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聖イエス会待望教会(2)、主の十字架クリスチャンセンター長崎教会

1名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 00:36:59 ID:0JPOgpWs0
聖イエス会待望教会
http://www002.upp.so-net.ne.jp/taibouch/

主の十字架クリスチャンセンター神のしもべ長崎教会
http://users.astone.co.jp/

2名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 01:46:08 ID:keeuCOew0
.
  NHKは不要だ!
.
   NHKに解説者は必要ない・・無資格者が政治を繰る。

  NHKは、解説者を無くして「経費を節減せよ!」。

  そして、NHK受信料を値下げせよ!

  このNHKの解説者なる者の中に、「政治解説をする
 者がいる」。
  しかし、この者は、「国民の選挙の洗礼を受けていな
 い『ただの者だ』」。
  放送媒体のNHKに、この、ただ採用されただけの者
 なのだ。
  だが、しかし、影響力が抜群に強大なNHKの放送機
 能を使って、日本全国、ましてや世界へ、自分の勝手な
 意見を、自分だけの意見を発信している。
  こんな強大な権利は君には「ない」訳だ・・、
  こんな権利は君には与えたくない・・
  こんな、「民主主義のルールを踏みにじったやり方」
 で、横暴な行為で、NHKは放送行為をし続けている。
  広い、公正な意見を国民へ提供すべき立場のNHKが、
 こんな専制君主的な・・特定の一個人に、輩に、このN
 HKだけの意見を作って・・放送媒体を使用させている。
  大学教授や、評論家の方々に・・広く意見を求めて行
 くべきなのが君のやるべきこと・・これが、NHKの役
 目なのだ・・ただそれだけなのだ。
  NHKの、君の意見なんて・・公正な民の選択・選挙
 も受けてない・・君だけの、NHKだけの意見なんて、
 勝手に放送をするな!
  NHKは、「なんだ、かんだ」と組織を大きくしてい
 る。
  こんな「無用な解説室」も設けている。
  NHKには縮小すべきものが多い・・無くすべきもの
 が多い。
  NHKは、無駄を縮小せよ!・・
  そして、受信料を値下げせよ!

3名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:13:04 ID:0JPOgpWs0
※聖イエス会信徒さんからの情報提供…そのまま引用
聖イエス会 秋期聖会から
「私の存在の主よ」
執筆者…当時のロゴス神学院生

 「私の存在の主よ、あなたの理想は、私の内で満たさ
れているのでしょうか。」

 詩聖タゴールの言葉が私の心にこだまします。
 激動の八月が終わり、世界が終末に向かって刻々と
すんでいることを感じさせられる中、ロゴス神学院も
二学期を迎えました。
 九月十一日、二学期最初の講義において、霊父は、
「終末におけるイスラエルの救いの歴史について、
聖イエス会の使命の本質について、ナボン前大統領、
レビン教授の再来、その印象について」お語りくださ
いました。切々と語られる霊父のお話を聞きながら、
「この夏、世界は激しく動いた。しかし、霊界において
もイスラエルの救いという、ご経綸が大きく動いていた」
ということを知らされました。
また、イスラエルの聖イエス会に対する期待がどんなに
大きいかということも知らされ、目が覚まされる思いで
した。
 そして、愚かなる者を悟らしめたもう聖霊は、つづく
一回一回の講義を通して、このことをさらにはっきりと
教えて下さり、小さな神学生たちに激しくお迫りくだ
さいました。
 「世界は激動し、霊界においても、イスラエルの救い
のご経綸が激しく動いている。問題は聖イエス会である。
聖イエス会は経綸に乗り遅れている。このままでは
何のお役にも立たない」と。
 そのような中で、霊父は、毎週の講義の中で、聖イエス会
の現状を憂いて祈られました。それは、だれかを責めるという
祈りではなく、ただ自分一人の責任であるかのように祈る祈り
でした。謙遜の谷間で祈られる、その祈りは、十字架上
のイエス様の祈りのようでした。霊父は涙にむせびつつ

4名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:14:21 ID:0JPOgpWs0
こう祈られました。
 「イエス様、私が聖イエス会を創立せよ、と言われ、創立
したときの理想とは、ずいぶんかけ離れています。あなたが
私に命ぜられた聖イエス会は、こんなはずではなかった。イ
エス様、申し訳ありません。これは私の責任です。主よ、私を
あわれんで下さい」と。
 私もあふれてくる涙を止めることはできませんでした。
ただあわれみを求めて御名の中に全存在を投げ込むのみ
でした。「私は何と理想とかけはなれた存在なのだろう。何と
期待にこたえることのできていない者なのだろう。」ロゴス
神学院の最上級生としての責任を痛いほど感じさせられ、心
の中で、くり返し叫んでいました。「イエス様、ゆるして下
さい。ファーザー、ゆるして下さい。院長、ゆるして下さい。
下級生の皆さん、ゆるして下さい。聖イエス会の皆さん、
ゆるして下さい。このへりくだらないロゴス神学院の上級生
が悪いのです。主よ、あわれんで下さい。私が変われば、ロゴ
ス神学院は変わります。学院が変われば、聖イエス会は変わり
ます。聖イエス会が変わればイスラエルは救われます。」この
四年間聖霊様の親しいご指導を受けておりながら、その指導に
対して、「ノー」と言って従っていなかったことが示されました。
 そして、聖会前、最後の講義において、「聖会を迎えるための
準備になると思いますから」と前置きされて、もう一度、ナボン
前大統領との親しい交わりのあかしとナボン氏のあいさつの
言葉を霊父が読んで聞かせてくださいました。
最後に、聖霊は、「イスラエルのために本気で祈っているのか。
本当に戦っているのか。本当にイスラエルの期待にこたえている
のか」と再び激しくお迫りくださいました。「ああ、不信仰と
不従順によって、全くしめりきり、生涯に一度も燃えることな
くして、何のお役にもたたず、むなしく去っていく人生には、
何の意味があるのでしょうか。」聖霊の注ぎの中で、聖イエス会に
啓示された使命と献身が、浮きぼりにされていきました。
 このように、聖霊はロゴス神学院を聖イエス会の創立の理想、
はじめの愛、原点に帰していてくださるのです。今、ロゴス神学
院が新しく生まれ変わろうとしている時、ロゴス神学院は、どこ
かへ行くのではなく、原点に帰ろうとしているのです。聖イエス
会の福音と使命の原点に帰るのです。そのために、もし、私の

5名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:15:30 ID:0JPOgpWs0
命が必要であるならば、私はこの命をささげましょう。私は
移転する前に卒業しますが、それであればなおさら、新しい
ロゴス神学院建設のリバイバルのために、私自身を全焼のいけにえ
としてささげましょう。
 主よ、どうか今、祭壇にささげられている貧しく小さないけにえ
の上に聖霊の火をくだしてください。イエスラエルの救いのために、
聖霊、来てください。
 「今より、我は主なり!」
以上聖イエス会信徒さんからの情報提供…そのまま引用

6名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:16:03 ID:0JPOgpWs0
聖イエス会信徒さんからの情報提供(古い聖イエス会資料集より)
…そのまま抜粋
キリストの生活の再現
執筆者:聖イエス会聖職者???
 「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、
自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」
(マルコ8・34)
 ロゴス神学院では、毎朝、「私たちは何のためにロゴス神学院に
入学したのですか?」「それは聖人になるためであり、もう一人の
キリストになるためです。」「神学生とはなんですか?」「極みまで
キリストに従いたい人のことです」との問答から一日が始まります。
そのようにして、皆さんは四年間、共に生活し、共に学んでこられ
ました。この四年の間に、皆さんは多くの事を学びましたが、最高
の学びは、ロゴスであるキリストご自身を学んだ事であります。
そして、この「キリストに倣う」学課は生涯継続されなければなら
ない学課であります。
 卒業式を英語では「commencement」と言いますが、これはラテ
ン語の「共に始める」という意味からきています。そうです。卒業
とは何かの終わりではなく、何かの始まりなのです。皆さんは、
四年間「キリストに倣う」ことを学び、修業してこられましたが、
いよいよきょうから、それを実践する新しい生活が始まるのです。
キリストの生活を再現する本当の使徒職が開始されるのです。
 一口に「キリストの生活の再現」と申しましても、それは決して
たやすい事ではありません。あなたが自力でどんなに頑張ってみても、
なかなか実現できるものではありません。しかし幸いなことに、あな
たがたの内にいますロゴスなるキリストが共に始めてくださるのです。
キリストご自身があなたがたの内から生きて下さるのです。愛して
くださるのです。キリストがあなたの内から、生き生きと歩んで下
さるためには、あなたが自我によって歩まない、すなわち完全な
自己放棄と明け渡しが求められます。私たちは、自分に死んだ度合
いに応じて、キリストに生き、キリストを再現することができるの
です。
 キリスト教会最大の使徒と言われる聖パウロも、使徒職の成功の
秘訣をこう教えています。
 「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、
もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておら

7名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:16:56 ID:0JPOgpWs0
れるのである。」(ガラテヤ2・19〜20)
 愛する卒業生の皆さん、あなたがたの使徒職の成功の秘訣もこれ
しかありません。
 きょうから皆さんも先生と呼ばれる人になられるのですが、世の
中には、先生、先生と呼ばれ、多くの人に仕えてもらうことを喜び
とし、誇りとしている先生が、余りにも多すぎるのです。私たちの
主は仰せになりました。「わたしは仕えられるためにではなく、仕
えるために来たのだ」(マタイ20・28参照)と。神であり、救世主
であられるキリストでさえ、仕えるために来たとおっしゃるなら、
私たち小さき者が、主に仕え、また、すべての人に仕えるのは、余
りにも当然のことではありませんか。
 終末的危機に直面しているこの世界が、今必要としているのは、
もう一人の政治家ではありません。もう一人の実業家でもありませ
ん。もう一人の、学者・先生でもありません。それは、もう一人のキリ
ストです。他者の幸せ、他者の救いのために自分を犠牲にするもう一人の
キリストです。
 主は仰せになりました。「人がその友のために自分の命をすてる
こと、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15・13)と。・自・己
・主・張と・利・己・愛によって、まさに崩壊しようとしている
この世界を救い得るのは、自己犠牲と無私の愛以外にありません。
すなわち、もう一人のキリストとなったあなたがた以外にはありま
せん。若人たちよ、さあ行きなさい。この世界は、この時代は君た
ちを待っているのです。
 それでは最後に、日々の祈りの中で、いつも祈って来ました、
聖女バルトロメア・カピタニオの祈り、「主イエスよ、私自信を
すべて捧げます」をご一緒に祈りましょう。

(卒業生復唱)
 主イエスよ、あなたは教えて下さいました。
 あなたへの愛と、隣人への愛とが、
 切っても切れない関係にあることを。

 これから先、私の主よ、
 あなたが下さったものの何一つも、
 私の所有物として保持いたしません。

8名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:17:38 ID:0JPOgpWs0
 いのち、健康、能力、
 言葉、行い、持ち物
 それらすべてを、他者への奉仕に用います。

 小さい者、貧しい者、病む者に、
 徹底的に奉仕できるよう、
 余分なものはすべて捨て去ります。

 この約束の実行を、
 主よ、私は厳かに誓います。

 主よ、私は自分に頼りません。
 あなたと、あなたの恵みにこそ、
 全幅の信頼を置きます。


 私の主、私の神よ、
 分からせて下さい。
 取るに足りない私でさえ、
 あなたの全能の手の中でなら、
 偉大な業を行えるということを。

 私の神よ、常に私と共にいて下さい。
 私の心から、
 利己主義をすべて取り除き、
 私の心を、
 愛と献身とに開かせて下さい。

 私は自分のすべてを、あなたに委ねます。
 私はもはや自分のものではなく、
 私の命である主よ、
 ことごとく、あなたのものなのです。
 ことごとく、あなたのものなのです。

 「神は愛なり!」

以上聖イエス会信徒さんからの情報提供(古い聖イエス会資料集より)
…そのまま抜粋

9名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:18:15 ID:0JPOgpWs0
※聖イエス会信徒さんからの情報提供(古い聖イエス会資料集より)
聖イエス会聖職者会メッセージ

 「プレローマ‘96」の本質的意義と展望について
執筆者:聖職者・・・

 『プレローマ‘96』に関する『司牧教書』を出したのが、昨年の
十二月八日であった。それからちょうど四か月、きょう、四月八日、
いよいよ京都大宣教会の開幕の時を迎えた。感無量である。無我夢
中で、ようやくここまで漕ぎ着けたという感がする。心より主に感
謝する。
 『プレローマ‘96』が目指すところは、一九九六年のペンテコステ
には、イスラエルが永遠の生命への救いにあずかるための、後の雨、
聖霊の大傾注をいただくことである。その前哨戦とも言うべき戦い
の幕が、いよいよ今夕ここで切って落とされる。この時に当たり、
我々は、何を主に求めるべきであろうか。
 「これらのことを語り終えると、イエスは天を見あげて言われた、
『父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすよう
に、子の栄光をあらわして下さい。あなたは、子に賜ったすべての
者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与
えになったのですから。永遠の命とは、唯一の、まことの神でい
ますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを
知ることであります。わたしは、わたしにさせるためにお授けに
なったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました。
父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていて栄光で、
今み前にわたしを輝かせて下さい。』」(ヨハネ17・1〜5)
 まず私達は、大祭司の長として、神には人を与え、人には神を
与える、この祭司職を全うするために、主が御自身のために祈ら
れたことに注目しなければならない。特にその祈りの初めと終わ
りの部分に注目したい。そこで、主がこの偉大な人格救済の大事
業を実現・成就するために必要とされたことが、何であるかを学
ぶことができるからである。
 「これらのことを語り終えると、イエスは天を見あげて言われた、
『父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすよう
に、子の栄光をあらわして下さい。…父よ、世が造られる前に、
わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて

10名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:18:54 ID:0JPOgpWs0
下さい。』」
 「父よ、時がきました。」イエス・キリストの生涯において、
最も重大な時、御子が受肉した究極目的、人類救済のあがないを
実現・成就するその時、御子が御父の栄光を最大限に輝かすべき
時、それによって御子もまた御自身の栄光を燦然と輝かすべき時
がまさにきたのである。
 我々にとっても、まさに「時がきました。」終末時代において、
最も重大な時、十四万四千人のイスラエル人に生ける神の御名を
印するその時、聖イエス会が聖霊によって誕生した究極目的を、
実現・成就するその時が、まさにきた。
 「その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民(イスラ
エル)をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」
(マタイ1・21)まさに、その「時がきました。」
 「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光
で、今み前にわたしを輝かせて下さい。」イエスは感極まり、ここ
で、ご自身が天地創造以前に前存し所有していた神性の栄光を想
起し、祈られたのである。
 「初めに言【ことば】(ロゴス)があった。言【ことば】は神と
共にあった。言【ことば】は神であった。」(ヨハネ1・1))キリ
ストはロゴスとして永遠の先在者であり、父と一体なること、
ロゴスは神であること、このロゴスのうちに永遠の命があること、
この栄光こそは、キリストが本性的に持っておられる栄光であり、
その栄光を今こそ、輝かせて下さるように、との意味である。
 キリスト御自身にして、なおこの祈りが必要であったとするな
ら、まして私達において、なおさらである。自己の神化を抜きに
して、もはや何事もできない。
 私達は恩寵により、キリストのご本性に参与することによって、
ロゴスの栄光にあずかった。その栄光を今こそ輝かせて下さるよ
うにと祈るべき時、『プレローマ‘96』のその時が来たのである。
 「これらのことを語り終えると、イエスは天を見あげて言われ
た、『父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわす
ように、子の栄光をあらわして下さい。……父よ、世が造られる
前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝
かせて下さい。』」
 「主よ時が来ました。永遠の生命に予定されている、異邦人の
全数を満たし、十四万四千人のイスラエルに印するために、あな

11名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:19:27 ID:0JPOgpWs0
たがお選びになった聖イエス会が、あなたの栄光をあらわすよう
に、聖イエス会(わたし)を神化して下さい。あなたが私達にお
与えになった栄光で、ロゴスの栄光で、今み前に、聖イエス会
(わたし)を輝かせて下さい。」「ロゴスは神なり!」
 すでに『司牧教書』を通し、また『あかしびと』の巻頭言を通
し、繰り返し強調してきた『プレローマ‘96』の具体的な活動が、
今夕、ここで開始される運びとなった。
 一九九六年という年は、「かれ子を生まん、その名をイエスと名
づくべし。己【おの】が民をその罪より救いたもう故なり」(マタ
イ1・21、文語訳)と、聖霊により聖イエス会が生み出されて、
五十年目の年である。「この年に一つの結論を」とはかねてよりの
念願であったが、聖霊のご指導を請い求め続けて来た我々に、来た
るべきこの年へのビジョンは次第に明確になり、今やそれは不動の
信仰となって来た。すなわち、この年のペンテコステには、イスラ
エルが永遠の生命への救いにあずかるための、後の雨、聖霊の大傾
注をいただくことである。お断わりしておきたいことは、これにつ
いての啓示を受けたと言うのではない。これはどこまでも、我々の
ビジョンであり、信仰である。エルサレムがまさに持ち上げられよ
うとし、イスラエルが未曾有の危機に直面している今、このすばら
しいビジョンが成るか、成らないか、ひとえに我々の勇気ある決断、
信仰の行動にかかっているといっても過言ではない。ここに『プレロ
ーマ‘96』と名付けて、一大宣教活動を展開することにした。今こそ
時が来た。この二年間、永遠の生命に予定されている異邦人の全数を
満たすために全力投球、邁進したい。「もし信じるなら神の栄光を
見る。」(ヨハネ11・40)
 このあと、ひき続き、信じて行動した時、神はどのように答えて下
さったか、その証【あかし】を府中教会の……先生と、パウロ教会の
……牧師にお願いしているので承りたい。(『あかしびと』第…号参照)
 さらに、……牧師から、『プレローマ‘96』の具体的対応について、
取り組みの経過と展望に関して、京都ブロックと嵯峨野教会の姿勢を
報告していただくことになっている。(『あかしびと』第…号参照)

〔今後の展望について〕
大宣教会スケジュール
(省略)
その後順次、各地で大宣教会を展開していきたい。

12名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:20:23 ID:0JPOgpWs0
宣教活動費
 教団本部は、去る三月二十一日に開かれた責任役員会において、
(1) 既に積み立てられている「宣教活動積立金」の中から、
鹿児島に建設する教会の土地代金として、三千万円を充当すること
にした。いよいよ「オメガの地、鹿児島」の決戦に乗り出したい。
(2) また昨年度の一般会計の剰余金の中から、一千五百万円を、
『プレローマ‘96』遂行の経費に充当することを決議した。明日の
代議員会で承認を得ることになっている。

ロゴス神学院の役割
 ロゴス神学院においても、『プレローマ‘96』に即応した態勢を
整え、カリキュラムを組んで、これに対処していただいている。
神学院の役割は、
(1) 「モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち」
(出エジプト17・11)「主のお選びになったモーセは破れ口で主の
み前に立ち」(詩篇106・23)と、祭壇を死守する祭司職を全うする
ことであり、
(2) 「涙をもって種まく者」「種を携え、涙を流して出て行く者」
(詩篇126・5、6)となり、使徒職を全うすることである。
 かつて、ロゴス神学院の移転建設のビジョンが院長から語られたこ
とは、記憶に新しい。そのビジョンは今やみごとに実現・成就した。
「石を一つ一つ積みながら、我々が建てているカテドラル」、エクレシヤ
建設のビジョンも、必ず実現・成就することを信じる。

イスラエルのための活動
 『プレローマ‘96』の目指す中心眼目であるイスラエルに対する我々
の活動について、展望を申し述べたい。
 まず、アメリカ・カナダに対しては、「こうして、人々は西の方から
主の名を恐れ、日の出る方からその栄光を恐れる。主は、せき止めた
川を、そのいぶきで押し流すように、こられるからである」(イザヤ59・19)
との預言の実現に参与するため、今年五月三十から六月十四日まで、
第八次合唱団がアメリカ・カナダに派遣される。さらに年会後、聖職者
が一名、ボストンのへブル・カレッジへ留学する。また近い将来、
ボストンにシャローム・ハウスを開設するために、準備を進めることに
なっている。

13名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:21:00 ID:0JPOgpWs0
 次に、エルサレムに関しては、来年二月二十七日から三月十七日まで、
第九次合唱団がイスラエルに派遣される。また今年から来年の初めに
かけて、二回にわけて合唱団の準備のために聖職者を派遣し、来年は
定住聖職者を派遣する予定である。イスラエルの救いは「がぜんそれは
起こる」ことを常に覚え、悔いのない献身を全うさせていただきたい。

「ホロコースト資料館」
 なお、この席を借りて別に報告したいことがある。御幸教会
に併設して、「ホロコースト資料館」(仮称)を建てることが計画
されており、既に、責任役員会の議決を得ており、これも明白の
代議員会で承認を得て、実行に移すことになった。
 これは従来、……牧師が、世界各地のホロコースト資料館関係
の方々との友好を深めて来られ、その交わりを通して各地より寄
せられた「愛と涙の贈り物」に対し、「愛には愛をもって、涙には
涙をもって」の精神のもとに、ヒロシマ、御幸と、二重の意義あ
る所に「ホロコースト資料館」(仮称)を建てることにしたもので
ある。
 これまで……牧師が個人の立場でやってこられた熱意あふれる
行為を、「平和の友の会」が受け継ぎ、発展させていこうとするも
のである。各位の了承を得たい。
 なお、今日まで、計り知れない好意を寄せて下さった関係各位
への感謝と、今回の計画の報告、さらに資料の収集を兼ねて、
……牧師は研修のため、七月から八月にかけ約四十日間、アメリカ・
ヨーロッパ・イスラエルを訪問される。成果を期待したい。
※以上聖イエス会信徒さんからの情報提供(古い聖イエス会資料集より)
…そのまま引用

14名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:21:33 ID:0JPOgpWs0
聖イエス会信徒さんからの情報提供(古い聖イエス会資料集より)
…そのまま抜粋
京都大宣教会メッセージ
神を慕う
 メッセージ:聖イエス会聖職者

 「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得る
ためである。」(ヨハネ3・16)

 ただ今、聖歌隊がメンデルスゾーン作曲の合唱曲を歌いました。
この歌は

 「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、
わが魂もあなたを慕いあえぐ。
わが魂はかわいているように神を慕い、
いける神を慕う」 (詩篇42・1〜2)

という聖書の詩篇の中でも大変有名な言葉から作られた曲であり
ます。それは、人間の心が神を慕う激しい渇きを、鹿が谷川を
慕いあえぐ姿に結びつけて、歌われているものであります。
 ところで皆さんは、この言葉からどういう光景を思い浮かべ
られるでしょうか。「谷川」という日本語のイメージは、「渓谷」
という言葉で置き換えられるものであり、緑の木々が生い茂る
深い山間いを、キラキラと輝く水が流れている光景であります。
そこへ鹿がやって来て、渇きをいやしている様子ではないで
しょうか。
 しかし、この歌が、日本で作られたものではなく、イスラエル
で作られた歌であることを考えますと、全く様子が変わってくる
のです。ちょうど一か月ほど前、私はイスラエルにおりました。
死海に沿った荒野を通っていました時、突然、高いところから一
頭の鹿が姿を消したのを見たのであります。その時、鹿と谷川に
ついての私のイメージは完全にくつがえされ、この詩篇の言葉が
じかに私の心の奥深くに飛び込んでまいりました。日本に帰り、
もう一度この聖書のみ言葉の前に座り直しました。

15名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:22:17 ID:0JPOgpWs0
 ある翻訳では、
 「涸れた谷に鹿が水を求めるように
 神よ、わたしの魂はあなたを求める」(同、新共同訳)
と訳しています。また「谷川」という言葉が、兄弟や友人から
欺かれる時の形容に使われている場合がありました
(ヨブ6・15〜17)。ヨブという人が、豊かに蓄えた財産、肉親、
健康、友人を次々に失い、悩みのどん底で、友や兄弟の「欺き」
を「谷川」に譬えて訴えているのです。ヨブ記は、この苦悩の
人ヨブが、ついに神と出会う感動の書であります。
 では、どうして「谷川」と「欺き」とが結びつくのでしょうか。
それはイスラエルの土地柄を見ればすぐ納得できることであります。
雨の降る季節には豊かに水を流す川も、いったん乾燥季に入れば
一滴の水もありません。そこへ水を慕いあえぐ鹿が、渇きをいやす
ためにやってきた時、この鹿にとって「谷川」は「欺き」と結び
つくのです。ヨブの場合も同じでありました。なんともあわれを
催す光景ではないでしょうか。
 そしてきょうの話題の主人公である「サマリヤの女」もまた、
「五人の夫」という「欺き」の「谷川」で、(今、第六人目の
「欺きの谷川」でも)自分の心の渇きが癒されないまま、真の
「水を求め」、生ける神を慕いあえぐ、哀れな一頭の「鹿」で
ありました。
 「あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。」
(ヨハネ4・18)このイエスの言葉は、文字通り不純な異性関係
と取るべきでしょう。また、ある人が言うように、人間の五官(注1)
という「谷川」が与える「欺き」であるかも知れません。また、
それは何をやっても満たされない、あなたのことであるかも知れ
ません。
(注1)…「タウラー全説教集」より。五人の夫とは、霊的意味に
おいては、五官であり、…六番目の夫は古き人である。(『…集』第…巻
…頁参照)
このサマリヤの女とイエスとの出会いほど、感動的な場面はありま
せん。それは、神に渇く魂と、魂に渇かれる神との出会いであるから
です。そして、ここに最も人間的なイエスの姿と、最も神的なイエス
の姿とが現れているからです。端的に申しますなら、人であるイエスと、
神であるイエスとに出会うからであります。
 「そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、

16名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:22:48 ID:0JPOgpWs0
そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時
ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエス
はこの女に、『水を飲ませて下さい』と言われた。」(同4・6〜7)
 旅路に疲れたイエスの姿は、私達に親近感を与えます。ところが
サマリヤの女は冷淡に答えました。「あなたはユダヤ人でありながら、
どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるの
ですか。」(同4・9)それはサマリヤ人の水は豚の血よりも汚れて
いると言って、日ごろユダヤ人がサマリヤ人を軽蔑していたからで
した。この女の言葉によって理解できますことは、イエスご自身を
単にユダヤ人と見て、敵意さえも抱いているということです。なる
ほど血統の点からすれば主イエスはユダヤ人です。しかし、それだけ
の認識では、まだ知るべき重要なことを何も知ってはいないのです。
 「イエスは答えて言われた、『もしあなたが神の賜物のことを知り、
また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知って
いたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらっ
たことであろう。』」(同4・10)この言葉の中で二つの重要なことが
求められています。それは、神の賜物と、イエスと言われる御方への
正確な認識であります。
 「神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命
なのです。」(ローマ6・23、新共同訳)不死不滅の超自然的生命、
天的生命、永遠の生命こそは神の賜物なのです。何と比類のない
恩寵の賜物ではありませんか!
 自分に水を求めたその人が、逆に求める者に生ける水を与えよう
と言うのです。女は神の賜物である生ける水を理解することができず、
それを物質的な水と考えます。この井戸を与えてくれたヤコブよりも
よい水を与えることができると言うのなら、この人はヤコブよりも
偉大な人物なのか。まさかと思いながら、彼女は理解しないままに、
その生ける水を求めました。固く閉ざされていた彼女の心は、太陽
の直射を受けた花の蕾のようにイエスに向かって心を開いたのです。

 「イエスは女に答えて言われた、『この水を飲む者はだれでも、
またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつま
でも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人の
うちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。』」
(ヨハネ4・13〜14)
 この井戸水はその源泉を地下に持つものです。このヤコブの井戸は

17名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:23:36 ID:0JPOgpWs0
人間の生活の方便のために、人間がつくり出した宗教を暗示しています。
 人生の真の目的を満たし、人間の霊魂の渇きを癒すことができるのは、
神ご自身だけであり、それこそは永遠の生命にほかなりません。
主イエスは、なくてならぬものはただ一つであることを啓示されたので
あります。
 しかし彼女にとって、生ける水も、イエスご自身も、まだ神秘の
ベールの中に包まれたままであります。そこで、彼女をおおっている
この厚いベールを取り除くために、「イエスは女に言われた、『あなた
の夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい。』」(同4・16)すると
彼女はひどく狼狽しました。鋭いメスが触ってほしくない患部に
触れたからです。
イエスは神性の全知によって、彼女が六人の男性と罪深い生活をして
いたことを見抜いておられたのでした。彼女は自分の秘密を知ってい
るものがあるとすれば、全地の神と自分だけだと思っていました。とこ
ろが、はからずも今出会っているユダヤ人が、自分の恥ずかしい秘密を
知り尽くしているこの事実を、どう解釈すべきかと考え込むのです。
 これは全地の神の御霊を宿した預言者に違いない。そこで女はイエス
に言いました、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます」(同4・19)
彼女のイエスに対する理解は急速に前進します。ユダヤ人・偉大な人・
預言者。多くの人もまた、彼女がたどった同じ道を歩むのです。
 彼女はこのお方が預言者であるなら、ユダヤ人とサマリヤ人との間で
争っている宗教論争に、明解な回答を与えることができるに相違ない。
サマリヤの宗教か、それともユダヤ教か。
 それに対するイエスの回答は極めて深遠でありました。「女よ、わた
しの言うことを信じなさい。」(同4・21) この言葉は絶対的であり
命令的でさえあります。この女はサマリヤ人の信仰を受け継いできま
した。しかし、その信仰は彼女を罪深い生活から解放する力を持っては
いませんでした。まして、永遠の生命が与えられるというようなことは
ありません。ユダヤ教はどうかと言えば、厳格に唯一の神を信じ、儀式
を守り、厳格な律法を教えはしますが、それによって現実的な神との出会
いを体験することも、永遠の生命が与えられることもありません。
 「わたしの言うことを信じなさい」ということは、「わたしを信じな
さい」(同、新共同訳)ということです。あなたがもし本当に神との出
会いを体験し、永遠の生命を獲得したいと思うなら、「わたしを信じな
さい。」わたしによって、わたしを通して、わたしにおいて、真理に出
会い、命に出会い、神に出会うのです。

18名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:24:26 ID:0JPOgpWs0
 「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝
すべきである。」(同4・24)神は本性上霊であって、人間の肉眼をもって
見ることも、また触れることもできません。この霊なる神が見えるもの
となるために、触れることのできない神が触れることのできるものと
なるために、言(ロゴス)である神は肉体となって歴史の中に現れたの
です。それが主イエス・キリストです。人間の肉眼で見えないものも、
プリズムを通して見るならとらえることができるように、イエス・キリ
ストに対して信仰のプリズムを通して仰ぐ時、イエスにおいてキリスト
を見いだし、キリストにおいて神を見いだし、キリストの顔に輝く「神
の御顔」を明確にとらえることができるのです。
 「いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか」
(詩篇42・2)と、きょうまで人知れず慕いあえいでいた「神の御顔」
を見る時が、ついに今ここに来たのです!
 女は感動に震えながらイエスに言いました。「わたしは、キリストと
呼ばれるメシヤがこられることを知っています!」(ヨハネ4・25)
 「イエスは女に言われた、『あなたと話をしているこのわたしは主で
ある。我は主なり!』(注2)」(同4・26)
(注2) ギリシャ語原典では「エゴ―・エイミ」であり、へブル語の
「アニー フー」に相当し、「わたしは主である」(イザヤ43・13)、
さらに「わたしは、有って有る者」(出エジプト3・14)を意味する。
 イエスはついに、ご自身の神性を鮮明に啓示されました。
 彼女はヤコブの井戸辺にて、はからずもイエスに出会い、イエスに
おいてキリストに出会い、キリストにおいて神と出会い、永遠の生命
の湧き出る真実の泉を発見したのでした。
 先ほど二人の方が信仰の体験談を証(あかし)しました。この二人
に共通していたことは、「我は主なり」という神様の名を呼び求めた
時、心の奥底から、その呼び求めた神の御名が、「我は主なり」と湧き
あがり、流れ出てきたことであります。この経験こそは、「わたしが
与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わき
あがるであろう」(同4・14)と言われた経験であり、後に「わたしを
信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川と
なって流れ出るであろう」(同7・38)と言われた経験であります。
 イエスが「生ける水」と言われた水の実体は、この女に最後に
啓示された「我は主なり」との自己啓示であります。これこそは、
「み名によって命を得る」(同20・31)と聖書が記している、
極めて大切な、救いの神秘であり、救いの核心なのであります。それ

19名無しのひつじさん:2018/07/23(月) 21:25:11 ID:0JPOgpWs0
であればこそ「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」
(ローマ10・13)と聖書は具体的な救いの方法を、だれにでもわかる
ように、だれにでもできるように、示しているのであります。
 最後に、わたしはこれから皆さんのために祈りをささげたいと
思います。祈っています間に、もし本当にあなたがキリストを身近に
感じ、キリストご自身があなたを招いておられるとお感じになりま
したなら、ためらわずに、立ち上がり、招きに答えて前にお進み下
さい。お導きになった方もご一緒なら、なお結構です。そして、静
かに、真心から、主の御名をお呼びになって下さい。聖歌隊が讃美
歌を歌います。その賛美の間にお祈りをおささげいたしましょう。
 「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、
 わが魂もあなたを慕いあえぐ。
 わが魂はかわいているように神を慕い、
 いける神を慕う。
 いつ、わたしは行って神のみ顔を
 見ることができるだろうか。」 (詩篇42・1〜2)
 イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、
また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていた
ならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらった
ことであろう。」(ヨハネ4・10)
 「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、
わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがない
ばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の
命に至る水が、わきあがるであろう。」(同4・13〜14)
 「あなたと話をしているこのわたしは主である。」(同4・26)
 「主の御名を呼び求めるものは、すべて救われる。」(ローマ10・13)
 主よ、今み言葉に従ってあなたの御名を呼び求める者を顧み、
み顔をあらわして下さい。「み顔こそ、わたしの救いです。」
(詩篇42・6、新共同訳)
 「今より、我は主なり!」
以上聖イエス会信徒さんからの情報提供(古い聖イエス会資料集より)
…そのまま抜粋


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