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ザ・KK退会者がもの言うスレット
45
:
エートス
:2006/09/27(水) 00:10:29 ID:Q/3wLulo
>>37-38
RANDY氏 IAOO.KK氏
一般人ですがお邪魔いたします。
>KKでは、信仰心は、人が保持するものだという認識なんですよね。だから「袈裟衣を離すな!」「信ぜよ。信ぜよ。我を信ぜよ!」みたいな感じになる。
>でも現実には、それって無理な注文じゃないのかなあ。なぜかというと、信仰心は、自分の意思の範囲外にあるように思うから。
>一所懸命信じてみたけどできなかった、
>そこで誰かさんに「おまえば下根や」といわれると「そうやすやすと信ずるおまえばほんとに上根なのか」と言いたくなるですね。
信仰心というのは極めて主観的な感覚だと思うんですよね。
自分で「完璧な信仰心を持っている」と思っても、そう思わせるのもまた主観の働きですから。
だから、IAOO.KK氏の書かれたように「下根」だ何だと他人に対して言えることではないはずですよね。
ただ、そこに教団とかが介在してくると、まーKKの場合は_お布施の多寡や本の配布数とかが客観的な尺度となって、何かが置き換わってしまうきらいがある_という印象です。
>こう考えてくると、信仰心って、人がどうこうできるものじゃなくて、他から来る物じゃないかという気がしてくる。宗教的に言えば、神仏から送られるという感じかな。
宗教にもいろいろグレードはあるでしょうが、やはり頂点にあるのは、人類や世界の創造に及ぶ体系を示すものだと思います。
その場合、信仰心は文字通り創造主に向けられるわけで、人間でいうところの「親への気持ち」とそう大差ないと思うのです。
遺伝子レベルの親との絆もあるだろうが、また、生育の過程で強められてもいくわけで、信仰心も同様に幼いころからの体験で醸成されていくところがあるんでしょう。
大人になってからの大転換ももちろんあり得ますが、100式氏の言われるように、自我がある程度固まっていると難しいでしょうね。
わたしは宗教教育は受けていませんが、漠然と自分は何か神のようなものに作られたのだろうという_被造物であるという_感覚はあります。
それも一種の信仰心なんだろうと思います。
>というわけで、私は現時点では、「信仰心を持て!」とするKKの信仰観には、違和感を持ってます。
信仰心には無制限な自我の肥大化を食い止める働きがあるはずですから宗教がそれを「持て!」ということには必ずしも抵抗は感じません。
わたしが抵抗を感じるとしたら、それがどういった尺度で測られるのかということにでしょう。
まーKKの場合、「それ(創造主)がエルカンターレであり同時に大川氏として現在地球に顕われており、他宗教や他の神々もみなエルカンターレの下でヒエラルキーを作っている」という神話を信じて生きること=信仰心があるということになるわけでしょうネ。
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