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〜〜おまいらに官位を与えるスレ〜〜石山幕府〜〜

72二条實季 ◆01EoNsMMFM:2014/01/31(金) 03:04:15
239 :九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU :2005/07/21(木) 23:16:34
>>155
僅少数の兵で堅城を奪ったのは戦国史上、竹中半兵衛だけ
 小瀬甫庵いう語り師の書いた「信長記」からの引用におじゃるか
 物語としては面白可笑しゅうかいてはるから、それはそれでええ思うんでおじゃるが
 史実として実際あったかどうかは、世評はあんまし信用してへんようにおじゃるな
 その時代に小瀬は生まれてへんしw
 最も信頼に値する言われる大田牛一の「信長記」の記述を見ると
 「稲葉山御取り候事」いう段に
 「八月十五日、色々降参候テ飛騨川ノツヾキニテ候間、舟ニテ川内長島ヘ龍興退散」
 こんだけしか書いてへんでおじゃるよ
 も一つついでに、尼子経久も少人数で城奪っておじゃる

「武功夜話」については信用しておじゃらんのは同感におじゃる

恵瓊が本能寺を予見したという俗説はたしかにおじゃるな
恐らく下の書簡がその出所におじゃろうが「本能寺」という言葉は出てこないでおじゃるよ

 一筆申上候。京都之儀形の如くに調ひ、今日十二、備前岡山に至り罷り着き候(中略)
 一信長之代、五年三年者持たるべく候、明年辺者、公家などに成さるべく候かと見及び申し候、
   左候て後、高ころびにあをのけにころばれ候ずると見え申し候、藤吉郎さりとてはの者にて候
   面上之時、万々申し上ぐべく候、明日十三、吉田へ罷り下り候、吉田より万々申し上ぐべく候、
   此の由貴意を得候、恐惶謹言

   十二月十二日(天正元年)        恵瓊

   山県越前守殿
   井上又右衛門尉殿

本能寺を予見とは夢がひろがりますなあ


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