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聖イエス会金沢教会【カルト的・異端的・危険団体・洗脳教育】

1名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 22:59:42 ID:H.3.lmGc0
作詞:聖イエス会教祖様(聖イエス会創立者)

時の流れははやく 終末は迫り
しののめが近いと みな告げしめす
神の期待に われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。

十字架の旗のもと 決意も新たに
いのちにはいのちを 愛には愛を
心燃えたち われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。

新しいエルサレム ゴールをめざして
ハシッドの召命 神化の道を
ただひとすじに われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。

神のビジョンを見つめ 聖霊に燃えて
新しい歴史と 輝く未来
メシヤの世紀 われらは 開かん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。
↑「終末」「神のビジョン」…カルト的ソング???

2名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:01:06 ID:H.3.lmGc0
聖イエス会情報スレ
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/729/1541499057/
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/729/1541588780/

3名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:07:58 ID:H.3.lmGc0
聖イエス会金沢教会
http://kanazawachurch.org/

4名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:08:39 ID:H.3.lmGc0
曲名:神のことば
作詞:主の十字架クリスチャンセンター関係者??
神のことばに従い
進み行こう
今 ゼロから
歩き出そう
主のみことばから
始めよう
たとえどんなに
行く道 閉ざされても
共におられる主は
いつも新しい道を開く
十字架で贖われた
我らは主のもの
主のみ声に聞き従い
どこまでもついて行こう
後の雨が全地に降り注ぎ
リバイバルが訪れる
神の恵みが全地に
満ち溢れ
大いなる主をあがめる
https://www.youtube.com/watch?v=VRtZvOX_fs8
https://www.youtube.com/watch?v=1pPOonttTM4
https://www.youtube.com/watch?v=zPm9ZMKGiFs&feature=youtu.be

5名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:09:15 ID:H.3.lmGc0
曲名:神のことば
作詞:主の十字架クリスチャンセンター関係者??
(つづき)
神のことばは
必ず成就する
遅くなっても待ち望め
まぼろしを書き記せ
主がくれた勝利の剣
収穫のために
みたまの力
注ぎたまえ
栄光は主イエスにあれ
後の雨が全地に降り注ぎ
リバイバルが訪れる
神の恵みが全地に
満ち溢れ
大いなる主をあがめる
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=c7rzsUZEgUM
http://astone.tv/events/silver201709z/page/52/
https://www.youtube.com/watch?v=th0cCN_ECrs

6名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:09:50 ID:H.3.lmGc0
★細分裂★ホーリネス系スレ.6★不祥事★
https://toki.5ch.net/test/read.cgi/psy/1263630486/
170 :一つの川:2010/12/13(月) 19:43:26 ID:HuNLQdfK
>>聖イエス会の悪質なところは、
>>考える力のない子供に、「天国行きの切符である聖霊を受けないと、天国に入れない」、
>>とか、「永遠の滅び」とかの言葉で恐怖を、人格の深いところに植え付けるところにある。
>>それで、神様の言葉を語るとする牧師に決定的な従属意識を持ってしまう。
>>だから、その子供が大人になっても、献金がどんなにキツかろうが、抜け出す事が出来ないんだ。
>>この教団、特に、子供を集める事に熱心だし、うまい事ばっか云うので、親も騙されてしまう。
>>未来のある、少年/少女には、大槻家一派のために、人生を誤って欲しくない。

7名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:13:19 ID:H.3.lmGc0
聖イエス会 聖職者のツイッター
https://twitter.com/hiro4097
気になるツイッター↓
https://twitter.com/dryacca/status/1001855285869166593

8名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:13:58 ID:H.3.lmGc0
>>♪聖イエス会の歌(セイイエス)


>>よけいなものなど買うなよ すべてが君と神との愛の契約さ
>>少しくらいのうそやわがままも まるで君を試すような
>>救済の条件になる このまま教会で終末臨んで
>>何気なくささげないか
>>神には金で応じあおうよ 戒律破りにならないように
>>何度もいうよ 残さず出せよ 金があふれてる

>>奉仕は金を超えない とても仕えたとしても金には勝てない 
>>神に会いたくて会えなくて 薄い財布金出せと
>>迫られて破産手続き このまま教会で終末臨んで
>>いつまでもささげないか
>>神には金で応じあおうよ 金の手触り消えないように
何度もいうよ 神は確かに金を愛してる

>>金を出せ 聖イエス 金を出せ 聖イエス

9名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:14:31 ID:H.3.lmGc0
聖イエス会【聖職者・信徒】研究資料・教材
他の教団
Gospel Station Tokyo 22 やすらぎの歌ベスト盤特集です。
「大雨を降らせ」など
https://www.youtube.com/watch?v=diSSErXIkjI&list=PLcsLLJebSYFZ1kHTbJlXMWw0PwauIm67k&index=13

10名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:15:15 ID:H.3.lmGc0
聖イエス会【聖職者・信徒】研究資料・教材
他の教団
2017/1/8 日曜第一礼拝 
主の十字架クリスチャンセンター/柏教会
https://www.youtube.com/watch?v=o83z_ipyGs8

11名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:17:13 ID:H.3.lmGc0
聖霊派のクリスチャン
https://twitter.com/snowman891
聖イエス会チラシ
https://twitter.com/search?q=%E8%81%96%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E4%BC%9A%E3%80%80%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7&src=typd

12名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:20:24 ID:H.3.lmGc0
聖イエス会 某プリントより 1999年09月01日発行分より
聖イエス会が記述した弁解 文章はほぼそのまま引用
聖書の終末預言
「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」(使徒行伝2・20〜21、新共同訳)
「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」(エピソ人への手紙1・13〜14、新共同訳)
「主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。」(使徒行伝2・20〜21 新共同訳)
プリントには使徒行伝と記載されていました。新共同訳聖書は「使徒言行録」です。
ゴスペル賛美 世界の終わり
https://www.youtube.com/watch?v=yJhGiVXw9zQ
■聖書は歴史の時刻表■
 一九九九年の「七」の月は無事に過ぎ去りました。以前から言い続けてきましたように、七月に人類が滅亡するということはありませんでしたし、来年二〇〇〇年に世界に終末が来るということもありません。どうかご安心ください。
 なぜ確信をもってそう断言できるかと申しますと、天地宇宙を創造された、唯一のまことの神の言葉である聖書には、そのようなことは何一つ書かれていないからです。
 聖書には重大な預言がたくさんあり、世界の歴史は、聖書の預言どおり正確に進んで来ていることは、聖書を学んでいる人ならだれでもよく知っています。聖書は最も信頼できる神の言葉であり、また歴史の時刻表です。
 聖書はもちろん、世界の終末について、いかなる書物よりも多く、また具体的に預言しています。しかし、一九九九年七月に人類が滅亡するとか、二〇〇〇年に世界が終わりを迎える、ということは言っていません。
 確かに、聖書の中に千年王国時代のことが預言されていますので、ある人々は、一〇〇〇という数字にこだわります。そのために、紀元九九九年にも、反キリスト(偽メシヤ)が現れ人類が滅亡するとか、世界の終末が来ると騒がれ、大パニックが起こったことがあるのです。一九九九年にも同じ心理が働いて、同じようなパニックが起こっているのです。
 世紀末にはおいては、これからもさまざまな終末論が登場し、人々を不安に陥れることになるでしょう。
 そこで、今日は最も確かな「聖書の終末論」についてできるだけわかりやすくお話ししたいと思います。

13名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:20:54 ID:H.3.lmGc0
■「予言」と「預言」■
 まず最初に、「予言」とか「終末」とか一口に申しましても、一般に言われている「予言」や「終末」と、聖書の場合では全く意味が異なるのです。
 一般に「予言」という場合、「予」という字は、「予め」という文字、天気予報とか予想の「予」をつかいます。これは予知能力によって何かを前もって予告するという意味です。
 ある程度の予知能力をもった人間というのは歴史上何人も存在しました。ケーシーやノストラダムスなどは特に有名です。しかし、人間の予知能力とか霊感というものは、個人の性格や感情、置かれた環境に左右されるので、確実なものとは言えません。
 ご承知と思いますが、ノストラダムスはカトリックに改宗したユダヤ人でした。ですから彼の思想の根底には、旧約聖書、新約聖書、ユダヤ人の神秘主義であるカバラがあります。
 その上に、占星術(星占い)が加わり、しかもフランス人でもわからない、古代のフラン語(?)で書かれているので、専門の研究家たちも、ほとんどわからないと告白しています。専門家でもわからないものを、全くこれらのバックグランドも知識も持たない日本人の解説者が、わかったような解説をして世間を騒がしているわけです。事実、ノストラダムスの予言は、事が起こったあとから、この事件は、あの予言の実現だというようにこじつけて解釈されてきたのです。
 ここで、一番警戒しなければならないのは、人間の予知能力や霊感にはしばしばサタン(悪霊)が絡んで、人々を惑わし、滅びに導くということです。
 以上が、一般の「予言」、「予め」という字の「予言」ですが、それと対照的に、聖書の「預言」は、「預ける」という字、預金の「預」という字を用います。
 これは、預言者が神様から預かったメッセージという意味で、預言者自身の個人的な感情や予知能力などとは無縁のものです。
 聖書の預言は、神様から重大なメッセージを預かった預言者が、それをそのまま人間に伝えたものなのです。ですから、どちらが信頼性があるかは、申し上げるまでもありません。
 残念ながら日本では、一般に聖書の知識が浸透していませんので、聖書の預言はことごとく世界の歴史の中に実現してきているという事実が、余り知られていません。
 その実例はあまりにも多く、それだけでも何冊もの本になるほどです。限られた紙面ではとてもすべての預言に触れることはできませんが、例えば、世界を支配した国々の発生から滅亡まで、また、世界の救世主となられるイエス・キリストの誕生から贖罪としての十字架の死、復活、そして聖霊の降臨まで、それらは、微にいり、細に至るまで、逐一預言通りに実現しています。
 また、終末時代に関する預言も、現代において次々と実現・成就しています。聖書は、歴史の時刻表といっても過言ではありません。

14名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:21:34 ID:H.3.lmGc0
■「終末」の意味■
 次に、注意したいことは、「終末」または「終末時代」という言葉の意味が、一般の「予言」と聖書の「預言」では全く異なるのです。
 一般に、「終末」といえば、人類の滅亡、地球の崩壊、すべての終わりという意味で使われています。
 しかし、聖書の場合は、一つの時代の終わりと共に、新しい時代の始まりを意味しているのです。
 一つのわかりやすい例として、学校の卒業のことを考えてみましょう。中学校を卒業する人は、確かに、親しい友達や先生たちとの別れという寂しい経験をしますが、それがすべての終わりとは考えていないのです。
 確かに中学という一つの時代は終わりますが、その後にすぐ、さらに、夢多き、希望に満ちた高校時代が待っているので、絶望することはありません。
 英語で、卒業式のことをコメンスメント(COMMENCEMENT)と言いますが、これは終わりという意味ではなく、物事の始まりを意味する言葉なのです。
 聖書で言う「終末」は、まさにそれで、すべてが滅亡して無に帰するのではなく、一つの時代の終わりと共に、新しいさらに輝かしい時代の始まりを意味しているのです。
 聖書の言う「終末」には希望と喜びが満ちていますが、ノストラダムスをはじめとする、一般の予言には夢も希望もありません。そこにあるのは、ただ絶望も恐怖だけです。そこが、同じ終末という言葉を使っても、一般の予言と聖書の預言が全く違うところなのです。
■「主の日」■
 さて、聖書では歴史を二つの時代に区分しています。それは、「今の世」と「きたるべき世」の二区分です。イエス・キリストご自身も、使徒たちもそのように表現しました(マタイによる福音書12・32、ルカによる福音書18・30、エペソ人への手紙1・21、テモテへの第一の手紙4・8)。

図表をご覧下さい。(プリントの図は省略します。)この二つの時代を区分する日が「主の日」なのです。
 これはヘブル語では、「ヨム・ハフー」また「ヨム・アドナイ」と呼ばれ、時代を分ける決定的な日を意味しています。
 その決定的な日をもって、「今の世」が終わり、「きたるべき世」がスタートするのです。
 その日こそはメシヤが来られる日、キリストの地上再臨の日と、聖書は言っています。復活し、昇天されたキリストが再びこの地上にお帰りになる日です。
 このイエス・キリストの再臨について、聖書は三百六十回以上預言しています。聖書の預言は、ただ一度しかされていないものでも、ことごとく歴史の中に実現・成就してきましたので、三百六十回以上も預言されていることについては疑う余地はありません。

15名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:22:26 ID:H.3.lmGc0
■「終末時代」の三つのしるし■
 その決定的な「主の日」が近づくある期間を、聖書は、「終わりの時」、「終末時代」と呼んでいます。
 それでは、世界の歴史が、「終末時代」に入ったかどうかは、何によつてわかるのでしょうか。聖書の預言を調べますと、三つのしるしがあることがわかります。
 第一は、核兵器の出現です。聖書の時代にはもちろん核兵器という言葉はありませんが、何億という人間を一瞬にして殺戮(さつりく)する恐るべき火について預言しています。これは、一九四五年に原子爆弾の出現によって現実となりました。
(ヨハネの黙示録9・18など)
 第二は、イスラエル国の再建です。聖書は、長い世紀にわたって国を失い、世界に離散していたユダヤ人が、終末時代に父祖の地パレスチナに帰って来て国を再建し、その国の名をイスラエルとすることが預言されています。これもすでに、一九四八年に実現・成就しています。
(エゼキエル書 37〜38章など)
 第三は、エルサレムの統合です。神の都と呼ばれるエルサレム、神がご自身の聖なる名を置くと宣言された世界でただ一つの町エルサレムが異邦人の支配から開放されイスラエルに帰することです。二つに分かれていたエルサレムが一つになることです。これも、一九六七年に実現しました。(ヨハネの黙示録11章、ゼガリヤ書12章など)
 この三つのしるしが出そろった今、歴史は間違いなく「終末時代」に入っているということになります。

16名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:23:18 ID:H.3.lmGc0
■「艱難時代」の三つのしるし■
 この「終末時代」の最後の七年間、「主の日」の前の七年間を、特に「艱難(かんなん)時代」と呼んでいます。
 それは、この期間が世界と人類にとって非常に厳しく、苦しみに満ちた苛酷(かこく)な時代となるからです。
この時代、人間の欲望と堕落が極限に達し、道徳は地に落ち、犯罪は日常茶飯事となり、また、いたるところで紛争が起こり、ついには、地域的な核戦争も起こるでしょう。人間の自然破壊による洪水、干ばつが頻発し、世界的な大飢饉となります。性道徳の堕落が原因となる恐ろしい病気が蔓延することも預言されています。
 そして、最も恐ろしいのは、サタンの悪霊による人間支配です。もちろん、現在においても、戦争や犯罪、不道徳すべての罪の背後にはサタンの力が働き、人間を滅びへと導いているのですが、この時代には、サタンの力が強烈に働くので、人間の意志や頑張りでは到底抵抗できないことになるのです。
 聖霊を受け、神様に守られている人は、サタンの攻撃にも勝利することができますが、聖霊の力がなければサタンの思うままに操られてしまうのです。
 それでは、「艱難(かんなん)時代」に入ったということは、何によってわかるのでしょうか。これも三つのしるしによって判断することができます。
 第一は、エルサレムに神殿が再建されることです。紀元七〇年に、ローマ軍によって破壊された神殿が再建され神殿の祭儀が復活することです。(テサロニケ人への第二の手紙2章、ヨハネの黙示録11章など)
 第二に、反キリスト(偽メシヤ)が現れ、神殿に座し、すべての人に礼拝を強要することです。
 第三に、世界の国々がエルサレムを再びイスラエルの手から取り上げようと、エルサレムに攻撃をしかけることです(ゼカリヤ書12章など)。これがハルマゲドン戦争の引き金となるのです。
 以上の事実によって明らかなことは、現在わたしたちは、もう既に、終末時代には入っているが、まだ「艱難(かんなん)時代」には入っていない時点に立っているということです。
 いずれにしても、わたしたちは「艱難(かんなん)時代」に非常に近づいているのです。日々のニュースで見聞きする戦慄するような出来事は、まさしく「艱難(かんなん)時代」の前兆と言えるでしょう。
 それゆえ、今、わたしたちにとって一番大切なことは、この厳しい時代をパスして、輝かしい「主の日」を迎え、すばらしい時代に、喜びをもって入ることができるように準備をすることです。備えあれば憂いなしです。

17名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:23:58 ID:H.3.lmGc0
■聖霊の証印■
 さて、わたしたちが輝かしい千年王国、新天新地、永遠の神の御国に入るためには、不可欠の条件があります。
 それは、「聖霊の封印」を受けているということです。それはちょうど、海外旅行をする時、パスポートが必要であり、自分が入りたい国のピザが必要なのと同じです。
 もう一度、はじめに読みました、エペソ人への手紙第一章十三節以下の御言葉に注目いたしましょう。
 「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」
 以上の御言葉は、わたしたちが神の国に入るための保証、絶対に無くではならぬものは、「聖霊の証印」であると宣言しています。
 それでは、「聖霊の証印」とは何でしょうか。印には何が刻まれているのでしょうか。日本人ならすぐわかります。それは名前です。
 わたしの印にはわたしの名前が刻まれています。「聖霊の印」とは神の名、御名のことです。
 聖霊を受けるということは、「我は主なり」「神は愛なり」という神の御名を、心に刻まれることです。
 ですから、聖イエス会のすべての教会では集会ごとに、「神様の御名を呼び求め、聖霊を受けなさい」と強調されているのです。
 預言者ヨエルもこう預言しています。
 「主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。」(使徒行伝2・20〜21 新共同訳)
ゴスペル賛美 「世界の終わり」 https://www.youtube.com/watch?v=SPfNIkRdU5A
【プリントには、使徒行伝と記述されていました。使徒行伝ではなく、使徒言行録の間違いです。新共同訳聖書で確認を。】
 愛する皆さん。今日、「聖霊の証印」をいただくために、心から主イエス・キリストをまことの神様、救い主様と信じ、真剣に主の御名を呼びましょう。
 神は約束されました。「主の名を呼び求める者は皆、救われる」と。
 聖霊来てください! 聖霊来てください!
「今より、我は主なり!」…プリントには聖イエス会おなじみの御名が記載されていた。

18名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:24:40 ID:H.3.lmGc0
■永遠なるものを求めて■
 はじめに申しましたように、一九九九年「七」の月に、人類が滅亡するとか、二〇〇〇年に世界は終わるということはありません。
 しかし、このことは知っておかねばなりません。
 すべて目に見えるもの、物質には限りがあるということです。いつか終わりがくるという厳粛な事実です。
 あなたの体、あなたの家、あなたの車、あなたの財産、すべて限りがあり、必ず終わりがあるということです。
 しかし、終わりのない永遠なるものが存在します。神は永遠なるお方です。聖霊の証印も永遠のものです。神の国も永遠です。
そして、あなたの霊魂も永遠です。あなたの肉体には限りがありますが、霊魂は永遠に存続します。
 わたしたちにとって最も重大なことは、わたしたちの霊魂が、永遠という無限の時を、どこでだれと過ごすかということです。
最近のアンケート調査によりますと、現代人の最大の関心事は、老後の十五年か二十年を、だれとどこで生活するかということだそうですが、しかし、みなさん、永遠という終わりのない時を、どこでだれと過ごすかということはもっと大切な問題です。
 あなたは、神の国に入るためのピザ、聖霊の証印をもう受けたでしょうか。これだけが無くてならぬ唯一のものです。明日と言わず、そのうちにと言わず、今日、今という最も確実な時に、聖霊の証印を受けましょう。
 主は言われる、
「きょう、わたしの招きの声を聞いたなら、あなたの心をかたくなにしてはいけない。」
(へブル人への手紙3・7〜8参照)

19名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:25:25 ID:H.3.lmGc0
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」
(コリント人への第二の手紙6・2)
「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」
(使徒行伝2・21、新共同訳)
※正しくは、「使徒言行録」です
「今より、我は主なり!」…プリントには聖イエス会おなじみの御名が記載されていた。

プリントには記載はありませんでしたが、
「我は主なり」のところ
イザヤ書 43:13 文語訳聖書 
今よりわれは主なりわが手より救ひいだし得るものなし われ行はば誰かとどむることを得んや
口語訳聖書
「わたしは神である、今より後もわたしは主である。
わが手から救い出しうる者はない。
わたしがおこなえば、
だれか、これをとどめることができよう。」
新共同訳聖書
「今より後も、わたしこそ主。わたしの手から救い出せる者はいない。わたしが事を起こせば、誰が元に戻しえようか。」

20名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:26:06 ID:H.3.lmGc0
聖イエス会【聖職者・信徒 ◇参考資料・教材◇】
聖書塾動画 創世記24:1
https://www.youtube.com/watch?v=YERmUXntR3g

献金の祈り(讃美) 大波のように…聖イエス会作成のオリジナル讃美ではありません。
https://www.youtube.com/watch?v=AnsbelQKqRQ

日本基督教団発行の讃美歌集(古い本)に「大波のように」がのっています。
1991年10月1日 47版発行 (日本基督教団讃美歌委員会)
讃美歌第二編171番「大波のように」作詞者不詳、作曲者不詳 (名前あり)訳

主をほめたたえよ〜新世紀さんびか〜 (聖イエス会発行) 2001年4月1日初版発行
21番 大波のように

カトリックの十字架とプロテスタントの十字架の違いについて (特に聖イエス会の信徒さん ネット(Googleなど)で検索・確認を)
イエス・キリストと十字架:カトリック
十字架のみ:プロテスタント

聖イエス会の一部の教会は、十字架にイエス・キリストの磔刑像が付けられている。
例えば、URL http://growupintoxp.wixsite.com/seionoch
    URL http://www002.upp.so-net.ne.jp/taibouch/details1.html
    URL https://gifuchurch.themedia.jp/posts/3469293
http://akenohoshi-ch.sakura.ne.jp/wp/%e6%98%8e%e3%81%ae%e6%98%9f%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%81%ae%e8%a1%8c%e4%ba%8b/

21名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:26:36 ID:H.3.lmGc0
讃美「神の家族」【1】…聖イエス会の信徒さん…参考に
https://www.youtube.com/watch?v=bJLAnGsA2Uw
https://www.youtube.com/watch?v=Ez_0mvugNQU
https://www.youtube.com/watch?v=jshLe0AwVBo

22名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:27:09 ID:H.3.lmGc0
讃美「神の家族」【2】…聖イエス会の信徒さん…参考に
https://www.youtube.com/watch?v=NNrk7fhnN9g

23名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:27:46 ID:H.3.lmGc0
聖イエス会の資料より 某信徒からプリントを頂きました。
キリストの名号
Q 浄土宗では「南無阿弥陀仏」という六字の名号を唱えるですが、
キリスト教で唱える名号は何ですか。
牧 神には十二の御名があり、その中のどれを唱えてもよいのですが、
一番よく唱えられ、また初めての方にも覚えやすい御名、「我は主なり」
を紹介しましょう。・・・・

24名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:28:16 ID:H.3.lmGc0
作詞:聖イエス会初の女性牧師(創業家の親族) 現聖イエス会スミルナ教会牧師 (某信徒さんの証言より)

みもとにひれふす …    …部分省略
みもとにひれふす …    …部分省略
イエスは 言われた
「わたしのこころだ きよくなれ
われは主なり われは主なり。」


み衣にさわる 病める人
み衣にさわる 病める人
イエスは 言われた
「信仰のように なりなさい
われは主なり われは主なり。」


あなたはわたしを だれという
あなたはわたしを だれという
ペテロは 答えた
「あなたは キリスト 生ける神」
「われは主なり われは主なり。」

25名無しのひつじさん:2018/11/07(水) 23:28:51 ID:H.3.lmGc0

桑の木の上の ザアカイに
桑の木の上の ザアカイに
イエスは 言われた
「あなたのところに 泊まりましょう
われは主なり われは主なり。」


十字架の上の 罪人に
十字架の上の 罪人に
イエスは 言われた
「わたしと一緒に 天国へ
われは主なり われは主なり」


わたしの傷に ふれなさい
わたしの傷に ふれなさい
トマスは 答えた
「アドナイ わが主よ わが神よ」
「われは主なり われは主なり。」


終わりの時が やってくる
終わりの時が やってくる
イエスは 言われた
「わたしを信じて み名を呼べ
われは主なり われは主なり。」

(最後に)
「われは主なり われは主なり。」


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