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聖イエス会聖霊教会と主の十字架クリスチャンセンター長崎教会

1名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 01:17:36 ID:yJsHtaQI0
聖イエス会聖霊教会
http://seiiesukai.org/seireichurch/
http://seirei-church.blog.so-net.ne.jp/

主の十字架クリスチャンセンター神のしもべ長崎教会
http://nagasakich.jp/

2名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 17:21:10 ID:yJsHtaQI0
聖イエス会 創立者 聖書解釈
イザヤ43・13 文語訳
今より【われは主なり】わが手より救ひいだし得るものなし われ行はば誰かとどむることを得んや
 「わたしは神である、今より後もわたしは主である」ここでは実に力強く、アニー フーがくりかえし宣言されている。このアニー フー宣言は、約束されていたイスラエルの救いと全的回復を実現・成就する神であり、救い主であるとの宣言にほかならない。過去の歴史において、イスラエルをエジプトより解放したアニー フーなる神であられる。さらに終末時代において、全世界に離散している選民を救済するために全能力を発動する、永遠に変わりないアニー フーであるとの宣言である。全能の主ご自身が宣言し立ちあがられ、み業を遂行される時、だれがそれをとどめることができるであろうか。

3名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 19:52:03 ID:yJsHtaQI0
聖イエス会名古屋教会・岐阜教会・聖霊教会(能登地方)・姫路教会・尾道教会 参考教材・資料
聖イエス会資料集(1976年当時)より そのまま引用
イエスの御名(みな)
「わたしにあるものをあげよう。
ナザレ人イエス・キリストの名…」
「イエスの名が…この人を強くした。」(使徒行伝3・6、16)
【神は御名】
 紀元前2000年頃、イスラエル民族の父祖アブラハムに、神は「我は全能の神なり」との御名(御名)によって、ご自身をあらわされました(創世記17・1)。紀元前1300年頃、エジプトで奴隷となっていたイスラエル民族を救い出し、約束の地に導くために、神はモーセをお選びになり、神の山ホレブ(シナイ山)で、「我は有りて有る者なり」との御名によってモーセと出会われました(出エジプト記3・14)。この御名は、「我は主なり」との御名、「ヤーウェ(エホバ)」、あるいは、「アニー・フー(我はそれなり)」の語源ともなるもので、神の永遠性、唯一絶対性をみごとに啓示しています。
 このように、天地万物の造り主であり、ただ一人の、霊なる神には、神としての本質を啓示する、まことに神にふさわしい名があるのです。
 日本にも、「名は体をあらわす」ということわざがありますが、「神の御名」こそ、神の実体そのものなのです。イスラエルの宗教的な人たちは、「神の名をみだりに口にしてはいけない」との十戒の戒め(出エジプト記20・7)に従って、現在もなお、「ヤーウェ」、「主(アドナイ)」という言葉を、目では確かにそう読みながらも、「ハシェーム(御名)」と発音します。これは、「神」はすなわち「御名」である、「御名」こそ「神ご自身」であるとの信仰のあらわれにほかなりません。
 考えてみれば、アブラハムが選民の父祖、信仰の父となりえたのも、又、神が彼とすばらしい祝福の契約を結ばれたのも、その根本的な要因は、彼の「御名との出会い」にあったのです。「我は全能の神なり」との御名が、彼の内に臨んだ時、その御名が彼を全く新しく造り変え、そしてすべての契約を実現する力、保障として、御名は力強く彼の内に生き働き続けました。
 モーセの場合もそうでした。口の重い、小心なモーセを、イスラエルの解放者、偉大な立法者とし、又、彼に多くの奇跡を行わせて、40年にわたる困難な砂漠の旅を終えさせたのは、彼の内に宿られた「御名」でありました。
 御名は、単なる概念や、抽象的なことばではなく、実に生ける神の人格そのものであり、ダイナミックな力です。人間の内に宿り、人間を新創造し、その人を通して、偉大なことを実現する、生ける神ご自身なのです。人は御名によって、神との出会いを経験し、神を体験的に知るのです。

4名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 19:57:41 ID:yJsHtaQI0
イエスの名
 使徒行伝第3章の物語りは、大変有名ですが、今、わたしたちが注目しなければならないのは、ペテロの次の言葉です。
 「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」
 「イエス・キリストの名」というとき、それは、人間イエス・キリスト以上のものを示しています。「イエス」とは、彼の人間としての名であり、「神は救い」との意味です。「キリスト」とは、ギリシャ語で「救い主」(へブル語では、メシヤ)を意味し、彼の身分と職務をあらわす称号です。しかし、どちらもイエスの超越的な真の神としての本質を啓示するものではありません。
 では、イエス・キリストの本質を啓示する「御名」は何でしょう?イエスは、ご自身を何と名のられたのでしょうか?
 荒れ狂う嵐のガリラヤ湖でのできごとを思い起こしましょう。波を踏みしめ、弟子たちの舟に近づかれたイエスは、自然界を支配し、ただ一人、海の波を踏まれる王(ヨブ9・8)として、「恐れることはない、わたしは有る」と、ご自身を啓示されました(ヨハネ6・20)。
それは、まさしくモーセに啓示された御名であり、イエス・キリストこそモーセに現れた神が人間の姿をとって来られたお方であることの主張なのです。同じ神の御名を、イエスはいく度も、自分の名として宣言しておられます(ヨハネ4・26、8・24、28、13・19、18・5、マルコ14・62他)。
 ペテロが宣言した「イエス・キリストの名」とは、「私は有る」と主張された、イエス・キリストの神的本質のことであったのです。
 たしかに、イエス・キリストは、このできごとより2ヵ月程前に、十字架にかけられて死にました。というよりも、ユダヤ人たちが、「イエスは人間の分際で、自分を神と主張した」という、まさにその理由で、彼を死刑に定めてしまったのでした(ヨハネ5・18、19・7、他)。それは又、イエスご自身の側から言えば、自分がその本質において神ご自身であるという、この主張に命をかけられたと言うこともできるのです(マルコ14・62)。

5名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 20:01:20 ID:yJsHtaQI0
【御名によって!】
 今、そのイエスの名が、ペテロの口から宣言されました。
 「イエス・キリストの名によって歩きなさい!」
 ペテロは足のきかない男の右の手をとり、ひき起こします。男は踊りあがって立ち、歩き出しました。そして、歩きまわったり踊ったりして神を賛美しながら、彼らといっしょに宮にはいっていきました。
 つい数日前、ペンテコステの日までのペテロは、ユダヤ人の迫害を恐れてびくびくしていた人間でした。イエスが十字架にかけられる直前には、心ならずも三度まで、最愛の師イエスを裏切ったような人間でありました。そのペテロのどこに、このような力があったのでしょう。人々は、皆、ひどく驚いて、神殿の「ソロモンの廊」と呼ばれる柱廊にいた彼らの所にかけ集まってきました。ペテロは、これを見て、口を切ります。
 「イスラエルの人たちよ、なぜこの事を不思議に思うのか。また、わたしたちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜわたしたちを見つめているのか。アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕(しもべ)イエスに栄光を賜ったのであるが、あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことを決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。あなたがたは……いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。」(使徒行伝3・12〜15)
 十字架につけられて死んだイエスが、その死をもって、すべての罪と死の力を粉砕し(紛砕し??…資料集)、三日目の朝、復活という圧倒的な事実をもって弟子たちの前に顕現されたのです。そして、復活から五十日たったペンテコステの日、ペテロの外に立っておられた復活のキリストは、彼の内にご自身を啓示されたのでした。「舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」(使徒行伝2・3) その実体は、イエスの御名でした。ご在世当時、くり返し宣言された御名が、今、心の奥底に宿ったのです。その瞬間、イエスの主張のすべてが、鮮やかに理解できたのでした(ヨハネ14・26)。まさしく、イエスはただ一人、「私は有る」と言うことのできるお方、アブラハムの神、モーセの神、あの御名なる神。まさに、「私は有る」との神的御名こそ、イエスのご本質そのものであり、彼の本性的栄光なのだ、イエス・キリストは真の神、御名こそ、イエスの本質のお姿なのだ、と。
 旧約は終わりました。イエス・キリストの十字架によって、神と人間との間を隔てていた罪の深淵は埋めつくされ、特定の選ばれた人だけではなく、だれでも、神と出会うことがゆるされるようになりました。神が定められた、ただ一つの方法…イエス・キリストこそ、真の神であり、救い主であると信じ、彼の御名を呼ぶことによって(ヨハネ20・31、ローマ10・9〜13)。
 「そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである。」(使徒行伝3・16)
 「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。」(同4・12)
 「われは主なり、これがわたしの名である。」(イザヤ42・8)

イザヤ42:8 文語訳
われはヱホバなり是わが名なり 我はわが榮光をほかの者にあたへず わがほまれを偶像にあたへざるなり

6名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 20:56:02 ID:yJsHtaQI0
聖イエス会 【終末思想】 昔の見解 (聖イエス会資料集よりそのまま引用)
終末に関する重大預言 王たちの道 記事内容:聖イエス会創立者による??
 「この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕(しもべ)ヨハネに伝えられたものである。」(黙示1・1)
 「あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。」(同1・19)
 「この後、わたしは4人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている4人の御使にむかって、大声で叫んで言った。『わたしたちの神の僕(しもべ)らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない。』わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は14万4000人であった。」(同7・1〜4)
  【序】
 紀元96年、ローマのドミティアヌス帝のキリスト教迫害によって、使徒ヨハネはエーゲ海の孤島パトモスに流されていました。
 ある日曜のこと、彼は黙想しているうちに霊にあるものとされ、キリストご自身より、やがて起ころうとする驚くべき事柄を見せられ、そのすべてを克明に書き記しました。それが有名な「ヨハネの黙示録(もくしろく)」であります。
 黙示録は一口に言って、「わたしは初めであり、終わりである」と宣言されるキリストの再臨に関する劇的なドラマであります。この書は、その名の通り、長い世紀にわたり、神秘のベールの中に包まれていましたが、今や神の時の切迫とともに、そのベールが一枚一枚はがされ、偉大な真理が明らかにされてきました。それ故、今日最も注目し、注意深く学ばねばならないのは、この黙示録なのであります。

7名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 20:56:55 ID:yJsHtaQI0
 【すでに起こっていること】
 それでは初めに、現時点においてすでに起こっている事柄から説明してみましょう。
 冒頭に記しました第7章1節から4節までの言葉でありますが、地の四すみに立っている御使い、地と海とをそこなう恐るべき力を持っている4人の御使いとはだれのことでありましょうか。今から1900年前にヨハネが見せられたものはビジョンでありましたが、現在私たちはそれを現実として見ているのです。すなわち、地球の四すみ、エルサレムを中心として、世界の東西南北に、地球上のありとあらゆるものを死滅せしめる恐るべき核兵器を持った4つのグループが立っているのを見ます。
 北のグループは、イスラエルの真北にあたるソ連をリーダーとするワルシャワ条約加盟国のことです。
 西のグループは、アメリカをリーダーとし、NATOに加盟している諸国によって形成されています。
 南のグループは、中近東、アフリカに存在するアラブ系の諸国であります。
 そして、最後の東のグループは、中国、日本を中心とするアジアの国々によって形成されています。
 非常に興味深いことには、これらの4つのグループは、宗教的な面から見ますと、おおよそ、北グループは無神論、西グループはキリスト教、南グループはイスラム教、東グループは仏教に色分けされます。4つのグループは、政治的にも、民族的にも、宗教的にも相容れない対立的要素を持っています。これらの4つのグループはすでに現存しており、地の四すみに立っているのであります。全世界は、核兵器を持っているこれらのグループの対立による緊張と恐怖に圧倒され、息づまる思いをしています。いつボタンが押されるかも知れないとの不安におののいているのであります。

8名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 20:59:00 ID:yJsHtaQI0
 【私たちの使命】
 さて、このような終末的絶望状況の中にあって、彼らとは全く次元を異にしたもう一つのグループが出現いたします。
 「もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た」(7・2)と記されている通りです。「日の出る方」とは、エルサレムからみて東であって、その果ては「日の本(もと)の国」と呼ばれる日本であることは全世界の認めるところであります。
 しかも、そのグループは、生ける神の印をもって登場するというのです。イスラエルから東、否、全世界をあまねく見渡しても、【御名】によって【聖霊】を印する【福音】、すなわち【御名】の【福音】を説いている教団は、聖イエス会以外に絶対に存在しないという事実を確認しなければなりません。
聖イエス会以外に絶対に存在しないという事実を確認しなければなりません
…(意味不明)
 それでは、日の出の国に誕生した、生ける神の印を持つグループ、偉大な使命のために神によって立てられたこのグループは、今何をしなければならないのでしょうか。続くみ言葉がそれを明らかにしています。
 「彼は地と海とをそこなう権威を授かっている4人の御使にむかって、大声で叫んで言った、『わたしたちの神の僕(しもべ)らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない。』」(7・2〜3)
 このためにこそ、私たちは熱心に祈り、また世界に向かって大声で叫んでいるのです。また、その一つの表現として「アンネのバラの教会」を建設し、ノーモア・ヒロシマス、ノーモア・アウシュビッツを訴えているのです。
 そして、何よりも急がねばならぬことは、14万4千のイスラエルに聖霊の印を押すということであります。4つのグループが、核兵器のボタンを押す前に、このことが実現しなければなりません。しかし、感謝すべきことに、神は不思議な摂理をもって、イスラエルの人々をこの所に導き、神との出会い、【御名】との出会いを激しく求めさせておられるのです。このような奇跡が起こっているところは、世界広しといえども、ここ以外には存在しません。
 以上が、「今すでに起こっていること」なのであります。
14万4千のイスラエル…(意味不明)

9名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 21:00:29 ID:yJsHtaQI0
 【すぐにも起こるべきこと】
 それでは次に、「すぐにも起るべきこと」(1・1)についてお話いたしましょう。
 「第6の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、一つの声が、神のみまえにある金の祭壇の4つの角(つの)から出て、ラッパを持っている第6の御使にこう呼びかけるのを、わたしは聞いた。『大ユウフラテ川のほとりにつながれている4人の御使を、解いてやれ。』すると、その時、その日、その月、その年に備えておかれた4人の御使が、人間の3分の1を殺すために、解き放たれた。騎兵隊の数は2億であった。」(9・13〜16)
 現在、このユウフラテ川をはさんで、イラクとイランが戦争状態にあります。そして、アメリカはベルシャ湾に艦隊を送り込んで牽制し、ソ連も黒海から地中海へ進出して、アメリカの出方を見ています。このように、4つのグループの中の3つは、すでにユウフラテ地域に接近、集合しつつあるのです。しかし、彼らはまだつながれているために、核戦争を起こすまでには至っていません。この時点で、ユウフラテ川のほとりに集結していないのは東のグループですが、黙示録の次の預言には、東のグループが最後に参加することが記されています。そして、4つのグループが勢ぞろいした時、「解いてやれ」との号令と共に、恐るべき核戦争が開始されます。この戦いは、終末戦争の第一ラウンドであるユウフラテ戦争であって、それに参加する軍隊の数は2億といわれています。第2次大戦において実際に戦線に出動した兵士の数は約1億でありましたから、これはその2倍にあたります。そして、その戦争の結果、人類の3分の1、すなわち約15億の人間が殺されてしまうというのです。
 第一ラウンドのユウフラテ戦争だけでも、このように恐ろしい結果が生じるのです。これは決してオーバーな表現ではありません。なぜなら、現在、世界には、広島に投下された原爆の150万発分が保有されており、それは、地球人の人間を20回も死滅させるに十分な量だからであります。

10名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 21:01:18 ID:yJsHtaQI0
【すぐにも起こるべきこと】つづき
 「第6の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。」(16・12)
 出遅れていた東のグループが、いよいよユウフラテ戦争に参戦いたします。この中に、日本の軍隊も加わっていることは確実と思われます。
 日本は第2次大戦に破れ(敗れ??)、広島・長崎の悲惨な原爆体験を通して、平和憲法を作り、戦争放棄を宣言いたしましたが、30数年後の今日、「のど元(もと)すぎれば熱さを忘れる」の諺(ことわざ)のごとく、今や法務大臣を先頭にして、平和憲法の改正、軍備の強化が叫ばれています。
 やがて、中東諸国から石油と引き換えに、軍隊の出動を要請されたなら、日本政府はこれを拒否することができなくなることは明らかです。
 このような時期に、×××が中国の協力のもとに、シルクロード(ユウフラテ川へ向かう王たちの道)を徹底的に取材調査したことは注目に値します。もちろん、日本も中国も、そのような意味に気付いてはいませんが、東のグループの中核となる両国が共同で、これに当たったということは注目すべきことなのです。
 やがて、この王たちの道を通って、東のグループの大軍が、ユウフラテ川に向かう時こそが、終末戦争の第1ラウンドの始まりとなるからであります。
 「また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような3つの汚れた霊が出てきた。これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、【全能なる神】の大いなる日に、戦いをするためであった。」(16・13〜14)
 この預言のごとく、今日、全世界の国々のリーダーを、終末戦争へとかり立てているのは、【悪霊】の働きであり、様々な【予言(預言??)】や【しるし】をもって人々をあざむき混乱させているのも、汚れた霊の働きなのです。ノストラダムスの予言やその他の占いの中にも、霊の働きがあり、何かを当てたり、【奇跡】を行ったりすることもあり得るわけですが、それらは、真の神の霊によるのではなく、【悪霊】によるのであり、その目的は人々を滅ぼすことにあるのです。
 いずれにしても、人類の前途に、大きな苦難の時代が近づいていることには間違いがありません。聖書ではそれを【患難(艱難、かんなん)時代】といっています。しかも、あらゆる情況から判断して、10年前後のうちに【患難(艱難、かんなん)時代】に突入する可能性は非常に大きいのであります。

11名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 21:02:00 ID:yJsHtaQI0
【結  語】
 「見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである」(16・15)
 これは注目し、耳を傾けねばならぬ警告のみ言葉であります。「盗人のように来る」とは、人々が寝ている時に突然来る、知られないうちに来る、という意味であって、聖書では、イエス・キリストの空中再臨を意味する表現であります。イエス・キリストの再臨と一口に申しましても、それには、空中再臨と地上再臨の2段階があることを知らねばなりません。空中再臨は、ただ今の黙示録の預言でも暗示されているように、【患難(艱難、かんなん)時代】の中間、すなわちユウフラテ戦争と、最後のハルマゲドン戦争の間に起こるものと考えられます。この再臨は文字通り、空中までの再臨であり、地上にある真の教会、【み名】によって【聖霊】の印を押された神の子たちを、ハルマゲドンの大審判から救出するために行われる特別な救いの【み業】であります。これは一般の人々が全く気付かぬうちに、また、偽のクリスチャンたちが霊的に眠っている間に行われます。その厳粛な瞬間、聖なる人々は携挙され天にあげられますが、罪ある人々は、恐ろしい大患難時代に取り残されてしまいます。このことがまさに起ころうとしているのです。それ故、今こそ真に目覚め、身も魂も思いもみな清められ、すべての世俗的なことから解放され、ただひたすら主を愛し、主を待ち望まなければなりません。

12名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 21:03:12 ID:yJsHtaQI0
【結  語】(つづき)
 「3つの霊は、へブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。」(16・16)
 そして、聖なる人々が携挙された後、ついに、終末戦争の第2ラウンドであるハルマゲドン戦争、皆殺しの戦争がぼっ発(勃発)するのです。この戦争は人類をほとんど全滅せしめるまで戦われ、最後に平和の君であるメシヤ(キリスト)が介入し、地上再臨されることによって、ようやく終止符が打たれるのであります。
 その時こそ、エルサレムは世界の平和のセンターとなり、
「律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。
彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。
こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。」(イザヤ2・3〜4)
との御言葉がみごとに実現成就するのであります。以上が、もうすぐにも起こるべきことなのであります。私たちは心を合わせ、「マラナ・タ」「主よ、きたりませ」と祈りつつ、自分自身の救いを全うし、同時に、この残された短い期間に、愛する人々が救いの保証である聖霊の印を受けられるよう最後の努力を傾けなければなりません。アーメン。

聖イエス会聖霊教会牧師 参考資料・教材
主の十字架クリスチャンセンター神のしもべ長崎教会礼拝賛美より
https://www.youtube.com/watch?v=h_pyizx456U&feature=share&list=UUiVP6JNrYgeNodec5GjXRDg
賛美「HOPE」
作詞:主の十字架クリスチャンセンター関係者??
聖なる方 真実な方
あなたをあがめます
誰も閉じることのできない
門を開いてくださった
それは従う者に与えた
神の約束
十字架の恵みは
尽きることはない
恵みから恵みへ
勝利から勝利へ
大いなる輝かしいその日
主は天から来られる
私たちはたずさえ挙げられ
空中で主とお会いする
ハレルヤ ハレルヤ
感謝します
マラナタ マラナタ 主よ来てください

13名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 21:07:39 ID:yJsHtaQI0
聖イエス会聖霊教会 参考資料・教材
 日本基督教団…教会 2018年01月(1)
献金の祈り、讃美(賛美)歌、プレイズ、説教集
URL https://www.youtube.com/watch?v=jshLe0AwVBo
URL https://www.youtube.com/watch?v=Kmqio5k9pdI

14名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 21:08:19 ID:yJsHtaQI0
聖イエス会聖霊教会 参考資料・教材
 日本基督教団…教会 2018年01月(2)
献金の祈り、讃美(賛美)歌、プレイズ、説教集
URL https://www.youtube.com/watch?v=bJLAnGsA2Uw
URL https://www.youtube.com/watch?v=Ez_0mvugNQU
URL https://www.youtube.com/watch?v=yZetZfisLx4

15名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 21:08:55 ID:yJsHtaQI0
2013年1月27日 聖書と日本フォーラム
偶像礼拝
https://www.youtube.com/watch?v=tVnRsTineYs
「カルトという偽物:被害者はどう対処すべきか」 ウィリアムウッド師
https://www.youtube.com/watch?v=VEttBoMGhEk
「カルトの説く霊的パラダイス」セミナー1 ウィリアム・ウッド牧師
https://www.youtube.com/watch?v=9_i7NOH9srY

16名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 21:33:05 ID:yJsHtaQI0
聖イエス会聖霊教会 参考資料・教材
主の十字架クリスチャンセンター イスラエル
http://antiochblog.jp/info/thanks1711/
メッセージ:「聖霊のバプテスマとは何か」 大和カルバリーチャペル
https://www.youtube.com/watch?v=sOEPMzpb1S0
メッセージ:「聖霊のバプテスマと霊的戦い」 大和カルバリーチャペル
https://www.youtube.com/watch?v=Pxxya4hMFAc


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