[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
エスペラントの思想と国家権力
131
:
Bonsano
:2007/04/13(金) 09:51:52 ID:Gdm97ay2
松戸さんの仰るとおりで仮令善意から出た思想でもそれが誤っていれば、実践の段階で
大きな犠牲がでことは、古今東西で見られることです。
また後継者がその師の間違った部分をことさら師の権威の名の下に押しすすめた場合は
途方もない大惨事を人類にもたらすことになります。
正義の基準が問われなければなりません。
過去において、代表的なものとしてキリスト教が挙げられます。
中世の暗黒時代を経て新旧教の対立でもどれだけ犠牲者を出したでしょう。一昔前まで
北アイルランドでの血なまぐさいテロの応酬は記憶に新しいところです。
これはキリストの教えが根本的に誤っているからでしょうか。
私の見解は次の通りです。
キリストの現世での生活者に説いた教えは概ね正しい。
でもやはり間違っている部分もあった。それはキリストほど神の存在と自分を神の子で
あると信じた人はいなかったということです。
これは多くの宗教に当てはまることですか、結果的に後継指導者達が神の名の下に
死ぬ(殉教)ことを強要したり、果ては人を殺したりすることもあるのですね。
マルクスについても同じことが言えます。
彼も間違いを犯しました。そして彼の多くの後継者達は資本論でその道筋を示した資本主義の
根本分析という彼の成果と彼の革命にかけた実践的課題とを区別して考えることができませんでした。
彼もあまりにも時代に先んじた人かも知れません。
特に彼の暴力革命論は、民主主義が先進資本主義国で労働者の地位の向上と伴に進展していく中で
武力による革命は受け入れられなくなってきました。それは何よりも人的損害によるコストはその後の
社会の建設発展においてさえも贖うことが出来ないほど大きいからです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板