[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
くまる
3
:
るくま
:2005/11/09(水) 22:56:35
わたしがショックを受けたのはこの暴行だけではなかった。それは二度目の総会出席のとき、わたしたちに投げかけられたののしりのことばである。「べ平連のチョーセン野郎!」「黙れ、チョーセン!」 耳を疑るというより、むしろ、言われたわたしのほうが一瞬うろたえる感じさえしたのだった。と
べ平連の運動が発足したのは、米軍による大規模な北ベトナム爆撃が開始された一九六五年の四月だが、六七年の佐藤首相の南ベトナム訪問と羽田デモでの山崎博昭の死、そしてエスベランチスト由比忠之進の抗議焼身自殺、米反戦脱走兵の支援、そして翌六八年一月の「エンタープライズ」入港阻止の佐世保闘争などを経る中で、運動の方向も、わたしたちの考え方も徐々に変わっていった。自分たちの生活そのものがベトナム戦争を支えている仕組に組み込まれているという認識が強まり、自分たちの生活も変えながらこの仕組みをどう変えていくかを考えなければならないというふうになってきた。
それまでに、ベトナムに衣料品を送る募金運動などもやったが、それよりも日本から基地をなくし、日本の軍需生産をなくす運動のほうが、また、米脱走兵を国外に脱出させるよりも、米軍基地の内部に反戦の抵抗グループをつくるほうが重要だと考えるようにもなったし、さらに、国内にある被差別部落や在日朝鮮人などへの差別構造、第三世界の人民の解放闘争との連帯というような問題にも目が向いていった。三菱重工業への一株運動も、そうした背景の中で出てきた戦術であった。
それだけに、アジア人民の血の上に育ってきた三菱が、総会を乗り切るのに雇い入れた暴力団が、そのアジア人民、しかも、日本の中でなお差別・抑圧を受けている朝鮮人民の名を、悪罵のために使うということは、ショックであったし、許せないと思った。わたしは、三菱がこのことばを使ったということを忘れまいと決めた。そして三菱製品をいっさい使わぬことにし、三菱資本のもとにあるキリンビールをその中にふくめたのである。…
…私は、このとき以来、三菱資本系列の生産したものを、私の生活の中から一掃し、以後、一切、買いもしなければ、持ってもいない。三菱電機の換気扇、クーラー、写真機のニコン、キリンビール、そして伊藤園のお茶……。もちろん、三菱の自動車など。それがなぜなのかも、以下の文にある。
そこにもあるように、これまで、この決まりは、自分自身だけのものであって、他人には勧めなかった。だが、もう、他の人びとも、それを考えて下さったらどうだろうか。三菱が軍事生産をやめないかぎり、このようなことは、今後も必ず起こるだろうからである。
三菱自動車の欠陥隠しが、トラックなどだけでなく、デリカ、ランサー、ミラージュ、パジェロ、シグマ、ギャランといった、コマーシャルで嫌でも耳に覚えさせられた三菱の代表的主力乗用車の各機種でも行なわれていたという報道があった。…
…ほんとうは、「戦車もつくっているような大グループ」だから、危ないのだ、ということだ。
日本帝国主義国家の歴史にぴったりと寄り添って、ひたすら人を殺すための道具をつくり続け、発展してきた大独占企業が、国家ではない、一般民衆の生命を尊重し、人権を重視する上で、責任をとるはずはないではないか。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板