうですよ。自治体から僅かとはいえ資金援助
や便宜提供を受けていますから。日本エスペラント学会も財団法人ですから
税制その他でそれなりの特典は受けているはずです。

48松戸彩苑:2007/06/02(土) 10:54:28 ID:???
いろんな意見を書いてくださって、ありがとうございます。

>>40 で胡人さんは「経済的なメリットが無い」ことをあげていらっしゃいますが、これには
私も同意します。
というか、私じしんも何ヶ月か前に、ここの掲示板の他のスレで、人間というものは「カネに
なること」「楽しいこと」「人から誉められること」くらいしかしないものだ、と書いています。

(それに加えて、人間には「世の中をよくしたい」という願望も無いわけではないが、それは
あまり強くないし、また、そういうことを考える人間がエスペラント運動にやってくることは、
ほとんど無いだろう」とも書きました)

しかしですね、私は「ほんとうに役立つものだったら、エスペランティストの周囲にいる家族
や知人のなかから、エスペラントをやる人が出てくるはずだ」とも言ってるんですね。

家族や知人であれば、素晴らしいものであれば、たとえカネにならなくとも、あるていどは
理解してくれるものだと思うんですが、いかがでしょうかね?
---

ところで、胡人さんは >>40

  いわゆる先進国各国がより文化的に熟成し、経済的な面である意味出口のない到達
  点に至った時、価値観が変化していき、再びエスペラントの出番が来るのではないで
  しょうか?

とお書きになっていますが、残念ながら、こういう事はなかなか起きないような気がしますね。

もちろん「絶対に無い」などと断言するつもりはありませんし、胡人さんも願望として書いた
のでしょうけど、今までにもこういった願望をもった人はエスペラント界にたくさんいたと思う
んですが、叶えられたためしが無いように思います。
---

それから、日本でも補助金がいただけたりしているということは判りました。
それはそれで、ひじょうに有難いことだと思います。

おそらく、欧米でも同じように援助してもらえているのだと思いますが、しかし、それにも関わ
らず、運動のほうは落ち込んでいるということに気づかないといけませんね。

つまり「お役所から補助してもらってさえも、うまく行かない」ということですし、それは要する
に「一般人から見放されている」ということなのだと思います。

なんだかイヤなことばかり言ってるみたいですが、事実を直視しないといけないわけですか
ら、仕方がありません。

ということで、私は「エスペラントの宣伝・学習方法を、徹底的に一般人に合わせる」ことを提
唱しているわけです。
---

今は、世界大会の直前ですから、そっちのほうに集中したほうが良いでしょうね。
私にしても、べつに急いではおりません。

しかし

(1) 欧米において、エスペラント運動が伸び悩んでいる。
(2) 日常生活に必要な語彙・表現が不足・混乱している。

ということは事実だと思いますし、これはきわめて重大な問題をはらんでいるわけです。
そういったことが徐々に判ってきたのではないでしょうかね?

まぁ、じっくりと考えてみてください。

49樂々:2007/06/02(土) 12:22:13 ID:VBtkMNoI
>>48
>エスペラントの宣伝・学習方法を、徹底的に一般人に合わせる
松戸彩苑さんのこの御意見はわたしが申し上げてる「教育法」と同じことです。
短期間に独学で習得できる一部の人を除けば一般の人は適切な教育を受けなければ
いかに簡単な言語であっても習得できないのです。誤解を避けるために申しておきますが。
一部の人と一般の人の間に知能の高低の違いがあるということではありません。
異言語学習能力は知能と無関係ではありませんが、かといってぴったり対応するもの
でもありません。異言語学習能力は異能異才の一種ぐらいに心得ておけばいいのです。
「人を見て法を説け」と言いますが、言語教育で効果を挙げようとすれば学習者の母語、
学習動機、到達レベル等を的確に理解して適切な指導と助言を提供しなければならない
のです。
どうでしょうか。松戸彩苑さんのお考えと大きく違ってる所はあるでしょうか。

50松戸彩苑:2007/06/02(土) 13:32:41 ID:???
私の >>37 のカキコに対して、Kia-kabalo-mi-estu? さんが

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1167391996/279

に反論をされてるようですが、そちらのスレは政治関係のものだと思いますので、こちらの
スレに感想を書いてみようと思います。

「現代ヘブライ語やトクピシンは、特定の民族のための言語であるのに対して、エスペラン
トはそうではない」ということですが、それはまったくその通りだと思います。

しかし、だからといって「エスペラントにおいて、日常生活に関する語彙・表現が不足・混乱
していても構わない」という事にはならないわけですね。

(もちろん Kia-kabalo-mi-estu? さんも、そうおっしゃってるわけではないと思いますが)
---

ところで、私がなぜ「日常生活に関する語彙・表現」にこだわるのか、ここで説明してみまし
ょうか。

そもそも、エスペラントを宣伝するさいには「文通や旅行に役立ちますよ」と言ってるわけで
すね。
もちろん現状でも、文通や旅行(それに gastigado)は出来てるわけですが、しかし、私が
指摘しているような問題を解決すれば、もっとレベルの高い、そして楽しいものになるので
はないかと思うわけです。

エスペラント界には「エスペラントを文学や学術のための言語にすべきだ」とか「そうすれば、
世間の人たちもエスペラントを認めてくれるだろう」みたいなことを言う人がいるわけですが、
日常生活に関する語彙・表現の問題を放ったらかしにしておいて、こういう事ばかりやって
ても、あまり効果がないと思うんですね。

もちろん、べつに文学や学術がいけないわけではありませんし、そういったものをエスペラ
ントで書くなと言ってるわけでもありません。

書くのは良いんですが、考えてみれば、学術論文なんてものは、エスペラント界の大部分
の人たちにとっては、母語で書いてあっても読まないようなものなんですね。
また、学術の世界のほうでは、エスペラントで書かれた論文などというものは、あっさりと
無視するわけです。

それから文学ですが、世間においても、文学を読む人は減ってきてるわけです。

それに、学術論文にしても、文学作品にしても、英・仏・独・露・中・日・西といった言語で書
かれているもののほうがケタ違いに多いわけですし、このような状況を短期間に打破する
方法もありません。

ということで、学術や文学もけっして悪くはないんですが、しかし現状では、エスペラントの
メリットは、学術や文学よりも「個人的な会話や情報交換に使える」ということにあると考え
られるわけですね。
これならば、英語よりも優位に立てるかもしれないわけです。

ですから、日常生活に関する語彙・表現を整備することが、多くのエスペランティストにとっ
ても役立つことだと、私は思うわけです。
---

しかし面白いことに、圧倒的多数のエスペランティストは「エスペラントにおいては、日常生
活に関する語彙・表現が不足・混乱している」とは思っていないわけです。

初心者が気づかないのは当然なんですが、何十年もやっている人たちが気づかないという
のが不思議なんですよね。

やっぱりザメンホフの言葉の影響なんでしょうけど、でも、冷静に事実を見ていけば、ザメン
ホフの見通しが甘かったと考えるしかないと思うんですけどね。

ということで、これからも、こういった問題の実例をあげていく必要があると思っています。

51Kia-kabalo-mi-estu?:2007/06/02(土) 21:35:39 ID:KGwVp2qA
>しかし、だからといって「エスペラントにおいて、日常生活に関する語彙・表現が不足・混乱
していても構わない」という事にはならないわけですね。

その通りです。しかし「日常生活に関する語彙・表現が不足・混乱」が、Eが広まらない理由の
主要な理由ではない、と言うことには、今もって同意されておられないようですね。

私が「エスペラントの思想と国家権力」において暇を見て体系的に論証しようと試みようとし
ている事は、何も目新しいことではないのです。

E自体には決定的な欠陥はありません。むしろarbitraな民族語に比べると、余程、
体系としては優れていると思います。
広がらないのは、きわめて経済的至政治的、簡単に言えば生活者の視点に立つと容易に
その理由が理解できる問題なのです。

結論を先に言ってしまいましたが、私が何も長い論証文を書くまでもなく、極、
当たり前とも言えることです。
理想が正しいことだけの理由で皆が受け入れるなら憲法9条の世界が既に実現して
いるはずです。

人類には長い歴史があって正のみならず負の遺産も引き継いだその土台の上で
生存の維持を図らなければならない宿命を負っているんです。

言語についても同じことが言えます(勿論、他の社会学的諸要素から言語のみを
拾象して考えることにはある種の危険を感じますが)。
しかし、他の様々の人間活動とを決定的に分かつ「言語の特異性」は先ず何よりも
それら諸活動のportalとしての存在です。
しかも正負の是非は別として人類はそれぞれ異なった既製母語の下で生活していること。
この条件化で現在の特に先進諸国において金儲けから娯楽、そしてボランティアや
社会運動に到るまでその思考かつ通信手段は言わずと知れた既製言語です。

私が大衆迎合的運動だけでは一時的なfuroroに終わってしまう、と指摘している理由も
ここにあります。

我々が「迎合的」大衆に利益でも喜びでも、人生の精神的糧でも何でも良いのですが
与えようと考え得るものの殆どは既製言語を介して殆ど、即決、手に入る世の中なの
ですから。

こういう現況に在って語学を趣味とする以外の一般迎合的大衆のどういった人が敢えて
Eを学ぼうとするでしょうか。
Claude Pironさんも何所かで仰っていましたが、心理学的にはE学習者には悪いですが
大変興味を引くテーマですね。
私のこれまで考えてきた結論を言いますしょう。
Eを学習しようとする人の多くは、

第一には好奇心の多少ともある気まぐれ者。

第二には現代社会において既成のルートでは個人的、社会的諸活動の利益や喜び等には
容易に近づくことの出来ない人。または心理的困難を覚える者。

第三には、社会活動に参加したきっかけでEを知り理想社会の実現の手段としてEの重要性を
深く認識した者。

の三者に大雑把に言うと分類されるでしょう。勿論、3つの中間といった方も
居られると思いますが。

第一集団の多くはEの習得まで到らず途中で去ってしまいます。

この理由はお分かりですか。苦労を厭い?やがてモット手っ取り早く喜びを
得るものを見つけるからです。この集団でE界に残れる人は語学の達人か天才。
ちゃっかり短時間でE界の現世利益に浸れます。
でも、極々稀なケースでしょう。と言うより殆どの人が3分類以前の語学趣味者に属
していました。

第二の集団。実はE運動の現況ではこれらの人が多数派を形成しているのです。

なぜなら、多くの可能性の中から敢えてEを選んだ方々が多いですから、学習を厭いません。
この集団の多くの人(と言っても絶対数ではなく相対数として)がある程度の習得段階まで
行くし、eterna komencantoから前へ進むことが困難な方でも人間関係やそれを通したE運動の
役割を担う中では容易にE界から離れがたくなります。

第三の集団については、実は集団という言葉が適切かどうかは問題ですが、説明は要らないと
思いますが。。。
この人達は精神的または肉体的に相当のダメージを受けない限り、Eの習得レベルに
関わらず、長らくE界に残ることになります。

お分かりですかな。語学の達人と第二、第三に分類される人がいかに世の中では少数派
であるかが。因みに私は第三グループに属しています。

話は前に戻りますが、この少数派をさらに圧迫する歴史的負の要因が存在しているのですね。
勿論、経済的至政治的要因であり、しかもEの広まらない主要因と言っても良いでしょう。

ヒントは「建前と本音」ですが。
時間が来ました。
(続く)

52松戸彩苑:2007/06/03(日) 21:42:12 ID:???
>>49
樂々さんもそのように考えておられるという事は、ひじょうに嬉しく、心強いですね。

しかし、みんながみんな、そういうやり方に賛成しているわけではないだろうと考えて、こ
のように申し上げているわけです。

>>51
世界大会の直前ですので、こちらのほうは、ゆっくり行きましょう。

53Kanva:2007/06/04(月) 20:40:22 ID:???
>>51
自らを省みるに……、私はKia-kabalo-mi-estu?さまの分類による第一類
ですかね。
もしも「母語及び自国語以外で、最も大事に思う言語はエスペラントか」と
聞かれるなら、即座に「いいえ」と答えるでしょう。
従って、上達も遅いわけですし、一年後に此界から去っていても不思議では
ないのかもしれません。

54だにょ:2007/09/23(日) 18:16:02 ID:???
>>49
>短期間に独学で習得できる一部の人を除けば一般の人は適切な教育を受けなければ
>いかに簡単な言語であっても習得できないのです。

そうかにょ?なんか違う気がするにょ。近所の某やクラスメイトは大勢留学したにょ。いわゆるドキュソと言われる人たちばかりにょ。今ではアメリカ人に同化していたり、企業で通訳っぽい仕事をしたりしているにょ。

一番大切なのは、その語を使わなければならないという「必要性」だと思うにょ。日本はたぐい稀に見る翻訳文化の国にょ。一部の人達を除き、英語なんて使わないで一生を終える人ばかりにょ。これでは外国語をマスターする動機が起きようがないにょ。

ここの人たちはインテリ過ぎてズレている気がするにょ。外国の子供が英語を話せるのに、どうして日本の厨房だと駄目なにょ?日本の厨房は外国のそれより馬鹿なにょか?「言語距離」が遠いとか、世の中にはいろいろなインテリ風の説明があるにょだけど、果たしてそうかなのかにょ?周囲がドキュソだらけの経験からいうと、やっぱ「必要性」が一番の理由なのではないかと思うにょ。

55ベダウリンデ:2007/11/22(木) 11:50:15
>Eを学習しようとする人の多くは、
>第一には好奇心の多少ともある気まぐれ者。
>第二には現代社会において既成のルートでは個人的、社会的諸活動の利益や喜び等には
>容易に近づくことの出来ない人。または心理的困難を覚える者。
>第三には、社会活動に参加したきっかけでEを知り理想社会の実現の手段としてEの重要性を
>深く認識した者。
>の三者に大雑把に言うと分類されるでしょう。勿論、3つの中間といった方も
>居られると思いますが。
>第一集団の多くはEの習得まで到らず途中で去ってしまいます。
>この理由はお分かりですか。苦労を厭い?やがてモット手っ取り早く喜びを
>得るものを見つけるからです。この集団でE界に残れる人は語学の達人か天才。
>ちゃっかり短時間でE界の現世利益に浸れます。

第一のタイプに対する、非常に侮蔑的な言い方はなんなのでしょう?
やめた人に対して理由を聞いたことはあるのでしょうか?
あるいは、初級講座をやった後アンケートをとってみる、とか、やったことあるのでしょうか?
「あなたはこの後も学習を続けたいですか? noならその理由は?」とか、無記名で。
思ったより難しかった、とか、あるいは、何かに幻滅してやめる事もあるかもしれない。
もしかしたら、先輩達が居丈高で不快だったからやめた、とか、あるかもしれないのに。
人の気も知らないで、思い込みで人間分析して、
最初からこいつはだめだ的に見られたら、残る人も残らないですよ。(53の人もそうでしょ?)

スレよく読むと、一部の「理念主義」のエスペランチストは、
エスペラントが普及してほしい、とは、必ずしも思っていない様ですね。
言語なんて、使う人間がいてナンボなのに、体制に合わない人間は排除する、という矛盾。
その当たりが、非常に理解できないところです。

大衆的に普及させたい、と思ってる人には賛成。
気持ち的には、その人なりの考え方や方針を応援したいと思ってる・・・
けど、排除体質がある限り、何をしても、エスペラントは広まらない、とも思う。
エスペランチストがエスペラントを広めたくないから、エスペラントは広まらない、
ただそれだけなんだから、その他の理由を色々考えても、あんまり意味ない、とも思う。

56ベダウリンデ:2007/11/22(木) 12:18:20
注:上記の文はKia-kabalo-mi-estu?様への個人攻撃ではありません。
ちょっと意見表明したいな、と思った時に、たまたまレスつけ易い場所にあった、というだけです。
Kia-kabalo-mi-estu?様ご自身は、ご自分が体制派だと認識していらっしゃると思います。「お仲間」の皆さんも考え方は同じでしょう。
その人達全部に向けての「感想」です。白羽の矢を当てて、すみません。


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