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ザ・KK退会者がもの言うスレット
59
:
エートス
:2006/10/02(月) 01:10:35 ID:7FKiqNLA
このスレッドすっかり法論と化しているようですネ。w
別に難癖をつけるわけでなく、退会なさった方を交えての穏やかな法論はここが向いているかもしれないと感じています。
スレッド建てとしては成功じゃないでしょうか。
で、本題ですが_信仰心とは極めて主観的で思い込みもあり得るのでははないか_と書きましたが、信仰心という言葉には仏教的には違和感を感じています。
もともと、東洋的宗教_特に仏教_は悟りに関してグレード(段階)が設けられていることがすぐれた点であって、KKに次元構造や愛についての発展段階説があることは仏教的だとは思っています。
しかし、菩提心という言葉を聞くことはありますが、伝統的仏教の中で信仰心という言葉の強調はあまり聞かないですね。
もともと仏教には被創造物(と創造主)についての概念はないですから。
英語には信仰心を示す単語がいくつかあるが、菩提心を示す単語は聞いたことがないですし。
100式氏によれば_信仰心はすでに心に備わっている_ということのようです。
「真理を求める気持ちが埋まっている」というのなら分かりますが、「信じる気持ちが埋まっている」と言われると「そうかなー?」と首をかしげてしまいます。
菩提心とは真理を求める気持ちですから、特定の神という信仰対象を持たなくてもいいわけで、また、IAOO.KK氏が言われるようにいろいろな意味での動機になるとも言えます。
あるとか無いとかの話になると、「信仰心が無い」という場合はどうしてもネガティブな評価方向_大川氏を信じない輩_に向かっていき、ひどくなると堕地獄とかに行き着いちゃう。
それに対して、「菩提心がない」というのは真理を求める気持ちがないということだから、それはいろいろな煩悩_こうしたい、ああしたい、あれがほしい、これがほしい_に阻まれて、本来欲しているものが分からなくなっていると解釈できます。
何と言ったらいいのか・・・。100式氏などKK信者氏が説明する「信仰心」からは非常にイデオロギー的な響きを感じちゃうんですよね。
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