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都留文 七不思議殺人事件

1金田一少年(笑):2018/06/03(日) 00:34:42
金田一少年の事件簿では、学園七不思議殺人事件という物語があります。
まあ、読んだことがあるかもしれませんが(笑)


どんな学校にも、1つや2つは不思議な事があるものだと思いますが、
「都留文の七不思議ってなんだろう?」
って考えたとき、真っ先に出てくる疑問が、
「人口3万の都留市に大学があるのって変じゃないか?」
というものです。
特にめぼしい産業もないし、山の中だし、財政的に大学の運営は不可能です。


都留文はね、その存在自体が、七不思議なんですよ。
存在するはずがない大学なんです。
「そんな不思議な大学が、なぜ存在するのか?」
を考えてみたいと思います。

2金田一少年(笑):2018/06/03(日) 00:35:54
都留文の原型は、臨時の教員養成所だったみたいですが、それだったら甲府や大月みたいな開けた土地に作るのが自然です。
交通の要所だし、人も集まりやすい。
都留みたいな谷間の集落に、教員養成所を作る必然性は、ないはずなんですよ。

それなのに、できた。
これは、
「大学を作るよう圧力があった」
と思うんです。
その圧力とは何だったのだろうか?
とりあえず、以下の年表を見て下さい。


1943年5月29日 ★★★アッツ島玉砕
1945年8月15日 敗戦

1952年4月28日 GHQ廃止
1953年    山梨県立臨時教員養成所 設立
1954年5月 ★★★アッツ観音 建立

3金田一少年(笑):2018/06/03(日) 00:37:41
GHQによる焚書や制度改革によって、戦前の日本は失われてしまったんですが、
GHQが撤退したと見るや、すぐさま、戦前の支配者階級の人々は、戦前の日本を復元しようとした...
いわば戦前ルネッサンスですね。
その戦前ルネッサンスの第一歩が、都留文科大学だったのではと思います。
まずは初等教育から、修身から、という事でしょうか?


また、都留という地域が選ばれたのも、戦前ルネッサンス説を裏付けるものです。
なぜなら、
「都留は玉砕の代名詞」
だからです。
北アメリカのアリューシャン列島のアッツ島で玉砕した日本軍は2650人、それを指揮したのが、都留出身の山崎保代さんでした。

彼の地元で、もう一度、教育勅語からやり直そう、戦前ルネッサンスを始めよう、
そういう事だったのではと思います。


いわば、
「アッツ島玉砕が、都留文科大学を生んだ」
のだと思います。
あの戦争がなかったら、都留文科大学は存在していなかったという事です。

4金田一少年(笑):2018/06/03(日) 00:39:04
「都留に初等教育の教育機関を作る」
というのは、これはもう、立派な反逆ですよ。
GHQに対する反逆。
しかし、
よほどの日本通のアメリカ人、日本に帰化するつもりのアメリカ人でもない限り、
「都留に初等教育の教育機関を作る」
という行為の意味は、分からない。
同じ日本人の僕ですら、分からなかった。

実際、僕も、大学を卒業して10年たった今、2018年の6月2日に、
「都留に初等教育の教育機関を作る」
という行為の反逆性に気がつきました。

それくらい、隠されてきたんですよ。
都留文科大学の、本当の目的というのは。
おそらく、今の都留文の学長さえ気がついてない。
故意に、大学設立の目的を継承させてないんだと思います。

しかし、
今も脈々と、大学設立者の意思は続いています。
「玉砕の代名詞、都留に初等教育のための大学がある」
って事は、そういう事なんです。
戦前ルネッサンスの意志があるって事なんです。

誰も意識してないのに、戦前ルネッサンスに巻き込まれてる。
都留にいる、都留文に所属してるというだけで、もう渦中に巻き込まれている。
これこそ英知ですね。

5金田一少年(笑):2018/07/13(金) 00:18:40
文大には赤の広場があるんだけど、あれって何かおかしくないですか?

赤の広場は、モスクワに本物があるんですが、それを真似る形で文大に作ったんですよね?
つまり、文大は共産系の大学だと、社会主義を志向する大学だと、アピールしているわけです。

しかし、
文大ではロシア語を教えている教授はいないはずですよ。
僕は2006-7年にロシア語を習おうとしたんだけど、そんな授業なかったから。

話者人口を考えると、優先順位としてロシア語は低い、というのは分かるんですよ。
しかし、
赤の広場まで作っておいて、ロシア語の教師はいない...
このズレは、いったい何を意味しているんだろう?
「仏作って魂入れず」ってヤツですか???


つまり...
「文大は社会主義を志向する大学だ」
というのは、ポーズなんです。カモフラージュなんです。
「文大の真の目的は戦前ルネッサンスだ」
という秘密、それを隠すためのカモフラージュだったんですよ。

左系の大学に見せかけておいて、実は、極右ですからね...
一度、GHQが支配した日本では、共産主義は許されても、国粋主義は許されなかった...
だから、絶対に秘密にしなければならなかった。
だから、カモフラージュとして赤の広場を作る必要があったのではと思います。


僕が今知りたいのは、
1 赤の広場を作った時期
2 赤の広場を作った本当の理由
です。
詳しい経緯を知りたい。
この経緯が分かれば、より過去を見通せるようになると思います。

赤の広場は、歴史としては新しい方だから、調べやすいんじゃないかな?


誰か、気が向いたら卒論のテーマにでも取り上げて、都留文 7不思議の謎を解いてくれないかな...

都留に住んでれば、自力で調べられたんだけど、
金も時間もない僕にできる事は、こうやって疑問点を つぶやく事しかないです...
まぁ、自分に出来なければ、他の誰かに託せばいいだけの話だし、
それに、卒論のテーマに困ってる学生なんて、いくらでもいると思うし、
学生たちにこの話を振ってみたらどうだろう?
金田一少年になってくれと、話を振ってみましょうよ。(笑)



ところで、アマテラス、お隠れになったようですね。
しかし、
スサノオのせいじゃありません。
スサノオは、運命の命じるままに暴れたに過ぎない。
しょせん、スサノオは運命のあやつり人形に過ぎない。
だから、
罪を憎んでスサノオを憎まず、ですよ。(笑)

それにね...
僕の見るところ、アマテラスの幸せなんて、転落の先にしかないんですよ。
悪い男に騙されて、奴隷商人に売り飛ばされた方が、幸せな人生だったりするもんですから、たぶんね(笑)

6金田一少年(笑):2018/07/23(月) 16:09:01
もしも、僕が文大の設立者だったとしたら、
そして、遺書を残す事が出来ない立場に立たされたら、
人選を遺書の代わりにするでしょうね。

修身の本ばかり書いている友枝高彦さんとか、
漢和辞典を作成している最中だった諸橋轍次さんとか...

ここから文大の設立者の遺言を復元すると、
「修身を復活させ、和和辞典を作ってくれ」
という事になるでしょうか?

和和辞典と言うのは、GHQが来る前の日本語と、GHQが来た後の日本語、この2つの架け橋となる辞典です。

戦後生まれの世代は、戦前の本を読むのが難しかったりします。
いわば制度的に作られた文盲ですね。
この状況を打破したかったのかもしれません。

今だったら、UTF-8とか言うのかな?
パソコンの文字コード辺りにも手を広げなきゃならないのかもしれないなぁ...

1つの大学に課せられた宿命としては、納得のできる、規模のでかいプロジェクトだと思いますよ。



辞書を作るどころか、現代語を戦前に戻すという原理主義的な道もあります。
しかし、GHQが撤退してから、すでに66年が経っています。
今さら、戦前の日本語を復活させるのは、難しいのではないかな?

たとえ、今の日本語が「劣化した日本語」だと分かっていても、永きに渡り使われた日本語を、今さら変えるなんて、普通はできない...

現実的な道としては、「小学校だけ戦前復古」とかかな。
中学生から上の世代を全て切り捨てるというのは、まあコストもかからずに、すみやかに実行できる方法でしょうね...


いずれにしても、とんでもない反発が予想されるので、和和辞典の作成ていどに留めて置くのが、現実的かもしれませんね...


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