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エスペラント改造論
263
:
松戸彩苑
:2008/06/06(金) 03:29:17
今回はいつもと違って、かなり長めの文章を掲載します。
---
「1905年に Fundamento de Esperanto が採択され、これによってエスペラントの改造が
禁止された」
このような解釈が現在にいたるまで「エスペラント界の常識」になってるわけですが、しか
し、この解釈ではどうにも説明できない事があるんですね。
それは、ザメンホフの著作や、いとうかんじ氏のザメンホフ研究書を読んだことのある人で
あれば「ザメンホフ自身が1905年以降にエスペラントの改造案を何度も発表している」と
いう事実をご存じだと思いますが、この理由がまったく説明できないわけです。
このうち、1906年1月18日づけで Javal に送った改造案(pvz 06-13)と、同年11月22
日づけで Boirac に送った改造案(06-115)については、「Javal に気に入られるようにと
考えて送ったものだ」という説があります。
また、1907年12月20日づけの改造案(07-133)にしても、「Ido の支持者に少し妥協し
て、騒動を収めるためにしたことだ」という解釈があります。
しかし、1909年1月5日づけで言語委員会に送った改造案(09-05)や、1915年に執筆
されたと推測されている「Porĉiama revizio de Esperanto」(15-11)については、どのように
解釈したら良いのでしょうか。
---
結論から言ってしまえば、Fundamento de Esperanto の序文には「変更」はいけないが
「改良」は出来る、と書いてあるんですね。
こんなことを言われても、どういう意味だか判らないだろうと思いますが、Fundamento de
Esperanto の後ろのほうに、こんなふうに書いてあるんですね。
「たとえ明らかな誤りがあったとしても、我われの言語の基礎にはぜったいに手を触れ
てはならない」と、私は述べた。こう言うと、我われの言語はきわめて硬直的で、発展
の余地がないと思う人もいることだろう。……とんでもない。基礎は厳重に不可侵であ
るが、たえず内容を充実させるだけでなく、たえず改良し完成へ向かう可能性がじゅう
ぶんあるのだ。
(水野義明(編訳)『国際共通語の思想』153ページ)
これだけを読みますと「たしかに改良と書いてあるが、これは新語根の導入のことなんじゃ
ないか」と思われるかもしれません。
たしかに新語根の導入も「改良」の一方法ではあるんですが、しかし先に引用した箇所の
すこし後に、こんなふうに書いてあります。
二、「我われの言語のうちある種の単語や規則があまりに不都合だ」と、権威ある中央
機関が認めた場合は、それをただちに取り除いたり変えたりしないで、新しい語形を提
案し、古い語形と並行して用いるように勧告すればよい。時間とともに新しい語形は古い
語形を徐々に排除し、古い語形は死語となるだろう。あらゆる自然言語でも起こってい
ることだ。ただし、こういう古語は、もともと『エスペラントの基礎』の一部となっているの
で、まったく捨て去られることはなく、新しい語形と並んで学習書や辞書に掲載される。
このようにすれば、言語がもっとも完成した段階でも、エスペラントの統一が損なわれる
ことはなく、最初期のエスペラント作品といえども後世の人びとによってその価値を失わ
ず、よく理解されると、確信してもよい。
(同書154〜155ページ)
この引用文のなかで注目すべきなのは
ただし、こういう古語は、もともと『エスペラントの基礎』の一部となっているので
という部分です。
これは要するに「Fundamento de Esperanto の一部分であるところの Universala Vortaro
に含まれている語根であっても、これに代わる新しい語形を提案することが出来る」ってこ
となんですね。
そのように解釈しないと、この部分がまったく理解できないわけです。
ですから、そのように解釈すべきだと私は思います。
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