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〜〜官職市場〜〜つわものどもが夢の跡

46輔漢の流浪の民:2015/08/01(土) 01:49:42
張春華の乱
三戦本城の牢獄から数年の刑期を満了した蕎序は金宰陽として復活。
その頃ちまたでは張春華が一世を風靡しており、張春房、勇魚らと共に独裁政治を執り行っていた。
この頃はまあcも排除された上に、新党の皇帝でもあった学徒出陣でさえ名誉総裁に祭り上げられていた。
そこで金宰陽はキチガイの佐倉広夢と同盟を結び、さらにひょーりみや中野区民憲章らとともに反張春華包囲網を築き上げた。
攻防は一進一退であったが、持久戦に持ち込んだ後、張春華が逃亡、それとともに敵軍は総崩れとなり、勇魚、張春房らは討ち取られた。

金八戸ロコ戦争(第二次三戦世界大戦)
金宰陽は先の功績もあって次期新党皇帝候補にあげられた。しかし、この頃は夏厨という移民が各所から大量に流れこんでおり、
その中からは八戸のぶながを首領とする八戸族などが現れ各地で猛威を振るった。金宰陽はその中から生き別れの弟であったロコ常陸四郎を見出して登用する。
そこで金宰陽は損権厨房のBBSに使者を派遣して自分の勢力を朝廷として認めさせるなどの工作を経て、最終的には義勇兵として集まった愉快犯や
数人の仲間と自身の幻術で生み出した自演兵などで圧倒的大差で勝利することとなる。

戦国城攻略(三戦、戦国、日本史天下統一達成)
歴代皇帝では唯一ロコ常陸四郎を戦国板の代理統治者として送り込み、戦国板を統一することに成功する。
日本史板は、前に日本史板おまいら官位スレが霊帝派に使者を送った際に攻撃しており、現在では日本史官位城すら存在しない有り様で空城であった上、
石山幕府なるものを設置しており、定例の仕官希望者募集中スレを立てて東海王に統治させていた模様。
それ以後、金宰陽は細川政元のように姿をくらませた。

ぴよりん城の戦い、可児城の戦い
帰ってきた金宰陽ははいだらーを騙り、ぴよりんに対しセクハラ罵声攻撃を加え、ぴよりんを野戦におびき出し撃破。ぴよりん城に籠城する。
さらに昔から自分の家臣であった可児麿を可児家当主に擁立、これに対してはいだらーは南可児家当主の座に就き、抵抗した。

関羽城の戦い(はいだらーの戦い)
はいだらーは神出鬼没であったが、金宰陽はいだらーが関羽城で夜な夜な関羽のコスプレをして徘徊しているという情報をピムン(密偵)から聞き、
夜間に大軍を関羽城の前に移動させ包囲することに成功する。その際の懐柔工作により、日頃からはいだらーが関羽を取ることにいらつきはじめていた
ちゅぷ、三浦らが城門を開いて呼応し、一夜にして関羽本城は奪い取られた。しかしその後もはいだらーは、さらに支城で30日にわたって籠城し、
交戦するも金宰陽の前に敗れ去った。はいだらーは最後に命乞いをしたが金宰陽によって斬首に処された。
魔神時代のはいだらーはほとんど不眠不休で関羽をする存在であり呂布に匹敵する強さだったと言われている。
はいだらーの生家の跡地は学徒出兵の家になったとされている。

47輔漢の流浪の民:2015/08/01(土) 11:50:56
金王家が学徒公認の王家へ
金龍馬が株板に避難中の学徒出陣の元を訪れ公認の王家のお墨付きをもらう。

三種の神器の政変
学徒出兵が魔法剣士、聖臣永常、学徒出陣を説き伏せ、ムコーニンやプヒャ孔明などからお墨付きの三種の神器を受け取れば学徒家の皇太子として認めると
約束させたことに対して謀議をめぐらせた金宰陽は、ムコーニンらのトリップを破って偽の三種の神器を渡させ、朝政を支配しようと試みた。
しかし、それらの計画は頓挫し、金宰陽の計画は水泡に帰した。

紅武帝の擾乱(学徒王朝の終焉)
学徒出陣のトリップを破った金宰陽が紅武帝を自称、これに対して金宰陽、学徒出兵、聖臣永常、婿ビンゴ、ロコドールらが紅武帝派、
ロコ三郎、ロコ常陸四郎らが全受帝派に分かれて戦闘する事態に発展。金宰陽がロコ三郎、ロコ常陸四郎、クマッタらのトリを次々に破ったため、大混乱が生じた。
最後に聖臣永常が自分は学徒候が来るまで城を守っていただけでこの領地は全て献上するとして紅安城で反乱を起こしたため、結果的に全受帝側が勝利することとなった。
しかしこれ以後、常に偽帝の疑念にさいなまれ、信用は失墜。遂に数十年続いた学徒王朝に引導が渡ったのである。

金龍馬の乱
温和だった金龍馬だったが、金宰陽との党首争いとなり、金宰陽の挑発により皇帝を僭称し、決起。
金宰陽や新党の官軍勢に鎮圧される。

学徒出場の乱(神ツコツの乱)
新参コテだが一世を風靡していた神ツコツが学徒出場を名乗り、新党城を占拠。
元老のひょーりみやクマッタらもこれに同調して反学徒を唱えた。
しかし、ロコ三郎やロコ常陸四郎、金宰陽や聖臣永常らの袋叩きとなり3日で討ち取られた。
今まで学徒に忠実であったひょーりみまでもが反旗を翻しており、紅武帝の擾乱により低下した全受帝の権威の失墜を表す騒乱であったとされる。

聖臣永常党首後継戦争
聖臣永常が党首に名乗り出るも、聖臣を金宰陽だと思っていたクマッタが荒らしだし、聖臣家の当主の位を取られたことを快く思っていなかった金宰陽もそれに乗じて
大量の自演投票部隊を投入して思わせぶりな工作をしたため、聖臣永常は党首候補の座を放棄して退転せざるを得なかった。

ロコモティブの乱
ロコモティブとクマッタが示し合わせて学徒出陣に反旗を翻し、ロコモティブが三戦皇帝を僭称して新党城に攻め入った。
その際、聖臣永常が単独でこれに当たり学徒出陣が帰還するまでの間、新党城の死守に成功。この戦いによってロコモティブは討ち取られた。

三戦維新の大乱(可児の禍)
聖臣永常が可児数奇(実は八重樫)を討伐、この頃、学徒出陣に出兵と聖臣、初陣と常陸で新党の陣代を交代で務めるようにいわれていたのにもかかわらず、
何故か学徒初陣とロコ常陸四郎は1ヶ月半〜2ヶ月の間新党を開けており、その罪を学徒や皆から問われて、聖臣永常によって捕縛、ひょーりみに引き渡された。
一時期、この事件によりロコ常陸四郎はキチガイとなって宮大工となっていたが、後に快復し、復職した。
これにより皇統は学徒出兵へと定められた。

最上義光、聖臣の姓と忠臣の位を賜る
最上義光は学徒出兵から聖臣の姓を賜り聖臣永常に改名。学徒出陣からも忠臣という格段の位を賜った。

聖臣家当主抗争勃発
金宰陽はしたらばBBSを訪れた聖臣永常のことを金家の当主としては容認してはいなかった。
これを気に聖臣常緑(ロコグリーン)らを味方につけて攻勢をかけ、聖臣家の当主の座を奪還する。

クマッタの乱
2011年4月、クマッタが学徒出陣に無断で選挙を実施、三戦皇帝を名乗るもロコ三郎、ロコ常陸四郎、金宰陽、聖臣永常、婿ビンゴらの集中砲火に敗退。
ロコ康三郎はクマッタ派に無能だとそしられてしまう。

宰天の変
突如復活した自治厨の前に宰天が和平による交渉を決意。自治厨城に赴くがその頑ななまでの排他的態度に失望。
交渉失敗の責任を取り還俗し、出奔した。その後、人々に請われて復職。

聖臣常勝の墜星
急遽現れたカリスマ的指導者、聖臣常勝。クマッタを撃退し学徒出陣を守るなどの功績を立て、ムコーニン以来となる「将軍」の愛称で親しまれたが
人々に惜しまれながら夭逝した。

学徒出国の聖臣家への臣籍降下(学徒王朝の滅亡)
大漢スレなどに君臨し、気性の荒いことで有名な学徒退陣との覇権争いで神経をすり減らしていた学徒出国は遂に聖臣家を頼って臣籍降下した。
その後、学徒退陣も大漢スレで乱戦の最中に落命。これによって学徒家の祭祀は聖臣家に継承され、本当の意味での学徒王朝の滅亡を迎えたのであった。

48まあc:2016/12/11(日) 01:20:57



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