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〜〜官職市場〜〜つわものどもが夢の跡

1 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/01/31(金) 00:12:05
父君が行方不明になられて早5年。しかたなしに朕が即位したのじゃが、
臣下も南北朝の戦争で散り散りになってしもうた。漢の命運もこれまでかのう。

2 劉輝 ◆tcPmyIo4Ws :2014/01/31(金) 00:16:11
父上、気を落とされますな。
この慶京府も主を失い、すたれてしまいました。
しかし、漢は呉楚七国の乱も、新の反乱も、そしてこの黄巾・南北朝の乱さえも乗りこえた。
命あっての物種であります。天は漢に微笑みたもうた。

3 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/01/31(金) 00:22:41
輝よ。そちの言葉だけじゃ。朕を支えてくれるのは。
この戦火にすたれた慶京府でけがしっておるのじゃ。
我々の心は誰にもわかるまい。
廷臣に見捨てられた我らのように、この宮廷も主という太陽を失ったのじゃ。

4 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/01/31(金) 00:25:23
しかし、災厄に見舞われたとて、皇帝がこうして座っておるわけにはいかぬ。
宮大工に頼んで慶京府の修復を急がせよう。

5 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 01:02:06
よいこらしょっ、皇帝が畑仕事をするのも良いものじゃ
やがて種を蒔いた畑に、春の命が芽吹くことじゃろうて

6 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 01:02:32
時間がないときは一人で官職市場も良いものじゃのう

7 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 01:05:46
泰平の世は良いものじゃが必ず廃れる
乱世は廃れておるがゆえ、希望も大きい

8 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 01:07:15
このままのんびりと畑仕事でもしておりたいものじゃ

9 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 01:24:09
まずは、戦乱で荒れ果てた皇廟の修繕をおこなうものとする
また、朕の高祖父、霊帝劉宏の諡号についてであるが王朝の創設者としてみても、
その行跡からみてもこの諡はふさわしくない
本来ならば変えるべきものではないが、先祖の汚名を晴らせずして天下の治業がなせようか
劉宏は善をもって政道を示し、徳をもってこれを興したので「孝元皇帝」と追号いたす
諸臣一同、詔に従い、よきに取りはからえ

10 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 01:37:33
官職王朝、輔漢帝国

初代皇帝 元帝(霊帝)劉宏
二代皇帝 献帝劉協
三代皇帝 上帝劉真
四代皇帝 廃帝劉旗
五代皇帝 愍帝劉節(東海王)
六代皇帝 劉憲(在位)

11 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 01:38:45
実は、朕は肺病なのじゃ(という設定なのじゃ)
ゴホンゴホン

12 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 01:48:12
朕は生まれた時より病弱であった
宮廷の庭のみが朕の世界の全てであった
元気に遊ぶ兄弟の声を聞き、どれほど自分の人生をのろったことか
じゃが、どんなに祈ろうが、朕の願いを天帝は聞きいれてくださらなかった
もし叶わぬ願いであるのならば、朕はただひたすらに民の健康だけを願わん
そう思うてまつりごとに専念して参ったが本当にそれが正しかったのじゃろうか

13 劉輝 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 01:53:07
父上、もう休んでくだされ
長い戦乱の世は、悪夢は過ぎ去ったのです
父上の体は民百姓の躰にございます
そしてわたくしのみたまでもあるのです
なにとぞ、ご養生くださりませ

14 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 01:59:37
輝や、ありがとう
その成長たくましく思うぞ
まだ冬のさなかであるというに、生命の息吹はなんと力強いことか
ほれ、雪の合間からふきのとうが出ておるわい
寒さをしのいで土を慣らしたかいがあったなあ

15 劉輝 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 02:01:25
誠にございますな
えぐえぐっ(泣)

16 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/01(土) 02:06:42
それでは府に戻って牛鍋でも食べるか
朕もそちの元気な姿を見ておったら、
一気に力がみなぎってきおったわい
(たとえ辛くとも、たくましく生きるのじゃぞ、輝や・・・)

17 輔漢の流浪の民 :2014/02/02(日) 22:36:06
三戦板では活動しないのか?

18 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/03(月) 16:53:56
>>18
ここでやり続けるつもりじゃ
廃墟国もなくなってしまったとのこと
今確認して知ったわ

19 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/03(月) 22:16:53
ほうほう、よく見ていなかったが慶京証券取引所なるものがあるのじゃな
新興市場もあってもうすでに株式会社なるシステムを導入しているとは
官僚たちよ聞くが良い。通貨膨張にならないようにある程度銭貨の流通を加速させ、
城壁の拡大などに投資せよ。さらに財を得た民間企業と豪商に資金を出させ、これを補助させるのじゃ
さらに孟津一帯を県とし、経済特区にするのじゃ

20 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/03(月) 22:25:36
さらに中央軍が110万もいらぬ
虎牢関に20万、潼関に40万を進駐させ、屯田兵とせよ
農地拡大政策を実施する
また、20万の兵を南下させ宛城までの道々に関所を設けさせ、
謀反の兵の進行の備え、都に入る通行人の監査をさせよ
これらは民の負担を軽減するためにも険峻な山々を利用して行わねばならぬ

21 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/05(水) 00:40:48
やることが多すぎて官職市場に時間がさけんのじゃ
時とはなんと無情なことか

22 可飢琉@魔公将軍 ◆kUbLHXLyuI :2014/02/05(水) 08:41:36
関羽城で敗れたわが父…魔階のうらみはらしてくれる。并州刺史・甫偉文は討ち取ってくれたわ
戦を知らぬ泰平の文官なんぞ刺史には不適格。蕎協のおらぬ輔漢なぞ魚のおらぬ生簀も同じよ

23 可飢琉@魔公将軍 ◆kUbLHXLyuI :2014/02/05(水) 08:45:32
この地域には我が一族を率いて蕎協に恭順した可坊の一族がおったな
奴が同盟を組んだも名ばかりの同情からよ。さあ呼応して洛陽を攻めるぞ
間諜によると百戦錬磨の蕎協も病のとこに伏せているとか
しかも愚帝の劉憲は兵を割き屯田をさせている始末
我が軍50万で洛陽も火の海よな
続け!!!

カンマ判定

24 可飢琉@魔公将軍 ◆kUbLHXLyuI :2014/02/05(水) 08:51:06
父の仇討たずして帰れぬのよ
この地のすべてを焼き尽くし、地獄の業火で消し去ってくれる
お得意の幻影武将で攻めよせるがよい
それでなくば輔漢と戦う意義も失せるわ

25 輔漢の流浪の民 :2014/02/07(金) 05:24:27
関係ないけど霊帝派が主流ってわけでもないんだよ。歴史考察の点で見ると霊帝は一度退位しちゃってるんだよね。
それで劉協皇帝が即位してるんだよな。ここまでは同意の経過でそのあと揉め事になって霊帝が復位。現在の二帝の形になっているんだよ。
あとクマッタが誇らしげに霊帝派は常に正しいみたいにいっていたが、当時なりきりはローカルルール違反で他板でやれっていわれてたんだよ
そのへんを棚に上げて可児とか魔玉の埋め荒らしも蕎序が悪いといって封殺してしまったんだよ。
しかも自分は姫淑丹と一緒に霊帝のBBSや三戦のスレを荒らしまわったんだよな。すごい胸糞悪かったぜ。

26 輔漢の流浪の民 :2014/02/07(金) 05:32:40
なにがいいたいかといえばアンジェとゼロセンチのことだよ
人には荒らすなといいながら自分は荒らす
自分の横暴は通すが人の横暴は許さない
そういうクマッタの自分の性悪を人のせいにする態度が官職市場の零落を招いたんだということだ

27 輔漢の流浪の民 :2014/02/08(土) 17:35:58
劉憲マダー?

28 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/08(土) 20:29:18
なんぞ!?まさかこの時期に攻めてくるとは思ってもおらなんだわ
そこまで盛り上げる気もなかったに
蕎協、起きよ、敵ぞ、それでも八面六臂で蛮族と戦ってきた猛者か!
ええい、他に使える武将なぞおらぬ
朕自ら親征し撃退に向かうぞい
(何ぞ、勝手なことをしおって。どうなってもしらぬぞい)

カンマ判定

29 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/08(土) 20:40:14
朕が病身であるとしり、姑息なまねを、ゲホゲホッ
孟津が蛮族の猛攻で落ちおったわ
四方から武官を呼び寄せよ
慶京城は天涯の要塞
篭城して援軍を待つが兵法の常道
この劉憲、体は老いても学問ではそちらには負けぬぞ
続け、土嚢を積んで守りを固めるのじゃ!

30 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/08(土) 20:46:27
各地を巨大な城壁で囲み、悠久の平和をたたえた洛陽を失ってたまるか
この劉憲、老骨に鞭打って敵の首級をあげてくれる

31 劉輝 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/08(土) 20:49:36
父上、ご無理をなさらず
病身でありながら民を休んじ、耕事につとめたこと
私は尊敬しておりました
それではさらば
ゆくぞ、出撃じゃ!出撃の太鼓を鳴らせ!

32 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/08(土) 20:56:37
行ってはならぬ、劉輝!
敵は勇猛果敢な蛮族ぞ、帝俗にかぶれたそなたではかなわぬ、・・・、・・・
行ってしもうたか・・・
おお神よ、偉大なる帝室の祖先たちよ、輝を、我が子を守りたまえ・・・

33 劉輝 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/08(土) 21:15:49
我が名は劉輝、漢帝国の皇帝劉憲が嫡男
この時の為と思って茨道で鍛えたこの槍衾
今生かさずしてなんとすべきか、可飢魔尋常に勝負!

カンマ判定
0〜10で劉輝討ち死に
10〜20で一騎打ちに勝利
20〜30で一騎打ちに敗北
30〜40で可飢魔重症
50〜60で可飢魔死亡

34 劉輝 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/08(土) 21:19:49
20合交えたがさすがは蛮族、勇敢だな
いざ尋常に勝負、どちらか勝敗がつくまで打ちあおうぞ

カンマ判定
0〜10で劉輝討ち死に
10〜20で一騎打ちに勝利
20〜30で一騎打ちに敗北
30〜40で可飢魔重症
40〜50で引き分け
50〜60で可飢魔死亡

35 劉輝 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/08(土) 21:22:27
まさかこんなに長引くとは
ぜえぜえ、友情さえ芽生えてきたぞ蛮族
さあこれで最後だ、覚悟しろ!

カンマ判定
0〜10で劉輝討ち死に
10〜20で一騎打ちに勝利
20〜30で一騎打ちに敗北
30〜40で可飢魔重症
40〜50で引き分け
50〜60で可飢魔死亡

36 劉輝 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/08(土) 21:24:26
うお、100合あまり打ちあったがやはり蛮族
その腕強し、洛陽城に撤退じゃ、門をあけい

37 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/02/08(土) 21:28:57
輝や、よくやった
負けはしたがそちの奮闘感激した
この劉憲誇りに思う、もう子供ではないのじゃな・・・
一騎打ちに負けて敵はますます士気旺盛
これは守勢に徹するべきであろう
ものども、弓をいかけよ、可飢魔隊をねらえ

カンマ判定

38 輔漢の流浪の民 :2014/02/17(月) 02:42:30
カキマのカンマ判定

39 輔漢の流浪の民 :2014/03/03(月) 03:41:36
金でてこお

40 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/03/04(火) 01:03:58
これぐらいでちょうどええよ

41 劉憲 ◆tcPmyIo4Ws :2014/03/04(火) 01:05:05
ランダムエンカウント方式なのじゃ
シンボルエンカウントは進化などではないぞ

42 輔漢の流浪の民 :2015/07/25(土) 05:56:58
輔漢帝国 国書 輔漢全書 「帝王殿」

初代皇帝 元帝(霊帝)劉宏
官職市場の創設者。蕎序が官職市場の天下を統一した後に退位し、劉協が即位するも再び帝位を望んで即位した。
この系統は後に霊帝王朝と呼ばれて輔漢王朝とはわけて考えられている。
蕎序と争い、一時はその猛攻に世界史板に遷都。退位を決意するまでに追い詰められたが徐々に勢力を回復した。
人徳に富み、以後300年にわたって霊帝派王朝の繁栄の礎を築いた。
昭文帝により名誉が回復され元帝の諡が追号されている。

二代皇帝 献帝劉協
霊帝志多良場城の管理人。霊帝が蕎序によって廃位された後、
擁立され第二代皇帝に即位する。蕎序に対し協の字を偏諱した。
後に帝位を霊帝に玉璽を返上し隠棲、好好道士と名乗るが、玉璽の移譲は、蕎序の符璽郎の自分以外が玉璽を所持
しているのはおかしいとの機転によって阻止されている。霊帝志多良場城は長らく持ちこたえたが
異民族の阿負亥巣連の侵入などにより落城、滅亡した。

三代皇帝 愍帝劉節(東海王)
第六代皇帝に続く

四代皇帝 上帝劉真
蕎序の輔漢連合帝国構想により東海王を支えていたが、
東海王失踪の後に上帝に擁立されている。
最後は官職市場に投降し、燕王劉真として活躍した。

五代皇帝 廃帝劉旗
蕎序によって擁立される。元来粗暴な性格で周囲に当たり散らし、霊帝派の武将を城内に招き入れたが
100万の軍を指揮する蕎序の前に反乱は鎮圧され、官職市場に投降、恭王劉旗として活躍した。

六代皇帝 愍帝劉節(東海王)
蕎序の輔漢連合帝国構想により即位。世界史板や三戦板の本スレで人員を集めるなど政務に精勤したが
数カ月後に失踪した。政権が不安定になるため、やむなく上帝が即位し政務を代行。
廃帝が即位した頃に政務に復帰し、廃帝が追放された後は輔漢皇帝に復帰した。
その後、戦乱のさなかで再び行方不明となり、群臣達によって劉憲への譲位がとりなされた。

七代皇帝 昭文帝劉憲(在位)
即位すると数々の善政を施し、人民の賦課の削減に尽力した。
霊帝の諡号を不服とし、元帝と改めるなど様々な改革を施した。
異民族の可飢魔が慶京にせまった際は土嚢を積んで籠城し、これを退けた。

八代皇帝 宣武帝劉輝
病弱の昭文帝の政務を補佐、異民族の可飢魔が慶京にせまった際
自ら軍を率いて親征するも撃退される。
堅牢な慶京城を盾に籠城しこれを退けた。
元帝時代からの重臣武宗大王(金宰陽こと蕎序)の一族に最早抗うことは出来ないと悟った劉輝は
輔立元年、金宰陽の孫の金良学に帝位を禅譲した。

九代皇帝 金良学

43 輔漢の流浪の民 :2015/07/25(土) 05:57:51
輔漢帝国 国書 輔漢全書 「帝王伝」

初代皇帝 元帝(霊帝)劉宏
官職市場の創設者。蕎序が官職市場の天下を統一した後に退位し、劉協が即位するも再び帝位を望んで即位した。
この系統は後に霊帝王朝と呼ばれて輔漢王朝とはわけて考えられている。
蕎序と争い、一時はその猛攻に世界史板に遷都。退位を決意するまでに追い詰められたが徐々に勢力を回復した。
人徳に富み、以後300年にわたって霊帝派王朝の繁栄の礎を築いた。
昭文帝により名誉が回復され元帝の諡が追号されている。

二代皇帝 献帝劉協
霊帝志多良場城の管理人。霊帝が蕎序によって廃位された後、
擁立され第二代皇帝に即位する。蕎序に対し協の字を偏諱した。
後に帝位を霊帝に玉璽を返上し隠棲、好好道士と名乗るが、玉璽の移譲は、蕎序の符璽郎の自分以外が玉璽を所持
しているのはおかしいとの機転によって阻止されている。霊帝志多良場城は長らく持ちこたえたが
異民族の阿負亥巣連の侵入などにより落城、滅亡した。

三代皇帝 愍帝劉節(東海王)
第六代皇帝に続く

四代皇帝 上帝劉真
蕎序の輔漢連合帝国構想により東海王を支えていたが、
東海王失踪の後に上帝に擁立されている。
最後は官職市場に投降し、燕王劉真として活躍した。

五代皇帝 廃帝劉旗
蕎序によって擁立される。元来粗暴な性格で周囲に当たり散らし、霊帝派の武将を城内に招き入れたが
100万の軍を指揮する蕎序の前に反乱は鎮圧され、官職市場に投降、恭王劉旗として活躍した。

六代皇帝 愍帝劉節(東海王)
蕎序の輔漢連合帝国構想により即位。世界史板や三戦板の本スレで人員を集めるなど政務に精勤したが
数カ月後に失踪した。政権が不安定になるため、やむなく上帝が即位し政務を代行。
廃帝が即位した頃に政務に復帰し、廃帝が追放された後は輔漢皇帝に復帰した。
その後、戦乱のさなかで再び行方不明となり、群臣達によって劉憲への譲位がとりなされた。

七代皇帝 昭文帝劉憲(在位)
即位すると数々の善政を施し、人民の賦課の削減に尽力した。
霊帝の諡号を不服とし、元帝と改めるなど様々な改革を施した。
異民族の可飢魔が慶京にせまった際は土嚢を積んで籠城し、これを退けた。

八代皇帝 宣武帝劉輝
病弱の昭文帝の政務を補佐、異民族の可飢魔が慶京にせまった際
自ら軍を率いて親征するも撃退される。
堅牢な慶京城を盾に籠城しこれを退けた。
元帝時代からの重臣武宗大王(金宰陽こと蕎序)の一族に最早抗うことは出来ないと悟った劉輝は
輔立元年、金宰陽の孫の金良学に帝位を禅譲した。

九代皇帝 金良学

44 輔漢の流浪の民 :2015/08/01(土) 01:46:36
輔漢全書 主要戦場

天下坂の戦い
霊帝を庇護し、逆賊を次々と討伐する蕎序。
徐々に高位高官の位を得る。蕎序の天下統一は目前へと迫っていた。

第一次世界史城の戦い、三戦民の乱
蕎序の前に後漢を統治する自信をなくした霊帝は退位を決意、劉協に位を譲った。
劉協を擁立した蕎序は、皇帝より協の名を偏諱される。
遂に極位極官に上り詰めた蕎序。その前に霊帝を再擁立せんとする反乱軍が立ちはだかった。
蕎序は猛攻撃によりこれを撃退。世界史城に追い込まれた霊帝は再び退位を決意する。
また、元々なりきりをローカルルールで禁止しているので他板でやれとする
三戦民らの反乱などもおこり、霊帝はこれの鎮圧に追われることになる。

輔漢城の戦い
霊帝派は輔漢城に出兵。城外から人格や精神を誹謗する罵詈雑言を投げかける。
20万本もの大量の矢を射掛けた霊帝派であったが帝都の堅牢な城壁の前ではそれも焼け石に水であった。
それよりも蕎序の尋常ではない精神力の前に爆撃攻撃は通用しなかった。
霊帝派の城下での略奪に加え、異民族の可児坊も侵掠を開始し、輔漢城外は大量の敵兵で包囲された。
しかし、蕎序は可児坊を懐柔し、蕎可同盟を締結。可児坊は背後から霊帝派を急襲し、蕎序も城内から呼応し出兵。
霊帝派は世界史城への退却を余儀なくされる。

志多良場城の戦い
霊帝派の猛攻は劉協の私城、志多良場城にまで及び、蕎序の人格や精神を誹謗中傷する罵声に対し、
王羽が呼応してしまい、城外での激戦の末、霊帝により撃破されてしまう。
しかし、甫偉格や王翼らが事態を収拾し、城の陥落はまぬかれることに成功した。

第二次世界史城の戦い
蕎序は世界史城への侵攻を決意、張達のふりをして城下に侵入するも龍符という番号を付ける制度があることに
気付かず、霊帝派に撃退されてしまう。

三戦新城の戦い
霊帝派は三戦板に復帰し、三戦新城の運営を試みるも、蕎序派や魔玉、可児坊、本間賢輔らに荒らされ阻止される。

痴淫坂の戦い
ここで蕎序は霊帝派の格好をした武将に淫乱な話をさせ人心を失わせる「痴奸の計」を打ち出し、これに大いに民心はどよめいた。
さらに三戦民が霊帝の顔を預かり知らぬことにかんがみ、霊帝の影武者を夜な夜な町を走らせ火をかけさせる計略に打って出、
これに激怒した三戦民らが怨嗟の声をあげて霊帝城を包囲し、霊帝は世界史城に退却した。
また、この付け火は三戦本城の城下町の3分の2にまで延焼したが、下手人であった蕎序は三戦警察に逮捕され、
1ヶ月の間三戦本城に幽閉された。

劉旗の乱
霊帝派に投降した劉真に変わり皇帝を務めていた劉旗が、突如門を開け霊帝派の武将を招き入れた。
しかし、蕎序が官軍100万の軍権を掌握していたため、行き場をなくした劉旗は霊帝派に投降した。

劉協の乱
蕎序の境遇を悲観して見守っていた劉協であったが、遂に決断し、志多良場城を霊帝派へと明け渡した。
志多良場城は長年霊帝派の猛攻にさらされており、一面焼け野原となっていた上に、
すでに輔漢は慶京城を完成させていたこともあり、蕎序もこの城に興味を失っていたので、志多良場城に火を放って焦土にした上で、
戦わずしてこの城を捨てて洛陽城に退却した。

洛陽城の戦い
官職市場との激戦の後に、洛陽城の前に現れたのは三戦第二の勢力を持つ異民族の頭目魔玉との激戦であった。
魔玉軍のゲリラ戦法の前に大敗北を喫し、10万の兵馬を失ってしまう。
しかし、このゲリラ戦法は後の蕎序の自演潜伏戦法の根幹を支えることになる。
これ以後は魔玉とは融和し、魔玉派との慣れ合いなど緊密さを深め、今はなき魔玉板や輔漢板での慣れ合いも見られる。
また、魔玉が去る際にその見送りをするなど最後は気心を通わせていたようである。

金可児魔玉三帝会談
この頃、蕎序は公孫讃岐や自信の石山幕府の臣下にもなった黒金兵卒など可児派のコテとも馴れ合うような関係であり、
日頃から魔玉と可児に対して馴れ合いと埋め立て荒らしをやめるように申し出ていて周りもそんな雰囲気になってきていた。
そこでいつものように蕎序と可児が馴れ合い、それを魔玉があおるような感じで三帝会談が始まった。
結果的に蕎序の言い分通り、可児が以後馴れ合いをやめることを約束し、可児派は消滅解散となった。
そのあとすぐに可児も引退を発表して三戦を去った。

魔玉坊IP事変
魔玉亡き後の魔玉坊。満を持して輔漢城に攻め入ったが、蕎序にIP公開という弱みを握られ、土下座での謝罪を強いられる。
また、以後は絶対服従を誓い、蕎序に官位を与えられ、蕎序の臣下となった。

45 輔漢の流浪の民 :2015/08/01(土) 01:47:58
闘騎坂の戦い
魔玉との連戦で三日三晩の一騎打ちを戦った蕎序であったが、なよたけの物腰の静蘇との一騎打ちを受ける。
ここでは五日五晩、さらにジルジンクスという武将とも五日五晩の一騎打ちを繰り広げた。
勝敗はつかず、さすがに疲弊した蕎序は輔漢城へと帰っていった。

日本史城の戦い
霊帝派と国交を持った日本史官位スレに激怒し、蕎序は日本史官位城に武田騎馬軍団と示し合わせて出兵。
二ヶ月にわたってこれを包囲して城下を荒らしまわった。日本史官位城の群臣の間に動揺が発し、
責任をとって吏僚三人が辞任するという大事件に発展した。
さらに愉快犯的婆沙羅大名の本間賢輔に援軍要請をしたため、本間まで日本史城を荒らしだし、日本史城は荒廃を極めた。
百戦錬磨の蕎序の前に日本史板朝廷は為す術もなく、ただ日本史支城に避難し、震えて待つ他はなかった。

自治の大乱(第一次三戦世界大戦)
元々は強引にIDを導入しようとした自治厨とこれに対して話しあおうと称した金宰陽や可児坊の反乱にことを発した大乱である。
自治厨は強引に他板の自治スレにおける自分たちの議論で全て完了したとする立場でIDを導入しようとした。
また、自治新党自体を潰しにかかり、これに対して可児坊や金宰陽、ロコドールやロコ三郎がその強引な手法を批判している。
ただこの頃のロコ家はロコドールとロコ三郎しかおらず、ロコドールに至ってはほとんどロコ家の活動をしていなかったので
全く力はなかった。こうして自治新党を強引に他板自治スレに統一した自治厨であったが、この出来事に対しては反対の声が大きいくらいであった。
このことは別の確執を呼び、自治新党と自治厨の間で激闘が繰り広げられ、やがて自治新党によって自治スレは統一されることになる。
これに激怒した蕎序は自治スレに乗り込み、自治新党の主であった学徒出陣の登場を待ったが現れず、遂にその強行処置の対抗手段として、
異民族VIP族から蛮族を誘引させ、三戦板に誘引させて三戦板中のスレッドを攻撃する自体に発展してしまい、
その境遇に同情していた沖田などはこれを止めようとしたがその言葉も虚しく、遂に攻撃の火蓋が切られたのである。
また、可児なき三戦で第一の勢力を誇っていた永井尚志も蕎序の臣下となってこれに加担したため、旧可児、旧魔玉家で永井に仕えていた
者達の間にも大きな混乱をもたらした。そうして三戦全土を手中に収めた蕎序であったがこれに気付いた将軍雷音によって包囲され、
まあcの退き口によって辛くも逃げ延びたがその勢力の大半を失ってしまうことになる。また、雷音を殺害したはいだらーらは自らを自治三傑と称し、
この功績を奪い取ったのであった。これ以後は自治三傑の天下となる。

自治州大虐殺
大乱以後、自治三傑が三戦を支配することになったが、三戦板のID導入を本格的に進めようとして単独で反対にまわった魔玉坊と対立、これを
よってたかって袋叩きにした。このことだけではないが、元々はいだらーや向こうの888は気性が荒く、彼ら自治三相の反対派を嘲弄するレスが
自治における議論レスの減少を誘発し、最終的にはID導入は議論のみでは導入することは出来ないと説得されるとうやむやで終わる玉虫色の結果となった。
これらのことで批判を受け、これに懲りた自治三相は自治スレへの出席率が格段に落ち、互いに馴れ合いの道に走るようになる。

自治四相の失脚
自治三傑は、互いに行き場を失い、その政治は腐敗、はいだらーとビジオタは難民板大使館に、向こうの888はピンク難民板で毒苺らと慣れ合うようになり
政治は腐敗していった。さらに元は雷音の実績を横取りした自治三傑であったが、さらに何をしたか意味不明な郭周牙を加えて自治四相と名乗るなど
迷走が続く。また、はいだらーはビジオタを大衆の面前で公然と侮辱するようになり、それに耐え切れなくなったビジオタが下野。
そして彼らの凋落を決定的にしたのは三戦志であった。これは彼らが作った妄想の物語であるが、三戦民で作ろうとの計画であったのに対し、
自治四相を設けたり、果ては関係のないコテの誹謗中傷まで始め、三戦民の意向も軽視したものであったため各所で不満が爆発。
やがては彼らの批判へとつながっていた。

三戦自治統一戦争
まあcが長年続いた自治厨と自治新党の対立を収め、旧自治厨を批判要望板へ追放。 自治新党を最高し中興の祖ともてはやされた。

46 輔漢の流浪の民 :2015/08/01(土) 01:49:42
張春華の乱
三戦本城の牢獄から数年の刑期を満了した蕎序は金宰陽として復活。
その頃ちまたでは張春華が一世を風靡しており、張春房、勇魚らと共に独裁政治を執り行っていた。
この頃はまあcも排除された上に、新党の皇帝でもあった学徒出陣でさえ名誉総裁に祭り上げられていた。
そこで金宰陽はキチガイの佐倉広夢と同盟を結び、さらにひょーりみや中野区民憲章らとともに反張春華包囲網を築き上げた。
攻防は一進一退であったが、持久戦に持ち込んだ後、張春華が逃亡、それとともに敵軍は総崩れとなり、勇魚、張春房らは討ち取られた。

金八戸ロコ戦争(第二次三戦世界大戦)
金宰陽は先の功績もあって次期新党皇帝候補にあげられた。しかし、この頃は夏厨という移民が各所から大量に流れこんでおり、
その中からは八戸のぶながを首領とする八戸族などが現れ各地で猛威を振るった。金宰陽はその中から生き別れの弟であったロコ常陸四郎を見出して登用する。
そこで金宰陽は損権厨房のBBSに使者を派遣して自分の勢力を朝廷として認めさせるなどの工作を経て、最終的には義勇兵として集まった愉快犯や
数人の仲間と自身の幻術で生み出した自演兵などで圧倒的大差で勝利することとなる。

戦国城攻略(三戦、戦国、日本史天下統一達成)
歴代皇帝では唯一ロコ常陸四郎を戦国板の代理統治者として送り込み、戦国板を統一することに成功する。
日本史板は、前に日本史板おまいら官位スレが霊帝派に使者を送った際に攻撃しており、現在では日本史官位城すら存在しない有り様で空城であった上、
石山幕府なるものを設置しており、定例の仕官希望者募集中スレを立てて東海王に統治させていた模様。
それ以後、金宰陽は細川政元のように姿をくらませた。

ぴよりん城の戦い、可児城の戦い
帰ってきた金宰陽ははいだらーを騙り、ぴよりんに対しセクハラ罵声攻撃を加え、ぴよりんを野戦におびき出し撃破。ぴよりん城に籠城する。
さらに昔から自分の家臣であった可児麿を可児家当主に擁立、これに対してはいだらーは南可児家当主の座に就き、抵抗した。

関羽城の戦い(はいだらーの戦い)
はいだらーは神出鬼没であったが、金宰陽はいだらーが関羽城で夜な夜な関羽のコスプレをして徘徊しているという情報をピムン(密偵)から聞き、
夜間に大軍を関羽城の前に移動させ包囲することに成功する。その際の懐柔工作により、日頃からはいだらーが関羽を取ることにいらつきはじめていた
ちゅぷ、三浦らが城門を開いて呼応し、一夜にして関羽本城は奪い取られた。しかしその後もはいだらーは、さらに支城で30日にわたって籠城し、
交戦するも金宰陽の前に敗れ去った。はいだらーは最後に命乞いをしたが金宰陽によって斬首に処された。
魔神時代のはいだらーはほとんど不眠不休で関羽をする存在であり呂布に匹敵する強さだったと言われている。
はいだらーの生家の跡地は学徒出兵の家になったとされている。

47 輔漢の流浪の民 :2015/08/01(土) 11:50:56
金王家が学徒公認の王家へ
金龍馬が株板に避難中の学徒出陣の元を訪れ公認の王家のお墨付きをもらう。

三種の神器の政変
学徒出兵が魔法剣士、聖臣永常、学徒出陣を説き伏せ、ムコーニンやプヒャ孔明などからお墨付きの三種の神器を受け取れば学徒家の皇太子として認めると
約束させたことに対して謀議をめぐらせた金宰陽は、ムコーニンらのトリップを破って偽の三種の神器を渡させ、朝政を支配しようと試みた。
しかし、それらの計画は頓挫し、金宰陽の計画は水泡に帰した。

紅武帝の擾乱(学徒王朝の終焉)
学徒出陣のトリップを破った金宰陽が紅武帝を自称、これに対して金宰陽、学徒出兵、聖臣永常、婿ビンゴ、ロコドールらが紅武帝派、
ロコ三郎、ロコ常陸四郎らが全受帝派に分かれて戦闘する事態に発展。金宰陽がロコ三郎、ロコ常陸四郎、クマッタらのトリを次々に破ったため、大混乱が生じた。
最後に聖臣永常が自分は学徒候が来るまで城を守っていただけでこの領地は全て献上するとして紅安城で反乱を起こしたため、結果的に全受帝側が勝利することとなった。
しかしこれ以後、常に偽帝の疑念にさいなまれ、信用は失墜。遂に数十年続いた学徒王朝に引導が渡ったのである。

金龍馬の乱
温和だった金龍馬だったが、金宰陽との党首争いとなり、金宰陽の挑発により皇帝を僭称し、決起。
金宰陽や新党の官軍勢に鎮圧される。

学徒出場の乱(神ツコツの乱)
新参コテだが一世を風靡していた神ツコツが学徒出場を名乗り、新党城を占拠。
元老のひょーりみやクマッタらもこれに同調して反学徒を唱えた。
しかし、ロコ三郎やロコ常陸四郎、金宰陽や聖臣永常らの袋叩きとなり3日で討ち取られた。
今まで学徒に忠実であったひょーりみまでもが反旗を翻しており、紅武帝の擾乱により低下した全受帝の権威の失墜を表す騒乱であったとされる。

聖臣永常党首後継戦争
聖臣永常が党首に名乗り出るも、聖臣を金宰陽だと思っていたクマッタが荒らしだし、聖臣家の当主の位を取られたことを快く思っていなかった金宰陽もそれに乗じて
大量の自演投票部隊を投入して思わせぶりな工作をしたため、聖臣永常は党首候補の座を放棄して退転せざるを得なかった。

ロコモティブの乱
ロコモティブとクマッタが示し合わせて学徒出陣に反旗を翻し、ロコモティブが三戦皇帝を僭称して新党城に攻め入った。
その際、聖臣永常が単独でこれに当たり学徒出陣が帰還するまでの間、新党城の死守に成功。この戦いによってロコモティブは討ち取られた。

三戦維新の大乱(可児の禍)
聖臣永常が可児数奇(実は八重樫)を討伐、この頃、学徒出陣に出兵と聖臣、初陣と常陸で新党の陣代を交代で務めるようにいわれていたのにもかかわらず、
何故か学徒初陣とロコ常陸四郎は1ヶ月半〜2ヶ月の間新党を開けており、その罪を学徒や皆から問われて、聖臣永常によって捕縛、ひょーりみに引き渡された。
一時期、この事件によりロコ常陸四郎はキチガイとなって宮大工となっていたが、後に快復し、復職した。
これにより皇統は学徒出兵へと定められた。

最上義光、聖臣の姓と忠臣の位を賜る
最上義光は学徒出兵から聖臣の姓を賜り聖臣永常に改名。学徒出陣からも忠臣という格段の位を賜った。

聖臣家当主抗争勃発
金宰陽はしたらばBBSを訪れた聖臣永常のことを金家の当主としては容認してはいなかった。
これを気に聖臣常緑(ロコグリーン)らを味方につけて攻勢をかけ、聖臣家の当主の座を奪還する。

クマッタの乱
2011年4月、クマッタが学徒出陣に無断で選挙を実施、三戦皇帝を名乗るもロコ三郎、ロコ常陸四郎、金宰陽、聖臣永常、婿ビンゴらの集中砲火に敗退。
ロコ康三郎はクマッタ派に無能だとそしられてしまう。

宰天の変
突如復活した自治厨の前に宰天が和平による交渉を決意。自治厨城に赴くがその頑ななまでの排他的態度に失望。
交渉失敗の責任を取り還俗し、出奔した。その後、人々に請われて復職。

聖臣常勝の墜星
急遽現れたカリスマ的指導者、聖臣常勝。クマッタを撃退し学徒出陣を守るなどの功績を立て、ムコーニン以来となる「将軍」の愛称で親しまれたが
人々に惜しまれながら夭逝した。

学徒出国の聖臣家への臣籍降下(学徒王朝の滅亡)
大漢スレなどに君臨し、気性の荒いことで有名な学徒退陣との覇権争いで神経をすり減らしていた学徒出国は遂に聖臣家を頼って臣籍降下した。
その後、学徒退陣も大漢スレで乱戦の最中に落命。これによって学徒家の祭祀は聖臣家に継承され、本当の意味での学徒王朝の滅亡を迎えたのであった。

48 まあc :2016/12/11(日) 01:20:57



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