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エスペラント改造論

203KamelioJapana:2007/12/07(金) 10:04:53
松戸さんの詳しい研究には頭が下がります。

何度も私が認めているように日常用語ばかりでなく、あらゆる分野に亘って用語の不足
や未整理の問題は存在します。

現代科学の最前線においては、用語の補充・整理統合に際して人材不足は量的、質的にも
否めません。

しかし、Zamenhofがどのような言葉で表現したかは、分かりませんが、
「エスペラントは使われているうちに、自然に発展し、かつ統一される」と云う言い方が
あるのだとしても日常的に使われる「自然」の意味とは趣を異にします。

自然といっても、この目標を達成する前提条件としてEsperantujoの質的な拡大が求められるわけです。
勿論、それにはある程度絶対的な量的発展と、それに伴うべくE-istoj間の国際交流の進展が必要と
されます。

もし、Zamenhofの見通しが甘かったとしたら、前提条件の進展の度合いが見通しどうりに行かなかった
ということでしょうか。尤も、Zamenhofがいつの時点でEの勝利を見越していたのかは、定かでは
ありませんから、Zamenhofの見通しが甘かったとか、ましてや間違っていたと言われても、私としては
そう決め付けるには未だ早計のような気がします。

実は、ここに私が常に優先順序を強調する意味合いがあります。

私の意見では、Esperantujoは質量共に未だに発展途上にあります。松戸様は「ではいつになったら」
と反論されるかも知れませんが、Eの最終的勝利(これも意見が分かれるところですが)
である「国際共通補助語であると世界的権威機関が公式に認め第二言語として義務教育でEの授業が
開始」されるようになったとしても、松戸様が望んでいることは当分不可能なことというのが
私の見解です。

デノテーションはもとよりコノテーションの問題は民族や国家の文化や伝統によってはかなり異なった
様相を呈しておりますから、地球的規模でのKomeuna Kuturoと言った物がある程度明瞭に形成
されない限り、特に日常用語の整理・統一などということは民族間の橋渡し言語としてのEには無理
とは言わないまでも永遠の課題といってもかまわないでしょう。

私見ですが、Eに限らず民族語のレベルに於いても用語の不足や統一などということは
日進月歩で進歩(この語に異存のある方には変化という語が宜しいでしょうか)する
現代世界においては不可能なことだし、それを強引にやろうとしたら権力的手段の介入を
招くという観点からも好ましいものとは思われません。

続く


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