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エスペラントの思想と国家権力
279
:
Kia-kabalo-mi-estu?
:2007/05/30(水) 14:33:11 ID:0/CZMylc
>日常生活に関する語彙・表現の不足・混乱
この問題は確かに存在すると思いますがEが広まらないのとは全く別問題です。
根拠にあげた現代ヘブライ語やトクピシンとの比較も的外れです。
まず現代ヘブライ語やトクピシンなどは最終的には、意図的か否かは別に、その成功と
「特定地域の人達の母語となる」事とが同時に運命付けられていたことです。
言い換えれば、それらを使用する言語共同体の成立が、それらを使う人達が生活を営むために
は「絶対と言って良いほど不可欠のもの」という前提があったということです。
Eとの違いは一目瞭然ですね。
現代ヘブライ語やトクピシンは始めから「日常生活に関する語彙・表現の不足・混乱」
などと言う問題は無かったのでしょうか。
Eは最初から母語を目指す運動とは対極の存在です。少なくとも今もってそうであります。
(遠い将来、地球人類が母語として採用する事も十分あり得る。)
ですから、仮にEを使う目的で新天地に新たな共同体を作るなら別ですが(地球上には人間が
普通に生活を営めるそのような土地がもう存在しなく成ってから久しい。)、そうでは
ありませんから、現代ヘブライ語等とその進化を比較する事には無理があるのです。
しかし、これは松戸様の言われる日常語等の混乱がEの広まらない理由への回答・反論には
当然なっていませんが地域言語の定着過程と比べてみることは、ある言語が共同体に
どのようにして認知されるか、その条件を考える上では大変参考になるものだと思います。
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