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エスペラント改造論
55
:
Kia-kablo-mi-estu?
:2007/01/13(土) 13:16:17
松戸彩苑さんへ
エスペラントには、日常生活に関する「共通の」表現が不足していることは、確かです。
さらに、EUの公用語を目指すべくその資格においては、実際問題として法律用語を始め
として政治経済社会に関する専門用語の充実とその細部に亘る正確な定義づけ等は
緊急の課題かと思われます。
ただ、私の経験から申し上げますと、あなたの言う二つの「言語問題」のうち、
「全く気づいていない(?)」と言う方はそれ程深刻とは思えません。
むしろ、あなたも言うところの
>今まで多くのエスペランティストたちが「言語問題」について論じてきた
その問題の方がエスペラントには優先課題なのです。
その理由として、エスペラントは、日常の営みを起源とする民族語とは異なっている
事がまず挙げられます。
我々が生まれてから順に獲得していく用語を考えてみてください。最初の用語としては、
「ママ」、「まんま(飯)」でしょうか。そのうち「オシッコ」とか「ウンチ」
に行きまして、自分自身を呼ぶ「僕、私、俺等」までの長い道のりがありますね。
そして、家庭外の遊び仲間、そして学校という具合に我等の生活範囲が空間的、
そして後を追いかけるように時間的にも広がっていく、その過程で沢山の語彙を
獲得していきます。
この過程は人間として生まれた以上は避けられない、極論すると、死活問題なのですよ。
そして最終的に獲得可能な母語としての語彙数の限界は、その母語である民族語が
使用されている我々個々人を含む社会のこれまでの時間的空間的な営みに規定される
のですね。
換言すれば、個人にせよ、社会にせよ、その発達段階において語彙の総体数が決まる。
我々の社会における営みが増えるたびに暫時不足している語が追加されていく。
わが国では、広辞苑にある「国語」として公に定まった(定められた)語彙に
代表されます。
勿論、この中には「社会的に認知された」新語も含まれます。反面、社会的に
不要になったと考えられる語の多くも所謂「文化的遺産」として含まれていますね。
エスペラントの場合は、民族語と違い当初から使用目的が定められていました。
それは、母語(民族語)の獲得が個人の成長をなぞるようなものであるとすれば、
全く逆で成長した個々人が意識的に獲得しなければならないものです。勿論denaska
という方もごく少数ながらおりますが、例外中の例外でしょう。
そして重要なことですが、その獲得の有無は、所謂、「少なくとも当面は」死活問題では
ないのです。(続く)
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