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エスペラント改造論

249松戸彩苑:2008/03/09(日) 11:59:36
今回は、私がいかにして「エスペラントにおいて不足・混乱している語彙・表現」を見つけだ
しているのか、ということについてお話してみようと思います。
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とは言っても、それは簡単です。

たとえば街を歩いていて電光掲示板があるのに気づいたら「電光掲示板ってエスペラント
ではどう言うんだろう?」と考えるわけです。
で、判らなかったら、あとで調べるために、メモ帳に「電光掲示板」と書いておくわけです。
また、そのときに自己流の造語が思いついたら、それも当然メモしておくんですね。

このほかにも、街のなかで見かけた言葉や文章、あるいは通りすがりの人たちの会話の
なかなどにも「これはエスペラントでどう表現するのか?」と思わせるようなものがあります
ので、そういうものをメモしておいて、あとで調べたり、自分だったらどう表現するかといっ
たことを考えたりするんですね。

当然のことながら、そういったものは私がつねづね申し上げているような「現代の文明社会
に住んでいるふつうの成人であれば、誰でも知っているような物・事を表わす語彙・表現」
を最優先にすべきなんですね。
そういうものであるかどうかということを考える必要があります。

それからいちおう言っておきますと、こういった作業を生真面目にやっていたのでは、日常
生活ができなくなりますから、時間のあるときに、たまたま気づいたものだけをメモしていけ
ば良いんですね。

私は「現代の文明社会に住んでいるふつうの成人であれば、誰でも知っているような物・
事を表わす語彙・表現」を整備すべきであると申し上げてはおりますが、べつに、こういった
語彙・表現を「すべて」作ろうだなどとは考えてないんですね。

ひとりひとりの出来る範囲内でやれば、それで最善を尽くしたと言えるだろうし、その程度で
あってもエスペラントの発展におおいに寄与すると思うんですよね。

ということで私は10年以上にわたって、つねにA6判(文庫本サイズ)のノートと、黒・赤・青
のボールペンを持ち歩いています。
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このほかにも、エスペラントの本を読んだり、あるいはエスペラントで誰かと話をしているとき
などに、エスペラントの問題に気づくことがあります。

たとえば、例はちょっと古いのですが、たまたま私の手元にある「El Popola Ĉinio」1990年
8月号の36〜37ページに「Hejmo de pentristoj」という記事があります。

この記事は、中国のとある芸術家が、詩人・画家・書道家などのためのセンターを作ろうと
思い立って努力した結果、数百人の芸術家が集まって活動するようになったという内容なん
ですが、このなかに

  Poste, ili kunlabore kun aliaj eldonis la bildlibron kun poeziaĵo "Granda Muro".

って書いてあったんですね。

で、私は最初「絵本を出版したのか」って思ったんですが、しかしよく考えてみますと「万里の
長城という詩が載っている bildlibro」って書いてありますので、これは子供むけの「絵本」では
なく「(書)画集」のことなのかなぁって気もしたんですね。

この本が実際にはどっちなのかは判らないのですが、しかし少なくとも、エスペラントでは「絵
本」と「画集」との区別がアイマイなのではないかということは判ったわけです。
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ということで、こういった作業をみんなで(できる範囲内で)やっていけば良いと思いますね。

(終わり)


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