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エスペラントの思想と国家権力
994
:
Kanva
:2009/02/14(土) 19:31:19
勝った方の国にも、侵略と植民地支配の道義的負い目が、負けた枢軸国側
以上にあるはずです。勝ち負けや、ドイツや日本がどうこうに関わらず、
その処理は問われるべきなのに、勝った側は「常任理事国」として安保理に
います。ナチスが、ユダヤ民族の大虐殺(ポグロム)という誰の目にも
明らかな奇矯な凶行をしたことで、それに敵対していた方はみな善だとでも
いうように。
住民の意思に反して「地続きの植民地」をまだ解放していない大国が
すぐ近くに存在します。
「日帝」から解放されたあと、結局「先軍主義」を公言する独裁者の
治める国もあります。
嘗て過ちを犯したけれども今は負い目の殆どない状態になっている国が、
今現在も過ちを犯し続けている国に謝り続けることは、「平和を維持し、
専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去する」ことに貢献するの
でしょうか。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに貢献する」ことに役立つのでしょうか。
日本の「安全と生存を保持」するためには、同盟国による保護協力と、
自前の戦力が必要な状態が、今も続いています。
その結果、解釈改憲を繰り返して、自衛隊を保有しています。
コトバへの誠実さを保つためにも、戦後憲法制定時の見込み違いを認め、
現状を追認する条項に書き換える方がよいと思います。
「交戦権はこれを認めない」――自衛戦争は、戦争・戦闘でなければ、
何なのでしょうか? 戦う主体が国でなければ、戦うのは私兵という
ことでしょうか? どんな解釈をするべきかについては、歴史的に
いろいろ見解があるとは思いますが、端的に「交戦」といって、特に
限定していない以上は、自衛戦争も含むように読めます。
そう読めて問題ならば、そして私は問題だと思いますが、文面を変える
ほうがいいと思います。
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